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セーラー服と独裁者  作者: 滝 城太郎


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第23章 筋金を入れろ

「邪魔者は消せ」与党幹事長の裏金疑惑を暴き、議席を奪うためのミッションが遂行された。

 「やっぱり、デューク自動車工業と蛇光寺はグルだったわよ」

 「すごーい、さやか。まるでCIAの工作員みたいだね」


 才女の後輩である弓さやかは、東京芸術大学に在籍する現役大学生である。私は特殊な才能を持つ彼女には高校時代から特に目をかけており、美樹本英二の内輪の誕生会に招いたこともある。

 以来、美樹本英二を神のように崇め、神の預言者たる私ばかりかマリリンにさえも忠誠を誓ったさやかは、私の公設秘書就任直後から、表向きはアルバイト事務員として私の情報収集活動にも一役買ってくれている。

 高校時代から同郷の美容専門家、張一向に師事していただけあって、さやかはすでにメイキャップアーティストとしてプロ顔負けの技術を持っている一方で、独学で極めた特殊メイクの方もハリウッドクラスと言っても過言ではない。

 そんな彼女が最も得意としているのが、アニメキャラのなりきりメイクで、『うる星やつら』のラムちゃんやキューティーハニーからサザエさんまで、実はこの人が漫画のキャラクターモデルだったのではないかと思ってしまうほどの出来栄えなのだ。

 この腕前で何名かの地下アイドルの専属メイクを担当しているが、自身も化けるのが上手いため、我々のターゲットである民友党幹事長蛇光寺昭行きつけの飲食店のアルバイト従業員に扮したり、政財界のVIPが集うパーティーにコンパオンとして潜り込んだりして情報収集を行ってきた。

 ハンティング用のウォーカーズ・ゲーム・イアを装着していれば、通常なら会話が聞こえない距離の音声も拾えるし、周囲の雑音があっても不二子が仕込んだチップに録音された音声をコンピュータで声紋解析すれば会話の内容はわかる。

 今回、蛇光寺議員がデュークの支店長代理と密会していたのは、広尾のフレンチレストラン『アンリ・ジロー』だった。

 蛇光寺の事務所のパソコンにパスワードを破って侵入した不二子は、スケジューラーの中にキイワードアラートウィルスを仕込み、「デューク」あるいは略称である「DM」というワードが入力されると、自分のパソコンにメールで知らせるようにしておいた。結果、一週間前にデュークの本店経理部長入江久喜と『アンリ・ジロー』で会食することを突き止めたのだが、敵もさるもの、ミシュラン三ツ星の『アンリ・ジロー』は二~三ヶ月待ちは当たり前で、ここなら水面下で追跡取材を続けている週刊誌の記者も紛れ込む余地がない。蛇光寺がいとも簡単に割り込めたのは、与党幹事長という立場を利用してのことである。

 ポチとさやかが予約を取れたのは、不二子が予約サイトを改ざんしたからで、私たちの小細工のおかげで待ちに待ったラブリーナイトを台無しにされたカップルには、喧嘩別れしないよう神のご加護を祈るだけだ。

  

 蛇光寺とデューク自動車工業のつながりに疑いを抱いたのは、蛇光寺が『APSエイプス』と称する急進的な禁煙団体の名誉顧問を務めていたことに端を発する。

 APSの正式名称はAnti Passive Smoking Association(受動喫煙反対協会)といい、ガーディアンエンジェルス気取りの自警団のような連中が、オフィス街や繁華街の喫煙禁止区域を練り歩いては違反者に指導を行っている団体である。

 黒のベレー帽と煙草を咥えたまま朽ち果てたしゃれこうべがデザインされたモスグリーンの皮ジャン姿の団員たちは、正義の味方というより半グレ集団のような威圧感さえ滲ませている。

 見た目もさることながら、高圧的な態度ゆえに、平気で煙草をポイ捨てする中国人観光客や煙草をふかしながら客を待っているタクシー運転手とひと悶着起こすことも少なくないが、条例を楯にいかつい連中から凄まれては抵抗するだけ野暮というもので、それがまた彼らの傍若無人さを助長していた。


 ある時、灰皿に溜まった吸殻を路上にぶちまけたタクシー運転手が雨に濡れながら一本残らず拾い集めさせられている画像がユーチューブにアップされ、警察でもないのにやりすぎだ、という声も上がったが、禁煙派の反発でネット炎上という事態を招いてしまい、喫煙者に対する風当たりはかえって強まった。

 APSは今では「日本のシー・シェパード」と呼ばれ、潤沢な資金を有する全国規模の活動団体へと成長した。私設警察的な厳格な取り締まりが、個人の自由を脅かす危険性を内包しているにもかかわらず、これほどまでに支持層が拡大したのは、禁煙活動はマリファナや大麻といった違法薬物摂取の抑止力になるという理由で、各地の教育委員会やPTAまでが全面的に活動を支援しているからだ。


 いつの間にか喫煙=社会悪という構図が出来上がりつつあるのは、恐ろしいことである。

 科学的事実と科学的推論を混同しないことが学問の常識である。

 多数決の論理に基づく民主主義社会において、このような根拠に乏しい発想がまかり通るのはどうしたことだろう。世界全体を見渡してみても、イスラーム教国や発展途上国においては喫煙は嗜好の一つとして認められているし、先進国でもロシアや中国は喫煙者が多い。またキューバのように葉巻が重要な輸出品となっている国もある。したがって世界規模のアンケートを取ったとしても、喫煙反対派が圧倒的多数を占めることはないだろう。

 つまり、現状では禁煙運動が進んでいるのは一部の先進国のみであるにもかかわらず、彼らの主観こそが世の常識であるかのように思われているということだ。そしてそういう国に限って、世界的な問題となっている地球温暖化がまるで他人事であるかのように、CO2を大量に排出しているのだ。

 そればかりではない。焼却時にダイオキシンが大量発生する産業廃棄物は途上国に処分を任せることで、非難の矛先を巧みに逸らしている。

 副流煙による健康被害と排ガスによる環境破壊のどちらが優先課題かと問われれば、第三者的立場の常識人ならば後者を取るだろう。一方、大排気量の自家用車のオーナーや生産過程で有害物質を発生させている企業関係者であれば、後者の話題には触れられたくはないはずだ。

 蛇光寺のことをうさんくさい偽善者だと思ったのは、彼の公用車が排気量六リッターのメルセデスマイバッハS六〇〇であり、個人でもランボルギーニ・アヴェンタドールやアストンマーチン・ラピードといった大排気量のスポーツカーを多数所有するカーコレクターだったからである。

 副流煙による健康被害を声を荒げて主張しながら、自分は大量のピッチやタールを撒き散らしながら走っているのだから世話はない。彼がアヴェンタドールで近所を流しただけで、一人のチェーンスモーカーが吐き出す一生分の有害物質を軽く上回る濃度の有毒ガスを排出することは間違いない。

 エコカーに乗り地球温暖化問題にも真剣に向き合おうとしている人が喫煙に反対するのは納得ゆくにしても、蛇光寺のようなヤツにそんな資格はない。

 世界には宗教上の理由で牛や豚を食べない人もいれば、犬や猫を食する人もいる。一方で、牛や豚は食べているのに、鯨やイルカは知能が高いから、犬や猫は愛玩動物で可愛そうだから食べるのは残酷だという人もいる。

 確かに先進国の人たちにとって犬猫はペットというイメージが強いかもしれないが、ペットなど飼う余裕がない貧しい地域の人は、犬だろうが猫だろうが単なる食料に過ぎない。また、猫はまだしも犬は狂犬病の元凶であり、その死亡者数は年間五万五千人を超えているのだ。これらの例を見ても、人間というのはいかに利己的で、特権意識的な正義感をひけらかしている者が多いかがよくわかる。

 私は煙草の香りは好きではないが、車は好きだ。だからカトリーヌが煙草を吸っているのを咎めたことはない。むしろ酸化触媒もろくに機能していないヴィンテージカーを愛好している私としては、禁煙ブームのおかげで私たちカーマニアにはまだ世間の白い目が向けられていないことを心苦しく思っているほどだ。

  

 ならば私と同じ嗜好の蛇光寺も、喫煙を非難することに対して少なからず後ろめたさを感じているはずだ。しかも、与党たばこ議員連盟の顧問に蛇光寺の師匠格に当たる守永錬太郎農水大臣が名を連ねていることを考えると、これほど禁煙活動に異常な執念を燃やすのは、何か他の目的があるからに違いない。

 国会議員としての支持層の拡大などという全うな理由ではないだろう。福岡七区選出の一議員が全国規模にまで活動を拡大するのは少し行き過ぎのような気がするからだ。そもそも与党幹事長という要職にある重鎮が、各地の禁煙キャンペーンで講演してまで個人的な人気稼ぎをする必要はない。 

 となるとやはり、大手自動車メーカーからの政治献金というのが一番しっくりくる。高速道路の制限速度が百キロの国で、最高時速三百キロ超の大排気量の車を生産し、エコロジーの時代に次々と新車を開発し、買い替えを促すという時代と逆行した経営を行っている会社としては、いつなんどき環境保全を建前にした締め付けに見舞われるかわかったものではない。とにかく矛先を逸らすためには、民衆が攻撃する別のターゲットを作るのが一番手っ取り早い。


 蛇光寺はその片棒を担いでいる、そう確信した私は、国内自動車メーカーの中でも実用性に乏しい高級スポーツカーの生産に力を入れているデューク自動車工業が一番怪しいと睨んだ。事実、蛇光寺が所有している国産車はデュークの最高級2シーター「ブレイド」だけだった。

 蛇光寺昭は福岡県柳川市の定時制高校を出て、奨学金で東京の名門私大に進学した苦労人である。大学卒業後は地元選出代議士の秘書となり、その代議士の政界引退に伴い地盤を引き継いで衆議院議員に当選した。二世、三世議員でもなく、大手企業の創業家とも血縁関係がない彼が、当選六回にして四谷に時価数億の豪邸を建て、同じく数億は下らない高級車を所有しているのは、いくら議員給与が高いといっても説明がつかない。資産公開では邸宅以外は細君の名義になっているにしてもだ。

 政治献金、それも議員個人への裏金という形での献金なくして、こんな生活が成り立つはずがないのだ。

 

 現金の受け渡しは二日後の午後三時に事務所で行われることがわかり、私たちはライフル用の遠距離スコープを搭載したドローンでその現場を撮影することに成功した。

 さすがに盗撮では具合が悪いので、都会でのミツバチの生態を観察するためにマーキングした蜂をドローンで追跡している最中に偶然撮影されたことにした。幸い、東京ではビルの屋上に巣箱を設置して東京産の蜂蜜として売り出すのが密かなブームになっている。蛇光寺の事務所は巣箱を設置したビルの蜂の行動半径内にあるため、窓の近くを蜂が徘徊していても不自然ではない。ただし、完璧を期するために、清掃会社の社員を装ったポチが、事務所の窓枠近くに蜂が好むフェロモン物質を添付しておいた。こうしておけば、至近距離の道路に止めた車のムーンルーフから放たれた蜂のうち何匹かは間違いなくそこへ向かってゆく。それをドローンが追跡すれば窓越しに室内がばっちり写り込むという寸法だ。

 もっとも、事務所のあるビルの近くから蜂を放すと作為的であると勘繰られかねないため、もっと遠距離から蜂を何匹も飛ばしてその都度ドローンで追わせ、目的のビルにたどり着いた蜂の追跡画像を編集して、いかにも観察中の蜂がたまたま事務所の窓枠に止まったかのように偽装した。

 この画像を選挙運動の最中にネットで流したらどうなるか。慌てて別の候補者を立てる時間などない。言い訳するにも読唇術に長けた人がこの画像を見れば、手渡しされた紙封筒の中の札束を確認した蛇光寺と運び役の社員の会話がはっきり読み取れる。

 内部告発を恐れて人払いをし、金融機関を通さず直接現金を受けとるという用心深さが、今回は仇となったようだ。

 もちろんマスコミ各社の政権与党に対する忖度も考慮して、信頼できる筋の週刊誌記者にもコピー画像を託し、黙殺されそうな気配を察知した時点で、情報操作のために裏で提携している著名なインフルエンサーを通じて、政界スキャンダルネタとしてネット上で大々的に報道してもらう手筈も整えている。

 偽善者ぶりが暴かれた蛇光寺の落選は間違いない。 


 「というわけで、先輩、これお願いしまーす」

 「はい領収書ね。ふーん、十万三千八百円って、まあ、よく食べたわね」

 「だって銀座の一流店なんだから、このくらいはしますよ。ブルターニュ産ブルーオマールのミキュイにハニートリュフ、相性バツクンでめっちゃ美味しかったー」

 「そりゃそうでしょ。私なんてブルターニュ産といえばムール貝のパスタくらいしか食べたことないもん。で、ポチは何食べたの」

 「僕はブルーオマールのアメリケーヌソースとバザス牛のフィレステーキをいただきました。あ、あとシャトーマルゴーのいいのが入っていたので、ついでにそれも」

 「あんたはアメリカザリガニとマンゴージュースで十分でしょうが」

 「そんな殺生なー。それにしても、久々にこんな豪華なもん食べて身も心も満たされちゃったっスよ」

 

 さやかがエスプレッソを淹れるために席を外した隙に、私は小声でポチに誘導尋問を仕掛けてみた。

 「満たされたのは食欲だけ?」

 「ちょ、ちょっと人聞きの悪いこと言わないでよ。まっすぐ帰ってきたじゃないスか」


 ポチのやつ、しらばっくっれちゃって。

 柄にもなくシャトーマルゴーなんて注文したとこみると、食欲のついでに性欲まで満たそうと思ったに決まってる。

 「ねえ、さやか。ポチから口説かれたでしょー」

 

 エスプレッソをトレイに載せたさやかが戻ってきた。

 「うん。シャトーマルゴーはドラマの失楽園で心中前の二人が飲むんだよ、ってウンチク並べたあと、俺と一緒に昇天しないか、なんて真顔で言うから笑っちゃいましたよ」

 「ちょっとタイム、さやかちゃん。俺、リラックスさせようと思って笑いを取りにいっただけだって」

 「うそだー。任務完了したあともさりげなく誘ってたじゃないですか」

 ポチのことだから、任務の成功を祝って性交・・と言ったかどうかはわからないけど、今夜のさやかのメイクはクラブホステスみたいに官能的だから、ポチが放っておくとは思えない。

 「白状しなさいよ、ポチ。仕事がうまくいったから、ボーナス代わりにお持ち帰りもありっていうノリだったんでしょ。うまくゆかなかったから、冗談でなかったことにしようなんて、桜中の種馬の名が泣くわよ」


 眉間に皺を寄せてちびちびとカップをすすっていたポチが、観念したのか、ようやく重い口を開いた。

 「弘美ちゃんのいうとおりだよ。それにしても、口説きモードに入ってこんなに空回りしたのって中学以来じゃないかな。ここしばらく一緒に行動している間に、さやかちゃんの嗜好や考え方も十分研究して万全を期したつもりだったのに、肝心なところで掛け合い漫才みたいになって、全く意思の疎通が出来ないんだから、まいったよ。俺のどこがダメだったのか、後学のために教えて欲しいくらいだよ」


 「石山さん、ちょっと見はイイ男だし、レディーファーストで話も面白いから、男友達としては申し分ないんだけどね・・」


 「えっ、それで恋愛対象にならないってどういうわけ?俺の体臭がキツイとか、昔、俺に似た男に騙されたことがあるとか、そういうどうにもならない理由ってこと?」


 「全然、そんなんじゃないわよ」さやかが今にも吹き出しそうな顔をして答えると、ポチはますます頭が混乱したようで、まばたきさえも忘れてさやかの顔を凝視したまま固まってしまった。


 「実は、先輩から釘をさされていたのよ。石山さんのこと」

 「どうせエロ事師だとか何とか、散々悪口吹き込んだんでしょ」ポチが私の方をギロリと睨んだ。

 「悪口なんて全然。石山さんはトークもベッドも一流で、ハマると麻薬みたいな男だって」

 ポチは私から誉められるなんて意外だったらしく、急に表情を緩ませてエスプレッソを一気に飲み干した。


 「だけどね、石山さんセックスは超上手いけどアナルマニアだから、虜になっちゃうと、そのうち肛門の括約筋が断裂して、だだ漏れオムツ女の運命が待ってるんでしょ。もう何人もそういう女性見てきたって先輩が言ってたから・・私、ノーマルなんでごめんね」

 「はあい?」

 おおっと、いかん。ポチが大魔神に変身する前に退散せねば。

 「さやか、急がないと終電間に合わないよ」私は彼女の手を取って、高円寺駅に向かって一目散に駆け出した。


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