第10章 憎みきれないG・TOP
いよいよ最終学年になり、槙村弘美率いる新生徒会執行部は権威主義体制をより強固なものにしてゆく一方、体育祭のリレーでは、弘美はクラスが離れたマリリン、カトリーヌを相手に孤独なレースに臨むことになる。
平成二十四年四月二十七日に開かれた新執行部第二回生徒総会では次のような議案が決議された。
一・月ごとの礼拝で行っていた目的も使用経過も不明瞭な喜捨を廃止し、生徒による自主的な募金活動も全て「リトル・ピーセス」の管理下に一本化すること。
二・真の文武両道を目指すため、その本質がスポーツ推薦入学者の救済処置と化している再試制を撤廃すること。
三・教養レベルが低くアカデミックな会話が成立しないただネイティブというだけのALTは採用しないこと。尚、採用担当者はこれまでのような白人のクリスチャンに偏らず、宗教的・人種的枠を撤廃した幅広い人選を行うこと。
四・いじめが原因と思われる退学・転学・不登校等が発生し、加害者名が特定された場合はその人数にかかわらず全員の氏名を公表したうえで、全生徒参加による緊急弾劾裁判を開き、停学あるいは推薦入試出願資格の剥奪といった何らかのペナルティを課すこと。
五・生徒に対する不適切行為が複数件立証された体育教諭S(三十三歳)を即刻懲戒免職処分にすること。
自分たちの意思で提出しておきながら、よくぞここまで学校運営に干渉した議案が通ったものだといまさらながら感心してしまう。ひとえに生徒会の広報活動を通じて生徒全体の意思統一が徹底されたことの証と言っていいだろう。最終的な承認は学園の理事会に委ねられているとはいえ、いずれも生徒総会の得票率九十パーセントを超える議案を説得力に欠ける詭弁だけで葬り去ることは難しい。
ある意味、最も無茶ぶりと思われたのが、金銭が絡む一番目の議案である。
私はこれを通すために、あえて「リトル・ピーセス」代表の座を篠崎に譲り、相談役に退いた。巷にも名の知れた組織代表の座を手に入れ、さらに経歴に箔が付いた篠崎としては組織拡大のためなら労苦を惜しまないだろうという私の読み通り、PTAの有力役員を通じて理事会に圧力をかけ、この議案を通過させた。
やはり海南銀行の力は大きい。過去にも西夏女学院の増築・改装などの際に融資を行い、職員給与の振込みまで扱っている御用達銀行なのだ。しかも「リトル・ピーセス」の口座も同行にあるため、活動収益から寄付金まで海南が責任を持って引き受けると言われれば、理事長も異を唱えることは出来なかっただろう。
また、才女のブランドパワーをさらに引き上げるために、不良分子の処分にも着手した。
アベノミクス以降、所得格差がますます広がり、公立高校への進学傾向が顕在化しつつある今日、名門西夏女学院といえども、過去の栄光に胡坐をかいていては地盤沈下を招くだけである。高卒の肩書き欲しさだけで学校に通い、睡眠学習に慈しむような非生産的な生徒はわが校にとって寄生虫に等しい。相互互助のための隠蔽体質にどっぷり浸かった日和見教師にしかりだ。
急進的な現生徒会のやり方に対して、「単なる粛清」だとか「極右化」だとか陰口を叩く教師がいることは私たちも十分に承知しているし、だからといって方針を転換する気などさらさらない。
むしろこの生徒総会以降は、改革の最中にある才女の状況を明治維新に例え、自分たち一人ひとりが維新の志士であるかのようなヒロイズムに酔いしれる生徒が激増している。
学校主導型で閉鎖的なムラ社会のような才女は、外観こそきらびやかな宮殿だが、内部は劣化が進み空気の澱んだ魔窟そのものだった。そこに潜むのは守銭奴の理事長に、うなずきトリオの管理職、安永のようなKGBまがいの女看守といった、時代に取り残されたゾンビのような連中だった。
彼らに飼いならされた生徒たちは、家畜であるにもかかわらず、日々ビールをおごられ丁寧なブラッシングを受け、大切に育てられた挙句に屠殺場に送られてゆくブランド和牛と大して変わらない。
個人の資質などほとんど考慮されないまま、学校の知名度を上げ、職員のプライドを満足させるためだけの偏向的洗脳教育を施された生徒たちは、一部を除けば資本主義社会を円滑に機能させる歯車の一つとして出荷されてゆくのだ。無気力な教師たちの中には、その歯車さえ削り出しという手間を省いて鋳抜きで作る者がいるため、しばしば精度の低い不適格な製品が生まれてしまう。
全てが教師の責任とは言わない。自己の利益を追求する時は周囲のことなどおかまいなしというくらい視野が狭いくせに、自身が追い込まれた時は魚眼レンズのように視野が急拡大し、同情者を探し求める視覚障害の保護者と生徒。自らは安全な場所で胡坐をかきながら、最前線で戦う教師には特攻や玉砕を煽り立てる無責任な大本営そのものの教育委員会。
国際化・情報化社会の到来によって様々な価値観が錯綜し、社会の統制が揺らぎ始めた今の日本は鎖国体制という名の堤防が決壊し、人々が時代の荒波の中に放り込まれた幕末のようだ。そして大きな時代の変革期こそ、貴賎に関係なく目ざとい者だけが成り上がる絶好の機会でもある。
では私は吉田松陰になれるだろうか。西夏女学院生徒会という現代の松下村塾を基点に社会を変えられるのだろうか。
私はそんな思いを生徒たちに伝えるために三月から定期的に勉強会を開いている。
アジトは赤坂三丁目のけやき通り沿いにある築三十年の2LDKマンションで、ここは生徒会執行部の後輩、一万田弥生の父の好意で無料賃貸させていただいている。
二十四畳のリビング・ダイニングは二十名程度の座談会ならなんとか耐えうるため、定期的に篠崎のジイさまから紹介された地元の名士を招いてフリートーク形式の議論を楽しんでいる。時に大手企業の重役クラスと派手な意見の応酬をやらかすことはあっても、ファシリテーター役の私が最終的には妥協案に導くという弁証法的なスタイルを徹底しているため、後腐れもなく、むしろ互いに啓発されることが多い有意義な集いとなっている。
当初は声掛けしても五~六人の参加者だったのが、三ヶ月足らずの間に予約待ちするまでに膨れ上がったのは、学校という狭い檻の中で飼いならされ外界を知らない愛玩動物(一部の教師のことだ)がキャンキャン吼えても、誰も大して気に懸けないが、アスファルトジャングルの中でたくましく生きる野性動物の咆哮はズシリと心に響くからだ。
こういう集いの機会が設けられたのは私の熱心な信者である後輩、一万田弥生のおかげである。彼女が不動産業を営む父親を説得して、空き物件を融通してもらったのだ。築年数が古いとはいえ、リノべーションを終えたばかりの立地条件抜群の物件がダブついているのは、リーマンショックの直後に元のオーナー一家がガス心中を図ったからだ。
このニュースは地元でも結構話題になったため、気味悪がった上下両隣の住民まで引っ越してしまい、一等地の高級マンションの中でもこの一角だけは孤立状態にある。少々議論で熱くなったり、時にミラーボールを回してクラブダンスでストレス発散出来るのも、周囲の住民の存在を気にしなくてすむからで、信心深くない私たちは十分に満足している。もっとも、入居前に不二子によるお祓いは済ませているが。
平成二十四年五月二十六日土曜日、学園生活最後の体育祭の日だ。
三学年になってからは文系、理系のコース分けが行われるため、私が私立文系の一組、マリリンと不二子が国立理系の三組、カトリーヌが私立理系の四組とバラバラになってしまった。そして恒例のクラス対抗リレーも私、マリリン、カトリーヌの昨年度優勝メンバーが袂を分かつことになり、かえってそのことが前評判を煽った。
ちなみに昨年のメンバーの一人豊島茜は国立文系の二組第三走者として出場していたが、幸せ太りで一五八センチ六十五キロにまで肥満し、見る影もなく予選で消えていった。元は豊島をその気にさせるためにハニートラップとして使ったマリリンのイケ面の友達は、底なし沼のような豊島の性欲に生気を吸い取られてしまい、今では無気力な男妾と化しているようだ。おかげで、マリリンはオールナイトでデートという約束を果たさなくて済んだ。
豊島のことはさておき、下馬評通り三年一組、三組、四組は無事予選を通過した。この中で一番有利と言われているのが、私の他に陸上部が三名揃った一組なのだが、故障をおして出場した第一走者の宮城が予選でさらに患部を悪化させてしまい、決勝を走れなくなってしまった。もちろん補欠は用意していたが、自分の出番はないと思っていたのだろう。油断して前日にたらふく食べたレバ刺にあたり、本日はトイレの囚人となっている。
慌てて代走を探してみたものの、タイム的にはかなり落ちるし、パスの練習もしていないため、足を引っ張られるのは目に見えている。おまけに私は健康上の理由で、ドーピングを封印しているので、ハンディをカバー出来るほどの余力はない。もしトップでバトンを受け取ることが出来なければ、カトリーヌやマリリンを抜き返すのは至難の業だろう。
気休めに実家から取り寄せたハブ粉と朝鮮人参の粉末を、一本四千円近くするユンケルスターで流し込んでみたものの、どうも不安だ。談合と勘繰られるのを恐れて昼ごはんもマリリンたちと離れて食べたせいもあるのかもしれない。仲間がいないと、こうもナーバスになってしまうものだろうか。
私ってこんなに寂しがり屋だったっけ。
マリリンも不二子も国理の三組だし、なんかウチのクラスって体育会系でちょっとネジが緩い連中かアニメっ子みたいなのばっかりで、どうも調子が狂ってしまう。何だかんだいって私って、負けず嫌いのくせに自分より優れた何かを持っているような子と一緒じゃないと退屈なんだよね。
抜かれるのは嫌なのに独走してしまうと面白くない。紙一重で競い合うスリルがないと人生楽しめないなんてちょっとヤバいかも。マリリンが尊敬するゲルダ・タロー(ドイツの女性報道カメラマン・スペイン内戦取材中に二十六歳で事故死)みたいになったらどうしよう。
そろそろ時間だ。負けるかもしれないなんて思っているうちに、なんだか妙に興奮してきた。
クスリがもたらすエクスタシーには程遠いけど、孤独と不安がニトログリセリンのように心臓に溶け込んで、鼓動が早くなってきたのがわかる。
マリリン・プロストもカトリーヌ・セナも覚悟しなさいよ。チェッカーフラッグはヒロミ・シューマッハがいただきよ!
一組の第一走者雨宮はさすが陸上部のピカイチだ。ここのところタイムが頭打ちで春の県大会でも準決勝で敗退しているが、他と比べたら断然速い。二位の三年三組を三メートル以上引き離して第二走者にバトンをパスした。
さらにリードを広げていよいよ問題の第三走者だ。もっと助走で加速しろよって言っても声が届かないからどうしようもない。みるみるうちに差が縮まってきた。
三年三組に追いつかれたところでようやく私にパス、と思った瞬間、手首に当たったバトンが真下に落下し、加速体勢の私はそのまま踵で後方に蹴上げてしまった。
この、下手くそ、お前なんか死んじまえ!
脳味噌核分裂状態で振り返った私の視線と約三メートル後方でパスを待っているカトリーヌの視線がコンマ一秒だけ絡み合った。黒豹がウインクしたように見えた。
加速を始めたばかりのカトリーヌが、目の前に弾んできた一組のバトンを軽くつま先でキックすると、それは見事なループシュートとなって私の頭上を越えていった。
前方にダイブするように飛び出した私は、地上すれすれでバトンをキャッチするや、五メートルほど前方を走るマリリンをロックオンし、その揺れる巨尻を猛然と追尾し始めた。
地上に落ちたバトンは走者以外の生徒が拾って渡すと失格になるが、偶然他のランナーに当たった場合は、それが踏みつけられようがコース外に転がってゆこうが全ては不可抗力と見なされる。
カトリーヌは明らかに私にパスするために蹴ったのだ。ただし、それを目撃していた者には、偶然足に当たったようにしか見えないはずだ。サント・ドミンゴのハイスクールでは女子サッカーチームのミッドフィルダーとして活躍し、U20の強化選手にも選ばれたこともあるカトリーヌが、ボレーシュートの名手であることは私しか知らないのだ。
最後の二十メートルでようやくマリリンに並んだ。しかし、ここからがしぶとい。脚が長いぶん後半加速するタイプのマリリンを抜けそうで抜けない。
もうテープは目の前だ。六メートル、四メートル、二メートル・・ここで走り幅跳びのようにジャンプした私の視界の片隅を褐色の砲弾が通過していった。
一瞬速くゴールに飛び込んだのはカトリーヌだった。
ゴールを駆け抜けたカトリーヌはその勢いのまま余裕のバック宙をしてみせると、バトンを天高く放り上げ、一目散に私とマリリンに駆け寄ってきた。
私も負けた悔しさよりも、しばらく逢っていなかった恋人に再会したような懐かしさが先に込み上げてきて、反射的にカトリーヌに抱きついたが、三人が抱き合う瞬間、カトリーヌが私たち二人に身体を預けようと両手両足を広げてジャンプしたため、タイミング悪く彼女の脛が私の恥骨を痛打した。
「あぅ・・」
激痛と歓喜が入り混じって思わず私の目から涙がこぼれると、カトリーヌもマリリンも感極まって三人で泣きじゃくった。
後で写真部に見せてもらったら、実にいい絵なんだよなーこれが。
スタンドにいる生徒たちまでもらい泣きしてしまって観客席は大興奮。
下腹部の疼痛に身をよじらせながらも「私たちってやっぱり学園のヒロインなんだわ」なんて悦に入っていると、歓声がざわめきに変わり、やがて悲鳴に変わった。
ただならぬ気配に内野スタンドの方に近づいてみると、通路に人だかりができ、みんな携帯でパチパチやっている。やがて人ごみをかき分けるようにやってきた若手の男性教師たちが、そこに倒れていたとおぼしき女性を担架に担ぎ上げると、それは他ならぬ「元女帝」安永の姿だった。
この女、ポチとズブズブの関係になってからというもの、さらに盛りがついて化粧も服装も派手さに
拍車がかかり、この日も真紅のワンピースに同色のハイヒールというイメルダ・マルコス顔負けの派手ないでたちで強烈な毒気を放っていた。
目撃談によると、カトリーヌが放り投げたバトンがスタンド中段に向かって落下してゆくと、ホームランボールをキャッチしようとする観客のように、それを目がけて付近にいた生徒たちが殺到し、ちょうど通路に突っ立ってコンパクトで化粧直しをしていた安永を押し倒したのだそうだ。
生徒集団に背後からぶつかられた安永は、階段を踏み外し、咄嗟に体勢を立て直そうとするも、場にそぐわないハイヒールがあだとなって、一旦着地した段で足首を捻り、一気に階段を転がり落ちてしまった。それはもう池田屋の階段落ちのように、見事な落ちっぷりだったらしい。
後輩から見せてもらった携帯写真に写っていたのは、スカートがめくれあがったまま最下段でうつ伏せになった射殺死体のような安永の姿だった。たるんだ尻の肉に食い込んだ深紫のTバックがのたうつ大ミミズのようにグロテスクで、それを至近距離で目にした数名の生徒が嘔吐したと聞く。
両手首と左足首、腰椎を骨折した安永は全治四ヶ月の重傷で、少なくとも教壇に立てるまでには半年かそれ以上要するそうだから、もう私たちは安永の姿を見ることはないのかもしれない。
憎たらしい女だったが、五十路を過ぎてなお必死で自分の息子くらいの年齢のポチの気を引こうとする往生際の悪さが、今になってみると妙に切なく感じてしまう。
まあ、三度も結婚しているくらいだから、ゼノビア・クラブの「行けず後家」連中と比べれば、ずっともてていたはずだ。そんな恋多き女にもいつかは人生の曲がり角がやってきて、周囲にいたイイ男たちは一人二人と去ってゆき、気が付いてみると一人ぼっち。鏡に映る自分の姿も、もう化粧ではごまかせなくなっている。
不老不死の不二子はさておき、私やマリリンやカトリーヌにもやがてそんな日がやってくる。
その時、一時しのぎに美容整形でもして若さに執着するのか、腹をくくってみんなから愛されるオモロイおばちゃんにでも成りきるのか。
私だったら女に徹するかもしれないな。そうなったら、若さがうらやましくて、気に障って、最後は憎たらしくなるんだろうな。安永のように。
そうなったら、何を目標に生きていったらいいんだろう。夫や子供、孫たちに囲まれていればまだしも、安永のように天涯孤独だったら・・
やっぱり、騙されてもいいから男に走るか。
今はそれしか思い浮かばない私って、本当はおバカなのかも。
とりあえず安永にはお見舞いにアンラッキーカラーの赤いバラの花束でも送っておこう。
同じ表彰台でも三位となると見える光景が違う。
私の上の檀に昨年は一緒に並んでいたカトリーヌが立っているのがどうにも癪に障る。だが、もっと苛立つのは、私の方を横目で見ながら自分の巨乳を指さして投げキッスを飛ばしてきたマリリンのやつだ。
私とマリリンはほぼ同着だったが、ビデオ判定の結果、二着はマリリンで私は三着だった。デジタル画像を見せてもらうと、ゴールインした時の二人の身体はほとんど重なっているにもかかわらず、マリリンの揺れるGカップのトップが数センチだけ私の前に出ていたのだ。
バストサイズの差が勝負の分かれ目なんて、むごすぎる。
カトリーヌには例のループシュートでアシストしてもらった借りがあるからまだしも、ガチンコ対決で、自分の得意な短距離でマリリンの後塵を許すとは・・・
七月のクラスマッチではきっちりお返ししてやるからねマリリン。
「豊前のサオリン」と呼ばれた私の無回転サーブで、きりきり舞いさせて御覧にいれるわ。