第20章 鷲は舞い降りた
ポチにとって憧れの人だったN先輩こと那智統との出会い、才女OB染井良乃衆議院議員の私設秘書就任と
これまで退屈だった大学生活も慌ただしい動きを見せ始めた。いよいよ政界に足を踏み入れた弘美の第二ステージが開幕する。
平成二十六年 盛夏・フィオにて
「今日はみんなに紹介したい人がいるんだ」
「藪から棒に何よ、ポチ。今日はマリリンが帰国して、久々に仲間が揃ったっていうのに」
「ごめんよ、弘美ちゃん。だけど、こちらもたまたま帰省してたところにやっと連絡がついたもんだからさ。絶対会っておいて損のない人だから、俺が保障するよ」
「そういえば、ポチから友達を紹介されたことって一度もなかったよね。どんな仲間と付き合っているかなんてことに全く関心がなかったから、ちょっと盲点だったかもね」
不二子にそう言われて初めて気がついたけど、ポチの人間関係っていったいどうなってるんだろう。いくら女には困らない生活を送っているとしても、同性の友達が一人もいない男なんて考えられない。確かにバイセクシャルっぽいところはあるけど、それを知っているのは私たちだけで、外面はどう見たって男だものね。女の話ばかりするから、女友達がたくさんいることはわかるけど、男友達の話となると、ちょっと思い出せない。いまさらながら、こんなに私生活が謎めいたヤツとつるんでいるなんて、私たち騙されているんだろうか。
「初めまして、那智統です」
ポチがカウンター席から連れてきた長身の青年は、上品で笑顔の素敵なナイスガイだというのに刺すような毒気がある。身体つきだってポチより華奢なくらいだけど、贅肉を極限まで削り取った試合前のボクサーを彷彿とさせるストイシズムに包まれている。
私は初めて会った男に対して、直感的に何か感じるものがあった時は、目を合わせた直後に瞼を閉じる癖がある。実はほんの数秒に過ぎないのだが、網膜に焼きついた残像を瞬時にCTスキャンするのだ。
特に何もひらめきがない場合は気のせいということでやり過ごすが、そうでなければ心のセンサーが二通りの反応を示す。一つはときめき、つまり一目惚れに近い感情だ。ただし、人間を知るにつれ印象が薄れてゆく場合もままあり、この点においては恋愛経験値の低い私のセンサーの精度は必ずしもあてにはならない。
肝心のもう一つは脅威である。この中には私より優れた才能を持つ男に対する敵愾心、嫉妬、疑念などのほかに恐怖心もある。麻吉親父はまさしく後者だった。
那智さんは一瞥しただけで、脳に焼印を押されたかのような鮮烈な印象が刻み込まれた一方で、神経中枢に宿る免疫細胞が過敏に反応している。彼のことを直感的に拒んでいるわけではない。むしろその逆で強く引き寄せられている。それなのに、やさしく抱かれたままゆっくりと暗黒の深淵にいざなわれてゆくような恐怖感で心臓が凍りつきそうなのはなぜなんだろう。
こんな気持ちは初めてだ。
例えるなら、澄みきった清流の底に沈む鋭いガラスの破片のように危険な男だ。
私には彼の清らかな美しさの中に潜む凶気が見える。
「もしかしてポチが昔言ってた中学の剣道部の先輩って、この方なの」
「真里ちゃんご名答。ここにいる那智先輩がそうだよ」
那智さんはラ・セーヌ高校在学中に、外務省一等書記官である父親のミュンヘン転勤に伴ってドイツに渡り、かのアインシュタインの出身校として知られるルイポルド・ギムナジウムに転学した。
ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン(通称ミュンヘン大学)の卒業生である父親からマンツーマンで指導を受けてきただけに、ドイツ語での授業も全く不自由のない那智さんは、ギムナジウムでもトップクラスの成績を修め、ルプレヒト・カール大学ハイデルベルク(通称ハイデルベルク大学)医学部に進学した秀才だ。
それも十七歳でアビトゥーアと呼ばれる資格試験にパスしての入学のため、医学部は七月に二十四歳で卒業しており、九月からはF大医学部付属病院にインターンとして勤務することになっている。
明らかに私たちとは違う世界の人間であるはずなのに、那智さんとの会話は、まるで再会した旧友のように違和感がなく、フィオの閉店時間まで話が尽きることがなかった。
私やマリリンとは音楽や芸術の嗜好が似ているし、カーマニアの不二子やカトリーヌが驚くほどメカにも詳しい。もちろん海外経験も豊富で、私たちには未知の国の文化や食にも精通しているため、聞いているだけでも飽きないのだ。
例えるなら、ポチの話術に不二子の知能とダンキチのタレント性を足した男と言うべきだろうか。
人の弱点を見抜くことにかけてはKGB並の不二子ですら、「全く隙がないわ」と感服していたほどだ。
しかし、私にはその完璧さの奥でこちらに微笑みかけるサタンが見えた。
せっかくこの世で会合できた魔界の王だ。敵に回すのはもってのほかだが、下僕として仕える気などさらさらない。それでもこの男と組めば、太陽に手が届くかもしれない。
平成二十八年一月一日、豊前市三毛門の実家の炬燵の中で雌オセロットのドゥーチェとからみあって眠りかぶっていた私のもとに、予期せぬお年玉が届けられた。
福岡一区選出の衆議院議員染井良乃女史からの私設秘書依頼だった。
染井良乃女史は当年三十三歳。衆議院議員としては当選二回の若手ホープで、才女の先輩に当たる。
先輩は中洲川端の老舗料亭『秋水』の一人娘で、九州大学医学部医学科在学中に、才女同窓会と福岡市商工会の支援で末期小児患者の介護施設『ティンカーベル』を設立して以来、末期小児患者の介護問題を世に問いかけてきた。エリート医師への道を諦めてまで政治家を志したのは、少数派による外部からの働きかけだけでは、行政の関心を得ることが困難であることを痛感したからだ。
染井先輩が出馬した福岡一区は、長らく政権与党の民友党が幅を利かせていたが、先輩が野党第一党である新進党の公認候補となったことで、博多区民の票は一気に新進党に流れ込んだ。というのも、実母が商工会議所副会頭を務める染井家といえば、博多ではちょっとした顔で、近隣の商店街とつながりが深いうえ、地元最大手の海産物問屋を経営している父方の大叔父は、地元新聞社の大株主の一人として、県下のマスコミ関係にも少なからず影響力を持っているからである。
また、『秋水』は、明治、大正期の大物外交官栗野慎一郎御用達の料亭だったこともあり、栗野の出身校である修猷館の後輩で子分格にあたる台湾総督明石元二郎、外務省政務局長山座円次郎らも福岡に帰省した際にはよく顔を見せていたという。現在でも篠崎のジイさまをはじめとする地元政財界人の贔屓客が多く、中学生の頃から店の手伝いをしていた染井先輩を、孫のように可愛がっているVIPも少なくないのだ。
もとより大学時代から、その活動ぶりが地元の報道番組で紹介されていた染井先輩は、癒し系のルックスも相まって、福岡での知名度は高い。そこに博多商人たちの絶大な支持と、広大なネットワークを誇る才女同窓会による選挙支援が加われば、党の地盤を引き継いできただけで何の実績もないクローン議員に勝ち目などない。
新人ながら現役医師として介護医療問題に真摯に取り組んだ染井先輩は、たちまちマスコミの寵児となったが、原発の撤廃と改憲反対を優先する党の方針と相容れず、議員任期満了後には、同士五人で結成した新党「五福会」の代表代行として再度の当選を果たした。
これが平成二十六年十二月の第四十七回衆議院総選挙のことである。
この選挙で才女同窓会の推薦によって、染井陣営のサポーターの一人として地元の学生票の取りまとめと応援演説を請負った私は、若年層の支持率向上の立役者として先輩から絶大な信頼を寄せられるようになった。
昨今は政治に無関心な学生が多いため、投票率は下がり、投票者の平均年齢は高くなっている。そのため、各政党は高齢者の関心を得るための選挙公約に走りがちで、国家の将来を担うべき若い世代に目を向けることは少ない。富裕な家庭の子弟や自分の能力に自信がある一部のエリート層にとっては、教育制度の改革や貧困家庭の救済などどうでもいいことかもしれないが、将来の不安を感じている学生たちも、学園紛争の時代のような気概には乏しく、その諦めムードが政治への無関心を助長している。
対照的なのが隣国の韓国で、財閥系の子弟と高学歴を持つ者のみが実社会において優遇されるというかつての両班制度さながらの理不尽な社会構造のおかげで、学生の政治に対する関心は非常に高く高校生ですら大統領の弾劾運動に参加するほどである。
確かに、歴代大統領のほとんどが辞職後に汚職が露見し、有罪判決を受けるというのは、先進国にしては異質かもしれない。しかし、選挙のたびに無能な議員に対して若者たちがネガティブキャンペーンを繰り広げるという、政治家に対する厳格な評価姿勢が巨悪を炙り出す原動力になっているとも言える。
私の主たる役目は学生の投票率を向上させることだった。そのためには、選挙区民が通う大学や専門学校で、選挙への関心をかう必要があった。
学生オピニオンリーダーとして時折BSテレビの公開討論などにも顔を出す私には、ブログのフォロワーが大勢いる。そのうち地元の女子学生で頭脳明晰、行動力にも秀でていると見込んだ連中とは、帰福するたびにお洒落なレストランやダイニング・バー、高級料亭で女子会を開くなどして、親密な関係を築いてきた。もちろん諸経費は全額私持ちで、毎回タクシーチケットまで渡している。これは全て選挙のための下準備で、弁が立ち大衆受けしそうな娘を選別した後、コネのある舞台演出家を招いて、演説テクニックを徹底的に叩き込んだ。
選挙公示が出されると同時に、女子大生には自身の在籍する大学で選挙活動を始めさせ、同時進行で、才女の後輩や大学のミスコンクラスの女子を集めてイメージビデオの製作にも取り組んだ。
インディーズの世界では、「ブロンドジャガー」の愛称で女子中高生から熱狂的な支持を受けている弘中愛が歌うメッセージソングを被せたビデオは、ユーチューブで百万回再生の大台を突破し、学生たちの選挙熱を大いに煽った。
他党からは、チャラいだの選挙を舐めているだのと散々にこき下ろされたが、これも戦略のうちだった。議員という地位にしがみついているだけの上から目線の大人たちに子供扱いされた若い世代は猛然と反発したのだ。大人対若者という対立構図ができたおかげで、選挙権を持つ若い世代はかえって結束を固め、LINEを通じて選挙に無関心だった友人たちにまで投票を促すという私の予想通りの展開となった。
結果、新進党を離脱したことで一部の支持層を失い苦戦が予想された染井先輩は逆転勝利を収め、彼女が当選すれば三十歳未満は飲食代50パーセントオフ、をHP上で公言していた中洲の飲食店は夜を徹して若者たちの宴に沸いた。
党結成後初の選挙で十議席を獲得した五福会は、その後無所属の議員の入党により十五議席へと拡大。さらに平成二十七年四月の福岡県議会議員選挙では女性議員十名を含む二十二議席を獲得する第二党となり、福博の町にマドンナブームを巻き起こした。
これらの実績により染井先輩の政治家としての才覚を確信した海南銀行頭取、篠崎高文が発起人となり、同年十月には県内の財界人二十四名が名を連ねる『紫電会』なる後援会が発足した。
また党員の大幅増を機に、党名も近未来風に「アース・エンジェル(地上の天使)」と改称することになった。
かくして私は、選挙参謀としての腕が認められ、紫電会の推薦により、染井良乃の私設秘書に就任したというわけだ。それも大学卒業後は、公設第一秘書に昇格するという条件つきである。
これまでも自分の才能を最大限に活かせるボランティアとして選挙の片棒を担いできたが、学生の身分でありながら、将来的に政界を目指すうえでの特等席のチケットまで与えられようとは、さすがに予想外だった。
それでも、私が先輩のサポーターに推薦された直後より戦略的アドバイザーとして献身的な協力を惜しまなかった不二子にしてみれば、「全て私の計画通り」だそうで、すでに第二段階の計画もほぼ仕上がっているという。
しばらくの間、何事も自分の思い通りにゆかず、自信も揺らぎ始めていた私だったが、ようやく平穏という名の鎖を断ち切れた気がする。
さあ、お楽しみはこれからだ。




