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第12章 殿様と私

弘美とジイ(海南銀行会長、篠崎正蔵)がアールデコを酒の肴に語り合うシュールな芸術論&人生論。

 六月になってから、私はお礼かたがた篠崎のジイさまを大手門の鰻屋『鰻究』に誘った。

 「ここの店主はえらい横着じゃの。客にいらっしゃいませも言わんし、まだ注文も取りに来んぞ」

 「だってここのメニューはうな重の並しかないし、御主人は食道がんで声帯を失ってるのよ」

 「それにしても並だけとはどういうことじゃ。松竹梅か特上、上、並の三種類あるのが普通じゃろ。鰻は同じもんを使こうとっても量を変えて出すとじゃなかか」

 「ううん。量も一緒。ここは小ぶりの鰻が丸ごと一匹なの。注文取ってからさばいて焼くから、そうね、混んでる時は一時間くらいはかかるかな」

 「ほー、それだけもったいぶるっちゅうことは、筑後川か三隈川産くらいは出すんじゃろうな」

 ジイさまは結構料理にはうるさいのだ。

 「ううん、中国産の養殖ものだよ」

 「はーん? おぬし、わしに毒餌でも食わせる気か」

 「まあ文句は食べてから言いなよ。料理は素材なんて言うけどさ。所詮は腕だよ。人間と一緒。育ちなんて関係ないのよ」


 ジイさまったらちょっぴりむくれちゃったけど、とりあえず鰻を待つ間に、先日の一万田の件について詳細を報告することにした。最初は渋い顔して聞いていたたジイさまも、私が手土産に持ってきた大好物のコイーバ・ビハイクをくゆらせているうちに、だんだん機嫌が良くなってきた。

 「うん。さすがは弘美ちゃんじゃ。一万田の小娘が怪しいとわかったところで叩くんじゃのうて、わしの言うたとおり、向こうが仕掛けてくるまで網を張って待つのが正解じゃ。おかげで陰に隠れとった大物まで釣れたんじゃからな。朴念仁の岡山のやつも最初は協力を渋りよったが、退職警官の一万田不動産への天下りルートから表沙汰に出来んような話がいろいろ出てきよってのう。汚職が広がる前に一網打尽に出来たっちゅうて一昨日じゃったか、一升瓶と菓子折り抱えて挨拶に来よったわ」

 「まあ、一万田に恩着せて寝返らせるっていう手もないではなかったんだけどね。そうすれば副校長も言いなりだし。ジイはどう思う?」

 有能な敵は味方に抱きこんだ方がいいとジイさまから言われていたことが、少し気になっていたのだ。するとジイさま、せせら笑いながらこう言った。

 「あげな下等動物、何の役にも立ちゃあせんて。野見山のぼんくらも同様じゃ。それに一度でも身内を裏切ったヤツは必ず同じことをするもんじゃ。じゃから切り捨てて結構」


 ジイさまがコイーバを半分ほど灰にしたところで、うな重が運ばれてきた。

 「それじゃあ、弘美ちゃんのおすすめとやらをいただくとするかの。んっ? これは・・違うぞ。普通のうな重じゃない」

 「美味しいでしょ?」

 「身もとろけるようじゃが、淡白な味の鰻にしては、鮎のような香りがある。そうじゃな、泡盛の古酒にハーブを浮かべたような上品な香りじゃ」

 「さすがは天下の副将軍、ご老公様は並みのグルメ大名とは違うわね」

 「旬のスズキの香草焼きを彷彿とさせる味じゃが、比べもんにならんの」

 「古酒じゃあないんだけど、魔王と何か数種類の焼酎をブレンドしたものを阿蘇の湧水で割って、その中でしばらく鰻を泳がせるらしいよ。調理する三日くらい前からボウズハゼとヒラテテナガエビをたらふく食べさせておくって言ってたっけ」

 「死に前の鰻のくせに贅沢の極みじゃ」


 食後のお茶が運ばれてきた。

 無造作に置かれた平底の急須と砂時計。

 上目遣いにちらりとジイさまの表情を伺ったが、コイーバをくゆらしながら瞑想している。

 砂時計の砂が落ちてしまうと同時に、目を見開いたジイさまがおもむろに急須を取って、お猪口のような小さな湯呑みにお茶を注ぎ分けてくれた。


 湯呑みの底に申し訳程度に注がれた冷茶を、ゆっくりと時間をかけて飲む。

 お茶の甘みが口腔内に広がってゆき、鼻腔から新緑の香りがすーっと抜けてゆく。

 なんだか、身体中の毒素が毛穴から蒸発してゆくような、清々しい気分だ。


 「お茶は水出しに限るわい。で、今度の頼みは何じゃ?」

 

 かつて福岡城の桝形門があった西中島橋の袂にそびえる海南銀行本店は、幻の高層建築に終わった『ソヴィエトパレス』の意匠を受け継いだネオモダニズム建築で、ローマのパンテオンにバベルの塔を継ぎ足して細部に近未来風の味付けを施した威風堂々たる佇まいは、周囲の近代的なビル群とは全く趣を異にする。

  

 「じいって本当に高子のポスター飾ってたんだね。客から、誰この人って言われない?」

 「そりゃあ孫は可愛いからの。あえて言わせてもらえば、美人と言うには器量がもう一つじゃけんが、みんな車の方ばかり目のいってしもうて、高子のことはローカルモデルか何かと思うとるようじゃ」

 初めておじゃました海南銀行の会長室は意外に質素でせいぜい二十畳程度。専門書の書架が並ぶ父の院長室よりもずっと狭い。それでも眼下に那珂川を臨む地下二階・地上十二階立ての最上階からのロケーションは、通常は選ばれし者たちのみにしか味わえない心地よさを与えてくれることは間違いない。

 普通は一流銀行の会長室ともなれば、採光の良い窓際にデスクがあってしかるべきところだが、この部屋は入って右手にジイのデスクがあり、正面の窓際に接客用のテーブルとソファが置いてある。日没後に会長室に招かれた客は、中洲の夜景を眺めながら商談なり雑談なりに臨めるというわけで、これで美人秘書がお酌でもしてくれれば、わざわざ中洲の一流クラブに出向く必要などないだろう。

 高子とオーバーンが写った海南銀行のポスターは両開きのドアを開けた左の壁に、そしてその対面、すなわち会長のデスクの背後には、かの有名なカッサンドルの『エトワール・ドゥ・ノール(北極星号)』の古びたポスターが額装されていた。


 「もしかしてこれって本物?」私が尋ねると、

 「もちろんじゃ。わしの親父がドイツに遊学しておった時に、出先のアムステルダム駅に貼ってあったのを引っ剥がしてきたそうじゃ。戦後になってカッサンドルに会う機会があっての。その時に本人にサインをしてもらっとる」

 「あ、ホントだ。しかも「盗るな(Ne prenez pas)!」って書いてあるよ。おっシャレー」

 「オリエント急行と北方急行は当時のヨーロッパの一般庶民にとっては夢の超特急だったんじゃ。その頃は円の交換レートの低うて、親父もトラムばかり乗っとったらしい。念願叶うて北極星号のプルマンに乗れたんは、三十年後の昭和三十二年のことじゃった。今どき、寝台特急に憧れて血眼になって働く奴などおるか? で、実際乗ってみたらの、昭和十七年の夏に小学生のわしと乗った満鉄特急あじあ号の方がよっぽど豪華だったとがっかりしたそうじゃ。それでもな、若い頃のハングリーな気持ちを忘れんために、旧社屋の頭取室にずっとこのポスターを飾って、毎日飽きることなく眺めとったんじゃよ。わしの親父は」

 「確かに一九三〇年代までの列車はデザイン重視で、戦後はシンプルでより快適なものを追求するようになったから、あじあ号なんて乗っちゃったら、ひかり号だって速いだけで退屈な列車に思えるかもね」

 「文化の過程は装飾を捨て去り、装飾のない状態へと至る過程である、と言うからの」

 「アドルフ・ロースですね」

 「ほう、お嬢ちゃんにしちゃあ博学じゃの。高尚な人間ほど虚飾を嫌い、低俗な奴ほど虚飾を好むとは今も昔も同じじゃの」

 アドルフ・ロースは十九世紀末から二十世紀初頭にかけて活躍したオーストリア出身の世界的建築家だ。近代的な機能美を追求し、過剰で俗物的なデザインを嘲笑したことで様々な物議を醸し出したが、現在では忘れ去られた巨匠の一人といってもいいかもしれない。端的に言えば、思考が哲学的すぎて理解しづらいのだ。私は不二子の受け売りでたまたまその名を知っていたに過ぎないが、ジイのように文化や芸術に造詣が深くペダンティックな会話を好むタイプとは、博学でシュールな話題に対する許容範囲が広く応答にも機転が利く相手でなければ、なかなか腹を割った話が出来ない。

 裏を返せば、ジイさまと仕事以外のディープな雑談を交わせる人が極めて限られているおかげで、私のごとき青二才でもプライベートなお茶や食事にご相伴あずかれるというわけだ。


 「じゃあ、高子のポスターを貼る前に、ここに誰の絵があったか想像がつくかの?」

 「エドガー・ケイシー(米の著名予言者)じゃあるまいし、ノーヒントでわかるわけないでしょ」

 「わしのウィーンでの行きつけの店にカフェ・ツェントラールという老舗のカフェがあるんじゃが、そこのカイザーメランジェをすすりながら葉巻をくゆらしている時間がわしにとっては一番心の休まるひとときでの。そこの昔の顧客の一人が描いたものじゃよ」

 「ウィーンかあ。普通の金持ちなら金ぴか趣味のクリムトなんだろうけど、ジイは違うよね。天邪鬼だから。カッサンドラの対面だったら、その真逆かな。表と裏、光と影ってなんとなくジイが好みそうなディスプレイなんだよね」

 「おぬしにかかっては、ミス・マープルも形無しじゃな。いい線いっとるわい」

 「カッサンドラがなければ、ミュシャかフェリックス・マッソーもありだけどねえ。ジイは愛煙家だし(ミュシャとマッソーは煙草会社のポスターも手がけていた)。だけどポスター同士じゃあ面白くないし、トーロップやムンクは画風が好みじゃなさそうだなあ」

 「理由はともかく、ここまでの推理は合っとるぞ。言うまでもなかろうが、マイナーな画家じゃなかぞ」

 「それなら、ここはエゴン・シーレでレイズといきますか」

 「ビンゴじゃ」

 ジイが人差し指を立ててにやりと笑った。


 エゴン・シーレはクリムトに師事したチェコ系オーストリア人で、ゴッホに惹かれ、トーロップやムンクの影響を受けながら独自の画風を築いた異色の画家だ。スキャンダラスで悲劇的な人生はなかなか刺激に満ちていて、私もマリリンから借りたジェーン・バーキン主演映画のDVDで彼のことを初めて知った時は、いかにもエロティックな根暗さにある種のセックスアピールすら感じたものだ。

 「よかったあ。ほんとはココシュカかシーレで迷ったんだけど、私の好みがシーレだから、ジイもそうなんじゃないかなーって思ったの」


 「シーレは修復に出しとるから、あと三ヶ月くらいしたら弘美ちゃんにも見せてやろうかの。ところで、弘美ちゃんは、破滅に向かって真っ逆さまな男に色気を感じるタイプかの?」

 「私、だめんずは趣味じゃないから、堕ちていってる男にはまったく・・」


 「かといって、ピーク時のまばゆい輝きに目を奪われるタイプでもなさそうじゃの」 

 「そうだね。まだ内包された状態で解き放たれる時を待っているかのような活力っていうのかな。そこに私のパワーが加わることで、さらに膨大な熱量を発生させる余地を残した男性じゃなきゃ、私の存在価値がないでしょ。後は燃え尽きるだけの輝きを傍観するというのは私の柄じゃないもの」


 「人間が恣意的に行動した結果にウィンウィンはないからの。無為自然という究極のエコロジーの中でさえ、滅びるものと滅ばざるものがあるんじゃから、誰かの喜びの陰には悲しむ者もおることを忘れちゃいかん。それが、周囲のみんなに祝福された幸せな結婚であってもじゃ」

 「わかるよ、それ。たとえ初恋同士の結婚だって、そのどちらかに恋焦がれていながら思いを果たせなかった人がいるかもしれないからね」

 「その通りじゃ。ビジネスもまたしかりで、うまく事が運んだからというてぬか喜びしているようじゃ、足元の罠にも気付かずにそれこそ次の一歩でぬかるみにはまらんとも限らん。むしろ、人よりも先んじたことで、今度は嫉妬や憎悪の対象として存在が浮かび上がったくらいに考えるくらいがちょうどよか。親父は、夢を追いかけることも大切じゃが、夢中になればなるほど気がつかんうちに大切なものを失う可能性があることを、思春期のわしに口が酸っぱくなるほど言い聞かせたもんじゃ」


 「まるで、ガレの“黒い蝶を追うアムール”みたい」


 「いいえて妙じゃな。」


 本題から離れてジイとの雑談に夢中になっているうちに、いつのまにか夜のとばりが下りていた。

 眼下に見える中州の夜景は、最近少し厚化粧になったようにも見えるが、相変わらず美しい。

 このあたりの地名が因幡町と言われていた頃には、那珂川沿いに民家もたくさんあったそうだから、その頃の人たちは毎日こんな素敵な夜景を眺めながら夜を過ごしていたのだろう。

 それが今や最高のロケーションを占めているのは高級ホテルかビジネスビルばかりで、日常的に夕暮れ時からネオンの眩い時間帯を楽しめるのは、ジイたちのような一握りのエグゼクティブだけだ。

 本来なら自然も人工建造物も、太陽光の下でそのフォルムの美しさが際立つようにできているはずなのに、一部分しか見えない夜の方が見栄えがいいというのは、ある意味悲しくもある。

 街全体のバランスを無視した建築配列と濁った大気、生存可能密度を超えたドブネズミの集団のごとき自動車の群れが、昼間の表情を醜悪なものに変え、人口光でデコレートされた夜の顔でしか人の心を惹きつけられないなんて虚しすぎる。

 美しい景色さえ財力が伴わなければ拝めない時代が、本当に豊かな時代と言えるのだろうか。

 私たちを美しい未来へいざなってくれているはずの技術の進歩や開発も、本当の正体は黒い蝶なのかもしれない。

 未来への扉なんて聖杯伝説に過ぎず、私たちは物質文明の操り人形なんだろうか。

 中世の昔からアジア有数の大商業都市であり続けた福岡は、現在も観光客に沸く人気の街だが、ここで生活している私にとっては、美容整形のしすぎで没個性的になったマネキン顔にしか見えない。

 もし半径十キロ圏内にチェコのプラハかハンガリーのブダペストとそっくりの街が出現したら、福岡の市街地なんて誰も見向きもしなくなるかもしれない。

 いくら高級なキャンバスに高級な絵の具で油絵を描いても、描き手に美的センスがなければ、美的探究心に富んだ小学生が黒板に描いたチョーク画ほども人の心を動かすことはできないだろう。

 進歩や開発こそが正しい道と信じている愚かな奴らの洗脳はいつ解けるのだろうか。



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