第18章 新宿東口よりジュメイラ
新宿東口で偶然再会した弘中愛のストリートライブに参加した弘美は、久々の愛との会話の中で新たな目標を見出し始める。
十月十日
今日は新宿でショッピング中に懐かしいベースラインを耳にしたので、音に釣られて東口前まで行って見ると、愛が路上ライブをやっていた。単調だから覚えやすいという理由で、ビギナーの頃よく練習していたモ・デッツの『ホワイト・マイス』だ。それもかつてのチープ感が払拭され、思わずこの場で踊りだしたくなりそうなほどの歯切れの良いビートが舗道からも伝わってきた。
濃い目のアイメイクと前髪パッツンのブロンドヘアーの愛は、マフスのキム・シャタックのようにファンキーで、ハーフのガレージパンクロッカーといっても十分通りそうだ。
しばらく聴き惚れていると、愛の方から明らかに私に向けて投げキッスを贈ってきた。おかげで観客は妙にざわめき、私は周囲から好奇の視線に晒されたが、愛からステージに上がるよう手招きされると、目立ちたがり屋の私としてはもう後に引けない。愛のオリジナルは楽譜がわからないので、大濠公園で一緒に歌ったことがある椎名林檎の『歌舞伎町の女王』でもやろうかということになった。
場所もちょうど新宿東口だし、福岡の大先輩の歌ということで愛もノリノリだった。この歌なら愛から習ったリズムギターのコードは覚えていたので、下手くそなのも省みずにざっと五百人は超えていると思われるギャラリーの前で愛とのデュエットに臨んだ。
久々に手にした愛のグレッチ・ホワイトファルコンのチューニングは完璧で、ヴォックスのベースの音色とのマッチングも申し分ない。イントロでは少しトチったが、だんだん指先がほぐれてくるにつれ、ここしばらくの間、ストレスによって封印されていた私の自意識が解き放たれた。
二人ともラリったみたいにハイになって熱唱した。
爽快だった。九十九・九パーセントのギャラリーが愛のボーカルとベースに聴き惚れているのはわかっていても、大東京の雑踏のど真ん中で歌っているのは、地方の公民館で講演しているのとはわけが違う。聴衆の視線もレーザービームのように熱く、全身の血液が沸騰しそうだ。
愛のソロボーカルの時より周囲が盛り上がっているように感じるのは気のせいだろうか。
最後は二人で示し合わせたように「I love Fukuoka!」で締めくくった。すると、どこからともなく「I love Fukuoka!」と叫ぶのが聞こえ、それに釣られたかのように、あちこちからも同じ声が上がった。
さすがに日本のメルティングポットだ。これだけ人が集まれば、福岡出身者が十人や二十人いたって不思議ではない。愛の路上ライブは「I love Fukuoka!」の大合唱の中、幕を下ろした。
マジにしびれた。
「あいちんって東京でも凄い人気だよね。もう色んな音楽事務所から声かかってんじゃないの」
アニエス・ベーのベレー帽に黒縁のだて眼鏡をかけ全く別人のようになった愛と、渋谷のジャズ喫茶でお茶をしていた私が羨ましげにこう尋ねると、愛は、
「まあね。だけど、私は今のままがいいの」ブロンドに染めた髪を掻きあげながらそっけなく答えた。
「プロになるのが夢だったんじゃないの。昔は武道館でライブやりたいとか言ってたやん」
「それはそうなんだけどさ。こっち来て東京ドームだの横浜アリーナだのド派手なライブに行ってるうちに、ああいうノリに違和感覚えるようになっちゃってね」
深々と吸い込んだポールモールのけむりをフーッと吐きながら、愛はこう続けた。
「コンサートってそのアーティストのコアなファンがほとんどだから、一緒にフレーズを合唱したり
するよね。だけど、そこにいる全員が歌詞知ってるわけじゃないでしょ。いい意味での一体感はあっても、それって一部のファンがコアさを自己主張してるだけのようにしか見えないんだよね。つまり自分が知らない歌詞の曲を演奏中は疎外感を感じるお客さんもいるってこと」
「でも、ああいうところでの大合唱ってすごく雰囲気盛り上げるし、歌ってる方だって歌手冥利に尽きるんじゃないかな」
「うん。だけど、昔警固公園なんかでアイドルの親衛隊が集まって応援の練習してるとこ見かけたやん。コンサートって多分に演出がかったところもあるし、自分のファンだけ集めれば盛り上がるのは当たり前じゃないかな。その点、浅草の演芸場なんてゆくと、ウケない落語やコントなんて、シーンだもんね。だけど、ウケないやつの舞台でも、たまに何人か拍手する客がいることがあってさ、それって結構ジーンとくるんだよ。その何人かのためにまた頑張ろう、もっと大勢の客を喜ばせてみせるっていう前向きなエネルギーを感じるっちゃん」
思えば愛が音楽をやるようになったのは中二になって間もないくらいの頃だった。あの頃は楽譜も読めず、ギターもろくに弾けなかったから、私が楽譜の読み方を教えて、ピアノを弾きながら音感も鍛えてやっていたのだ。ほとんどが独学だったにもかかわらず、愛には才能があったから、中三で初出場した校内の音楽祭では、バングルスの全米トップナンバー「Walk Like an Egyptian」を演奏し、大喝采を浴びた。
声質がマイケル・スティール(ランナウェイズ、バングルスの女性ベーシスト)に似ていることもあって、狼ヘアーにエクステまつ毛、カラーコンタクトでガチガチに決めた愛のパフォーマンスは遠目に見ると、本物のマイケルのようで半端ない迫力だった。
この日以来、校内で愛の追っかけファンが生まれ、須崎公園や警固公園で路上ライブをやる時にはいつも彼女たちが先頭に立って盛り上げてくれたおかげで、愛は、気にかけてくれる者が誰もいない中、ひとりぼっちで歌い続けるストリートシンガーのような悲哀を味わうことなくここまで来たのだ。
そう、愛は最初から成功者で挫折を知らない。だからこそ、売れない浅草芸人を見ているうちに、下積みならではの純粋に芸を愛しそれに打ち込む姿に感銘を覚えたのかも知れない。
「もしかして、今日のライブ、予告なしでやったでしょ」私がそう探りを入れると、愛も
「そう。私のこと知らない人たちの前でどれくらいウケるか試してみたのよ。しらけてヤジが飛べば、それはそれで新鮮かなあ、なんてね」といたずらっ子のようににやつきながら答えた。
「えー、あいちんってもしかしてマゾ?」
「もう、ヒロポンって飛躍しすぎだよ。私の顔も歌も知らない人たちをノリノリにさせるところが快感なんじゃない。最初、なんだコイツみたいな顔して見ていた奴らが、だんだん高揚してきて身体を揺すり始めるのを見ているとゾクゾクするの」
「歌いながら、ギャラリーの表情まで観察してたんだー。だから、私のこともわかったんだね」
「それは違うよヒロポン。あなたが東口の前で立ち止まって私の方を振り返って見た瞬間に視界に飛び込んできたのよ。だって振り返った時は、左手の小指で鼻くそほじってたでしょ」
「ちょっと待って。それは誤解だよ。鼻の下掻いてただけよ。人前で私のような美少女が鼻くそほじるわけないでしょ」愛の千里眼にびっくりした私は、慌ててこう切り返した。
愛の視力がいいのは知っているけど、あの人ごみの中で特に奇抜な格好をしているわけでもない私を見分けるなんて信じられない。指名手配犯を追跡中の腕利きの刑事でもこうはゆかないだろう。
すると、私が不思議そうな顔をして見つめているのに気がついたのか、三本目のポールモールを灰皿で押し潰すや、愛が口を切った。
「ヒロポンはさ、遠くにいてもわかるのよ。友情で結ばれているからとかじゃなくてよ。何ていうのかな。存在感があるっていうか、人を惹きつける何かがあるんだよ」
「それはあいちんの方でしょ。人前で演奏すれば、それが今日みたいにあいちんのこと全く知らなかった人だって虜にしちゃうじゃない」
「うーん、それが違うんだなあ。私は歌もベースも自分なりに自信があるし、ステージパフォーマンスだってある程度計算づくでやってるから、ぶっちゃけ少しは注目を浴びてもおかしくはないかなあ、って思うけど、ヒロポンなんてあんな雑音交じりのギター弾いて、コーラスだって半音ずれているとこいっぱいあったのに、誰からもヤジられるわけじゃなく、完全にバンドに溶け込んじゃうんだから、びっくりだよ。それも場違いなぶりっこワンピース姿でだよ」
私ってそんなに演奏が下手だったとは・・。ファズを利かせてればバレない程度と思っていたのに、こうあからさまに指摘されると、才女一のピアニストを自負していた私としても沽券にかかわる。
「ビートルズだって、デビュー当初はあまり演奏上手くなかったし、ロックには場違いなマッシュルームカットなのに、あんなに人気出たじゃない」私が苦しい言い訳をすると、
「そう、そこなのよ。私は生粋の博多っ子で、例えるならロンドン、ウエストエンドのモッズヒーローだったフー(The Who)で、豊前のカントリースターのあなたは、リバプールのあんちゃんたちの集まりだったビートルズなの」愛がチクリと毒舌を絡めながら、熱っぽく語り始めた。
「ロック史上最高のドラマー、キース・ムーンにかっ飛びギタリストのピート・タウンゼント、革命的リードベーシストのジョン・エントウィッスルの奏でる音楽の迫力は同時代では群を抜いてる。
ボーカルのロジャー・ダルトリーだってめちゃくちゃイカしてるしね。それなのに全世界が舞台になると、お坊ちゃんルックのマッシュルームボーイズには全く歯が立たなかった。ミュージックシーン全体に与えた影響力まで含めると、比較するのが気の毒なくらいよ。それと一緒で、ヒロポンはね、外見や努力によって培われた才能じゃ超えられないものを持ってるのよ。流行り言葉で言えば、神ってる、って感じかな」
「まるでエイリアンじゃない。そんな目で見てたの、私のこと」
「エイリアンっていうより、異端児かな。才女に入学して間もない頃から、凄く目立っててさ、勉強はともかくとして、音楽、スポーツ、校内イベント、何でも顔を出してきては話題をさらっていっちゃう。それも全てが完璧じゃないところがまたいいんだよね。あなたといると周囲も引き立つの。だから優秀な子ばかりが集まってくる。私ってスポーツも勉強もそこそこで、何の取り柄もない平凡な子だって思い込んでたのに、ヒロポンと仲良くなってから、人生変わったもん」
そうだったのか。私ってその場しのぎの猿芝居で乗り切ってきたつもりだったんだけどな。私から見て、絶対才能がありそうな愛がそう感じていたなんて意外だ。
「だからね。私はフーでいいの。満員のライブハウスで盛り上がってるぶんには、ビートルズと差がつかないでしょ。でもヒロポンは狭い世界じゃ羽ばたけないんだよ。十代のオピニオンリーダーなんてしょぼいとこで満足しちゃだめだよ」
「あいちんは買いかぶりすぎだよ。マスコミは、私が高校生の頃から学生にしてはちょっとばかり目立った活動してたから、その話題性でヨイショしてるだけだよ。ティーンエイジャーっていう看板下ろしたとたんに、もっと若くて話題性のある子の方に行っちゃうに決まってるもん」
「地下アイドルとか何とかでもてはやされてるフツーの子ならそうかもしれないよ。命綱外されたら真っ逆さまに落ちるところまで落ちてゆくんだろうけど、ヒロポンは翼が生えてるから、もっと高いところに舞い上がってゆけるのよ。あなたって、飛行機が墜落して、サハラ砂漠のど真ん中で遭難しても、一週間後にはブルジュ・アル・アラブ・ジュメイラ(ドバイにある世界最高級の七つ星ホテル)のロイヤルスイートから鼻くそほじりながら海眺めてるような子なの」
「ちょっとお、何でそこまで鼻くそにこだわるのよ。あいちんこそ、プロになりさえすれば、好きなだけジュメイラに泊まれるってば」
「そうね。私が運よく武道館満席に出来るくらいになったらね。だけど、もしそうなったとしても、ジュメイラのポーターは私のこと単なる金持ちの贅沢娘としか見てくれないんだよね。レディー・ガガがお忍びで泊まりにきたのとは違うのよ」
「それは仕方ないよ。旋風Zがオリコンの一位記録を塗り替えたところで、セントラル・パークでストリートライブやっても、ほとんど誰からも相手にされないと思うよ。そもそも音楽や芸能の分野で世界に通じる日本人なんて数えるほどしかいないんだから」
「ロックやポップスやるなら、英語が流暢でなきゃ話にならないって言いたいんでしょ」
「そこは最低ラインだと思うよ、やっぱり」
「それが違うんだなあ。私は音楽って世界共通語だって信じてるから、歌詞の意味が理解できなくても心を動かすことは可能だって思うの。だって中村八大さんのメロディーは、坂本九さんが日本語で歌っても全米を虜にしたでしょ」
「ああ、昔ビルボード一位になった『Sukiyaki』ね。リッチー・ヴァレンスの『La Bamba』 も世界的な大ヒットナンバーになったけど、スペイン語と日本語とじゃ理解出来る人口が全然違うものね。そう考えれば八大さんって偉大だよね。日本一のジャズピアニストっていうだけじゃなく、言語の壁を越えたメロディメーカーだったんだからさ」
そう、愛は世界に通じる音楽を目指しているのだ。営業や宣伝の恩恵ではなく、音と旋律だけで心が通じ合うような境地。そういえば、高二の春休みにマリリンと愛と三人でカトマンズ郊外の孤児院まで慰問に行って子供たちと一緒に歌って踊った時の愛って、とても満たされた表情をしていた。
私が孤児院にあったポンコツのオルガン、愛がアサン広場のガレッジセールで購入した古びたシタール、マリリンが鍋と灯油缶をドラム代わりにマーサ&ザ・バンデラスの『ダンシング・イン・ザ・ストリート』を演奏した時のことは生涯忘れられないだろう。
子供たちにはお土産に持っていったプラスティック製サックスや輪ゴムギターを配って即興でレッスンし、楽器が行き渡らなかった子は、鉄琴かドラム代わりに空き缶を叩かせるかコーラスで参加させたが、楽器編成も音も滅茶苦茶なのに、あれだけ盛り上がれたのは、世界共通語である音楽の成せる業だったと今でも思う。
特に印象深かったのは、ハーモニカが唯一の趣味という盲目の男の子が、リトル・スティービー・ワンダーもかくやというほどの抜群の音楽センスで、ガレージパンクなリードハーモニカプレイを披露してくれたことだ。
ライブではいくら周囲が熱くなってもクールに演奏を続ける愛が、この時ばかりは終始笑顔で、時代遅れのチャールストンステップまで披露しちゃって、子供たちも大爆笑だった。その時確か「いいよねえ、こういうのって」ってなんて、しみじみと感慨に浸ってたっけ。
ワン・オクロックにせよ、ラドウィンプスにせよ、アジアの僻地の孤児院まで出向いて演奏してくれるなんてありえない。そういうとこの子って、私たちが日常的に楽しめるトップアーティストのライブなんて一生縁がないのかもしれない。いつもお決まりのファンの前でしか演奏しなければ、その芸術性も何もかも含めて広がりには限りがある。CDでは聴けても、ライブとは音の迫力が段違いだから、音声処理が必要な一部の音痴なアイドル系はともかく、優れたアーティストであればあるほど、生で聴かなければ、真の芸術性を理解するのは難しいだろう。
「私は商業的にはライブハウス巡りくらいで十分。あとは地方の公民館とか片田舎の学校の体育館でやる方が楽しいんだなあ。ブライトンの海岸通りのレトロなパブなんかで演奏出来たら、途中で泣いちゃいそう」
「あいちんって、ペテロとパウロみたいだね」
「どういう意味?」
「音楽を通じた伝道師ってことだよ。ペテロとパウロは大きなホールでプレゼンしたわけじゃなく、地道に各地を練り歩いて教えを説いていたわけだけど、その活動は二千年後の今でもクリスチャンっていうマニアックなファンが十億を越すほどの成果につながったわけじゃない。ラテン語もギリシャ語も全く通じない地域の住民まで改宗させたんだから、まさに救世主の代理人だよね。あいちんだって、ベース一本あればそうなれるかもしれないよ」
「もう、琵琶法師じゃあるまいしー。でもピアノとMCは超高校級のヒロポンがパウロになってくれれたら、私もペテロになれるかもね」
「じゃあ、二人で教団作ろうか。今のバンド名のスピリット・オブ・エクスタシーって、何だかイスマイール派の神秘主義教団みたいじゃない」
「ええっ、教団名にしてはちょっとエロくない? これで石山さんが教祖だったら、スワップマニアの秘密結社かなにかって思われちゃうよー」
まあ、教団はともかく、私のプレゼン能力に愛の音楽が加われば、若い世代の心をつかむことができるかもしれない。
そうだ。政治家になろう。
宗教家は何となく根暗なイメージがあるから、派手好みの私には合わないけど、政治家なら絶対的に目立つし影響力もハンパない。
私のあざとさとでまかせの弁舌を最大限に生かすには政治の世界しかない。
本音と建て前、偽善と欺瞞が錯綜するこの“魔界”ほど、私にとって刺激的な舞台はないかもしれない。
だったらやってやろうじゃない。
守銭奴に売国奴、権力欲にとりつかれた妖怪変化どもが蠢く「やらせ劇団」を私が変えてやる。
私は単なる小悪党じゃない。私こそ“魔界”を仕切る暗黒大将軍にふさわしいってこと、思い知らせてあげるわ。