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第17章 大学篇 あなたならどうする

東京で憧れの大学生活がスタートしたが、刺激のない日々は本当につまらない。もっと光を!

 平成二十五年三月十日、私は豊前市の宇島駅で家族に見送られてソニックにちりんに乗り込むと、小倉からは在来線を乗り継いで倉敷まで行き、そこからサンライズ出雲で東京へと向かった。

 父が大学受験の時に利用したという寝台特急「富士」は、私が中学生の時に廃止され、九州❘東京間を結ぶ定期便のブルートレインはもはや残っていない。今や国内で残された定期便寝台特急はサンライズ出雲だけだ。

 それでも旅立ちと言えば、やはり船か列車でなければ雰囲気が出ない。私はこういうところはこだわるタチで、人生の重要な区切りは、後年回顧した時に絵になる場面でなくてはならないのだ。

 映画『カサブランカ』の別れのシーンのように、プロペラ旅客機時代のタラップからの乗機はまだ風情があるが、近年のジェット機は機体とターミナルを直接接続した通路より乗り込むため、見送りは空港の中からということになり、味も素っ気もない。

 夜行列車で上京というストーリーを作るため、私は面倒な乗り換えも省みず、サンライズ出雲に固執したのだ。家族旅行などで海外のブルートレインは経験済みの私も、個室シングルというのは初めてだったので、岡山名物の駅弁「桃太郎の祭り寿司」を酒の肴にスキットルのアイスワインをグイ飲みして、イカした女の一人旅を気取ってみたのだが、凝りすぎた演出が畢生の一人芝居を台無しにしてしまった。

 外側から窓を叩く音に「えっ、もしかして幽霊?」と薄目を開けてみると、東京駅のホームまで迎えに来てくれたジャイ子先輩の姿があった。

 つまり私は夜行列車の一人旅を満喫するどころか、乗車から一時間ほどで寝入ってしまったのだ。結局、寝台は使わずじまいで、人気のない夜のホームで自撮りするという目的も果たすことができなかった。

 一番痛かったのは、東京へ向かう夜行列車の中で今の思いをつづるつもりが、一行も書けなかったことだ。私が有名人になった暁には、これを歌詞にして愛にでも歌ってもらい、自身のキャリアに箔をつける予定だったのに、これで台無しだ。チューリップの『心の旅』に負けない詞を、と意気込んでいただけに、私の愚かさが恨めしい。

 せめてもの救いは、あらかじめ不動産屋から鍵を預かっていたジャイ子先輩が舎弟たちに手伝わせて、宅急便で送った荷物や東京の業者に発注していたベッドとカーテンに机まで全て搬入し終えていたことだ。部屋に入ると、床はピカピカにワックスがけされており、ディスプレイもほぼ私の指示どおりだった。

 「先輩はまだ一年生なのに、どうして舎弟がいるんですか」などという野暮なことは聞かずに、私は引越しの手伝いをしてくれた一同に対する感謝の気持ちを込めて、寮生活をしているジャイ子先輩宛に後日、エビスの大ビンを2ケースばかり送ったのだが、空気が読めない先輩は、新学年が始まる前に全部一人で飲み干してしまったそうだ。

 どうやら私はジャイ子先輩の日常的なアルコール摂取量を甘く見ていたようだ。 


 私の東京での住処は、原宿のブラームスの小径にある築三十年の小さな五階建てマンションの二階である。

 時代遅れの手狭な2LDKといっても、場所が場所だけに平均的なサラリーマンの給料で住めるようなシロモノではないが、所有権を持つ不動産会社の重役が麻吉親父の大学時代の舎弟ということで、特別に安くしてもらったのだ。

 この辺りは騒々しい表通りとは打って変わって人通りが少なく、小径に立ち並ぶヨーロッパ風のカフェやレストランが異国情緒を盛り上げている。細い小径を抜けるとフォンテーヌ通りがあり、その先にはモーツァルト通りがあるが、こちらの方は建物が派手めで自己主張が強すぎるため、あまり私の好みではない。それでもたまに訪れる友人たちと散歩がてらに出歩くと、こういう環境で生活していることを結構羨ましがられるので悪い気はしないが。

 一番近くに住んでいるのが表参道の裏通りにいる愛で、楽器の練習のため、一階に老舗レストランが入る古びた四階建てビルのペントハウスを借りている。そのあたりもなかなかお洒落な店が多いが、私の部屋の近くのように、千円でランチが食べられるようなリーズナブルな店がないため、週に2日はインスタントの夕食を余儀なくされているという。さすが、貧困は芸術家の必須科目というだけのことはある。

 東京理科大に進学したカトリーヌも東京の物価の高さには閉口したようで、地味に鶯谷の1Kマンションで暮らしている。彼女の場合は、ファッション関係につぎ込む金額が半端ではないため、スペイン語会話教室と雑誌モデルのバイト代のほとんどがそれで消え、不特定多数のデート相手に食事を奢らせるという女ジゴロのような生活を送っているらしい。


 対象的なのが、六本木ヒルズの1BRでお姫様生活満喫中の高子だ。ジイは、若いうちから甘やかすな、とヒルズ生活には反対だったのだが、娘にはとことん甘い高文頭取が、東京出張の際にはホテル代を節約して高子のところに泊まる、という条件で家族の同意を得たらしい。要するに賃貸料は会社の経費で落とすという金持ちならではの悪知恵というわけだ。

 結果、ゴールデンウィーク明け頃から、従来は重役に任せていた関東方面での会合や取引にもしゃしゃり出てくるようになった父親が、毎月のように出張にかこつけて上京するため、孝行娘の高子も最近は食傷気味のようだ。やはり自由の代償は高いのかもしれない。


 せっかく上京したというのに相変わらず昭和の女(いや大正か)を貫いているのが不二子である。

 いくら下町情緒が好きだからといって、JR高円寺駅の北口から徒歩十分のところにある築百年の幽霊屋敷のような平屋を一軒丸ごと借り切るというのは理解に苦しむ。すでに東大合格を見越して一月から業者にリノベーションを頼んでいたそうだが、平成二十年代に囲炉裏と五右衛門風呂の生活はありえない。

 「さすがに移動手段が馬ってことはないよね?」と尋ねたら、

 「まず法的に無理でしょ」と鼻で笑いながら、隣接している古い納屋に私を案内した。

 観音開きの板張りの扉を開くと、そこに鎮座していたのは鈍い光を放っている鋼鉄の馬ではなくて、ジャーマングレイの一九四三年製ツェンダップKS七五〇軍用サイドカーだった。

 これは旧帝国陸軍の憲兵分隊長だった曽祖父の遺品で、八路軍からの捕獲品らしい。東部戦線でドイツ軍が放棄したものをソ連軍が回収し、それを購入した八路軍の将校を捕虜にしたのが、当時関東軍第39師団にいた螻河内市丸大尉というわけで、ニュルンベルクの工場から出荷されたツェンダップはソ連、中国を経て、大尉の久留米憲兵隊への転属に伴い、昭和二十年七月に博多港に陸揚げされた。

 曽祖父がC級戦犯容疑者として一時期巣鴨プリズンに収監されていたこともあって、戦後の螻河内家は経済的に恵まれず、麻吉親父が小学校に上がる頃まではこのツェンダップが自家用車代わりだったそうだ。

 曽祖父(麻吉にとっては祖父)が運転するツェンダップの側車に乗せてもらうのが子供の頃の麻吉親父の一番の楽しみだったが、マイカーブームの折に、こんな鋼鉄の恐竜のようなバイクで近所を徘徊していては、嘲笑の対象になるのは必然と言えるかもしれない。

 今の麻吉親父の姿からは想像がつかないが、貧乏で小汚い身なりをしていたせいか、小学校の低学年の頃までは「垢吉」と綽名を付けられてかなりいじめられていたらしい。しかし、太平洋戦争開戦前は台湾総督府の武道師範を務めていた剣道十段の祖父から、武芸一般の徹底指導を受けたおかげで、自力でそれを克服したのだ。

 小学校六年で身長が一七〇センチに達すると、近隣の中学生ではもう手に負えなくなり、ランドセルを背負った大きな子供が幅広のボンタンを履いたガラの悪い中学生をどついているという信じられないような光景が頻繁に目撃されたという。中学の入学式の朝には、自宅前まで出迎えにやってきた先輩中学生の集団に荷物を持たせてさっそうと登校する姿がまるで大名行列のようだった、と地元ではいまだに麻吉伝説として語り継がれているそうだ。

          

 この市丸翁が戦後始めた金属パーツの製造工場が螻河内建設のルーツで、不二子の祖父の代にバブル期の建設ブームに乗って急成長を遂げ、麻吉の代でJR姪浜駅南口前に六階建ての本社ビルを構える地元大手の建設会社となった。

 こんなヤバイ親父がついていながら不二子が中学生までいじめられ続けたのは、自力で全てを克服してきた麻吉を尊敬しているがゆえに、告げ口という手段をよしとせず独力で対処する道を選んだからだ。そうはいっても貧弱な体力では武力解決は望めないから、知恵と工夫で降り注いでくる災禍をしのぐほかはない。強靭な意志力によって突然変異を繰り返した不二子の脳細胞は、今や麻吉親父の筋力に匹敵するハイテク破壊兵器へと着実に進化しつつある。そしてそれは私にとっても頼もしい武器となるのだ。 

 ツェンダップの出所を聞いているうちに、螻河内家の謎がまた一つ解き明かされた。


 ストックホルムに行ってしまった親友のマリリンとしばらく会えないのは寂しいが、高校時代の革命戦士たちのほとんどが東京に集っているのは心強い。

 ここで私たちのネクストステージが開幕するのだ。

 主演はもちろん私に決まっている。


 ・・・・・・

    

 大学に入学して三ヶ月経った。

 憧れの大学に入り、友達もたくさんできたけど、なんだかつまらない。

 中・高を通じてキャラが濃い超個性派連中に囲まれて過ごしてきたせいか、大学はどうも退屈な奴ばかりという感じで、つるんで何か面白いことやろうという気すら起こらない。

 既成のサークルはどれもこれも没個性的で全く興味を引かないし、合コンなんてモテない男女のガレッジセールみたいで、私の感性には合わない。不本意ながら、まだポチのエロトークを傾聴している方が気分転換になりそうだ。

 かといって深海のダイオウグソクムシのごとき時間の過ごし方には耐えられない私は、六月から深夜の若者向け政治討論番組のパネラーとして、夜な夜な猛毒を吐きまくってストレスを発散している。

 イレギュラーの出演ながら、私ごとき大学生に番組出演オファーが舞い込んできたのは、高校時代からホームページのアクセス数が月間数十万件を超える一方、ローカルテレビへの出演や地域のシンポジウムでの講演などで、地元のマスコミの間では「セーラー服のジャンヌ・ダルク」として、少しは名前を知られた存在だったからだ。

 メジャーな学生タレントが多い東京ではこうもいかなかっただろうが、とても中央では使い物にならないようなローカルタレントが、しらじらしいまでの博多弁を駆使していっぱしの芸能人ぶっていられる福岡なら、競い合う相手が少ない中でのスーパー女子高生を演じるくらいわけはない。学術系、スポーツ系、音楽系の実績に加えて、高校生レベルを超越したボランティア活動まで加われば、目立たない方がおかしいくらいだ。

 もっとも後者の方は、マリリンや不二子をはじめとする仲間たちの協力あってのことで、これに関して言えば、才気溢れる人材に恵まれた幸運に、ただただ感謝するのみだ。


 卒業後も一緒に上京した仲間がいるのに、やはり大学が違い、好き勝手にはしゃげるアジトもないとなると、暇つぶしに集うというわけにはゆかなくなってしまう。かといって、あれだけの面子は東京でもなかなか見つからないから、私の行動力は必然的に制限されているのが現状だ。


 運命の神による拘束はつらい。

 自由に空を飛びたい。

 多忙なダイダロスは傍にいないし、親友のリリエンタールは当分旅から戻ってこない。

 恋愛体質のモンゴルフィエもどこを浮遊しているのやら、ほとんど音信不通状態だ。

 幸い今は、「超辛口」と揶揄されながらも、十代では珍しい社会学的、哲学的な考察に基づく発言が迷える若者層からの多大なる支持を受けているおかげで、同世代の論客の中ではトップクラスの評価を得ているが、所詮はエコーチェンバー効果まで計算づくの世迷言を並べているに過ぎない。

 口先だけの論客とは一線を画していると言われている私の行動派としての側面も、過去の名声にすがっているだけで、最近はろくにボランティア活動さえやっていない。

 ただ適度に目立って、ちやほやされているだけでは本当につまらない。

 “世界は私のもの”という実感が欲しい。

 「時間よ止まれ。私は美しい」という台詞が思わず口から飛び出す瞬間まで、私は生きる屍だ。

 メフィストフェレス、あなたならどうする?



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