第24章 高い城の女
上から目線の弘美が現代の日本社会を斬る。アースエンジェル大躍進の立役者の選挙戦略はさらに冴えわたる。
富の蓄積は資本主義社会の基礎だが、墓場にも持ってゆけないほど資産を増やしてどうするというのだろうか。散々贅沢したとしても人間一人が生きている間に使える金額などたかが知れている。
ストラディヴァリとグァルネリの現存する全作品を蒐集したところで、一兆の金を使い切ることなどできはしないのだ。土地を買ったり高層ビルを次々と建てたりすれば消費できるかもしれないが、それらは新たに富を生むアイテムにはなっても、自分がそれを眺めて楽しむ類のものではない。
なぜもっと社会に還元し、人々に喜んでもらえるような使い方をしないのか、私は理解に苦しむ。
地球の資源が有限であるのと同様に人類の富にも限りがある。いくら金儲けがうまくとも無限に富を増やすわけにはゆかないのだ。IT関連の創業者が軒並み資産を増やしているのは、石炭、石油、レアアースなどの採掘業者のように新たな資源を掘り当てて販売して富を増やしたのとは異なり、既存の富を奪い合って寡占した結果である。
採掘業は採掘に従事する大勢の労働者に対しても相応の賃金が分配されたが、IT企業の商品開発に必要な労力は採掘業に比べると微々たるものだ。なおかつ、製品の組み立て・出荷作業は途上国の低賃金労働者に依存しているため、社会のデジタル化によって仕事を奪われた国内労働者には何の恩恵ももたらさない。しかも、デジタル化による作業効率の向上は、アナログ人間の締め出しのみならず、賃金据え置きで作業量だけが増やされるという労働条件の悪化を招き、富の不均衡な分配を顕著にした。これでは人類が世界中で陣取りゲームに狂奔した帝国主義の時代と同じだ。
彼らの望みは一体何なのだ。勝ち続けて人類の富の九十九パーセントを占めれば満足なのか。それとも百パーセントでなければだめなのか。百パーセントということは、それ以外の人々は地球上から抹殺されるということだ。親族以外の人類が死滅した世界を望むなんて気が狂っているとしか思えない。
個人の競争を煽る資本主義社会の究極の姿が今日のアメリカではないだろうか。スケールの違う日本ではほぼありえないことだが、若くして全米ポップスターの座に就いた者やハリウッドで成功を収めた者は、二十代前半の若さにもかかわらず数十億から百億単位の富をつかむことが出来る。これが俗にいうアメリカンドリームなのだろう。
大学生くらいの年齢の若者が自家用ヘリやクルーザーを乗り回し、時価数十億の豪邸を建て、カリブ海のリゾート地に別荘を所有しているのは、大企業の社長がそれ以上に豪奢な生活をしているよりもはるかににインパクトがある。百億の資産を持つ中高年より、十億の資産を持つ若者の方が輝いて見えるのは当然だろう。将来的には大企業の重役としてさらなる資産を手に入れる可能性がある超エリートといえども、そこに至るまでには数々の試練が横たわっており、二十代で得られる金と地位はたかが知れているからだ。地道な成功者より、一攫千金のサクセスストーリーに憧れるのが、マテリアルワールドの常識なのだ。
しかし、それは果たして人間として正しい生き方なのだろうか。
二十代の若さで金をばらまいてエグゼクティブ顔負けのゴージャスな生活を見せつけることは、一部の若者たちの克己心を煽るかもしれないが、貧困にあえぐ人たちにとっては嫌悪の対象でしかないのではないだろうか。中には出自や学歴も関係なく成り上がるチャンスがあることを具現化しているとして好意的にとらえる向きもないではないが、かえって地道な努力を放棄した安直な生き方として曲解される可能性の方が高いような気がする。
自分の子供に義務教育もろくに施さずに、幼い頃から歌やダンスを習わせ、将来の芸能界入りをもくろんでいる人たちの一部はその典型だろう。学問としっかり両立させているところはまだしも、子供の人生を「能力開発」を大義名分にしてギャンブルの賭け金同様に扱うのは児童虐待に等しい。
率直に言って、スポーツ界や芸能界で成功するのは、東大や京大に合格するより困難である。その成功にしても、長続きしなければ生涯賃金が一流大学出身の堅実なエリートを上回ることはないのだ。
大手芸能プロダクションの敏腕スカウトが自信を持ってデビューさせた子でさえもあてがハズれてしまうことが多々あるというのに、ど素人の親が自分の子供に才能があると確信してレッスンに励ませている姿にはどうにも違和感を禁じえない。
IT企業家やデイトレーダーも同様である。
華々しい成功例はごく一部であり、一度億単位の金をつかんだからといって、持続性は芸能人やプロスポーツ選手以上に低いからだ。社会情勢や金融情勢の変化に対応するためには、局地的ゲリラ豪雨を先読みできるくらいの予知能力が必要で、芸能人がスキャンダルを暴かれて失脚するよりも危険度は明らかに高い。プロスポーツ選手に至っては、総じて選手寿命が短いうえ、一般サラリーマンであれば現役パリパリで最も作業効率が高い四十代にはすでに燃え尽きているため、人生の後半を現役時代を超える輝きは絶対に取り戻せないことを認識したうえで過ごさなければならない。つまり同世代の大半が人生の上り坂に差し掛かっているにもかかわらず、彼らに残されたのは下り坂しかない。あとはいかにゆるやかに下ってゆくかの問題であって、これでは夢がなさ過ぎる。
指導者やリポーターとして現役時代に匹敵する知名度と収入を維持できるのはあくまでも例外であり、その一握りの世界に入るためには、現役時分とは異なり、実力以上のプラスアルファが必要となる。
つまりトップアスリートになるためには、幼少時より英才教育を受けた者か、教育にかける時間を犠牲してまでも競技に特化した生活を送ってきた者の方が明らかに有利であるのに対し、引退後の人生はコネや運に左右されることが多いということだ。
私は、一流のアスリートや芸能人になるより、国会議員になる方がコストベネフィットで勝ると考えている。
なぜなら、恒久的にマニアックなファンの支持を得る必要もなく、選挙という節目に一時的に票数を稼げさえすれば、任期中は大した努力をしなくても安泰だからだ。
メディアへの露出度が減れば忘れられてしまう芸能人と違って、議員は議会での発言機会がないからといって得票数が減るとは限らない。コネクションと情報収集力さえうまく活用できさえすれば、政治的才覚に乏しくとも、地位と権力にしがみつく方法はいくらでもある。
家柄、学歴、容姿のいずれもが人より劣り、性格が腐っていようが、政治の世界ではそれが致命的なハンデになることはない。
エリートビジネスマンレースでは予選エントリーの時点で撥ねられるような人材でさえ、国家権力争いというハイクラスのレースには堂々と参加できるのだ。
しかも、法律に触れない限りは何でもありがお約束で、ロケットモーター駆動のレーシングマシンのステアリングを握ってガソリンエンジン車を追い抜いたところで、それを咎める者などいやしない。
もちろんレースは傑出したドライバー一人では戦えないが、揺らぎない強い使命感と連帯感を持ったチーム作りができさえすれば、私のチームはレースの勝者になれる。途中でコースアウトしようがクラッシュしようが、最終的にチェッカーフラッグを駆け抜けさえすれば、退場も失格もない。
十月二十三日未明、衆議院総選挙の投票結果が出た。
民友党は大幅に議席を失いながらも四六五議席中一九九議席を獲得し、第一党の座を死守した。
しかし連合していた公政会も二十議席と伸び悩んだため、過半数割れにより無所属の当選者を十四名以上取り込まなくてはならず、一強時代は事実上終わりを告げた。
一三二議席と大躍進を遂げたわが党は堂々第二党の座に収まった。第三党に落ちた新進党をはじめとするリベラル派連合とは政策上相容れないため、彼らの合計八十八議席を統合して連立政権を樹立する可能性はないが、与党の心胆を寒からしめたことは間違いない。
一足飛びに初の女性総理誕生とまではいかなかったものの、福岡でこれまで難攻不落だった蛇光寺の七区を含む七選挙区を制したのは嬉しい誤算だった。新島フィーバーのおかげで、閣僚経験者で民友党の古参議員だった八区の岩永俊も追い落とすことが出来たため、来年の福岡市長選では岩永の女婿である現職の桐島宗高に勝てる公算も見えてきた。
さて次の市長の座に就くのは・・・
私っきゃないでしょ!
え?それありえないって、なんでよぉ。
あっ、そうか。私まだ立候補年齢に達してないじゃん。
そこから四年先なんて無理、無理。
メフィストフェレスでも不二子でも、どっちでもいいから、とっとと市長呪い殺しちゃってよ!
平成三十年十一月に行われた福岡市長選挙は、アース・エンジェルの中に適当な候補者が見つからなかったことから今回の出馬は見送ることにした。目下我々にとっての最重要課題は、翌三十一年四月七日に行われる福岡県議会議員一般選挙の方だからだ。
現在二十二議席のわが党は、県政掌握のためにも過半数を超える四十四議席の獲得を目標に置いている。議員数の倍増は一見困難のようにも思えるが、第一党である民友党が三十九議席だから、対立候補を立てた選挙区で八つ勝てば最低限の目標は達成できる。
前回は女性の社会的地位向上を鼓舞するマドンナ旋風によってここまで議席を伸ばせたが、今回も社会的価値観の変容に便乗して、ジェンダーやシングルマザーといった社会的弱者を候補に立てて、県民の涙腺に訴えかける計画を立てている。
それだけではない。平成二十七年度選挙との決定的な違い、つまり十八歳から十九歳までの少年少女が投票権を持つようになったことで、「リトル・ピーセス」をはじめとするボランティア活動などを通じて若年層に鉄板の支持層を持つわが党は、既存の票の奪い合いではなく、新規の票を大量に上積みできるという強みがある。
現役高校生時代から、西夏女学院生徒会をプラットフォームとした学校同士の協力体制を多岐にわたる分野で築き上げ、卒業後も次世代に対する指導と協力を惜しまなかったのは、将来的な十八歳選挙権の施行も視野に入れていたからである。
もっとも当時の私は自らが政治家になりたいというわけでなく、いざという時に役に立つ政界コネクションを確立しておくためには票田という供物が必要不可欠だと考えていたに過ぎない。
日本のティーンエイジャーは政治的関心が薄い、とよく言われるが、全く興味関心がないというわけではなく、不満を持っていてもその声を伝える手段がなかったからだ。選挙権も持たない若者の代弁者になってくれるようなお人よしの議員などそういるものではないし、いざ自分の選挙となると票田となる高齢者層の利益を優先した施政方針を打ち出さざるを得ないからだ。
私はそういう政治に不信感を抱いた十代の若者たちの熱い思いを、アースエンジェルという政党を通じて、少しでも世間に働きかけるためのコンバーターのような役割を演じてきた。
当初は彼らの弱者救済意識こそ高められたものの、そこから政治への関心を導けるほどの効果はなかなか得られなかった。
しかし私が単なるコメンテーターから、私設秘書、公設秘書と政治の中枢への階段を昇ってゆくにつれ、被選挙権もない若い女性がここまでして政治を変えようとしているという姿が、一部の若者たちの心を揺さぶり始めた。
最初は微々たる揺れでも、時間をかけて増幅すれば激震へと変わる。
私が大学時代から時々メールでコメントのやりとりをしている香港の学生活動家周廷さんには及ばないまでも、今や私にだって県下一万人くらいの学生の動員力はあると自負している。
古株の政党が、今さら若者たちの良き理解者ぶって彼らの政治的関心を煽ったところで、散々裏切られ、失望させられてきた者たちが本気で相手にするはずはない。
目先の利益ばかりにとらわれてきたおバカさんたちは、弘美マジックで議席が消えた瞬間、全てを失うのよ。
平成三十一年四月七日に行われた福岡県議会議員一般選挙は、当初の目標値と寸分の狂いもなく四十四議席を獲得したアース・エンジェルが、同二十二議席の民友党にダブルスコアで圧勝した。
これも、県内の国公立大学と有名私大の全てに張り巡らされたアース・エンジェル党友会組織が私の手足となって働いてくれたおかげである。
どこからか圧力がかかった国公立大学のキャンパス内での許可こそ下りなかったが、相当数の大学でアース・エンジェルの立候補者たちによる立ち合い演説会ならびに公開討論会が行えたことは、若年層の投票率向上に大きく寄与した。
数百人規模の会場では、福岡県内でもとりわけ人気の高い、染井、南雲、新島のトップ3が、政務の間を縫って応援演説に駆けつけてくれたほか、“元十代のカリスマ”である私もあちこちに顔を見せたが、女子大での那智さん人気は、ちょっとしたアイドルのコンサート並みだった。
念のためポチの幅広いガールズコネクションを利用して、親衛隊っぽいいでたちをした女子大生をサクラとして聴衆の中に潜りこませていたとはいえ、ここまで盛り上がるとは想像していなかった。SNSで配信しておいたイメージビデオ風の党のマニフェストに那智さんを起用したのは私のアイデアだし、これはこれで大きな反響もあったのだが、現物の彼はリアル王子様だ。ゲームアプリのバーチャルの世界に閉じ込められていた女の子たちが、一斉に夢から目覚めたとしても不思議ではない。
県議選の選挙活動がお祭り騒ぎのイベントと化したことは、一部の真面目な有権者には不謹慎の極みのように映ったかもしれないが、アメリカ大統領選なんてハリウッドスターやトップミュージシャンまでがぞろぞろ出てくる国を揚げてのビッグイベントに等しい。日本でこういうスタイルが流行らないのは、ユーモアのかけらもない傲慢な嘘つきジジイたちには聴衆へのサービス精神が欠如しているからで、演説原稿を作る裏方も、腐れ大根役者のために名ゼリフを捻り出すほどの意欲が湧かないのだろう。
選挙は、目立って注目を浴びた者の勝ちだ。
地味な宣伝活動が災いして長らく埋れていた名曲が結構多いのと同様に、優れた才能を持った政治家でも、大衆からの評価が得られるビッグステージに立たなければ勝負にならない。
幸い私の周囲には創造性豊かで行動力抜群の若い人たちがたくさんいる。
選挙資金には換算できない若い力こそが私の武器だ。
来るべき参議院議員通常選挙では、さらにグレードアップしたハイパー兵器を取り揃えて、政権与党の魔宮の扉を粉々に吹き飛ばして御覧にいれるわ。




