11話 覚醒
それは、帰り道だった。
探索を終え、ダンジョン奥の部屋から戻る途中。
あと数分で出入口の扉へと辿り着く。
最後から二つ前の分かれ道を曲がった先で、それは突然現れた。
「……気配が違う」
秋人が立ち止まり、ライトを通路の奥へ向ける。
揺れるたいまつの明かりの中、巨大な影がゆっくりと動いていた。
思わず顔を背けたくなる獣臭が、湿った空気と共にあたりに漂い始めた。
「……でけぇ……っ」
蓮が唾をのんだ。
全長は中学生の倍以上。だが単なる体格の差ではない。
濁った緑色の肌、異常に発達した筋肉、そして醜いゴブリンのような顔。
その腕には、黒く汚れた巨大な棍棒。
「……これ、ゴブリンの“上位種”か……?」
秋人の脳裏に、あの部屋で拾った紙切れの一文がよぎる。
『赤き瓶 力ヲ 呼ビ覚マス 代償ヲ伴フベシ』
(……まさか、こいつも──)
疑念を抱いた瞬間、敵が吠えた。
「グオオオオオッ!!」
咆哮とともに、巨体が突進してくる。
棍棒を構え、床を砕きながら一直線に。
「来やがった……っ!!」
蓮がバットを握り、真正面から立ち向かう。
「おい、蓮!!下がれ!」
秋人の声も届かない。
蓮は棍棒に真正面からバットを構え──
ドガァッ!!!
衝撃音とともに、蓮の体が壁に激突し、床に崩れ落ちた。
「──ッ、蓮ッ!!」
口元から血を流し、意識はない。
秋人はナタを抜き、駆け出す。
「やらせるか……!」
右手に持ったバールで棍棒を払う──が、重い。
まるで木の幹をそのまま殴ったような手応えが秋人を襲う。
苦し紛れに左手のナタで腕を切り付けるが、ナタは薄皮を割くだけに止まり、ダメージは入っていないようだ。
「ッ──ぐっ!」
返された棍棒の一撃が、秋人の脇腹を打ち抜いた。
石壁に叩きつけられ、地面に崩れ落ちる。
視界が揺れ、息が詰まり、立ち上がれない。
「秋人ッ!!」
リクの声が遠くで震えている。
恐怖に凍ったように、リクはその場を動けずにいた。
「……くそっ……動け……!」
秋人の手がリュックをまさぐる。触れたのは2本のガラス瓶──
赤と、青。
(……力ヲ 呼ビ覚マス──代償ヲ伴フベシ)
紙切れに書かれた文字が、頭の中に再生される。
(それでも……リクがやられるわけには……!)
秋人は迷いなく、赤のポーションを開けた。
とろりとした液体が喉を滑り落ちる。
──ドクンッ。
心臓が跳ねる。熱が全身を焼き、視界が白く染まった。
(これが、“力”──)
秋人は、壁を背に辛うじて立ち上がった。
全身はズキズキと痛み、呼吸は苦しい。
赤い液体が通った喉は焼けるような痛みを訴えている。
その痛みは全身に広がり、やがて頭部へと集約された。
秋人は、直感的に、両腕を前に伸ばす。
頭部の熱が、伸ばした腕を伝わり、体外へと放出された。
バール、ナタ、落ちていた蓮のバット、そしてリクの持っている杭までもが、まるで意思を持つように浮かび上がる。
「……いける……!」
秋人が手を振ると、4本の武器が一斉に飛び出す。
まずは杭が、膝裏から地面へと突き刺さり、敵の動きを止める。
下から這うように振り上げられたバットが棍棒を持つ手首を強く打ち据え、敵はたまらず棍棒を落とした。
空いている膝をバールが砕き、ナタが両目を一文字に切り裂いた。
敵が悲鳴を上げ、両腕で顔を覆う。
「今だ……!」
秋人は敵が落とした棍棒に意識を集中させる。
空中に浮かせ振り回すには重すぎる。──ならば、ただ“落とす”だけ。
目一杯の力を込め、ダンジョンの天井付近まで棍棒
を引き上げる。
重力に加え、ありったけの力で、引き上げた棍棒を、怪物の頭上へと真っ直ぐ落とす。
ドガアァッ!!!
地鳴りのような轟音とともに、とてつもない速度で落ちてきた棍棒が敵の頭を砕いた。
肉と骨が潰れる鈍音。
頭部の潰れた巨体は、その場に崩れ落ち、動かなくなった。
静寂が訪れる。
リクがその場にへたり込み、涙混じりの声で叫ぶ。
「……秋人……!」
秋人は慎重に敵に近づき、死んだことを確認した後、急いで蓮の元へ駆け寄った。
「蓮……!頼む、目を覚ましてくれ……!」
呼吸はある。だが、顔色は悪い。
秋人は青いポーションを取り出した。
「それ、飲ますの?」
リクが不安そうに様子を見ている。
「恐らく回復薬だと思う…。このまま何もしないよりは、この液体に賭けてみよう」
秋人は慎重に蓮の口元へ流し込んだ。
一口分、液体を入れ様子を見る。
毒のような苦しさは感じない。
むしろ、少し呼吸が落ち着いたようだった。
秋人は、そこからさらに液体を流し込む。
全体の2/3ほどを流し込んだ。
数秒後──
「……ん……ぅ……あ……?」
蓮のまぶたが、ゆっくりと開く。
「蓮……!」
「っ……いてぇ……けど……生きてる……?」
リクが泣き笑いで声を上げる。
「うん。助かったんだよ、蓮。秋人が……やったんだ」
「……秋人……マジか、すげぇな……あんな化け物どうやって……」
蓮がかすかに笑う。
秋人は静かにうなずいた。
「……まだ分からないことばかりだけど、赤い液体を飲んだら全身が熱くなって、気づいたら無我夢中で武器を操ってた。自分でもわけがわからないけど、超能力的な…」
「秋人はすごかったよ!俺の杭も飛んでいって敵の膝に刺さったんだ!…でも、でも、2人とも生きでてよかっだ…」
興奮して話はじめたリクだったがら話の途中で泣き出してしまった。
蓮と秋人がやられてしまって、とてつもない恐怖がリクを襲った。
その恐怖から解放され、感情が溢れてしまった。
そんなリクを宥めながら秋人は考えていた。
自分の手に入れた力のこと、その代償のこと。
そして、このダンジョンがどういうものなのかを。
これからのことについて、3人でもっと話し合う必要がある。
そう思いながら、今はただ生き延びた安堵感を噛み締めていた。




