84.終戦から一年
終戦から一年経った。
終戦処理においても、私の提唱した理想――『すべての戦争を終わらせるための戦争』は機能してくれていた。
やりすぎたら爆発する。
単純な論理を、みんなしっかりと納得していた。
そもそも、内戦でボロボロ、更に戦争でボロボロの大衆ゲルマンに要求できるものがほとんど無いっていう理由もあったけど。
その中でも、軍だけはしっかりと制限されるようになった。
あとは技術の公開も強制された。飛行爆弾やラケータ、ジェット機、戦車――それに新型爆弾。色々な技術が世界中へと拡散したが、今のところは平穏なままだ。
『連合国』を主体として、国際協調のための機関も設立された。
その機関の名前は『国際連合』。前世のそれと同じような響きを持っていた。連盟よりはまだ良いね。
そして、私は今も空軍に所属している。
特殊任務航空小隊は終戦と一緒に解散したから、部隊の所属ではないけれど。
そう、今の私は――
「初めまして、皆さん。私はエカチェリーナ・ヴォルシノワ・カレーニナ大佐。君たち、航空学校の第3期生を担当する者です」
少佐から大佐に昇進して、航空学校の担当士官になっていた。
アンナさんと同じやつだ。
「緊張してますか?」
目の前に立っているのはガチガチに固まったひよっこが三人。
男の子が一人、女の子が二人。第1期生とは逆だ。
「あ、は、い、いえっ!」
親しみやすい笑顔を作って話しかけてみても、緊張は全くほぐれてくれない。
おかしいなあ……アンナさんには好評なんだけど。
この子が上がり症なだけかもしれない。隣の男の子に話しかけてみた。
「君は?」
「し、してますっ!」
……笑顔の仮面が剥がれそうになる。口角が震えているのがわかる。
そんなに緊張されるとなんだかショックだよ……。
最後の希望と共に、残りの一人に話しかけた。
「……そっちの子は?」
「……ひっ」
……怯えた声が漏れただけだ。
緊張っていうより怖がられてるね。ここまで来ると、原因もわかる。
「あー……なるほど。君たち、私の功績だけ知っているタイプですか。たまにそんな反応されるんですよねえ……」
『白聖女』の名前は今や諸外国にまで独り歩きしていた。
戦績と一緒に(私は数えていないから誰かが勝手にでっち上げた!)噂が伝播しているから、まるでS級冒険者かのように語られている。
お陰で、私と初対面の人はみんな緊張感と共に交流を始めるのだ。いや、普通の人なんですけど……。
「安心してください。私も同じ人間ですし、人にものを教えるのは初めてです」
噂に尾鰭が付きまくっているのは、特殊任務航空小隊の人たちもそうだった。それに、リヒトホーフェン隊。
特にリヒトホーフェン隊なんかは国連直々に再び集まるのが禁止されてるから、なんか、凄いことになっている。……この世界の人たちは、活躍する超人が大好きなのだ。
当の本人たちは気にも留めていないらしいけど。まあ、リヒトホーフェンの姓を名乗っているのがリヒトホーフェン卿だけだから、エリカとハンナさんにはあんまり影響が出ていないっていうのもある。
写真が殆ど撮られていないから、あんまり顔は知られていないのだ。
「そうですね……有名人に教えられることになりました! って良い気分になるくらいがちょうど良いですよ」
逆に、特殊任務航空小隊は大々的にプロパガンダに使われていたから、どこに行っても有名人である。
一年経ってようやく落ち着いてきたけれど……終戦後すぐなんかは、外を出歩くこともろくに出来なくて、基地と家の往復の日々だった。
休日なんかは暇だったけど、おかげでアンナさんといろんなことが出来たから結果オーライかもしれないね。
その日の航空学校の出来事はそれくらいで終わった。
早速走ったり、いきなり訓練を始めたりはしない。まずは自己紹介、それから別の人に引き継いで学校の案内、初日はそんな感じ。
みんな徴兵を経験していない年齢の子で、いきなり寮暮らしだ。ホームシックに駆られてしまうかもしれない。
ゆっくりと慣れていって欲しい。平和な時代では、時間は有り余っているのだから。
◇
基地から車でちょっと走ると、家に着く。
もう1年経っているのに、この少し大きな私の家に慣れるにはもう少し掛かりそうだ。
空は赤色に変わっていて、夜闇が空気を染め始めている。だけど、家には温かい色の電灯が灯っているのがよく見えた。
「ただいまー……です」
「おかえりなさい、リーナ」
鍵を開けて扉を引くと、アンナさんがお出迎えをしてくれた。
夕飯を作っていてくれたみたいだ――エプロンを付けている。
なお、専業主婦という訳では無い。
……いやそもそも結婚してないですし、付き合ってもいないからね。
ともかく、そうしたことはしていない。アンナさんもそうだし、私も家に縛り付けようとは思っていないから。
ただ、どうしても仕事が多くなってしまう私と違って、アンナさんの方が帰って来るのが早いというだけだ。
たまに私の方が早く帰ってきた時は、しっかりと率先して家事を行っている。
自室に荷物を置いてリビングに向かうと、お皿の上に美味しそうな料理が盛り付けられていた。
ビーフストロガノフみたいなやつだ。パスタの上にかけられていて、良い香りがする。
両手を合わせて、フォークを手に持った。
食べる前に、アンナさんの顔を見る。湯気越しに見つめると、彼女は不思議そうに顔を傾げた。
「やっぱりアンナさんが家にいるのは不思議な感じ……」
「もう1年ですよ?」
「あっという間ですね」
あっという間だった。
何か特別な事が起きたわけでもなく、平穏な日常が繰り返されただけなのに、戦争のときよりも時間が過ぎるのが早い気がする。
パスタに絡ませて、料理を口に運んだ。美味しい。
暫くは無言が続く。私もそうだけど、アンナさんも多弁ではないからね。
だけど、喋らないということではない。
「今日は何をやりましたか?」
コップに水を注ぎながら、アンナさんは私に質問をしてきた。
「新入生たちとの挨拶です。みんな初々しいし、終わったらこうして家に帰ってこられるし、これじゃ学校の教師になった気分ですよ」
「学校の教師になったんですよ、リーナは」
「私が先生っていう訳ですもんねぇ。……正直、戦争で頑張っただけで、人生経験はほとんど無いんですけどね」
先生っていうのは、もっと経験を積んでいる人がなるものだと思っていた。冷静に考えれば、そんな事が無いのはよくわかるけれど。
軍の経験だけで言えば私が適任なのはその通りでもある。だけど、空戦が上手かっただけだ。空戦が上手いのも、空を飛ぶのが好きだったからだろうし。それ以外は殆ど出来ない。
今日、新入生の前に立って思った。あんなちびっ子たちの前に立って教え導く事ができるほどに出来た人間ではない。
自分勝手だし、わがままだし、面倒くさいし――
「私があなた達を教えていた時とほぼ同じ年齢ですか。なんだか感慨深いですね」
「そう考えると……頑張れそうな気もします」
言われてみれば、あのアンナさんも私たちを教えていた時は同じくらいの年齢だった。
そうだよね。何事も初めては存在する。頑張るしかない。
食べ終わったのでフォークを置いた。
水を飲んで喉を潤しながら、今度は私が聞いた。
「アンナさんは何をしたんですか?」
「大学の方で、魔法の研究の手伝いです。いつもと同じですよ」
「ミラーナ中佐……いえ、ミラーナさんのところですか?」
「はい。リーナの話で盛り上がりました」
悲惨な戦争は、幾つか良い変革を起こした。
そのうちの一つが魔法の社会的地位の向上だ。
占領地の抵抗運動において、魔法が使えることは大きなアドバンテージをもたらした。清潔な水、火、心得があれば、直接的な攻撃魔法も活用できた。
そうして魔法に救われた人々が増えたことで、以前ほど風当たりは強くない。今も良い顔はされないけれど、ちょっとずつ良くなっている。
ミラーナさんは、前から思い描いていた通りに、戦争が終わってすぐに空軍を除隊し、大学へと入学した。魔法学科は狭き門だったけど、様々な要因が絡み合った結果、見事に入学した。しっかり試験をしているし、論文も教授に評価されたので、能力不足で強引に入学したのではない。
ただ、評議会共和国お得意のプロパガンダにちょっと使われただけだ。
世界中で魔法への関心が高まっている中、サキュバスの獣人である元エースが魔法学を学びに大学へ入学しようとしている――うん、使わない手は無いね。
そして、評議会共和国の唯一の魔法使いであるアンナさんも協力していた。もちろん、魔法使いというのはすっごく重要な情報だから機密ではあるけれど。
私という架け橋もあることで、結構仲良くなっているようだった。10月に行うミラーナさんとリーリヤ少将の結婚式にも、私共々招待されている。
「えぇ……? どんな話ですか?」
「ふふ……秘密です」
穏やかな一日は、こんな感じで過ぎていく。
楽しい日々で、あっという間に終わってしまうから勿体ない。
◇
休日。
今日はノーラと会う予定だ。
ノーラは首都に住んでいたけれど、最近はあんまり会っていなかった。今日はちょうど良い機会だったから会うことにした。
「久しぶり、ノーラ。……あ、スハーヤ博士、って呼んだほうが良い?」
カフェのテラス席で専門書を読みながらカフェオレを飲んでいるノーラを見つけて、私は声を掛けた。
前の椅子に座って、コーヒーとクッキーを頼んだ。
ノーラ――エレオノーラ・オシポヴナ・スハーヤ。
戦時中にはイゾルゴロド工科大学の学生でありながらパルチザンの指導者となり、また、大衆ゲルマンに協力するように振る舞いながら機密情報を収集し続け、戦後にはその功績で表彰もされた我が国の偉大なる英雄である。
新聞で書かれる経歴はこんなものだけど、目の前のノーラは相変わらずふわふわしていた。なんていうか、雰囲気がね。
そんな大英雄様だけど、経歴に新たな綺羅星を追加した。なんと、自身の設計局を任されるようになるらしい。名実ともに博士だ。
「やめてよもうっ。ジェット機の理論が評価されたのは嬉しいけど、まさか設計局を任されるなんて……ドキドキだよ」
「それだけ凄いってことでしょ。ミコヤンさんの強い推薦もあったって聞いたよ?」
「あの人との共同研究の成果なんだけどね。私はまだミコヤン設計局に勤めていたいのに……」
ノーラは恥ずかしそうに本で顔を覆っていた。
その本の題名は『航空設計論』。可愛らしい仕草をする割には随分とゴツいものを読んでいるね。ギャップ萌えはあるかもしれない。
……そうだ。良い機会なので、しっかりとあのことも聞いておこう。もう何回目になるかわからないけれど、いくら聞いても安心はできない。
「そういえば、新型爆弾はどうなってるの?」
「またそれ? どうもこうもないよ。爆弾にこれ以上の破壊力なんて必要ないし、核分裂の研究してる人はみんな発電の方に首ったけだよ」
私がそのことを聞くと、ノーラは呆れながらそう言った。
けどすぐにちょっと悪そうな顔をして、私の方へと顔を近付けて、小さな声で話し始めた。
「私も専門じゃないから詳しくは知らないけどね。けど、面白い話があってね」
「へえ?」
「魔力に近い働きをしているんだって、核エネルギーっていうのは」
それは私も初耳だった。
……とはいえ、魔力も核も専門外だ。正直あんまりわからない。
「そう考えるとわかりやすいよね。ちょっとの量なら人間自身も持っていて、生み出せて、ちょっとくらいなら何ともない。だけど、浴び続けると害が出る」
ノーラの噛み砕いた説明を聞いてなんとなく理解はできた。
上手く使えば人類に益をもたらすけれど、少し間違えたら大惨事。なるほどね。
「そして暴走したそれが飛び散ると――」
ノーラは一際怖い顔をして、握りこぶしを作った。
そして、少し貯めてからぱっと手を広げた。
「一面荒廃! 魔力災害が起こった廃都パールシャーみたいになっちゃうんだろうね……おお、怖い怖い」
忘れがちだが、この世界はファンタジー世界だ。あるあるとして、古代文明もあった。
魔法、魔力、魔道具――それらで栄華を極めたその文明は、ある日、あらゆる魔力が暴走して一夜のうちに滅びてしまったのだという。まるで神話か伝説のようだが、実際に起こっていることだった。今も、その文明の首都であった廃都パールシャー周辺の立ち入りは厳しく制限されている。
その後に色々あって、天変地異が起こって、文明リセット。私たちは一度、随分と衰退しているらしい。
「だからね……アレを兵器に使おうなんて人は流石にいないよ。使えば凄いんだろうけど、望んで世界を壊そうとするなんて、魔女でもなければやらないもの」
コップに残ったカフェオレを一気に飲み込んで、ノーラは話を締めた。
そうならいいんだけどね。
それからカフェの出た私たちは、しばらく街をブラブラした。本屋に行ったり、図書館に行ったり、ノーラの研究室にお邪魔させてもらったり。
その後は私の家に招いて、アンナさんと一緒にみんなで夕飯を食べた。最後は車で送ってバイバイ。
◇
1ヶ月くらい後。
私は、教え子を連れて基地を走っていた。
軍隊だからね。何よりも大事なのは体力だ!
「カレーニナ大佐、今朝の新聞読みましたか!?」
隣で走るのは教え子の中でも一際元気な男子だ。
体力が結構あるようで、走り込みにもよく着いてくる。一方の女子たちはちょっと後ろを走っていた。まだまだだね。でも、最初の頃と比べたら桁違いに体力が着いてきている。次第に差も無くなっていきそうだ。
「今朝は急いでたから読んでないなぁ。どうかしたの?」
「衛星の打ち上げに成功したらしいですよ!」
興奮する彼の話を詳しく聞いてみると、興奮するのも仕方ない内容だった。
戦後すぐに開発が始まったロケットはすぐに宇宙へと手が届いた。理論だけはそれなりに蓄積されていたから、大衆ゲルマンからもたらされたラケータのデータがブレイクスルーになったのかもしれない。
「ホント!? 流石だね、我が国は!」
小難しいことを考えても仕方ない。
気分が最高に良くなった! この勢いでもっと宇宙へ進んでほしいね!
「ようし、気分も良いしペースを上げよう!」
「ユーリャ……あんたのせいで……はっ、あのっ、体力バカッ」
「ユーリさん……余計なことをっ……!」
「えっ俺のせい!?」
ちょっとペースを上げるだけでへこたれそうになるかわいい教え子たちだけど、今日は特別に私のわがままに付き合ってもらうことにしよう。
「無駄話すると辛くなるよ――喋るなら私の言葉を繰り返して!」
いつかアンナさんに教えてもらった、走る時に気合が出るやり方をみんなにも教えることにした。
「評議会共和国万歳! ――さあ、一緒に!」
祖国万歳!