88.TS飛行士は空を飛ぶ
宇宙飛行するには、いくつかの要素が求められる。
ひとつ、肉体的耐久力。これはクリアだ。軍人だからね。
ふたつ、精神的耐久力。これもクリアだ。捕虜になって自力で生還したんだよ?
みっつ、いくつかの科学(航空力学や物理学、工学)の知識。クリア。航空学校の第1期生は、みんな叩き込まれている。
オールクリア。さらに知名度と実績も鑑みて、初の有人宇宙飛行のパイロットに選ばれたのは――私だった。
前にも伝えられたように、世界中でロケットの開発競争が加熱したところで有人宇宙飛行の話も出てきたけど、そこで一旦冷静になった。さすがに、犠牲を出すのはまずいからね。
ということで、人類初の有人宇宙飛行は、評議会共和国と合衆国が主体となった国連主導のプロジェクトという形に落ち着いた。その後は好きにやっていいけど、ここはみんなでやっとこうよ、というやつだ。
終戦からぴったり4年後の1897年4月12日、人類初の有人宇宙飛行はその日に決まった。私は23歳。ちなみにアンナさんは29歳。魔法使いだからか、全然見た目は若いままだった。ちょっと小言は多くなっている。
そういえば、ミラーナさんもそれなりに歳を重ねているのに、初めて会った時からほとんど変わっていない。あれはサキュバスっていう種族の何かなんだろうか?
リーリヤ少将は涼し気な笑みが似合うクールな美人に変わっている。性格は変わってないけど。
私は化粧が上手くなったくらい。軍でやるのは良いの? となるかもしれないけど、ほら、私ってエースだからさ。ちょっとくらいなら許される。
教え子たちにはたまに羨ましがられる。戦争で頑張った特権ですからね。
そして、初の有人宇宙飛行を行う宇宙基地は、あの懐かしい東部の都市――パヴェルフスクから更に南へ行ったところの草原地帯のど真ん中、その辺りに新設された。
交通の便は最悪だけど、今日は世界中から人が押し寄せていた。タクシーとバスは党直々の指令が出されて国中から集められて、あらゆる人々をこの基地へと送っていた。
宇宙飛行士の控室。――とは名ばかりで、何週間か前から滞在しているから私の部屋だ。
そこに私と共にいるのはアンナさん。婚約者だから連れてきた。『白聖女』のネームバリューは鰻登り中なので、だいたいの無理を聞き入れてくれる。
「結婚式は……宇宙から帰ってきてからやりましょうか」
結婚はまだしていなくて、結婚式も同じく。
プロポーズしたのもついこの間だしね! その辺りはまだ調整中だ。
「リョーヴァとミールも、元帥もシャルロットさんも、リーリヤ少将にミラーナさん、ノーラに、お母さんにミハイルさん、もちろん教え子たちも! みんなみんな呼んで盛大にやりましょう!」
結婚式を久しぶりの再会の場にしてやろうという、ちょっとした野望がある。私とほんの少しでも繋がりがあったら招待するつもりだ。
そう、例えば、囚われの身から逃れてきた時に元帥のところへ届けてくれたあの歩兵の人とかも。全員呼んでやる!
「初めて地球から出た英雄なら、国連の言うこと破っても許されますよねたぶん。リヒトホーフェン卿とエリカとハンナさんも招待しましょう!」
ついでに――たぶん、めちゃくちゃ怒られるけど、そのくらいもしよう。
……ハンナさんは……落ち着いてきたってエリカから聞いたから……大丈夫だとは思う。
「新婚旅行は夜見に行きましょう! それなりに詳しいので案内は私に任せてください――」
ハネムーンはもちろん夜見だ!
地理はだいたい前世と一緒だから、地元に行ってみるのも良いかもしれない。そうじゃなくても、首都と富士山……っぽい山も見に行きたい。
もっともっと語ろうとしたら、アンナさんに制止させられた。
「リーナ。緊張しているんですか?」
私がはしゃいでどうにか忘れようとしていたことを、アンナさんは何の遠慮もなく指摘してきた。
「……当然です。だって、ミスは許されませんから。外は真空ですし、もしかしたら大気圏の再突入でロケットが燃え尽きるかもしれない。無事に宇宙空間へ行っても、放射線は防ぎきれないかもしれない」
懸念は無数にあった。
完璧と絶対は存在しない。宇宙空間なら尚更だ。大気圏の中なら、パラシュートさえあれば機体が壊れてもどうにかなるかもしれない。だけど、宇宙空間で機体が壊れたら……絶対に死ぬ。
それに、打ち上げもそうだ。爆発する可能性だってある。当然、安全と信頼は最優先に設計されているけれど……。
消沈して座り込んだ私を、アンナさんが撫でてくれた。
……落ち着く。何度されても、心が安らぐ。
「あう……」
「大丈夫ですよ。評議会共和国と合衆国、それに世界中の人々は、あなたのために全力を尽くしてくれています」
その通り。
世界中の人たちが協力して、たった一人の私という人間を宇宙へ送り込むために日夜尽力してくれた。
今日行われるのはその集大成だ。
「それに――」
そう言って、アンナさんは私の顎を持って、目線を合わせた。
「リーナのその目。恐怖だけではないのは、誰にでもわかりますよ。楽しみで落ち着かないんでしょう?」
「……えへ。バレちゃいましたか」
……私は、今、すごく興奮していた。
宇宙だよ!
宇宙なんだ! あの、遥かな空――いくら手を伸ばしても届かない場所、星々が煌めく漆黒の無限!
そこに手が届くのだ! 興奮しないわけがない!
「そうですね。ずっと、ワクワクが止まらないんです。重力の枷から解き放たれて、天上の太陽と月にさらに近付いて、無限の空を実際に目の当たりにできる」
大きく手を広げた。
広い宇宙を表現するように。
「夢が叶う――最高の瞬間は、すぐそこなんですっ! うう~……落ち着かない……!」
早くロケットに乗りたい――!
再び立ち上がって、部屋をぐるぐる回り始めた。
格好良く座って静かに待っていられれば良かったんだけど、私には無理だ。
◇
そうして、カウントダウンが始まる。
無線は繋がっているけれど、上昇が始まったら使えないと想定されている。
今だけだ。カウントダウンが聞こえる。
10、9……5、4。
「3」
合わせて声を出した。
目を瞑って、祈る。
聖女カタリナ、今日も幸運をお願い。
「2」
深呼吸。
大丈夫、できる。
私は『白聖女』……いや違うな。
私は、私を信じてくれたみんなを信じている。だからできる!
「……1!」
さあ行こう!
久しぶりの強い負荷だ……! だけど、この程度空戦と比べたらなんてことない!
手元の機器を動かして、やるべきことを始めた。
「録音開始……。計器良好、たぶんマイクも良好」
録音機器のスイッチを入れて、ヘルメットに搭載されているマイクの電源を入れた。
そのついでに様々な計器類もチェックする。残念ながら、チェックリストは置いていない。頭の中に叩き込んだ情報を引きずり出して確認を行う。
問題無さそうだ。
次に、無線を聞いてみた。……だけど、ちょっとだけ声が聞こえるものの、砂嵐。
「無線は……ノイズまみれだな。振動も激しい。落ち着けばどうにかなるかもしれないけど、上昇中は使えなさそうだね」
それじゃあ、語りかけるのは未来の人たちにしよう。今を生きる人たちには、視界で楽しんでもらう。
「やあ、録音を聞く未来のみなさん。私はエカチェリーナ・ヴォルシノワ・カレーニナ。そう、『白聖女』」
上昇中にやることは特にない。制御はすべて初歩的なコンピュータが行ってくれる。
宇宙飛行士がやることと言えば、不安に耐えることと、信じるものに祈ることだ。
今回は、録音という仕事があるからそれはしない。そもそも、地上で済ませたしね。
「今のところ、宇宙船『インターナショナル』は快適な乗り心地を提供しているよ」
この言葉を聞いた後世の人はどう思うだろうか?
背後で聞こえる爆音も一緒に録音されているだろうから、信じないかもしれない。まあ、その通りなんだけど。めちゃくちゃ揺れるし。
でも案外快適だ。
「私は世界で初の有人宇宙飛行のミッションに任命された。歴史に残るだろうから、ふざけた事は言わないで真面目な録音に努めるとする」
……なるべくね!
一人でやるわけだから、ちょっとふざけるくらいは許して欲しい。そうしないと喋ることなんてなくなってしまう。
「相変わらず振動は酷いけれど、宇宙船の中は大丈夫そうだ。安心安全の国連製だよ」
上昇の負荷にも慣れてきたので、少しだけ身体を動かして窓の方へと近付く。
「外は……おお、流石に速い。もうすぐ雲の上に行きそうだよ。近くの街が豆粒くらいの大きさだ! こんな高空に昇るのは戦争の時以来だね」
地上からは随分と離れていた。
航空学校の訓練だとこんなに高く飛ばない。平時でこんなに高く飛ぶのはリョーヴァとかのテストパイロットくらいだろう。
私にとっては久しぶりの高さだった。やっぱり、高い場所は気持ち良い。
「雲を超えた……地平線が丸い。空が暗くなってきている。人類の限界高度を更新中!」
地上を見ると、衛星写真を見るような気分になってくる。
だが、写真じゃない――実物だ! モニター越しではなく、私の視界は本当に大陸を捉えている。
大陸の端から真ん中まで、指を動かした。カモメの気分を味わえる。こんなに高い場所から見なくても目的地に向かえる渡り鳥っていうのは凄いね。
「すごい……重力が、無くなってきてる。予定の軌道上にもうすぐ着くみたいだ」
宇宙船の加速が収まり、軌道上へと向かうことで、徐々に身体の重さが無くなっていく。
ジェットコースターのあの浮遊感が強くなっていく感じだ。少し気持ち悪いけれど、楽しさが勝っている。
機器をチェック。酸素問題なし、気圧問題なし、放射線問題なし。
オールグリーン。邪魔くさいこの宇宙服とヘルメットを外したくなるけれど、それは無謀だ。どこかに穴が空いていたら死んでしまう。
そうして……ついに。
目的の場所へと辿り着いた。
浮遊感。それよりも――
「青い……」
惑星。
丸い。
大きい。
大陸が、海が、全てが見える。
地平線と水平線が一周している。
「きれい……」
雲が流れている。東の海には大きな雲の塊が出来ていた。夜見の辺りは、当分は雨が続くのだろう。
まるで神になったような気分だった。
全てが見える。世界の、全てが。
「私の婚約者の瞳みたいだ……凄いよ……」
感情が溢れてくる。
筆舌に尽くし難いとはまさにこのことなのだろう。
青い惑星の向こうでは、漆黒が広がっている。
その中に、星々が煌めいていた。それはまるで後光のようで、私たちの惑星が祝福されているかのようにも見える。
神はいなかった――本当に? あまりにも恵まれているよ、地球は。
「さて、諸々の実験を開始するから録音はここで終わりだ! どうか着陸まで無事にテープが保ちますように……!」
このままだと地上に戻るまでずっと眺めていそうだったので、気分を切り替えた。
録音機器を切って、実験を行う。さて、信じてくれた人たちにちょっとでも恩返しができると良いけれど!
◇
無事に地上に戻ってくると、降下地点では既に多数の記者が待機していた。
まずは休ませてほしいんだけどな……まあ、しっかり対応するけどさ!
「人類初の宇宙への有人飛行……いかがでしたか?」
「そうですね、地球は――」
つい、あのセリフを言ってしまいそうになった。
だけど、それは偉人の功績を奪うような事だ。私の言葉で感動を語ろう。
「――いえ、私の心は再び奪われました。一度目は、初めて間近で飛行機を見た日。二度目は、空からこの星を眺めた今日」
あの時を思い出した。
初めて、革命記念第24飛行場――あるいはヴォルシノフ飛行場、今の名前はE・V・カレーニナ記念ヴォルシノフ飛行場――に行った時のこと。
だれが操縦していたのかはわからないけれど、ちょうど、飛行場から飛び立つタイミングだった。
空に向かう大きな機械――そして、悠然と、自由に飛んだあの飛行機。
私の心は奪われた。
同じような感動を、今日、感じた。
私の心は、再び奪われたのだ。……どうやら、空は私のことを逃がすつもりはないらしい。
「空は何処までも広く、何処までも続いていて、限界はありません。遥かな星々の彼方まで続いていて、音を超えた私たちは、いつか光すらも超えることができるのでしょう」
それが何百年先になるのかわからない。前世でも、光の速度を超えることはできなかったから。
けれど、光を超えれば、宇宙は無限のフロンティアに変わる。
アルファ・ケンタウリ、タウ・セチ、シリウス、ポラリス――星座が違うからその星々は無いかもしれないけれど、眺めることしかできない彼方の恒星にも、いつか手が届く。
「人類が火を見つけたように。作物を育て始めたように。海へ出たように。魔物を根絶したように――そして、空を飛んだように。今日この日に宇宙へと出て、私たちは、新たな一歩を踏み出しました」
私たちは、大きな一歩を踏み出した。
人類は次のステージに足を踏み入れた。宇宙という、可能と不可能、無限と有限、希望と絶望が入り交じる混沌とした世界へ。
「……なんて、美麗字句を並べても、今感じている事は単純です。私はどこまでも飛び続けたいと思いました。だって、空が好きだから――!」
ふと思い出した。
そういえば昔、元帥と話したな。私を主人公にした小説のタイトル。
人の人生は全て物語みたいなものだ。だとしたら、私の人生にタイトルを付けても良いよね。
――言うなれば。
マイクが拾わないように、くるりと斜め後ろを向いて囁いた。
「……TS飛行士は空を飛ぶ、ってね」
誰に向かって言っているのか? そんなの知らない。だけど、私の物語に一区切りつけるなら、ピッタリのタイミングだ。
私を凝視する無数のカメラの方へと再び振り向いて、大きく手を振った。
「それでは皆さん、私は忙しいのでこのあたりで。ダスヴィダーニャ!」
フラッシュ、拍手、押し寄せるマイク。
気概のあるカメラマンが制止を振り切って私の正面に立った。
仕方ない、お祭り騒ぎだから無礼講だ。
人差し指と中指を立ててVの字にして、顔の横へと持ってきた。
最後に見せるのは、ピースサイン。
これにてエカチェリーナの物語は完結です。
彼女の人生はまだまだ続きますが、残りは蛇足になりますからね。
いつも感想・評価・お気に入り等々ありがとうございました。大変な励みになりました。
今後もよろしくお願いします。
以下自分語り
元のタイトル(TS伝令兵~)と投稿日からわかるように、この作品は『TS衛生兵』が完結するショックから書き始めたものでした。元々ミリオタだったので、気持ち悪い部分が出ないようにこうしたジャンルのものを書くつもりは無かったんですが、ちょうどメインPCが壊れてゲームができなくなったタイミングというものもあり、一旦書き始めてしまったらなんだかすごい勢いで書けちゃって……。
最初のプロットはすごく雑なものでした。戦前・戦中・戦後で分けて書こうかな~くらいの気持ちで、ほぼプロット無しでした。テーマも無しでした。ですが、書いているうちにテーマが見えてきてくれたので良かったです、本当に……。
この作品を書き始めた理由には、ほかにもいくつかあります。
ロシアという国が好きです。ソ連も、その文化も。多くは語りませんが、そうあって欲しいという願いをこの作品に込めました。
自分語りはこのくらいにしておきましょう。
最後になりますが、この作品を書く原動力となった『TS衛生兵さんの成り上がり』に多大な感謝を。
また、この作品を書く際の想像力の元となったゲーム『War Thunder』と『Hearts of Iron IV』にも感謝を。
そして、今は亡きジオシティーズのwebサイトであり、私のロシアへの関心を非常に深めるきっかけとなった『洞窟修道院』にも、感謝を捧げます。
では、ダスヴィダーニャ!