第13章 キャリア女子高生対セレブ魔女
「学園にお洒落なカフェテラスを」乙女たちの切なる願いを具現化するために、弘美たちは昼食会を催して絶対的発言権を持つ同窓会長以下幹部の説得を試みるが・・
七月第二週に第三回生徒総会を控えた私たち執行部がメインの事案として挙げることにしたのが、施設維持費の有効活用だった。
才女は伝統と実績を誇るお嬢さん学校だけあって学費も西日本一高額である。それでも生徒の半数が富裕層であるため、過去に学費の値上げに関する議論は皆無といってよかった。近年は私学助成金によって学費負担は幾分軽減されたが、普通科高校でありながら私大の理系と大差がないというのは庶民レベルからすると納得のゆかないところだろう。特に問題だと思われるのは年間十万円を超える施設維持費である。
本校は赤紫色の煉瓦で組み上げられた創立時からの洋館の校舎に、定期的な改修工事を施しながら今もなお使用している県下でも稀な学校である。とはいえ、大正レトロの趣きをとどめているのは外観とエントランス、チャペルくらいなもので、その他はヨーロッパの古い都市家屋のように、内装は近代的なものに改装して耐久性と利便性を向上させている。そのおかげで、ハリーポッターに出てくるようなメルヘンチックな校舎は女子受けがよく、近未来的デザインの新築校舎をウリにした一部の私学にも全くひけを取っていない。
しかし、私たちからすればまだまだ不満もある。女子修道院の食堂そのものの学食は、ともすれば閉鎖的で、とてもワイワイ騒ぎながら食事をする雰囲気ではない。側面をくり抜いて中庭に続くオープンカフェのようにし、吹き抜けの一部に中二階を作ってステンドグラスの代わりにクリアなガラスを張れば採光も良くなり、もっとお洒落な空間になるはずだ。
高い施設維持費を徴収しながら、昨年度、大幅に改装されたのは月に一度の理事会にしか学校に顔を見せない理事長室だけだった。ほとんど空き部屋状態でありながら三十畳ものスペースを占領し、一面にペルシャ絨毯を敷き詰めているなんて全く無駄もいいところである。私たち生徒会執行部を十二畳の屋根裏部屋のようなところへ押し込めておいて、大して仕事をしているようにも見えない理事長にここまで便宜をはかるのはどうにも我慢ならない。そこで私は、執行部会でコロニアルスタイルのモダンカフェ風食堂への改装を発議したのだ。
冷暖房設備の充実やバリアフリーを唱えることはあっても、校舎の改装を要求した生徒会など聞いたことがないため、考え方がやや保守的な高子や岡山は、そこまでやらなくても、と渋っていたが、マリリンと愛が、面白そうだからやっちゃおうよ、とはやしたてその場のノリで強行採決してしまった。
「でもさ、仮に生徒投票で議案が通ったとしても、職員会議で否決されたらアウトだよ。だって、ほとんどの教師には何の得にもならないんだから、断固反対するに決まってるオーナー理事長に逆らってまで、私たちの意見に賛同する教師なんていると思う?」
不二子の指摘はもっともだ。
「だったら、理事長から落とせばいいのよ」と私。
「いくらなんでも相手は経営者だよ。これまでのような相手とは違うのよ」
「何言ってんのよ、高子。ここにいる面子はみんなキャリア高校生だよ。私たちの頭脳と行動力を結集すれば、親から老舗看板を受け継いだだけの世襲経営者なんて目じゃないわ。むちゃぶりを通そうという人がいなければ、時代は動かないのよ」
不二子に言わせると、利害関係が一致し、鉄の結束を持つ〇・一パーセントの人間は、価値観が異なり私利私欲にまみれた九十九・九パーセントの人間を統率できるのだそうだ。
圧倒的多数は一見すると大きな力だが、その数がネックになって、報酬としていかに巨大なパイが用意されようとも、全員が均等分配しようとすれば必ず取り分に対する不満が生じる。結果、そこから争いが起こり、組織は分裂状態を招く。
しかし、少数であれば均等分配しても全員が満足のゆく分量が確保できるため、仲間割れは起こりにくい。
学校側は、理事長や理事、教員・事務方の管理職と教諭、講師では当然待遇が違うし、報酬が能力に比例しているとは言いがたい。特任教諭という名のもとに再雇用され校務の負担も大幅に軽減された老人たちが、働き者の万年講師よりもはるかに高額の報酬を得ていることも少なくないからだ。
したがって彼らの結束力の源は保身だけであって、真の協調性や相互互助には程遠い。何かの拍子で学校の評判が地に落ち経営が悪化した時、他校から好条件でのオファーがあれば大半の教師は泥舟から脱出することを選ぶに違いない。
ましてや西夏は同窓会や職員組合の発言力が強く、経営者側と雇用者側の絆は弱い。それは創立当初はコストパフォーマンスが悪く、市井の人々の喜捨によって赤字を補填してきたという歴史があるからだ。
ところが近年は、順調な経営とOB、現役を含む富裕な家庭からの多額の寄付金により相当に潤っているはずなのだが、経営者側は内部留保にのみご執心のようで、平成以降、生徒や職員の待遇に反映された形跡は見当たらない。
生徒会顧問の三井先生は、大阪大学在学中、予備校講師のバイトで時給一万円、月の手取り平均三十万円貰っていたのが、西夏に奉職して五年目にようやく手取り給与が同じ額に達したとぼやいていたが、本校には年俸数千万円を超える大手予備校の花形講師と遜色のないレベルの教師がそれなりにいるにもかかわらず、県の上級職並みの給与というのは、私たちから見ても低すぎるような気がする。
予備校講師は授業だけに専念できるが、高校教師はクラス担任から部活の指導、校務分掌と教える以外にもやるべきことは多い。それでいて女子高では西日本でトップクラスの進学実績を残していることを考えれば、予備校にデューダすれば倍額の報酬を貰える教師も少なくないはずだ。
しかし、三井先生が自身の経験から「勉強を教えるだけなら歳とってもできるけど、気力と体力も充実していて感性も若い今だからこそ、生徒たちと一緒に色んな経験もしながら自身も成長したいから教師を選んだのよ」と言っていたように、教育には学問を教えるだけでなく、人を育てることも含まれるからこそ、業績を上げた、昇進した、といったサラリーマン的な達成感とは別種の喜びがあるようだ。
報酬アップは職員組合の仕事の範疇であって、私たちにはどうすることもできないが、昼休みと放課後以外の生徒がいない時間帯に、開放的なスペースでデスクワークに励めるという意味において、特に若手の女性教師にとっては、カフェスタイルの食堂は有難い存在のはずだ。
職員室は電話などの雑音も多いし、教科準備室はベテラン教師の憩いの場と化しているだけに、お茶でもしながら気分をリフレッシュできる空間は貴重である。ましてや昼休みに職員室で弁当を食べるというのも周囲が気になるものだ。
欧米の大手企業の中には、雑音を遮断した電話ボックス型やデスクの前に乳幼児を遊ばせておく空間まである個人用ワーキングスペースを取り入れて作業の効率化を図っているところがあるようだから、やがてはそういう労働者ファーストの職場環境のあり方が、ナショナルスタンダードになってゆくはずだ。
三井先生をはじめとする気心の知れた女性教師にこの計画の是非を伺ってみたところ、美的センス溢れる空間で仕事をしてみたいという今時の女子の琴線に触れたようで、なかなかの好感触を得た。
高校とカフェテラス。
最近でこそ各学校ともに学食が洗練され、和洋中華にとどまらずフランス料理までメニューに加えたり、食育に基づいた料理を提供したりと、学食のオリジナリティを学校の宣伝材料に利用するケースも少なくないが、一昔前までは志望校の学食にまで関心を持つ受験生などほとんどいなかった。
受験戦争華やかなりし時代の福岡では、エアコン設備のない旧式な校舎であろうが、学食がまずかろうが、偏差値さえ高ければ人気校だった。むしろ設備投資型の学校は、それでしか受験生の関心を引くことができない落ちこぼれの収容施設のようなところが多かった。
そんな時代に私の叔母が通っていた大分県立O高校は、多い時で二桁の東大合格者を輩出する県下有数の進学校でありながら、高台から眼下の景色を睥睨できるカフェラウンジ風の学食が大人気で、このおシャレな学食で毎日ランチを楽めることもO高校生のステイタスシンボルの一つだった。
一番人気のカレーライスは、市内のレストランやデパートの食堂と変わらない値段だったが、味も一級品で、高校を卒業して上京した叔母にとって一番心残りだったのが、このカレーが食べられなくなったことだったという。高校時代に学食で撮った写真を見せてもらうと、なるほどテーブルクロスさえ敷けば高原のビュッフェといった感じで、この時代にしてはかなりハイカラだったことが伺える。
辛抱強く並びさえすればどんな人気店の定番料理でも食することができるのに比べると、通常、部外者が利用することができない中高の学食は会員制レストランのようなもので、そこで食事をすること自体が在校生の特権である。
幸い私は、この春、生徒会長の懇親会でO高校を訪問した際に、若き日の叔母が座っていたのと同じ窓際席でカレーを食べる機会に恵まれたが、大釜で大量の玉ねぎをじっくり煮込んだとおぼしきマイルドな香ばしさと豊後牛独特の甘みが絶妙に絡み合っていて、一口食べたらスプーンが止まらないほどの美味しさだった。
これまでカレーはルウに溶け込んだ肉と野菜の深い味わいをゆっくりと堪能しながら食べるものだと思っていたが、この学食のカレーは甘口ということもあって、どんぶり物感覚でがつがつ掻きこむ方が美味しかった。
新緑に覆われ空気が澄みきった高台から下界を見下ろしながらのランチは、窓外には住宅かマンションしか見えない母校の学食よりもはるかに食も進む。
こういう癒し系の雰囲気の中で昼食をとったり、放課後にお茶を飲みながら読書や雑談に時間を費やせるような環境設備があったら、もっと学生生活が楽しくなるはずだ。ましてやインスタグラム全盛の今、ネオクラシカル調のとびきりスタイリッシュな学食でJKが優雅にお茶やランチを楽しんでいる姿がアップされれば、あっという間に話題になり、在校生たちのステイタスが向上するだけでなく、学園のブランド力もさらに高まるに違いない。
いくら新築校舎と近代的設備をウリにしても、掛け金が上限なしのポーカーと一緒で、より財力のある学校がそれ以上のものを造れば、アドバンテージはなくなる。しかし、教員・生徒双方にとって生産効率の高い就学環境であれば、その波及効果は恒久的なものとなるはずだ。
大自然の中にそびえる場違いな近代ホテルより環境に溶け込んだ老舗温泉旅館の方が、長い目で見れば集客力が継続するのは、人は究極的には人工的な利便性よりも癒しを求めるからに他ならない。
進学実績では日本一になれなくても、日本一優雅でおしゃれな学校なら私たちの力でも実現可能かもしれない。受験料が私学の収入の中で大きなウエートを占めていることを考えると、この施設投資は受験生の増加によって立派に元がとれる。しかも私たちのJKネットワークを駆使すれば、流行に敏感なJC連中の間にもコンピューターウィルスのように拡散してゆくこと間違いなしだ。率直にいって、学校の広報担当より生徒会広報部の方が有能で作業能率も高いから、ケチな理事長も説得できそうな気がする。
もちろん理想と現実は違うので、最悪のケースにも備えておかなくてはならない。理事長のアキレス腱をつつくために考えたのが、施設維持費の裏取りである。
「天才とは、下調べを怠らない有能な人物に過ぎない」とはトーマス・エジソンの言葉だが、これは私たちキャリア高校生にとっても座右の銘なのだ。
学園の収支決算報告は職員会議やPTA総会の席で資料が配布されるが、その場で目を通すだけでコピーや持ち帰りは出来ない。ということはつまり数字を改ざんされていても確かめようがないのだ。中でも施設維持費は、一般家庭と規模が違う学校の場合、どのくらいが常識範囲なのか見当もつかないため、最も突っ込みが入りにくい。だからこそ一度洗ってみる価値がある。
まず光熱費に関しては、本校は安全性を考えて早くからオール電化に切り替えているのでわかりやすい。取引先の海南銀行で、本校から西海電力に一年間でどれだけ支払いがあったか調べればいいだけのことだ。先日、本店にジイを訪ねたのは、頼んでおいた内部資料の閲覧が目的だった。
次に建築物の修繕費などだが、これは授業参観の日に麻吉親父に見積もってもらった。プロの目で見てもらえば、これだけの施設を維持してゆくのに必要な大雑把な金額はわかる。改装された理事長室は、不二子が細部まで写真に撮ったものをチェックしてもらった。
結果、施設維持費は現在より二十パーセントは抑えられるという見積もりが出た。
これは螻河内建設だけでなく、麻吉親父の伝手がある大手数社に内々に見積もってもらった平均値であるため、PTAや組合の総会に資料を提出されると、経営者側も誤差を言い訳にするのはかなり厳しいと予想される。
万が一、施設維持費の正当性が司法判断で認められたとしても、信用に足りうる筋からの見積もりだけに、世間は経営者側に限りなく黒いイメージを抱き、学園の評判が下がることも十分ありうる。
そうなった場合の損失と、カフェテリアの改装による広告宣伝効果を天秤にかけた場合、まともな経営者であれば後者を選択するに決まっている。
渋谷にある老舗名曲喫茶『ライオン』の内装を参考に、中二階のある図書館を改装し、一階に図書を置き、二階をカフェテラス風の学食にするというのが生徒会による企画案で、見取り図と完成予想図はマリリンのパパの監修のもと、麻吉親父と不二子が作成した。
もし美樹本英二自らが筆をとって描いたなら、完成予想図だけで改装費に相当するプライスタグが付いたかもしれないが、螻河内父娘版もゴッホの『夜のカフェテラス』を彷彿とさせるような鮮やかな色彩が見る者を惹きつける素晴らしい出来栄えだった。
一級建築士の麻吉親父が職業柄建築物を描くのが上手いのはわかるにしても、背景と光彩表現のほとんどを手がけたという不二子の画才には驚かされた。
最終的には私、マリリン、高子が細部をCG化して億ションのパンフレット風に仕上げ、ジイの特命で海南銀行本店融資課が仕上げた企画見積書を持って、西夏女学院同窓会長を訪問することにした。
多くの人が望んでいようが、倫理的に正しかろうが、正攻法ではどうにもならないことは世の中には多々ある。その一方で採算が取れないことがわかりきったプロジェクトが施行されたり、弱い者いじめ以外には説明がつかないような法案が決議されるのも珍しいことではない。
これはいかに民主主義社会といえども、全てが多数決で決定するわけではなく、決定権を持つ人間の差配次第で、結果はどちらにも転びうる余地が残されていることを意味する。つまり、物事を動かしたければ、決定権を持つ者、あるいは決定権を持つ者に大きな影響力を持つ者に働きかけるのが一番速いというわけだ。
安永の後ろ盾だった前会長が任期満了となった後、新会長に選ばれたのが、市内最大手の志路屋百貨店社長、竜野銀子女史である。篠崎高文頭取とは福岡教育大学付属小学校時代からの幼馴染で、今でも「銀ちゃん」「文ちゃん」と呼び合う仲だそうだ。
竜野会長を口説くための最大のセールスポイントは、年に一度の同窓会総会の終了後に、このモダンな食堂でランチビュッフェを楽しむことができるようにした点である。
現在の食堂は薄暗く重々しい雰囲気のため、総会後に幹事、役員が集うティータイムも教会のミサのようで、とてもおばちゃんたちの世間話には場違いな感じである。
その点、明るさと高級感を取り入れ、セレブが雑談を楽しみながらリッチな時間を過ごせるような空間設計の生徒会案なら、総会後に長居するにももってこいである。
なおかつ休日に開催される総会のために、生徒会執行部が当日の給仕を請け負うことまで盛り込んでおり、緒方さんが「フィオ」の新作ランチメニューのサンプルとして試作したフレンチ・イタリアンの折り詰め弁当まで用意した。もちろん食後のスイーツも抜かりはない。毎日開店から十分と経たずに売切れてしまう「セ・ラ・ヴィ」特製のバニラヌガーを、アンヌの口利きで今回だけ特別に取り置きしてもらえることになった。
高校生が下交渉に当たってここまで抜かりなくやってくるとは、さすがの竜野会長も想像していなかったようで、「銀子おばさま」「高子ちゃん」と呼び合っていた先ほどの和やかムードはどこへやら。二人のやりとりはもはや完全な商談口調である。
広報室長は高子だから、企画書は私と高子の連名になっている。したがって本日の交渉は、高子がメインで私がサブというわけだが、竜野会長は高子だからといって容赦なく、鋭い突っ込みを入れてくる。
それでも西夏では私に匹敵する雄弁家だけあって、高子が言葉に詰まるような場面はほぼ皆無だった。まるで日米外交交渉を至近距離で拝聴しているようなピリピリとした緊張感に包まれながら、私は一言も発する機会がないまま、二人のやりとりに見惚れていた。
高子の頼みならものの十分かそこらで快く引き受けてくれると楽観していた私は甘かったようで、一時間近くもねばったにもかかわらず、最後は条件付きの妥協案に持ち込むのがやっとだった。
「じゃあ、来月のランチを兼ねた定例幹事会をあなた方にプロデュースしてもらおうかしらね。それで私を含めた五名の幹事全員が満足したら、幹事会が必ず理事長を説得するって約束しましょう」
最後の一言は私に向けて発せられた。
期日まで二週間しかなかったが、緒方さんに頼んでフィオを二時間貸切りにしてもらい、食通のジイのアドバイスで、実現可能な新作ランチメニューも完成した。
もちろん参加者の食の嗜好や食材アレルギーの有無まで十分に下調べしたうえでだ。
竜野社長の好みはジイから聞いていたが、同窓会副会長は同級生だった学年主任から、幹事長は長男が公立高校の生徒会長をしていることから生徒会ルートを通じて、というふうに人海戦術で徹底的な調査を行い、万全を期したつもりだ。
結果、食前酒はアペロールを好みに応じてスプリッツ、ソーダ、モーニ(グレープフルーツジュース割り)の三種類から選べるようにした。
オードブルは螻河内家自家栽培のプチトマトと自家製アケビオイルを使ったカプレーゼ、鴨の首ガラのコンソメ、ブリの生ハムの三点とし、宗教的禁忌を考慮して、メインディッシュはカレ・ダニョー・ペルシエ(子羊の香草パン粉焼き)を選択した。
食後のコーヒーはパナマ産ゲイシャをフレンチプレスで、デザートは洋梨のキャラメリーゼでゆくことにした。デザートの仕込み担当はアンヌだが、バリスタを務めるのはなんとジイである。たまたま全員がコーヒー党ということで、コーヒー通のジイにお奨めを伺ったところ、豆が良くても淹れるヤツがヘボじゃ台無しじゃろうが、としゃしゃり出てきたというわけだ。
もっともカウンターにジイが立っていては幹事たちも恐縮して和気藹々というわけにはゆかなくなるので、ゴネるジイをなだめて、あくまでも裏方に徹してもらうことにした。
定例幹事会当日、給仕を務めたのは私とマリリン、愛、アンヌの四名である。
こういうことには鈍臭い私は、食器を並べることくらいしか役に立たないので、テーブルサービスはマリリンと愛任せで、アンヌが調理助手についた。
幹事会は生徒会の企画書についての簡単な説明だけで終わり、私がマスターのLPコレクションの中から選んだセロニアス・モンクの『ソロ・オン・ヴォーグ』をBGMに、昼食会が始まった。
ベースをやっているせいか指の皮が厚い愛は、私が叫び声を上げそうになったほど熱せられたホットプレートのメインディッシュも造作なくサーブするし、ボトルの底をつかんでミネラルウォーターを注ぐマリリンの手つきも慣れたもので、私は彼女たちの器用さに感動すら覚えた。
同時に私の女子力の乏しさも思い知らされた気がしたが、私は使われる方ではなく使う側に立てばいいのだと割り切ることで、とりあえずこの場での悔しい思いを断ち切ることにした。
この日だけのために作成した不二子手書きのフランス語のメニュー表は、いずれも自立心の強いブルジョワ婦人である幹事たちのイメージから、十九世紀の女性画家ベルト・モリゾの『食堂にて』を表紙にしてみたが、やはりインテリ揃いとあってピンとくるものがあったのだろう。全員がメニュー表を持ち帰っていた。
料理もおおむね好評だったようで、キッチンシンクに整然と並べられたバーナード・リーチの食器類は、どれも猫が舐めたようにきれいだった。
私が通りまで見送りに出た時、竜野会長が他の幹事たちを先に行かせてから、私に向かってこの日初めて口を開いた。
「今日はよかったわよ。あなた方の勝ちね。これだけの準備ができたのは、たまたま利用できるコネがあっただけのことで、私は野心家でずる賢く姑息なあなたのような子は好きじゃないわ。だけど敵に回すとやっかいだから、万が一流通業界に就職する気になったら、うちにいらっしゃいな。三十歳までに重役にしてあげるわ」
それだけ言うと、私が「本日はどうもありがとうございました」と頭を下げた時には、ハイヒールの甲高い音を響かせながらきびすを返していた。
志路屋の重役なんて笑わせないでよ、オバサマ。
志路屋ごと献納してくれたら、パー券の一枚くらい送って差し上げてもよろしくてよ。
私は誰の指図も受けないの。
ディオクレティアヌスのように、神さえ否定する存在が私の未来だから。
後日、竜野会長以下幹事五名が理事長宅を訪問し、半ば強引に理事会での発議を承諾させた。
押しが強く話術も巧みな中高年のセレブ魔女がぞろぞろと押しかけてきた日には、お坊ちゃん育ちのヤワなマザコン男一人では太刀打ちできるはずがない。
PTAの方も理事である私の父と高文頭取の根回しでうまく丸め込めたため、同窓会とPTAの推しで理事会、職員会ともに過半数の賛同者を得ることができ、食堂の改装はついに正式決定をみた。