第22章 千人に一人の女
政界進出に野心に燃える弘美は、将来自らの親衛隊として活躍しうる人材育成に着手した。
福岡県の小選挙区は十一に分かれている。そのうち与党民友党が占めているのが七議席で、わが党は染井先輩が出馬する一区の一議席のみである。政権奪取はまだ先の話にしても、保守大国である福岡を牛耳っておくことは、次回の総選挙への布石となる。
現段階で当選が確実視されているのは、染井先輩の一区と元財務官僚、野々宮一美女史の四区である。あと豊前市を含む十一区も、地元では顔が利く私の父が積極的に動いてくれているうえ、かつて母方の叔父と同じ弁護士事務所に勤めていた現職の行橋市長も協力的なので、十分にチャンスはあると見ている。
二区は学生が多いのが強みで、私がてこ入れすれば十八歳選挙権により拡大した若年層の有権者の六割方は取り込むことが出来ると踏んでいる。これに才女の同窓会と海南銀行の協力があれば新人でもいけるかもしれない。そう考えた私は、才女OBにして海南銀行六本松支店長の寺島雅女史を担ぎ出すことにした。
寺島氏は四十四歳、一男一女の母である。幼少の頃より貿易商社に勤める父親に伴われてタイ、ラオス、カンボジアを転々としたことから、語学堪能でバリバリのアジア通でもある。この才能を生かして東南アジア各地の開発事業の大口融資を次々と実現させ、今や彼女は将来の重役候補と目されるまでになった。実は長男の産休中、高子の家庭教師を務めたこともあるため、高子とも結構親しく、彼女を口説き落とすのには高子にも一役買ってもらったのだ。有能な人材が流出することを惜しみ、当初は部下の立候補に反対だった高文頭取も、最後はジイの説得に応じてくれた。
螻河内家のある三区は、麻吉親父が俄然張り切っている。立候補者の神代真矢氏は現職の消防士だが、昭和五十年代、福岡県のみならず隣県にまでもその名を轟かせた伝説の武闘派暴走族『黒太刀』の元特攻隊長で、麻吉親父に喧嘩でのされたのをきっかけに改心し、以来親友の仲だという。中坊の頃より地元のトッポい高校生連中まで顎でこきつかっていた二人のこと、選挙区に在住している往年の各中高の番長クラスOBを狩り集めて、ヤクザの地上げのような選挙戦を展開している。
不思議なのは、昔馬鹿をやった仲間ほど絆が強いことで、同世代の元ヤンキーつながりから後輩、そのまた後輩、各人の十八歳以上の子弟、とねずみ講のように支持者が広がってゆくのだ。過去の麻吉親父の暴れっぷりからすると、同世代からは相当恨みを買っているのではないかと危惧していたが、根が善人だけに、無職でブラブラしていた元ヤンキーの同級生や後輩を自分の建設会社に雇い入れたり、再就職の世話をしたりと面倒見がよく、昔くらわしてやった連中からも慕われているらしい。
そういう意味では麻吉親父が大学生活を過ごした九区も知り合いが多く、道場での教え子や喧嘩をを通じて義兄弟の契りを結んだ元ヤクザまでが選挙活動に協力してくれている。もちろんこの中には警視庁キャリアの山田金警視監もいて、元部下の県警幹部や東大OBルートを使って裏で公安や公務員関係の票固めに奔走しているそうだ。
順調に行けば以上の六区で議席を獲得し、与党の独占に終止符を打てるかもしれない。しかし、今回の選挙で何としても奪取したいのが、民友党幹事長である蛇光寺昭を擁する七区で、ここは二十年近くにわたって無風選挙状態なのだ。
党のナンバー3と言われる蛇光寺が健在である限り、福岡県政・市政ともに民友党の影響は免れない。わが党が大都市福岡に根を下ろし、そこから中央政界へと勢力を伸ばしてゆくためにも、蛇光寺の排除は不可欠である。染井先輩が選挙区を鞍替えするのならともかく、蛇光寺の壁はあまりにも高く、彼を超えるような候補者はわが党にはいない。そこで考えたのが強力な新人のスカウトと蛇光寺の醜聞を暴いて窮地に追い込む二面作戦である。
すでに一年前から、登録者数と信頼性においては日本一を自負する私の学生リクルート・ドラグネットを通じて、「千人に一人」という個性を持つ福岡県出身の女性を捜し求めていた。
まず、複数の推薦者による上位百名をピックアップすると、次にその選ばれた百名に「千人に一人に値する一般家庭出身の二十代から三十代の頭脳明晰な女性」という条件で人材発掘を行わせたところ、期日までに二十名ほどのユニークな女性のプロフィールが集まった。
私がこのような調査方法を取ったのは、類は友を呼ぶ、ということわざは結構実社会にも当てはまることをこれまでの人生の中でも痛感することが多かったからだ。何かに秀でた人間の中には、自分より劣る仲間を取り巻きに置くことで自分を目立たせようという小賢しい者もいないではないが、その程度の人間には用がない。優秀な人間に、自分よりも優秀な人間、というテーマを与えて探させれば、いわゆる一般受けするタイプのイミテーションゴールドはおおむねふるい落とされる。
三次選考は、党員、すなわち大人の政治家の目で見た場合、選挙で票を集めそうなタイプはこのうち誰かをさらに絞り込んでもらった。出身校か本籍地、職場が七区であるに越したことはないが、とりあえず福岡県出身者であれば何とかなる。そこで最終選考に残ったのが次の五名である。
白井 夢星 二十六歳 筑波大学卒 広告代理店勤務 東京都在住
久木原 栞 二十九歳 早稲田大学卒 総合商社勤務 神奈川県在住
新島 世界 二十七歳 関西学院大学卒 オートレーサー 千葉県在住
南雲 美樹 二十七歳 京都大学卒 地方公務員 福岡県在住
廣 純子 三十一歳 長崎大学卒 国立大学講師 沖縄県在住
このリストを見たポチが真っ先にダメ出ししたのが白井夢星だった。白井は大学のミスコン女王出身でファッション雑誌の表紙を飾ったこともある八頭身美人である。といっても、近年のミスコンはマスコミ関係への就職を睨んでサークルで組織票を集めるなど政界なみの裏工作も珍しくないので、額面通りには受け取れない(実際、そこまで美人ではない)。むしろ称えるべきは頭の方で、高校生数学オリンピック・スロベニア大会で銅メダルを獲得した実績は「千人に一人の女」という条件を完全に満たしている。にもかかわらず女好きのポチがあっさり弾いたのは、キラキラネームの印象と男好きのする顔立ちだった。
ポチによると、夢星は読み間違えると夢精を連想させるため、政治家の名前としてはエロ過ぎるし、名は体を表わすというとおり、この手の女は男の精気を吸い取るタイプらしい。
念のため身辺調査をしてみると、この女実に男癖が悪く、不倫、二股、略奪の三拍子が揃った性悪だった。頭が切れるため、人前では決してボロを出さず、学友や職場仲間にも好人物で通っていたが、どうやら相手が悪かったようだ。ホームレスのおっちゃんたちまで味方に引き入れている私の諜報ネットワークを侮ってはいけない。一ヶ月、二十四時間体制で張り込まれたら、職業スパイでさえその監視網を潜り抜けることは出来ない。
今回のケースでは、妻子持ちの上司とラブホでSMプレイに励んでいる証拠が挙がったため、白井はリストから即刻削除した。
白井は、タクシー乗降時ですら後方確認を怠らないほど警戒心が強く、興信所レベルでは尾行は困難だったが、裏を返せば、尾行を警戒し過ぎるのは、かえってクロだということを知らせているようなもので、人海戦術に切り替えたとたんに簡単に網にかかった。
おまけに相手の上司が、几帳面にもスマホにハメ撮り画像を保存してくれておいたおかげで、スリあがりのホームレスを使って動かぬ証拠も手に入ったというわけだ。もちろんスられた方も、内容が内容だけに盗難届けは出せず、現在は胃を病んで休職中と聞く。
ゲス不倫は、当該議員だけでなく党にとっても致命傷になりかねない愚行である。こういう危機管理能力に欠けた女に議員の資格はない。
それにしてもプロフィール写真と自己紹介のビデオを見ただけで、女の性癖をずばりといい当てるポチには改めて感服した。謝礼としてポチには冨士屋ホテルの最上級ディナー付きペア宿泊券を、いい仕事をしてくれた港区界隈のホームレスのおっちゃんたちには、宮崎県産のプレミア焼酎『百年の孤独』を二ダースとつまみにカスピ海産のキャビア缶と高級タラバ缶を各二ケースばかり奮発した。
私は使える人間には気前がいいのだ。
次に脱落したのは廣純子だった。海洋生物学者の廣は学者らしからぬ褐色の引き締まった身体をしており、ダイビングスーツ姿も絵になる体育会系理系女である。私個人としてはなんとなくカトリーヌを彷彿させるところがあって気に入っていたのだが、思想がリベラル過ぎるという理由で那智さんが異議を唱えたのだ。確かに彼女はあまりに平和主義的で、強い主義主張を持たないところに若干の物足りなさがあったことは否めない。
残る三人の中で一番政治家向きと思われたのが久木原栞である。ど近眼のため牛乳瓶の底のような眼鏡をかけているが、素顔は悪くない。淡白な顔をしているぶん、メイク次第で知的な美人に化ける可能性もある。仕事柄、五人の中では最も語学力と弁舌に長けており、高校時代、神奈川県高校生英語弁論大会で二年連続優勝したばかりか、私と同じく高校生国連平和大使に選出されたこともある。
しかし、彼女の自己紹介ビデオを観た不二子が「あんたのミニチュア版みたいだね」と感想を漏らしたことで候補者から外された。私は相当な自信家だが、その私が出馬したとしても正攻法で蛇光寺に勝てる自信はない。したがって客観的に見て、今の私よりスケールが小さい女では勝負にならないということだ。それなら、むしろ全く違うキャラの方がいい。
そういう観点からすると新島世界は真逆といえるかもしれない。アニメオタクで大学時代には神戸で地下アイドルとして人気があったという新島は、ギャンブル好きのだめんずウォーカーで、一時は交際相手の連帯保証人となったおかげで五百万を超える借金を背負い、あわやソープに売られるところだったらしい。
彼女が借金を完済するきっかけとなったのがオートレースである。借金取りから身を隠すため、千葉県船橋市に住む従姉のアパートに転がり込んでいた大学三年の夏休み、バイト先で知り合った元風俗嬢に誘われて運試しにオートレース場に出かけたところ、嘘のように大勝ちし、借金は一気に五分の一まで目減りした。この時、給料のほとんどをつぎ込んだ新島に高額の配当金をもたらした幸運の女神が、なでしこレーサーとして人気があった坂井宏未で、これを機に熱烈なファンとなった。
ところが翌年一月、坂井は事故死した。関学で奨学金を支給されるほど優秀だった新島がオートレーサーを目指すようになったのは、借金地獄から抜け出すきっかけを作ってくれた坂井選手の後継者として、オートレース界の繁栄に尽力したいと思ったからだそうだ。
レーサーとしての彼女の腕前はというと、平成二十八年度の賞金総額が五百万円弱というところでトップレーサーへの道はまだまだ遠いが、そのグラマラスな肢体がオヤジ受けし、某出版社からトップレス写真集の依頼が来ているという。顔は愛嬌のあるぶちゃカワ系ながら、ライダースーツのファスナーが壊れんばかりに盛り上がったIカップバストはレース場の華で、人気だけなら関西一といっても過言ではない。
さすがにソープで働くかこのまま失踪するか本気で悩んだことがあるだけに、今ではだめんずを卒業し、オートレース教習所に入所して以来、彼氏なしのストイックな生活を続けているようだ。
放電中の電気うなぎのように全身に活力がみなぎる新島世界と比べると、南雲美樹の存在感は水晶玉に閉じ込められた小宇宙のごとく、無限を感じさせる清楚な美と透明感に彩られている。
幼い頃から容姿端麗で秀才だった南雲は、神の使命を帯びてこの世に降臨した天使のようだ、と周囲の誰もが羨む存在だった。ところが神はまるで『ヨブ記』を現世に再現するかのような過酷な試練を次々と彼女に与えた。
軽い小児麻痺を煩ったのは六歳の時だった。松葉杖なしでは歩けない状態が五年続いたが、彼女は毎日苦しいリハビリを続け、中学に入学した頃にはスポーツ以外の日常生活には支障がないほどに回復していた。
高校は地元八女市の公立高校へ進学した。県下の名門私立高校からの特待生の誘いを断ったのは、実家の奥八女から都市部への長距離通学が困難だったからだが、塾や家庭教師の世話にもならず、独学で勉学に励み、見事京都大学教育学部に現役合格した。
ところが再び彼女を不幸が襲った。大学入学を控えて福岡市内の国立病院で精密検査を受けた後、両親と会計の順番を待っていたロビーにアクセルとブレーキを踏み間違えたタクシーが突っ込んできたのだ。咄嗟に娘をかばおうとした両親は即死し、南雲は全身打撲と頭部亀裂骨折の重傷を負った。
大学に通い始めたのは五月の下旬からだったが、本人の努力と大学側の多少の配慮もあって一度も単位を落とすことなく無事四年で卒業した。しかし、頭部損傷の影響で退院時には左右ともに0・1だった裸眼視力が一年で0・01にまで落ち、卒業時には右目は完全に失明、左目は強度の眼鏡をかけても0・01しかなかった。そのため就職は障害者枠で地元市役所に入り、点字サービスや翻訳、観光関係のコピーライトなどの仕事を任されることになった。
就職を機に、これまで自分を支えてくれた周囲や地域社会に恩返しをしたいと考えた彼女は、同じような境遇の人たちを励ますために詩を書き、将来的に施設で演奏できるようにとピアノを習い始めた。視覚が失われてゆくぶん、聴覚と触覚が研ぎ澄まされていったのだろう。わずか二年足らずで難曲と定評のあるリストの『ハンガリアン・ラプソディ』をノーミスで弾けるようになり、その一年後には、福岡サンプラザで初のチャリティ・リサイタルを開催している。
しかしこの時、乳癌がステージ3まで進行していた南雲は、リサイタル終了後の控え室で倒れ、そのまま病院に搬送された。リサイタルのオファーを受けた数日後に乳癌が発覚したものの、大勢の障害者を招待している手前、キャンセルして治療に専念するわけにはゆかず、病状が悪化していたのだ。
それでも彼女は負けなかった。ついに癌を克服し、平成二十九年一月には復活リサイタルを見事成功裡に終わらせた。「命を削ってまでピアノを弾き続けた、盲目の美人ピアニスト」が、今や南雲美樹のキャッチコピーとなっている。
このように好対照の二人だが、ポイントは元気印の新島が発散するエネルギッシュなパワーが、前途不安な学生たちや疲れたオヤジ世代をどれだけ覚醒させるか、あるいは南雲の健気さが、子育て世代や闘病、リハビリ中の患者やその家族の希望の光に成りえるかというところにある。
党幹部による小御所会議では、アイドル性の高い新島の方が若い世代にうける、という意見の方が多かったが、新島の職業を考えると、カジノ法案成立に躍起になっている民友党とイメージが被ってしまうため、染井代表が反発した。
わが党の方向性は、富裕層の優遇と拡大が根底にある民友党とは真逆の弱者救済にある。そう考えれば、社会的弱者の代表である南雲の方がふさわしいということになるが、公的ギャンブルのヒロインである新島は、日雇いやフリーターといった非正規労働者層における知名度が圧倒的に高いうえ、地下アイドル時代に培ったおじさま層を虜にする媚の売り方も名人級である。
問題は人気だけでなく得票率である。
どちらが票を稼げるかという点に絞ると、支持層の投票率、一定の組織票をまとめる支持団体の結束力では、南雲有利とみる執行部役員が過半数を超えていた。
以上の理由により福岡七区の党公認候補は南雲美樹と決定した。
しかし新島世界のキャラも捨てがたい。遠賀の川筋男たちが鼻の下を伸ばしそうなIカップは、思わぬ化学反応を引き起こさないとも限らないからだ。
ポチは名前が気に入っている。新島世界を縮めると「新世界」になる。「新世界を切り開く」というキャッチコピーでもこじつければちょっとしたインパクトにもなる。
というわけで新島はとりあえず出身地の芦屋に戻らせ、飯塚オートで名前を売ってもらおうということになった。ゆくゆくは地域創生のヒロインとして直方、飯塚を中心とする八区から出馬させるのだ。
もちろんこの時点での二人はまだ何も知らず、出馬要請するのはこれからだが、南雲美樹に関しては、本年度で定年退職する高校時代の恩師を「ティンカーベル」の副所長として天下りさせることを染井先輩に了承してもらっているし、癌手術を執刀した国立がんセンターの外科部長も山室先生と親しい仲ということで、その線から押せば何とかなる目処はすでに立っている。
新島世界の地元復帰は、予想以上の反響を呼んだ。
大好きなレースに没頭できるのも次回選挙まで、と決意も新たにレースに臨んだ新島は素晴らしい集中力と大胆な走りで連戦連勝、その活躍ぶりはローカル番組で特集が組まれるほどの盛り上がりを見せた。
表彰台の常連になったところでちょっとしたイメチェンを試みたのも、人気急上昇の起爆剤となったようだ。
ヘルメットを脱いだ瞬間の汗に濡れた髪の乱れ具合が男心をそそるんだよ、とポチからアドバイスを受けた新島が、ボーイッシュなショートヘアを肩口まで伸ばして軽くウエーブを当てると、見違えるほど女っぽくなった。加えて、屈むと汗ばんだ胸の谷間が見えるくらい胸元のジッパーを下げて表彰台に上がるようになったからたまらない。それ見たさにレース場に押しかける中高年が続出し、彼女が出走するレースは、人気アイドルのワンマンショーに勝るとも劣らないほどの活況を呈するようになったのだ。
この人気にあやかって、盆前にちょっぴりサービスショットも加えた自伝的写真集『セクシー・トルネード』を発売したところ、一ヶ月で七万部という素人離れした売り上げを示し、彼女の知名度は否が応でも高まった。版元が党の息のかかった地方出版社だったにもかかわらずこれだけ売れたのは、印税収入の全額を北九州地区のシャッター商店街の復興に取り組んでいる地元大学の未来学科に寄付することを公言していたからで、レース場関係者から大学生、商業組合まで幅広い地元住民の宣伝協力の賜物だった。
予想外の新島のブレイクにより、私たちは急遽、福岡八区からの公認候補予定者を元北九州市教育長、善永博義(六十八歳)から新島世界に変更することで執行部の了承を得た。
非情ともいえる一方的な通告に立腹した善永は、党の福岡支部に怒鳴り込んできたそうだが、対応した那智さんによると、いいかげんに隠居して庭いじりにでも精を出すように勧めて追い返したという。
選挙公示前の最後のレースに勝った新島が表彰台で涙を流しながら突然の引退の挨拶を行った時には、車券とスポーツ新聞を握り締めた観客席のおやじたちまでがもらい泣きしていた。このシーンは全国放送のスポーツニュースでも紹介され、Iカップの胸元を涙で光らせた新島の生写真はヤフーオークションで飛ぶように売れた。
新島世界の魅力が、レーサーとしての実力以上にそのダイナマイトボディに依存していることは言うまでもない。だからこそいっそのことTバックのビキニ写真集でも出してレース場で握手会でも開けば、ミリオンセラーは間違いない、という声も党内ではあった。
しかし、一緒に温泉に入ったことがある私だから言えるのだが、一六四センチ六十二キロの新島はレーススーツ姿だと引き締まって見えるものの、筋肉質で肩幅は広いし、太股やふくらはぎもイベリコ豚
の生ハム原木のようにごつくて、後姿はまるでメスゴリラといっていいほどなのだ。これではTバックなどもってのほかで、サモア出身のラグビー選手かなにかと勘違いされるかもしれない。まあ、笑いは取れたとしてもセクシー路線からの脱線は免れないだろう。
別にそこまでやらなくとも、彼女には万人受けする庶民的で人懐っこい顔立ちと笑顔がある。アイドルのようにいつも作り笑いを浮かべて媚ばかり売っているとそれもやがては飽きられるかもしれないが、レースに臨む前の真剣なまなざしと気迫はまさしく一流アスリートのそれで、レースに勝った時には観客と一体となって喜びを弾けさせる。この周囲まで同調させてしまう独特の人間的魅力こそが、集団でいなければ存在感に乏しくコアな追っかけや親衛隊に盛り上げてもらわなければ場の雰囲気を作れない政界のB級アイドル、すなわちタレント議員や二世議員との決定的な差である。
実際、地下アイドル時代の新島は肉欲的なボディを除けば没個性的で、いつも高価なプレゼントをしてくれるパトロン相手の枕営業も辞さない時期があったという。それが様々な苦難と経験を潜り抜け、オートレースという実力主義の世界で名を成した今、黒いダイヤモンドは熟練した職人の腕で磨き上げられ、眩い光を放ち始めたのだ。
南雲美樹の方も七月までには説得に成功し、私が創設した母校のボランティア団体『フェア・チャイルド』の協力のもと、福岡県内十箇所の児童養護施設で夏休み期間中にディナーコンサートを開催する運びとなった。南雲美樹のピアノ演奏とトークに加え、インディーズアイドルの弘中愛がウッドベース奏者としてゲスト出演することで話はついている。経費は染井良乃の後援会『紫電会』とアースエンジェル、才女同窓会有志の共同負担となっている。
ディナーショーと銘打つからには料理にも趣向を凝らしており、オードブルは「フィオ」、メインデイッシュは「秋水」、デザートは「セ・ラ・ヴィ」のコラボという豪華版である。飲み物はソフトドリンクだけで、人件費は無償提供とはいうものの、児童一人当たりの必要経費は一万近くになるため、県内十箇所の施設を回れば、随伴するボランティア生徒の交通費や宿泊費も合わせて二千万円くらいは見ておかなければならない。
党がこの計画を推進したのは、私が提案した悲劇のヒロイン南雲美樹の神格化に賛同したからである。しかし、才女同窓会の一員として本年度の講演会やコラムの執筆料まで、この計画のために全額寄付した私の目的は別のところにある。
私も高校生の頃からHPや講演会、テレビ、ラジオの出演を通して、政治改革や教育の機会均等を若い世代に訴えかけてきたが、これには私自身の知名度を高めるだけでなく、私の考え方に共鳴して活動を支えてくれる人材を発掘するという目的もあった。私が主宰してきた福祉活動も同様で、彼らを啓発することでその中から一人でも優秀な人材が世に羽ばたくことを期待してのことだ。願わくばそういう人材に私のもとに集ってもらいたいが、ドリームジャンボ宝くじよりは当選確率が高い先行投資だと割り切っている。
お金はあるに越したことはないが、エリート官僚から天下りして渡りを繰り返したとしても、生涯賃金はせいぜい五億から六億の間で、博打好きのフリーターが生涯のうち一度だけまぐれでドリームジャンボかロト6に当たったのと変わらない。むしろ税金がかからないぶん、ギャンブルで儲けた方が見入りは大きいし、もし博才があれば生産性はさらに高くなる。
つまり、キャリアがいくら頭脳明晰で出世争いで勝ち組に入ったとしても、雇われの身で稼げる額には上限があるのとは対照的に、一流のギャンブラーか恐るべき強運に恵まれた宝くじマニアは、いとも簡単に数十億、場合によっては数百億の金を紡ぎ出すことが出来るということだ。
私は上昇志向が強いので、着実に五億稼いでくれる安パイより、数十億の金を生み出すわずかな可能性を持った人の方に魅力を感じるのだ。ギャンブラーはあくまでも例えだが、現代はサラリーマン全盛時代とは違って、アイデア次第では若くて元手がなくても一攫千金を手にする機会が増えている。特に一部のIT関連の分野では、商売のように軌道に乗るまでの助走期間も、商品開発のためのコストも最小限に抑えられるため、失敗を繰り返したところで首をくくるような事態にはそうそう陥ることはない。
那智さんの高校時代の友人は、学費滞納により三年で大学を中退した後、プータローをしながら趣味であるスマホアプリの開発に取り組んだ結果、三年後には生活必需品の価格比較アプリを開発し、ドイツ国内の大手IT企業に四百五十万ユーロ(約六億円)で権利を売却したそうだ。
同じ商品でもファストフード店やコンビニ、スーパーでは価格が二~三倍も違うことも少なくないドイツでは、現在地から半径十マイル以内、一マイル以内と範囲を絞りながら、距離と価格を考慮しながら買い物が出来るのは生活費の削減に役に立つのだ。時間制限もあるディスカウント商品もリアルタイムで検索でき、仮に卵の価格を一パック2ユーロ以下と打ち込んでおけば、その価格で店頭に出た時点で知らせてくれるアラート機能までついているのだから、倹約家が多いドイツの主婦層から重宝がられるのは当然のことだ。
これが人間力というものだ。
本当のエリートとは、学習環境や財力に依存しなくとも無から無限にものを生み出し、それで人類に貢献できる人のことだ。紙製の顕微鏡や遠心分離機を作ったスタンフォード大学のマヌ・プラカシュ教授が、専門は医学でないにもかかわらず地域医療に多大な恩恵をもたらしたように、一修道女であったマザー・テレサが国際社会をも動かす世界の平和大使となったように、創造力と行動力がある人間の能力は無限大だ。
私の腹黒いところは、レアアースのような人的資源を私のもとに集約し、そこで生み出された推進力によって私が頂点に駆け上がろうと考えていることだ。その過程における副産物を社会へ還元することはいとわないが、本質的には「弘美ファースト」でなくてはならない。
現在、私の周囲にはマリリン、不二子、カトリーヌといった無二の親友の他にも篠崎のジイや高子、ポチに那智さんといった一騎当千の才能溢れる有用な人材がたくさんいる。私はその一人ひとりが、百億を超える人間価値があると確信している。だからこそ私は目先の数百万単位の金などどうでもいい。そんな端金は人材発掘のためにばら撒いた方がよっぽどましだ。
個人的には南雲美樹のことは好きだし、政治家としても使えると思っている。しかし南雲の真の価値は、個人の才能よりも、その存在がもたらす波及効果にある。だからこそ南雲の活動範囲を広げ、私たちが主宰する「南雲劇場」によってより多くの人々の心を揺さぶる必要があるのだ。
「アース・エンジェル」の一員となって社会を変えたいという分母が大きければ大きいほど、優れた人材が見出せるはずだ。それは医ケア児であろうが、障害者であろうがかまわない。その中にホーキング2世が混じっているかもしれないのだ。
別に南雲をデコイダック扱いするというのではない。南雲美樹という稀有な存在をより生かすためには芝居じみた演出もやむをえないということだ。
統計的にみても、二宮金次郎や野口英世の時代でもあるまいし、劣悪な環境に育った子供が将来サクセスストーリーの主人公になる機会は極めて少ない。彼らにチャンスがあるとすれば、戦国時代や幕末の混乱期のように、社会のピラミッド構造に亀裂が入り、特に上層が著しく崩落した時期である。
もっともそんな時代に生れたとしても、豊臣秀吉や伊藤博文のように、アクティブかつ狡猾に行動しなければチャンスは巡ってこない。
現在の日本のピラミッド構造は強固で、一部のIT企業家などを除いては、なかなか上層部の住民として定着することは困難である。これが古代の身分社会のように、集団の安全を命を張って守る戦闘員が優遇され、農民たちが彼らの生活を支えるという社会構造であれば、身分の違いは集団に対する貢献度に比例しているため、理にかなっているといえる。しかし上層部の多くが富と権力の占有に走ってしまうと、その社会はいびつな構造となってしまう。プロレタリア市民革命は、その結果が招いた最大の悲劇だが、そこまでいかなくとも、相次ぐ過労死は、利益追求に呪縛された企業経営者が有益な人材を浪費してゆくという一種の人的資源破壊といえるだろう。
過労死まではゆかなくとも、内部留保のためのモノプソニー構造は日本では顕著に見受けられる。
私は人的資源を発掘し、育てたいのだ。それも害虫駆除のための農薬や成長促進剤を使った促成栽培的な人間ではなく、愛という滋養に満ち、社会にやさしい有機栽培の人間だ。
私が携わるボランティア活動は、基本的には人のやさしさ、喜びや感動によって人を育てることを目的としている。今回の施設でのディナーショーでは、子供たちに最高級の食事を楽しんでもらうことで、喜びを与えると同時に、羨望の気持ちも芽生えさせたいと考えている。
至福の時は短い。
再び同じ思いを味わいたければ、もっと精進して自分の力で掴まなくてはならない。
「こんな食事をいつでも好きなだけ食べられるようになりたい」と思わせること。この上から目線による挑発的刺激こそが意識改革の起爆剤なのだ。
私たちは将来的には奨学金も用意するつもりでいる。チャンスがない時代でも、背中を叩いて梯子を渡してあげれば、中には自力でピラミッドを登ってゆく子も出てくると信じたい。ある程度の高さまで登ったら、今度は彼らが協力してロープを下ろし、さらに多くの子たちが上に登る手助けをすればいいのだ。もし、協力を惜しんで一人だけで頂点を目指そうなんて輩がいたら、その時は私が必ず登攀不可能なクレバスに突き落としてやる。
取るに足りない小さな蟻でも、軍隊蟻のように統率された集団になれば、象もライオンも骨だけにしてしまう。逆に個々が私利私欲に走り価値観もバラバラな群集は、たとえ何十万人集まろうと独裁者とその側近による強固な専制体制の前では全く無力なのだ。
私はその統率者になれる。染井先輩や那智さんのように、私よりも優れた才能を持つ人は数多くいるかもしれないが、両雄並び立たず、という言葉があるように、有能で個性の強い集団を効率よく機能させるのは至難の業だ。
だけど私ならできる。それは私が将に将たる器だからだ。
私は帰省するたびに有能な女性たちとの女子会を催す一方で、ヤングケアラーや母子家庭などの就学が困難な中高生を集めて勉強会を開き、玄洋社がファン・ボイ・チャウや孫文を保護して母国の独立や民主化運動を支援したことや、女子高等教育機関ならびに勤労学生のための夜間中学の設立など教育の機会均等に尽力した事例を検証しながら、潜在的国粋主義者の育成に努めてきた。
その中でも特に私が目をかけた学生はCharismatic Leader Reserves(カリスマ的指導者予備軍)と称して英才教育を施している。
ここで言う英才教育は、歴史上の人物たちの成功と失敗の原因を分析し、組織運営力と人心掌握術を身につけさせることである。そのために哲学、心理学、兵法を学ばせるほか、冷静な分析力と勝負勘を養うためにギャンブルにも積極的に取り組ませている。
ギャンブルといっても自分の才能以外のファクターに対する依存度が高い、競馬、競艇、競輪などは除外し、不特定多数の対戦相手がいて駆け引きに頭を使うポーカー、ブリッジ、ラミー、バカラに限定している。ギャンブルである以上、ツキも勝敗を左右する要素になりうるが、一流のギャンブラーは流れが自分の方に来ていない時は、負けを最小限に留めておき、潮目が変わったところで巻き返す冷静さと読みに優れている。また相手の顔色やゲームの進め方、さらされているカードなどから確率を計算しながら自分の勝負手を組み立ててゆく心理学的洞察力と数学的思考力も、ツキ任せのヤマ勘ギャンブラーとは一線を画するものだ。
もちろん金を賭けると非合法だから、獲得ポイントに応じて文房具や書籍代、就学支援金を供与するという仕組みになっている。
指導役を務めているのは、螻河内建設で現場監督をしている柳と測量士の萩尾という男で、いずれも前科者の元博徒である。十年ほど前、小倉署長だった山田警視正(当時)からの依頼で麻吉親父が身請けしてからというもの、一度もトラブルを起こすことなく仕事に精を出しているという。
柳は「殺し屋のリュウ」の異名を取った賭場荒らしで、刃傷沙汰の常習犯だったが、博打打ちとしては一流でイカサマを見破る名人だったらしい。ただ金遣いが荒く、元手も持たずに賭場に繰り出すことも多かったため、たまたまバカヅキしている客に巻き上げられると、「イカサマ」と因縁をつけて暴れだし、胴元に立て替えてもらった金を踏み倒してとんずらする悪習があった。
たいてい賭場には雇われ用心棒がいるものだが、短刀を使わせれば、剣道高段者の用心棒が仕込み杖を抜く前に利き腕の指を切断してしまうほどリュウは手が早かった。やがてヤクザから命を狙われるはめになり、組織が放ったヒットマンの頬をドスで串刺しにするという過剰防衛で収監されたのだ。
萩尾は闇カジノの腕利きディーラーで、そのカードさばきはプロのマジシャンですら見破れないほど見事なものだったらしい。客の身ぐるみを剥いでしまうことから「追いはぎ」の綽名で呼ばれていたが、ガサ入れで二度逮捕されたのが原因で妻子に逃げられ、出所後、復縁の条件としてカタギになることを誓ったという。組に杯を返す際にエンコ詰めを免れたのは、山田署長が一種の司法取引のような形で直接組長と話をつけてくれたからである。
この二人から指導を受けた学生の中には、カジノのある街に転居すれば賭博だけで十分に食べてゆけそうな者がすでに数名いるらしい。しかし彼らは、博打にはまるとまともに働くのが馬鹿らしくなり、やがて非合法な深みにはまってゆくことをしっかり理解しているし、万が一、闇賭博に手を出した場合は両手親指を切断してやる、とリュウからそれとなく脅しもかけられているので、愚かな道にに走る心配はないだろう。
彼らにはここで培ってきたしたたかさと鉄の結束をもって、ゆくゆくは私の私兵として政治・経済の舞台で活躍してもらわなければならないのだ。




