第1章 乙女の錬金術
あざとく欺瞞に満ちた槙村弘美は、いかにして学園で幅をきかせるようになったのか。「万事が金と頭次第」を地でゆく弘美の秘密とは?
福岡県豊前市(福岡県北東部だが大分県中津市都市圏に属する)で生まれ育った私は、子供の頃から何でも一番にならなければ気が済まない、負けず嫌いの少女だった。
小学校までは勉強もスポーツも学年トップを通し、中学受験で超難関の西夏女学院中等部に合格出来たのも、大都市福岡とは比較にならない人口約二万の地方都市で、選ばれし者の座に胡坐をかいているうちに培われていった、ゆるぎない自信とプライドの成せる業だと思っている。
小学生の頃は神童と騒がれながら、中学、高校と進むにしたがって「ただの人」になるケースが多いのは、年齢を追うごとに勉強もスポーツもより専門性が高まり、競争が熾烈になるからだ。
全てが遊びの延長のようだった小学生時代は、塾に通えば成績が上がるし、部活動がないぶんスポーツクラブなどで専門的な指導を受ければ、その競技に関しては平均的な小学生を上回ることは容易である。
ところが、勉強もスポーツもみんなが一律に本格的に取り組み始める中学となると、素質のある者が 優位に立ってくる。中には野球部の四番エースで陸上競技にも借り出されながら、成績トップというようなケースもあるが、それがさらに高校となると学業の質が高くなりすぎて、スポーツとの両立は困難になってくる。
私も例に漏れず、ライバルのクオリティが格段に高い都会のエリート中学に入って間もなく、「私も案外、平凡な女かもしれない」と悟るようになった。
しかし、田舎の女王様気分の抜けない私は、あらゆる手を尽くしてでもこの学校でヒロインになってみせると決心した。幸い父が糸島半島の今津(福岡市西区)にバスケットコート付きの別荘を所有しているので、バレーとバスケットは週に一度ずつ、元実業団のコーチからマンツーマンで指導を受けることにした。
時給一万円も払って付きっきりの指導を受けていれば、そこそこ運動神経の良い学生なら、ある程度は上達するのが当たり前である。身長一六〇cmの私が最も苦手とするバレーにしても、スパイクこそへなちょこだが、全日本代表経験者のオバちゃんから習った無回転サーブは、県大会出場もままならない母校バレー部にとっては脅威の魔球であり、昨年のクラスマッチではサービスエースを連続十本決めてみせた。
その他にもピアノは九州交響楽団のメンバーから、文章は父の知り合いの地方新聞社の記者から習い、週に一度はボイストレーニングも受けている。
おそらくこれらの指導料金の総額は月に三十万ではきかないだろう。これも豊前市では最大規模の槙村病院院長の娘だからこそ可能なことで、言い換えれば、ママチャリレースに競輪用自転車で参加しているようなものだ。つまり、「万能少女」で通っている私の資質は限りなく平凡に近いもので、所詮はその輝きも人工美に過ぎない。
その反対がマリリンで、北欧育ちのせいか性格も大陸系でおおらかである。
帰国子女だけに語学堪能は当たり前とはいえ、知能指数は一四〇を超え、ほとんど勉強もしてなさそうなわりに成績は常に上位だ。
医学部志望のため生物部に所属しているが、身体能力も高く、クラスマッチのバレーでは、中等部時代からずっとエースアタッカーだった。それでいていつもニコニコ能天気で、フェロモンを垂れ流しながら歩いているせいか、金持ちの馬鹿娘のようにしか見えない。
マリリンが気取らず自然体でいられるのは、自分に自信があるから。いや、それで何も困ることがないからなのだろう。それに引き換え私はコンプレックスの塊だ。
頭脳明晰でもなく、要領が良いわけでもないから、人と同じスタートラインからだと勝負にならない。だからこそ、人一倍用意周到に計画的に物事を進めるのだ。もちろんそのためには莫大な時間を要するから、全てを人並みにこなすのは難しい。
女のくせに料理も裁縫も苦手だし、アイロンすら満足にかけられないのは、それらに費やす時間がなかっただけではなく、そういうセンスも欠落しているのだろう。
いまどき「男の仕事」「女の仕事」と色分けするのは差別だと言われても、少なくとも子供の立場からすると、料理も裁縫も下手糞な母親が、「男女平等」を理由に開き直った姿を見たくはないだろう。
そういう意味では、私が良き母親になるためには、殉教した聖ステファノなみの茨の道が待っていることだけは間違いなさそうだ。もっとも、一部のママタレのように、面倒くさい家事は全てお手伝いさんにまかせておきながら、プロから入れ知恵してもらった弁当レシピをこれ見よがしにブログにアップできるくらい神経が図太ければ、外面だけの「満点ママ」を演じられるかもしれないが。
人間というものはすべからく長所と短所が混在しているもので、むしろ全てが平均値以上という人の方が稀だと思う。もちろん、短所が人間生活を送ってゆくうえで重大な支障となる場合は、それを矯正してゆく必要があるが、そこまでの致命的なものでなければ取る手段は二つ。
しらばっくれてそのまま放置しておくか、隠蔽するかである。
父が総合病院の院長という地方では名士だったこともあってか、私は幼少時より周囲より過大評価されてきた。おかげでプライドが高く自己中心的な性格が根付いてしまい、今更人間性を変えるわけにもゆかなくなった。失態を糊塗したり、責任転嫁したりするようないびつな性格になったのは、そんな私なりの自己防衛本能が働いているからなのだろう。
両親や親戚、友人といった周囲に依存し、それらを上手く操ることによってのみ自己の存在価値を築いてきた私って何て狭量な人間なんだろう、と自己嫌悪に陥ることもある。
そう、だからこそ私は自分をより大きく魅力的に見せるために、自身の偽装工作に血道をあげてきたのだ。地金は真鍮でも熟練の職人が金メッキで加工すれば、肉眼での見た目は純金と変らない。
大衆受けしそうなところ、つまり一般的な人間評価の対象となる部分だけ巧みに偽装を施しさえすれば、人物評価は上がるというわけだ。ましてや、社会経験も希薄なティーンエイジャーで箱入り娘の集団ともなれば、洞察力などたかがしれている。
金持ちで、容姿端麗で、ちょっぴり賢くてスポーツも出来れば、学園のヒロインの座など用意に手に入れることが出来る。そのうち財力と容姿に関しては親譲りのものであって、個人の努力とは無関係だ。
勉強だって就学環境が整っていて、受験学習に無尽蔵にお金をかけることが出来れば、本質的な知力の向上はともかくとして、ある程度の成績を収め、人から「一流」と評価されるだけの学歴を手に入れることはそれほど困難なことではない。
もし、どうにもならないほど学習能力が低いとしても、幼稚舎からのエスカレーター式の学校に押し込んでしまえば、後は何とかなるし、いざとなればAOや一芸入試という裏技もある。
ただ、九州には幼稚舎から大学までの有名校がないため、私は指定校推薦枠を多く抱える西夏を選んだが、さすがに早慶上智あたりとなると競争率が厳しい。となると、学業成績プラスアルファが必要だ。そこで、自身の箔付けとしてまず取り組んだのが、小論文と弁論である。
文才や話術に長けていなくても、中高生レベルまでなら一流の指導者からマンツーマンでみっちり鍛えてもらえば全国レベルのコンテスト入賞さえも夢ではない。小論は添削者の腕次第で雑文が名文に化けるし、弁論なんて舞台台本を演じるだけだ。私は起案した文章を舞台作家に脚本化してもらい、大会の本番前には舞台演出家に演技指導を受けている。
こんな私でも、演技の才能はそこそこあるようで、情緒たっぷりに時にジェスチャーを交えながら聴衆に訴えかける姿は、録画を見直してみても結構サマになっている。実際、大会前に細部のチェックを兼ねて必ず行う地元劇団員の前でのリハーサルでも、「天神で街頭演説やったら、相当人が集まるよ」とか「今すぐ舞台に立っても準主役級くらいは務まるよ」といった割と好意的な評価を得ているのだが、現在のところ、某アングラ劇団からヒロインの再従妹役のオファーが一件来ているだけだ。
おそらく学生の弁論大会にここまで金と時間をかけているのは、日本広しといえども、私くらいなものだろう。ろくすっぽ演技の勉強もしたことのないアイドルが、初主演したドラマで高視聴率を取ってしまうご時世である。私が全国大会で入賞することなど造作もないことだ。
文章力があって弁が立つことが全国レベルで評価されれば、それだけで「知的で賢い」というレッテルを貼られ、なまじ勉強だけずば抜けて「ガリ勉」と揶揄される学生よりも羨望の眼差しで見られること間違いなしだ。
そこに芸術性が加われば、希少価値はさらに高くなる。
芸術は、独学でも東大に合格したり短期間で劣等生が優等生に化けたりといった番狂わせもしばしば起こりうる「入試」という名のウルトラクイズとは違って、環境依存度が非常に高いため、ピアニカも満足に弾けない子が、努力だけで一年後にメジャーなピアノコンクールで入賞などという奇跡はまず起こらない。
私のように物心がついた頃から一流のピアノ教師について学んだアドバンテージは大きく、さほど才能はなくとも、中学レベルくらいまでなら、費やした時間と金の見返りは十分に期待出来る。
学生時代にロッド・アージェントに憧れてピアノをかじったことのある父は、私の子守唄代わりにガーシュインの『サマータイム』をよく弾いてくれたものだが、不幸なことに、玄人気取りの父自らが調律しているプレイエルの旋律に心地よさを覚えてしまったおかげで、私の音感は微妙にずれたままだ。
不幸中の幸いだったのは、早い時期にピアノに興味を持ち、小中学校時代にはローカルなピアノコンクールでひとかどの成績を残せたことだが、全国レベルの大会ではカワイピアノコンクール小学校六年生以下の部で全国大会努力賞というのが一度きりで、すでに才能には見切りをつけている。
それでも昔取った杵柄と言うべきか、学内にはこれといったライバルも不在で、国立音大出の音楽教師と二重奏を演じても全く引けを取らないせいか、同級生からは「音楽的センス抜群の才女」という高評価を得ている。ピアノ以外となるとギターを少し齧った程度で、リコーダーすら満足に吹けないにもかかわらずである。
私の「スポーツ少女」という顔にしても、子供の頃はとかく足が速いというのが「運動が出来る」という評価につながりやすいため、すばしっこくてドッジボールでも最後まで残り、徒競走やリレー競技でダントツに速いというだけで、周囲からは運動神経が発達していると思われてきた。
ところが、実際の私は動体視力が悪く、テニスや卓球、バドミントンといった的の小さなものは苦手だったので、大きなボールを扱うバレーとバスケットボールに絞って個人指導を受けてきた。一般的に女子のクラスマッチと言えばバレーかバスケットボールくらいなものなので、「才女」のように比較的運動音痴な偏差値少女集団の中では、私ごときレベルでも、特訓によってそれなりに上手く見えるようになる。
その証拠に、私は体育の評定値こそ5でも、体操や走り高跳び、走り幅跳びといった一般的な競技は高校生の平均値を多少上回る程度でしかなく、握力や背筋力に至っては平均以下なのだ。
率直に言って、私の基礎体力では婦人警官の採用試験にさえパスする自信はない。それでいて「スポーツ万能」として周囲を欺いていられるのだから、人の思い込みというのは恐ろしい。私は目立たないところでは手を抜き、注目度の高いものだけ極めることで、完全無欠を演じてきただけのことなのだ。
一時期、エミール・ラスクの『二世界説』に傾倒し、現実界から理想界に通ずるメビウスの輪のほころびを模索していたこともあったが、ラスク先生のような馬鹿正直な生き方は性に合わなかったようで、今ではサンジェルマン伯爵の愛弟子と言われても仕方のないような胡散臭く欺瞞に満ちた女に成り下がってしまった。
そんな私の裏の顔を知っているのは二人しかいない。
親友のマリリンは、私のことを単なる努力型だと誤認していて、自分にないものを持っているぶん、
二人三脚ならどんな苦難も乗り越えてゆけるかけがえのないバディだと思ってくれている。
逆に私は、自分に陰険で残忍な一面があることがわかっているからこそ、聖母マリアのようにピュアなマリリンといると醜い心が浄化されてゆくような気がするのだ。肉親から見捨てられてもマリリンだけは私の味方をしてくれるはず、と私の本能が告げているのがひしひしと感じられるほど、彼女の前では安心して本当の私をさらけ出せる。
ところが、私が心を許していないにもかかわらず、私の演技は全てお見通しの女がいる。
螻河内不二子。
これほど負のオーラが漂う女は見たことがない。
黒縁眼鏡に頬がこけた般若のような顔つき。声のトーンも低く全く感情というものが感じられない。
最初の出会いは中等部入試の時で、私の前の席だった。
とにかく無愛想なうえに態度も横柄で、この女だけは絶対に同じクラスになりたくないと心底思ったものだが、よりによって入学早々同じクラスになってしまった。
親が医者、弁護士、大手企業の管理職といったハイクラス・ベイビーが多い中、バブル期に成り上がった土建屋の一人娘である不二子は、昭和のそれも高度経済成長期の匂いを引きずって歩く三丁目の夕日だった。
がま口の財布に四つ折した千円札、アルミの弁当箱に入った日の丸弁当などはまた可愛い部類で、冬場腹巻に白金カイロで武装し、昼食後に生姜湯をすすりながら日なたでたたずんでいる姿はまるで真冬の蜃気楼で、傍を通ると線香の香りがしたものだ。
存在感だけでも只者ではない不二子は成績もトップクラスで、英検一級、フランス語検定二級、駿台模試では東大理ⅠA判定という秀才ぶりを発揮しているが、授業中も教師を小馬鹿にしたような態度が目立つうえ、父親がモンペアとあって教職員受けは最悪である。
また、自意識過剰で他人のミスは執拗にののしるくせに、運動音痴でクラスマッチでは毎回足を引っ張りまくっているのだから始末に負えない。この性格だから小学生時代から散々陰湿ないじめに遭ってきたようだが、耐性菌のようにしぶとく、少々の外圧などにはびくともしない。
ところが中等部三年の時、さすがの不二子にも過去最大の敵が現れた。
私は一度も不二子と会話を交わすことなく、中等部二年からは別のクラスになり、平穏無事な学生生活を送っていたため、その場に居合わせたわけではないが、悪魔払いに乗り出した赤星遼子が不二子に対して行った私的制裁は、凄惨を極めたという。
ハンドボールのスポーツ特待生である赤星は、頭の方はきめの粗いスポンジ級だが、容姿端麗でクラスでも人気者だった。父親が民放テレビ局の編成局長という恵まれた環境のおかげで、地元芸能人やスポーツ選手とも交流があり、裏では異性関係も派手だったようだが、ある雨の日の放課後、女王様の威厳を揺るがす事件が起きた。
雨天時の放課後ともなると、校門前に高級外車がズラリと並ぶのが慣わしの才女でも、その日、赤星を迎えにきたアマガエル色のランボルギーニ・ガヤルドは、趣味の悪さという点においてひときわ異彩を放っていた。車高の低いガヤルドが路肩に寄って来た瞬間、大量の水しぶきがちょうど通りかかった不二子を横殴りに直撃し、セーラー服は上下ともにずぶ濡れになってしまった。
「わりい、わりい」と頭を掻きながらガヤルドから降りてきたのは、Yという地元高校出身のJリーガーだった。しかし、落武者のような不二子の姿を見るや思わず吹き出してしまい、もはや謝っているのか笑っているのかわからない。
自分の事はさておき他人の礼儀作法にはうるさい不二子は、「ちょっとこの服弁償してくれるんでしょうね」と詰め寄ったものの、学生時代から周囲にちやほやされ、人に頭を下げたことのない世間知らずの脳味噌筋肉男は、イルカ並みのコミュニケーション能力さえ持ち合わせていなかった。
「何、このブサイク女。服が濡れたくれーで、せけえー」と捨て台詞を吐きながらガヤルドに乗り込んだところ、怒り心頭の不二子が、咄嗟に手に持っていたコウモリ傘の先で、運転席側のガルウイングをガンガン突き始めたからたまらない。
「何やっとんじゃ、オラ!」
ガヤルドから飛び出してきたJリーガーが不二子の胸倉をつかんで声を荒げると、赤星までが、
「螻河内、あんたこれ板金塗装したらいくらすると思ってんのよ。そっちこそ弁償しなさいよ!」
と大変な剣幕で罵倒し始めた。
とその時、言い争っている三人の真横に、白鯨を思わせる白亜の巨大なロールスロイス・ゴーストがピタリと止まった。
「父ちゃん・・」
不二子のつぶやきと同時に、フォートノックスの金庫の扉のように重厚なゴーストの運転席から姿を現したのは、エイハブ船長ではなく、不二子の父、螻河内麻吉だった。
左手首にはロレックス・デイトナ・ポール・ニューマンモデル、首にはティファニーのプラチナチェーンを巻きつけた一九〇センチ九十九キロの麻吉は、娘の襟をつかんだJリーガーの右腕をいきなりねじ上げて宙づりにすると、野太い声でこう言った。
「言い残すことはなかとか?」
目撃情報によると、まるで愛娘がチャラ男に手篭めにされているところに踏み込んだ武藤敬司そのものだったという麻吉の姿に、周囲は完全に凍りついてしまい、武道の猛者揃いの才女の門衛さえ、見て見ぬふりをしていたらしい。
そこでどのような会話が交わされていたかは定かではないが、恐怖に顔を引き攣らせたJリーガーのグレーのスラックスの中心部は明らかに黒いしみが広がっており、水溜りの中で土下座をして何度もアスファルトにおでこを擦りつけた後、赤星を残したままその場から逃げるようにガヤルドで走り去ったという。
失禁Jリーガーから置き去りにされて呆然と立ち尽くす赤星を尻目に、ゴーストの後部座席にふんぞり返って悠然とその場を後にした不二子は勝者の威厳に満ちていたそうだ。そしてこの日が善の神アフラマズダと悪の神アーリマンによる長い戦いの日々の始まりだった。
赤恥をかかされた赤星は、得意の体育の時間となると、これ見よがしに不二子をいびり始めた。
バレーの授業では顔面にスパイクを決めて眼鏡を粉砕し、バスケットでは後頭部にオーバーハンドパスを見舞いその場に昏倒させた。その他にも水筒にゴキブリの死骸を入れたり、弁当箱に墨汁を流し込んだりとありとあらゆる陰湿ないやがらせを繰り返した。担任はと言うと、爽やかなスポーツマンタイプの外見を隠れ蓑に、やたらと馴れ馴れしく赤星にボディタッチをしてくるクソ野郎だけあって、完全に赤星の味方である。
瞑想中の仏陀のようにいかなる仕打ちにも全く動じなかった不二子だが、アルミの弁当箱を箒の柄でボコボコにされた日の放課後、私は校内のチャペルの裏で、技師室で借りたとおぼしき木槌で弁当箱を叩いて直している彼女の姿を偶然見かけた。これまではギリシャ神話のゴーゴンのように正視するのを避けていた不二子の横顔をまじまじと眺めたのは、その時が初めてだったような気がする。
不二子の涙を見たのも、後にも先にもこれきりだった。
その年のクリスマスイブの夜、赤星遼子は歯科医のドラ息子とロータス・エリーゼでドライブデート中に、センターラインを超えてきた居眠り運転の長距離トラックとディープキスして、私たちの前から永久に姿を消した。
不二子が道摩法師こと蘆屋道満の子孫であるという噂が飛び交い始めたのはそれからである。
赤星が亡くなる前日の朝自習の時間、不二子が魔除けで知られる「セーマン、ドーマン」を一心不乱にノートに書き殴っている姿が目撃されていたからだ。
過去にも不二子へのいじめにまつわるおぞましい事件があった。
小学校五年の時、すでにいじめられっ子だった不二子は、給食のカレーに犬の糞を盛られたことを担任にチクった報復に、悪ガキたちから帰宅途中に拉致され、肛門に使い差しの鉛筆を挿入されたことがあるらしい。初潮がきてもおかしくない年頃の女の子がこんな仕打ちを受けたら、おそらく人格が破壊されて一生立ち直れないだろう。それどころか自殺を選んでも不思議ではない。
ところが不二子は、親にもこの事を隠し一切口をつぐんでいた。悪ガキたちの凶行は、便秘に悩む不二子が通じを良くするために鉛筆を肛門に入れたら切れ痔になってしまった、という風にいつの間にか脚色され、笑い話として同級生の間に広まっていたにもかかわらずである。
それから一ヶ月後、主犯格のガキ大将は飼っていたピットブルに喉笛を食いちぎられて声帯を失い、廃人同様になった。凶行に加わったあとの二人のうちの一人は、草野球を観戦中にライナー性のファウルボールの直撃で右目を失明、もう一人はこれまでいじめていた男子児童から、家庭科の調理実習中に熱湯を後頭部に注がれて、頭皮の二十パーセントが壊死するほどの大やけどを負った。
こう次々と忌まわしい事故が起これば、ただの偶然とは思えなくなってくるのは当然だ。
不二子の呪いを恐れたクラスメートは、遠巻きながらいじめに加担していた過去から一転、一定の距離を置きつつも彼女に媚びるようになった。
では、私はどうしたかというと、式神を操る陰陽師のような不二子が傍にいれば、魔除けになるかもしれない、などというカルトじみたことを考えていた。もっとも、その頃には不二子の弁当箱が亡き母からの誕生日プレゼントであり、今でも新品同様にリペアして使っていることを知っていたが。
不二子と親しくなるきっかけは意外な形で訪れた。
高一のゴールデンウィーク、人気アイドルグループ『旋風Z』のコンサートが開催される北九州市の九州厚生年金会館を訪れた私とマリリンは、当日券を買うために前夜から並んだと思われる簡易寝袋を背負った不二子の姿を目撃した。私の視力でははっきりとは確認出来なかったが、猛禽類並みのマリリンは、不二子がグループ人気No1の「ダンキチ」こと団吉信のうちわを持っていたと断言した。
一見堅物そうな不二子がアイドル好みとは想定外だったが、何度か参拝したことがある自宅マンション近くの鳥飼八幡宮の縁結びの神の導きというべきか、私が唯一コネを持っている芸能人がダンキチだった。
山口県下関市生まれで当年二十四歳のダンキチは、十八歳でデビューする直前に父の病院で美容整形手術を受けており、今でも年に一度はお忍びで、二重にした瞼とヒアルロン酸を注入した唇のメンテナンスを兼ねた健康診断にやってくるのだ。
「旋風Z」のチケットは超プレミアもので、業界関係者でも相当な大物でない限り最前列は手に入らないが、メンバーには家族分の特別招待券の配当があるため、父の腕のおかげでイケ面になったことを感謝しているダンキチは、父から頼まれれば、必ずペアチケット一枚くらいは手配してくれるのだ。
私は整形男などには興味がないし、音痴のダンキチの歌に陶酔するファンの気持ちも理解に苦しむが、人間としては粋で気前がよくユーモアのセンスもあるので、開演前の楽屋での雑談を楽しみに、Zファンのマリリンと時折コンサート会場にも顔を出すようにしていた。
昨年の海の日も、福岡サンパレスで行われる夏祭りコンサートに出かける予定だったのだが、マリリンが急用で行けなくなったため、私の分は従妹に回し、マリリンの分をクラスメートに譲ろうとあみだくじで抽選した結果、三十倍の倍率を潜り抜けて最前列中央席招待券をゲットしたのが不二子だった。
不二子には、メンバーの夏バテ防止用にと購入しておいた安心院のすっぽんスープ缶を一ケース差し入れしてもらう代わりに、開演前の楽屋でダンキチとの記念撮影に応じてもらえるよう手を回したところ、あの無愛想な女が私とマリリンには礼儀正しく挨拶するようになったのだから驚きだ。
たとえどんなに偏屈で暗い女でも、ジェンダーギャップでもない限り、「男」は心の扉を開くマスターキイであることを、私はこの時の経験から学んだのだった。
ちなみに不二子のアイドル趣味は、私、マリリン、カトリーヌといったごく内輪のトップシークレットであり、外部向けには、不二子が男として興味を持っているのは、尊敬する建築家、磯崎新とアルベルト・シュペーアということになっている。
人間性はともかく、不二子は私の大いなる野望を成就させるための軍師としては、極めて優秀な逸材だった。
実は私は、高等部一年の頃から次年度の生徒会長選挙に出馬するつもりで、あれこれと計画を練っていたのだ。学園生活最大のイベントの一つである体育祭のリレーで劇的な勝利を収めたのも、知名度を高める手段であって、不覚にも感傷的な気分になったのは、ほんの一時的な気の迷いにすぎない。
所詮はドーピングで得た勝利である。今ではむしろ永久に封印しておきたい苦い記憶でしかない。一年以上前から生徒会長選挙を意識するなんて、なんとも気の早い話のように思われるかもしれないが、同学年に「来年は私が生徒会長になる」といってはばからない超強力な対抗馬がいる以上は、こちらも早めに手を打っておく必要があった。
次期会長のド本命、篠崎高子は地元大手の海南銀行頭取の娘で、成績も学年で五指に入る秀才だ。
東大間違いなしと言われているにもかかわらず、祖父と両親、父方の叔父まで一橋卒ということもあってか一家あげてのアンチ東大で、本人も一橋への進学を強く希望している。
市内一等地の浄水通りにある築八十年の豪邸は、世界的建築家フランク・ロイド・ライトの高弟、遠藤新の設計によるプレイリースタイルの秀作で、周囲の成金趣味の邸宅とは一線を画している。
なんでも高祖父が犬養毅とじっこんだった関係で、犬養邸を設計した遠藤に依頼したものだそうだが、金を惜しみなくつぎ込んだおかげで犬養邸より出来栄えが良く、つむじを曲げた犬養翁が、頼まれていた表札を利き腕と逆の左手で書いたといういわくがある。二年前、学校帰りに浄水通りのセレブ御用達ベーカリーでトリュフ・カリーパンを買ったついでに、近くにある篠崎邸に立ち寄って確かめてみたところ、本当に子供の落書きのような表札がかかっていた。
篠崎の高祖父って意外とシャレのわかる通人だったのかもしれない。
しかしそれ以上に驚いたのは、ポーチに一九三六年型オーバーン八五一・ボートテイルスピードスターが鎮座していたことだ。それも「福5 ×51」のシングルナンバーである。
ハリソン・フォード主演の『インディジョーンズ・魔宮の伝説』に、ショーティー少年がハンドルを操るオーバーンが上海の繁華街を爆走するシーンがあるが、これは大袈裟な脚色ではない。パワーステアリングとオートマチックトランスミッションを奢られたオーバーンは、子供が運転出来てもおかしくないほど扱い易いのだ。
小学生の時に初めてこの映画をDVDで観た時の興奮は今でも忘れられない。派手なカーチェイスよりもオーバーンの美しくグラマラスなフォルムの方が目に焼きついてしまい、以来私は芸術作品として自動車に興味を持つようになった。
オーバーンのリアからのフェンダーラインのセクシーさときたら、小六の夏に父と一緒にパリの博物館で見たブガッティ・ロワイヤル(史上最高額の市販車)がマツコ・デラックスの後ろ姿に見えてしまうほどだ。
篠崎家は単なる秀才で金持ちの家系というわけではないことがよくわかった。磨き抜かれた芸術的センスは、様々な分野における審美眼の確かさにもつながる。こいつは本当に侮れない。
風の噂によると、篠崎は取り巻き連中とすでに「影の内閣」を立ち上げ、マニフェストの作成に着手しているという。地元の政財界にも顔が利く篠崎家のこと、プロの選挙参謀の知恵を借りてでも愛娘の勝利のためにはあらゆる協力を惜しまないだろう。
そこをゆくと私の方は、親友のマリリンこそある程度頼りになるにせよ、それ以外のシンパときたら、勉学より趣味や遊びのウエートの方が高い軽めの女子ばかりで、一種のエリート知能集団と化した篠崎のブレーンにはとても敵わない。
なかなか気の利いたアイデアが浮かばず、悶々とした日々を過ごしていた晩秋のある日のこと。ほとんど白紙状態のノートを枕代わりにして学園の中庭のベンチに転がって物思いに耽っていた私は、いつの間にかぽかぽか陽気に釣られて睡魔に襲われていた。
十分ほど転寝をしただろうか。急に冷気を感じた私が薄目を開けると、薄気味悪い生霊が私を見下ろしていた。
「弘美、勝たせてあげようか」
私はハデス(冥界の王)と手を握ることにした。
容姿、雰囲気も含めてナチスドイツの宣伝相、ヨーゼフ・ゲッベルスの曾孫と言われても妙な説得力がある不二子が考えた生徒を扇動するための選挙計画は精緻を極めていた。
古代ローマからフランク王国、オスマン・トルコ、第三帝国に至るまで膨大な量の歴史書を通読し、古今の政治的人心掌握術に精通した不二子に人徳がないのはどうも解せないが、自分自身の器量と相談した結果として、作戦参謀的な役割の方が向いていると判断したのだろう。
才知に長けた者同士が集うと、古代ローマの三頭政治のように一時的に強力な権力を共有しても、やがてはいがみ合うのがオチである。だからといってカエサルのようにライバルを一掃してしまうと、今度は孤独な独裁者となって、内輪の裏切りによって粛清されてしまう。もし、ポンペイウスとクラッススがカエサルの腹心の部下に徹していれば、ブルータスらの共和派がカエサルの暗殺を計画することはなかったはずだ。そしてローマはゲルマニア進攻を断念したオクタウィアヌスのようなつまづきを経験せずに、シャルルマーニュの登場以前にヨーロッパを手中に収めていたに違いない。
その点不二子は、ヒトラーに対するゲッベルスほど忠実ではないにせよ、私を出し抜いて上に立とうとしたり、私を影でコントロールしようというような野心は全く見受けられない。
ずっと友達に恵まれなかった不二子は、私やマリリン、カトリーヌのように、一度きりの人生を自分たちの本心に忠実に享楽的に生きている仲間と一緒に過ごせていることにリア充を感じているのだ。