第3話 薄暗く湿った通路には
ダンジョンの空気は、外とはまったく違っていた。
冷たく、湿っていて、土と苔と、金属が錆びたようなにおいが鼻をつく。
「……うわ、マジで別世界だな、これ……」
リクが、手にした懐中電灯をつける。光の筋が闇を割き、苔むした石壁が浮かび上がった。
秋人と蓮も、それぞれスマホのライトをオンにして、進む足元を照らす。
「スマホの充電、大丈夫かな……」
「モバイルバッテリー持ってきてる。多分1時間くらいは大丈夫だ。」
「さっすが秋人、用意いいなあ……」
慎重に歩を進めながらも、3人の心の奥には、不安だけじゃなく──確かな興奮があった。
現実じゃありえない扉。中に広がる異空間。そして、いま自分たちがそこを歩いているという事実。
「マジで……夢じゃねぇのか、これ」
蓮のつぶやきが、石の天井に反響して戻ってくる。
「でも、夢にしては細かすぎるよ。空気のにおいとか、足音とか……リアルすぎる」
秋人が低く答えると、リクも小さくうなずいた。
「俺……ちょっと怖いけど、ワクワクしてる……」
そのときだった。
──ぐちゃ、くちゃ……ぐちゅ、くちゅ……
何かを噛み砕くような、不快な音が奥から聞こえた。
「……なあ、今の……聞こえた?」
秋人が立ち止まる。リクも蓮も、息を潜めた。
再び──くちゃ、くちゃ……べちょっ。
「いる。何かいるな……」
蓮が、ハンマーを持ち直しながら前をにらむ。
秋人がライトの光をゆっくりと奥に向ける。リクも、音の方へ懐中電灯を動かしていく。
そして、曲がり角の先──光が何かに当たった。
「──うっ……!」
石の床にうずくまるようにしゃがみこんでいた、緑がかった灰色の肌。
体長は中学生の秋人たちの半分ほどのサイズで、最初は子どもかと思った。
だが、バランスの悪い長い手足、ゴツゴツとした背中、そして頭部はまるで腐ったカエルを人型にしたような異形だった。
その顔は、潰れかけたトマトのように凹凸が歪み、左右非対称の小さな赤黒い目が光に反射してギラリと光る。
口元には黒ずんだ何かがついていて──何かをむさぼり食っている最中だった。
「な、なにあれ……」
リクの手が震えている。秋人も冷たい汗が背筋をつたった。
ゴブリン──そう呼ぶしかないその存在が、光に気づいて、ピタッと動きを止めた。
そして次の瞬間、目が合う。
赤黒い目が、3人の姿を認識した。
──ギャァアアアアアアッッ!!!
その口から放たれたのは、耳をつんざくような金切り声だった。
何を叫んでいるのかはわからない。けれどそれは、明らかに──敵意の声だった。
「やべえええええ!!!」
「逃げろ!!!」
3人は一斉に反転して駆け出した。石の床を靴が打ち鳴らし、ライトの光が揺れ、息が上がる。
「なんなんだよ今の!?マジでいたじゃんモンスター!!」
「何食ってたんだよ、あれ!!見たくなかった!!!」
「前、ちゃんと見ろバカ!!ぶつかる!!」
パニックの中、ようやく入り口の扉が見えてきた。秋人が先に飛び込む。リクと蓮もすぐに続く。
3人がダンジョンから飛び出し、金属扉が自動的にスライドして閉まる。
中からの音は、まるでなかったかのように消えた。
息を切らせ、しばらくその場で座り込む。秋人は額の汗をぬぐいながら、リクを見る。
「……見たな。」
「見たよ……見ちゃったよ……」
「どう見ても、あれ……」
「……ゴブリンだったな。」
蓮がボソリと言い、3人はしばし沈黙した。
そのあと──
「ちょっ、怖すぎんだろマジで!!映画とかの比じゃねえって!!」
「うわーっ、絶対トラウマになる!!けど、すっごいリアルだった!!なんで!?夢じゃないよな!?」
「ってかさ、あれ、襲いかかってこなかったのはラッキーだっただけで、もうちょい近かったらやばかったよね!?」
「てか、あいつ何食ってたんだよ!? あれ人だったらどうする!?」
「やめろやめろ!!マジやめろ!!!!!」
叫んで、笑って、震えて、悩んで、でも──3人の目はどこか、輝いていた。
見つけてしまった。
この世界の裏側に、確かに存在する“なにか”を。
そして、それはもう──彼らの日常を元に戻さない何かの始まりだった。