81.勝利は我らのものだ!
私の無事を報せに小隊員たちのところへと飛んで来た。
編隊を組むほどには近付かない。姿を見せるだけにしておく。
あまり時間はない。
『リーナ、終わったか!』
『エカチェリーナちゃん少佐、もう聞いたかしら? 首都の制圧に成功、敵はみんな降伏しているって!』
『「勝利は我らのものだ」だってさ!』
みんなは口々に喜んでいた。その反応だけでよくわかる。元帥の考えた想像を絶する作戦は大成功したようだった。
だけど、私はまだまだ喜べない。
『っておい少佐、どこ行くんだ?』
アンナさんを助けにいかないと!
この後どんな動きをするのかわからないけど、ともかく、こっちに帰ってこようとしていないということには確信を持っていた。
なるべく急いで向かわないと。
『すいません、用事がありますので! 皆さんは先に帰還しておいてください!』
『ちょっと待――』
無線を切って、横槍が入る前に素早く行動することにした。
ごめんねみんな! でもこれは私の勝手な行動ってことにしといたほうが良さそうだからさ。
◇
地上を覗くと、遅れて到着した合衆国と太平連盟の部隊も見つけることが出来た。
各所の重要地点を空挺軍と協同して押さえていくのだろう。第2空軍基地にもすぐに来るはずだ。
戦闘機の燃料を見た――エリカとの戦いで結構浪費してしまったから、残りは3分の1程度。軽くなってちょうどいい。あと5分もしないうちに着くはずだ。
戦勝を祝うかのように、曇り空のフォルクスシュタートに晴れ間が差してきた。
飛行機で飛ぶと、遠くの天気もよくわかる。東を見るとほぼ晴れている。だけど、西では雨が降っていた。
嫌な暗示だ。
そして私は第2空軍基地にたどり着く。
情報通りに首都の防衛はエリカたちにほぼ任されていたようで、少なくともこの基地には他の戦闘機は居なかった。
半ば強引に滑走路に着陸して、コックピットから飛び降りた。
――アンナさんはどこだろう?
「考えてる暇なんてないかっ」
幸運に任せよう。
確か、エリカによれば上層部の地下壕があるという。十中八九秘密の場所なんだろうけれど、あるとしたら司令部の地下だ。他の場所に置いていたら、ちょっとした偶然で部外者が来てしまうかもしれない。
急ごう!
息を切らしながら走っていると、書類を燃やしている人たちとすれ違った。
本当なら今すぐにこの人たちを止めないといけないのだろうけど、それよりも重要なことがある。
「そこの、あなたッ!」
「あっ、えっ、評共軍!? もうここに!?」
「黙って! 良いから私の聞く事に答えなさい。地下壕はどこですか!」
「そんなの言うわけ――」
腰から拳銃を抜いて、見せつけるように撃鉄を起こす。
「どうせ一時間もしないうちに部隊が来ますよ。今言うのも後で言うのも変わりません」
「わかった、わかった! 落ち着け! あっちだ、倉庫に偽装されている!」
ゆっくりと指差す方向を見て、私は駆け出した。
「ありがとうございます! 書類は燃やさないようにお願いしますね!」
教えられた場所へ向かうと、無機質な倉庫にたどり着く。
平らな壁に囲まれて、置いてある物の中にも特筆すべきものはなかった。
うまくカモフラージュされている。知らなかったら通り過ぎていた。
「どこから入るんだろう……」
――けど、肝心の入口が見つからない。
壁に手を触れて少しずつ確かめていると、がちゃり、と背後で音がした。
振り向くと、そこに居たのは――
「リーナ。来ましたか」
記憶にある長身は少し痩せていた。
片側に結って垂れている長髪は艷やかさを無くしていた。
だけど、その青い瞳に宿る強い意志は変わっていない。
「アンナさんっ!」
アンナさんは私に近付かず、かと言って、目を離さず、ゆっくりと出口へ向かって歩み始めた。
……逃がすわけにはいかない。
「待ってください! 捕まえに来たわけじゃないんです!」
「知っていますよ」
必死に声を掛けても、アンナさんは変わらない。
既に行く末を決めているかのような、そんな雰囲気だった。
「迎えに来ただけですっ!」
「そうでしょうね」
私が声を張り上げても、彼女は動きを止めようとはしない。
強引な手段は嫌だったんだけど――
「こうなったら……!」
踏み込んで、アンナさんと倉庫の出口の間に立ちはだかった。
そして、先程撃鉄を起こしていたモノを、腰から引き抜く。
「手を上げてください……!」
銃を構えた。
航空学校の時の訓練以来だ。構えると思ったよりも重い。もっと大きな戦闘機の照準なら寸分違わずに狙えるのに、こんな小さな拳銃の照星は大きく揺れている。
変なところは狙えない。万が一にも致命傷になってはいけない。
「撃ちますよ、本気です!」
「本当に? 撃てますか?」
呼吸をゆっくりとしながら、アンナさんを狙う。
引き金にしっかりと指を掛けて、形だけは頭を狙う。撃つ時は足元か、横か、ともかく、当てるつもりはないけれど。
脅しのためだから、殺る気は出しておかないと。
「近付かないで! そこに膝を突きなさい!」
「嫌です。ほら、撃ってみなさい。リーナ」
アンナさんは両手を上げることもせずに、一歩ずつ踏みしめるように私に近付いてくる。
警告をしても止まることはない。
なら――私もやるしかない!
「本気……ですからねっ!」
ほんの少し拳銃を外側に向けて、力強く引き金を引いた。
硝煙の香りと、少しの煙、強い光と音、それに反動――私の五感は少しの間だけ使い物にならなくなる。
一瞬の無から感覚を取り戻すと、アンナさんは目の前から消えていた。
「な――ぐっ!?」
一体どこに――と考えるよりも先に私は組み敷かれた。
銃も奪われて、先程まで向けていた鉄の筒は私の方へ突き付けられていた。
「苦手を克服しなさいと、よく言いましたよね。相変わらず、近接戦闘は下手ですか」
どこか懐かしむように、彼女は言った。
格闘訓練を思い出す――アンナさんに勝ったことは一度もなかった。
「……撃つんですか?」
「そのようなこと、するはずがないでしょう。愛する人を撃つなど」
「空の上じゃ撃ったじゃないですか!」
「あれは別です。避けられるでしょう?」
拳銃がバラバラに分解されて地面に落ちていく。
ごとん、がたん。大きな音が冷たい倉庫に響いた。
「リーナ。まだ飛ぶ元気は残っていますか?」
このまま私を気絶させて逃げるのかと思ったけれど、アンナさんにはそのつもりはないらしい。
「……ええ、ちょっとは」
「忘れ物を回収しましょう」
差し伸べられた手を掴んだ。
冷たい手だった。だけど、安心する手でもある。
「ところで、頬を怪我していますね。軽く手当を施しておきますか」
私を引き寄せて、アンナさんはそっと頬の傷に触れた。
少し痛い。
アンナさんはゆっくりと傷口の状態を確認すると、懐からガーゼとワセリンを取り出して、私の頬を拭ってくれた。
「あっ……。ありがとうございます」
「お気になさらず。着いてきてください」
そして、手を取られて先導される。
私は着いていく。
目的の場所へと向かう道中で、疑問に思ったことを聞いてみた。
「あの……。どうして私から逃げなかったんですか? あのまま、私を気絶させるなりしてどこかへ去ることは出来ましたよね」
「銃を撃ったからですよ」
「……つまり?」
「銃を人に向けるのは初めてだったのでしょう? 不慣れで、腕を震わせて、息も荒くしていて。ですがそれでも、止めるために私を撃った。リーナの覚悟がよくわかりました」
私が不慣れだったのはバレバレだった。
だけど、私の頑張りは評価してくれたみたいだ。
……こういう優しさは見せてほしくないな。強引に私の意志で連れ帰ることに罪悪感が湧いてくる。できるなら、アンナさんと一緒に逃げたくなってしまう。
そして、歩くこと暫く。
「着きました」と言ってアンナさんが止まった場所は格納庫だった。
旧式の戦闘機の格納庫らしい。彼らの新型は駐機されていなかった。
アンナさんは奥の方へと歩んでいき、とある戦闘機の前で足を止めた。
「久しぶりですね、この機体は」
その白い機体の隣には燃料タンクも置いてあった。
もしかしたら、もう少し戦闘が長引いていたらこんな戦闘機も動員するつもりだったのかもしれない。
「これって……」
「技術協定の際、私たちが乗ってきて引き渡した機体です。大切に保管されていたようでよかった」
白い機体――Mik-3は少し埃を被っていたけれど、その動作に影響はなさそうだった。たまにメンテナンスされていたのだろう。
この機体は思い出深い。戦争開始当初はこれだったし、戦前にも第33航空連隊ではこれをメインに使っていた。ズウォタから逃げた時もMik-3だった。
重いし、搭載できる弾は少ないし、機動性もあまり良くない。速度は出るけど、決して傑作機とは言えない。
だけど、好きな機体だ。
「さて――取引です」
感慨深そうに機体を撫でながら、アンナさんは言葉を紡ぐ。
「私と戦って、勝ったならば、リーナの言う通りにしましょう」
単純明快でわかりやすい。良いね。
「アンナさんが勝ったら?」
「あなたが私の言う通りになりなさい」
「わかりました、良いですよ」
と答えたところで、ある懸念を抱いた。
魔法だ。
魔法使いの魔法には対抗できない。
「……いや待ってください。魔法使われたら絶対勝てませんよ」
「魔法は使いませんよ。というか、使えません」
「え?」
アンナさんはそれを証明するように、手のひらを上に向けて『燃えなさい』と魔法を唱えた。
しかし、現れるのはマッチの火よりも小さな火の粉のようなもの。私も簡単な魔法を使うからわかるけれど、違うものを唱えながら狙ってこれを出すのは難しい。
これなら、この間のような理外の魔法は使えないだろう。それどころか、簡単な魔法すら扱えないと思う。
「首都全域への魔法の発動は無理がありました。魔力切れ寸前です」
「なるほど。公平ですね。私も、エリカと戦って結構疲れが来てますから」
「ええ。平等です」
私の言葉を推平主義的に言い換えながら、アンナさんは私に一歩近付いた。
「ですが、魔法を抜きにしても、私は強いです。それに、リーナも強い――手加減は出来ませんよ。危険ですが、本当に飛びますか?」
じ、と私の瞳を見つめながらアンナさんは聞いてくる。
二度目だ。初めて一緒に飛んだ、あの日以来の青い瞳。魔力が漏れているのか、仄かに光っている。
私を射抜くその熱い視線を受けて、感情が昂った。
答えは決まっている。当然だよね。
「飛びます。見せてあげますよ――今の私を」
正真正銘、最後の戦い。記録に残らない、勝手な戦い。
私たちだけの秘め事だ。