85.あっという間に二年
長くなっちゃった
あっという間に二年経った。
もう、戦争以上に平和は長い。今のところ世界は平和だ。平和万歳!
私たちの時と違い、航空学校は3年制のカリキュラムが組まれるようになった。
そして、冬と夏に長期休みがある。今度の休みは夏休みだ。
なお、エリート養成機関でもあるので、今の子たちが卒業するまで新入生はやってこない。学校だけど先輩も後輩もいないのだ。
午後の座学も終わって、帰りの時間。放課後みたいなもの。
今日で前期も終わりなので、ちょっと居座ってみんなと話していた。夕日が窓から差してなんだか青春感がある。
「カレーニナ大佐はこの休みでどこかに行かれるのですか?」
「そうだね……。合衆国の友人に会ってこようかな」
彼女はレイラ。大人しく、真面目で、ちょっと毒のある子だ。結構面白い子でからかい甲斐がある。
この子に限らず、みんな(私も含めて)仲は良い。たまにぶつかることもあるけれど、それも青春だよね。
一年目は何も出来ないひよっ子だったこの子たちは、気が付けばエリートに相応しい知識と実力を兼ね備えるようになった。
レイラは特に空戦の戦術における面で才能を発揮している。試しに指揮を執らせてみると、正直なところ私以上だった。なんだか悔しい。
「合衆国にもご友人がいらっしゃるんですね! 流石です!」
「まあね。今回は会わないけど、大統領とも友達だよ。……あ、再選しなかったから前大統領か」
そして、ちょっと元気なこの子はアイーダ。今のところ飛行機の腕は他の二人よりちょっとだけ劣っているけれど、なんというか、とにかく顔が良い。航空学校に来なくても映画や演劇の役者、あるいは雑誌のモデルとしても大人気になれそうな子だった。
そんな将来有望なすごい子だけど、私のファンだった。なんでも、開戦初期に私が飛んでいるところを見たことがあって、そこからずっと追っているのだとか。それから私に会うために努力を重ねて見事に航空学校に入学したのだという。
……なんというか、すごいね。
「良いなあ。俺も外国に行ってみたいです」
「ユーリはどっか行くの?」
最後に、この子はユーリ。唯一の男子で、とにかく飛ぶのが好きなタイプだ。私と似た雰囲気を感じる。
最近は飛行機よりも宇宙関連に惹かれてしまっているようで……。この子を教える立場として、それだけがちょっとだけ心配だ。興味を持つのは良いけど、本来の学業は疎かにして欲しくない。
――なんて思うようになるくらいには、教師にも慣れてきた。小言が増えちゃうのが玉に瑕だね。
「ロケット研究所の見学に行ってきます!」
「あそこか。私も行かないとな。呼ばれてるんだけど時間がなくて行ってないや……」
宇宙にご執心のユーリくんは、どんな伝手を使ったのか夏休み中にロケット研究所(これは通称で、正式名称は第一設計局)へ見学に行くらしい。
たぶん、航空学校に出入りしている関係者に無理を言ったのだろう。……今度行くときに菓子折りでも持っていかないと。
「その後にスハーヤ博士の設計局にも寄れることになっていまして!」
「ノーラのとこにも行くんだ。よろしく伝えといてね」
「はい!」
以上が、我らが第3期生の紹介である。この子たちは戦争を経験しないで、幸せに暮らすことだろう。いや、そうさせないと。
素晴らしい未来が待っている。みんな、健やかに育って欲しい。先生の願いだった。
……アンナさんが私たちを大事に思っていた理由がよくわかる。
ともあれ、夏休みは合衆国へ行くことに決めた。
帰りに本屋に立ち寄って雑誌を買って、いい感じのホテルを見つけることも、ついでにいい部屋を予約することも出来た。『白聖女』の運の良さは健在だ。
◇
アンナさんとリビングでくつろいでいた。
先日、思いつきで買ったレコードプレーヤーが思ったよりも良いものだったので、好きな音楽を流しながら一緒にゆったりするのが我が家の流行だった。
「夏休みなんですけど……」
「はい」
ソファーに隣り合って座っていた。お風呂上がりだから、ちょっと良い香りがする。窓を開けていて、入ってくる夜風が心地よかった。
「エリカと……それと、たぶんハンナさんに会ってくる予定です」
「わかりました。留守は任せてください」
物わかりの良い人だ。グッドガール。
だけど、最近は彼女の感情がわかるようになってきた。これは、嫌でも我慢して言うことを聞く犬のようなものなのだ。たぶん、理由は、私に嫌われたくないから。
ほら、よく見ると眉尻がちょっと下がっている。いじらしくて少し心がキュンとする。……惚れてない。私とアンナさんはまだ付き合ったりしていない。かわいいと思っただけ。
「半月くらい家開けます。寂しくなったらいつでも電話してくださいね。ホテルは変えませんから」
「……今更寂しさなんて感じませんよ。毎日一緒ですから」
――やっぱり出かけるのやめようかな?
なんて馬鹿な考えが浮かんでくる。
だけど、ただの友人――あるいは同居人にそこまでする必要はない。私は今の関係が心地良いから、これ以上変えるつもりはない。
変えてしまって、「なんか違うな」。そうなるのが一番嫌だ。
「アンナさん、彼女たちになにか伝えておきましょうか?」
「いえ、大丈夫です。叔父様経由でいつでも連絡できますからね」
「一応国連が禁止してるんですけどねぇ……。私以外の前でそういうこと言わないでくださいよ」
聞こえなかったことにして、私は別のことを考えることにした。
伝えることは伝えたから、これで十分。
それから二週間くらい後、私は合衆国の西海岸に降り立っていた。
ちなみに、旅客機に乗ってきた。そう、民間航空会社はついに評議会共和国にも生まれて、早速各国との路線が繋がっているのだ!
なお、空軍の軍人は格安で乗れるけれど、普通の手段だとチケットがまだまだ高級だからあんまり普及していない。機体も輸送機を改造したやつだからお世辞にも快適とは言い難いし。
だけど、速く遠くへ行けるのは非常に魅力的だった。ちょっとずつお客さんも増えてきているらしい。
「あっつぅ……」
やって来た真夏の西海岸。
溶けそうなくらいに暑かった。乾燥しているから日陰に入ればまだ良いんだけど、そうでもしないと陽射しが痛い。
そんな地獄の灼熱の中を歩いて、教えてもらったエリカの職場へ向かっていた。タクシーは捕まえられなかった。今日は運がない。そういう日もある。
「ここのはずだけど……」
辿り着いたのは大きな扉がある建物。
そう――撮影スタジオだ。
こういうところに来るのは初めてだから、どこから入ればわからない。とりあえず、小さな扉から中に入ってみた。
撮影セットがたくさんあって、色んな人が忙しなく働いている。スクリーンの向こう側を覗いている感じがしてちょっとだけテンションが上がった。
ここでずかずか侵入していったらただの不審者だ。とりあえず、近くの人に話しかけてみよう。
「こんにちは~」
「あ、こんにちは!」
金髪と明るい笑顔が眩しい女の子に話しかけてみた。
この子も俳優さんなのかな。なんだかオーラがある。
「ごめんなさい、ちょっといいですか」
「はい?」
「エリカ、いますか?」
「エリカさん……。あ、お客さんが来るって言ってました、あなたですね! 少々お待ちを!」
溌剌な子だ。用件を伝えると、ぴゅーんと飛んでいってしまった。
少し待つと、奥からエリカがやって来た。
黒髪が艶を増していて、隈も無くなり、前に見たときのような不健康な見た目では無くなっていた。
「お久しぶりです、エリカ」
「本っ当に久しぶりね。終戦以来かしら?」
「そうですね。アンナさんから今やっていることは聞いていましたが……」
下から上までエリカを眺めた。
馬子にも衣装ってやつか。
私の視線に気が付いたエリカはしかめっ面をした。
「失礼なこと考えてるわね?」
「……まさか本当に俳優になっているとは」
「アンタは航空学校の指導官だか、担当士官? そんなのしているんだってね。良いじゃない。いつでも飛べるのは正直羨ましいわ」
エリカは夢を叶えて、ちょっと形は違うけれど、役者をやっていた。映画の俳優だ。
どうしてこうなったかは知らないけれど、本場の合衆国でそれなりに人気らしい。なかなかやる。
入口近くで話し続けるのも落ち着かない。エリカは私を奥の楽屋へと案内してくれた。
楽屋……というか、衣装と鏡やメイク道具がたくさんあるところだ。舞台裏っていうほうがしっくりくる。
その中のセットの一つの椅子に座って、エリカは話し始めた。
私も座る。ふかふかの革張りの椅子だった。最高。
「にしても、平和って案外つまらないものね」
「意外でしたか?」
「そうね。もっと、幸福とか安心とかに溢れてるものだと思ったわ」
タバコを取り出して火を付けると、エリカはゆっくりと喫んだ。
吐き出すと、明るいライトに照らされた紫煙が天井にまで昇っていく。
「なにかあったようですね」
「ええ。ずっと映画館にいる子と仲良くなってね。いろいろその子の身の上を聞かせてもらったのよ」
「もしかして、さっきの子」
「そうよ。立派な子だわ」
世界が平和になっても、戦争が終わっても、この世界がファンタジー世界でも、家庭の問題はどこも同じようだ。
ずっと家の外にいる女の子。そしてエリカの反応。なんとなく察せられる。
「なにかしてあげるんですか?」
「映画とか演技に興味がありそうだから、私の知り合いの映画監督に相談してみるつもり。ああいった子はさっさと自立したほうが楽になるでしょうし、悪いことも覚えないでしょう」
エリカの言う通りだろう。見た感じ、15、6歳の子だった。まだ早いかもしれないけれど、なに、ちょっと若いうちからいろいろやっても過ぎ去れば良い思い出になるし、得難い経験になってくれる。
それに、すぐ側には心優しく頼れる大人がいるのだ。心配はない。
「確かに。いい事しますね」
「罪滅ぼしよ」
「……そうですか。なんて名前ですか?」
その子の名前を聞くと、エリカはほんの少し微笑んで言った。
「ノーマって名前よ。綺麗なブロンドヘアが特徴的な子だから、もし映画で見たら応援してちょうだい」
「へえ。覚えときますね」
「ありがとう。……ま、つまんない平和だけど、戦争よりよっぽどマシよ。ノーマみたいな子が内戦の時にいたら、真っ先に死んでるもの。今が幸せじゃなくとも、無数の未来があるだけ平和の方が何千倍もマシね」
灰皿にタバコを押し付けながら、エリカは言った。
目の前で美味しそうに吸われると私も久しぶりに吸いたくなる。エリカにタバコを貰おうと手を出すと――
「お待たせリーナ! 久しぶりね一層美しくなったかしら?」
「わっ!」
後ろから抱きつかれた――!
声でわかる感触でわかる匂いでわかる。ハンナさんだ……!
「ハンナ……なにやってるのよ……」
今日のこの集まりには、一応ハンナさんも呼んでいた。東海岸に住んでいると聞いていたから、来ないだろうと思っていたのだけれど……。
そんなことより、冷房が付いているとはいえ、真夏に抱きつかれるのは暑い。自分の汗も気になるから恥ずかしいし……。
「暑苦しいです。離れてください……!」
「嫌よぉ。アンナ様と一緒に暮らしてるんですって? 私も混ぜてもらいたいわぁ」
「あなたが想像するようなことはしてませんって……」
私が抵抗してもハンナさんは離してくれない。力も強いので、ちょっとやそっとじゃ動いてくれそうにない。
救援を求めてエリカに視線を移すと、呆れながら助け舟を出してくれた。
「ハンナ、座りなさい」
「はぁい」
「……自由になったわね」
「久しぶりの西海岸よ。開放的な雰囲気にあてられちゃったわ」
ハンナさんは前髪をかき上げながら上機嫌に言った。
ふんわりと香水が香る。あんまりそういうのに興味がないと思っていたけれど、そうでもないみたいだ。
「東海岸でも自由にしてそうですけどね」
「うふ。間違っていないわ。攻撃機の開発に携われる上に、お金もたっぷり貰ってるのよ。毎週末には狩りにも行けるし、合衆国って良い国ね」
東海岸でどんな仕事をしているのか知らなかったけれど、意外なお仕事だった。まさか合衆国軍に協力しているなんて。
それにしても飛行機の開発か……ハンナさんの言葉に乗るのは癪だけれど、飛行機関連となるとどうしても興味が湧いてしまう。
「どんな飛行機開発してるんですか?」
「猪のような機体よ。猪は狩ったことある?」
「いえ……狩りは全く」
「あら勿体ない。今度一緒に行きましょう。それで猪だけれど、あの子たちって強いのよ。撃たれても勇敢に立ち向かってくるし、狙いが悪いとしぶとく生き残るの……」
銃を構える仕草をしながら話していたハンナさんは、私の方に向けて「バン!」と言い放った。
……絶対一緒に狩り行かない。
「攻撃機に相応しいモノじゃない、それって?」
「けど……遅くなるんじゃないですか? そういう重装甲の飛行機は」
「そうね。だけど、正規軍同士の戦いでも起きなければ特に問題は無いわ。――そうだ、各国の軍の今の仮想敵は知っているかしら?」
戦争が終わったことで、そうした仮想の敵というものを公にすることは少なくなっている。
前まではそれなりに設定されていたけれど、今のところは脅威がほぼ存在しなくなったことで目標は宙ぶらりんになっている――くらいの認識が、私たち軍人の間では広がっている。
……お陰で軍事関係の予算がいろんな国でだいぶ減らされていた。評議会共和国も、近々徴兵制が廃止されるとかいう噂もある。
「正直……あんまり。開発とか戦術方面にはあまり携わっていないので」
「ふうん。そうなのね」
「それで、何なんですか?」
「魔物よ」
ハンナさんは真面目な顔で言い切った。
だけど、それは一笑に付するもの。
まるでオカルト――魔法が存在している時点でそうじゃないし、過去に存在しているからそうでもないんだけど、ともかくトンデモな話だ。200年前に根絶されているし、魔物を生で見たことがある人はとっくの昔に死んでいる。
「魔物ォ? 今更復活するなんて考えてんの? お偉いさんもバカばっかりね」
「私もそう思うわぁ。でも、本当に復活しないなら、軍隊なんて解散させちゃえば良いじゃないの。元軍人の私が言う言葉じゃないけれど、軍隊なんてただの金食い虫よ」
エリカの反応が当然のものだけど、ハンナさんの言葉も一理あった。
解散させるのはやりすぎでも、軍縮を進める一方で、ハンナさんが協力しているように兵器の開発速度はむしろ加速していた。そこら辺はノーラからたまに聞くからちょっとは詳しい。
民間の研究が上手く応用されているとノーラは言っていたけれど――それにしても、ちょっと注力しすぎだった。
「確かにそうですね……。いつか復活するんでしょうか」
「最近は魔法学も人気よね。アカデメイアも国連に加入してくれたし、そうしたものも次第に明らかになるんじゃないかしら?」
――まあ、心配したところで仕方ない。
絶滅した生き物が復活するかなんて、神のみぞ知る、だ。なら私たちにできるのは、最悪な未来だけは来ないように祈るくらいしかない。
「平和が続けばいいんですけど」
「平和は続くわよ。それに、バカな奴らがいたら、私たちが出ればいいだけよ」
「んふ、そうよリーナ。今度はあなたと肩を並べて飛んでみたいわね」
ハンナさんのふざけた言葉をあしらうと、例の女の子――ノーマちゃんがそっと私たちの側にやって来た。
「失礼します、エリカさん」
「あら、ノーマ。どうかした?」
「そろそろ今日の分の撮影を終わらせないと、監督が……」
「あー……もうそんな時間なのね。ごめんなさいね、エカチェリーナ、ハンナ。そろそろ仕事に戻るわ」
腕時計を見ると、いつの間にか結構な時間が経ってしまっていた。
楽しい時間っていうのはあっという間だ。名残惜しいけれど、今日はこのあたりにしておこう。
「俳優業は忙しいですね。まあ、まだまだ滞在しますから明日にでも話しましょうか」
「そうね。ハンナはどうするの?」
「リーナと同じホテルに泊まるわ」
「えっ」
本気で言ってる?
そんな感情をたくさん込めて、ハンナさんを見つめた。
「フフ……冗談よぉ。西海岸にセカンドハウスがあるから、そこに帰るわ。……リーナ、いつでも来てちょうだいね。秘密は守るわよ」
「……遠慮しておきます」
「なにやってんのよアンタたち……ノーマに悪い影響出ちゃうから、そういうのは外でやって」
ノーマちゃんの耳を塞ぐエリカの冷たい視線を受けながら、私たちは撮影スタジオから出た。