80.『黒騎士』
《どうせ終わりなら――最後くらい、あなたの本気を見せなさい》
仕切り直しだ。
エリカの言葉に闘争心が宿る。
《……そうですね、平和が一番好きですけど……》
だったら、私も期待に応えないとね。
内心隠していたこの気持ちを曝け出して、もっと、もっと先へ――
《認めましょう。私って、戦うことも、結構好きです》
私の本気を、見せてやろう!
《私は『白聖女』エカチェリーナ・ヴォルシノワ・カレーニナ。祖国へ勝利を齎すために、あなたを堕とします》
剣を構えてみせる。私なりの、彼女への敬意だ。
幼い時からずっと戦って、いくら望んでも自由に飛べなくて、それでも頑張り続けたエリカへの花束。
両手で握って、エリカを睨む。
《フフッ……良いわね!》
声が弾んでいた。
いつもの調子に戻ってきたようだ。そう、私が戦いたいのはこのエリカ。こっちのほうがやりやすい。
《『黒騎士』エリカ・ハルトマン。――初めて、自由に飛ぶわ。私はアンタと戦いたい。負けたくない!》
口上が終われば、戦いは開始だ。
隣り合っていた私たちは、自分にとって優位な場所を取り合うように螺旋状に回転を繰り返す。
機体を見れば、当然コックピットの顔がよく見える。エリカは笑っていた。
《私は本気よやる気に満ち溢れてるわ! 相手出来るかしら?》
《やってやりますよ! 私は興奮するのが好きなんです!》
頭の中ではノンストップで最適解を探し回り、身体は一瞬も休むこと無く常に動き続けている。
やるかやられるかの最高の緊張感――興奮する、空戦の醍醐味だね!
《興奮? どんな時が好きなの?》
《例えば、不利な状況になった時の、脳みそが高速で回転するあの感覚――私は大好きです!》
《好き者ねアンタ!》
幾度となく同じ動きを繰り返して、私たちは埒が明かないことに気がつく。
どちらともなく離れることで、条件はフラットなままで再びのチャンスを伺う場面へと切り替わった。
そして、地上の方でも作戦は進行する。
郊外の制圧が完了したのか、防衛部隊の陽動が完了したのか、空挺軍はフォルクスシュタート中央部への空挺降下を開始していた。
何機もの輸送機が真っ直ぐに飛び、真っ白なパラシュートがその下で数え切れないほど開いている。だけど、その数では首都を制圧するには足りないだろう。後続は既に待機中だ。
《あれがあなたたちの作戦? 無謀なことするわね》
《第一波ですからね。もっと来ますよ》
《……最後は精鋭の人海戦術? なんていうか、使い所を良くわかってるのね》
輸送機の編隊の隙間を縫うように動いて、エリカの視界から隠れる。
本来ならこんな事できない――輸送機が撃墜されちゃうからね。だけど今は別だ。彼女は決して、決闘を穢すようなことはしない。
私を見失ったエリカが一度上昇した瞬間を見計らって、シュヴァルベの腹部に向かって突き上げる。
《アハッ、やるじゃないエカチェリーナ。素晴らしい動きね!》
《エリカこそ。さっきまでのは見るに堪えないものでした》
《言うじゃないッ!》
これで勝負を決められるほどには良い機会だった。
死角からの攻撃なのに、まるで見えているかのようにくるりと避けられる。
でも、私のターンは終わっていない。矢継ぎ早に攻撃を繰り出す。
《ここで……右!》
《その程度、反応できないとでも?》
《おっと……なかなかやるじゃないですか!》
私たちの戦いは絶好調だ。
だけど、一つだけ、おかしなことが起きていた。
地上では、降下した空挺軍と大衆ゲルマンの防衛部隊の間で戦闘が行われているはずだ。それなのに砲声や銃声が聞こえず、炎や黒煙が見えない。これが意味することは単純で――
《地上で戦闘が起きていない……?》
《お姉様の魔法は成功したみたいね。良かった》
アンナさんの魔法によって、敵防衛部隊は降伏している、ということ。
この大戦争に勝利したということだ!
さあ――後顧の憂いは絶たれた。
私たちも勝負を決めよう。
《それじゃあ、私たちも決着を着けましょうか!》
《そうね。望むところよッ!》
エリカはなにを考えているのか、再び私から距離を取り始めた。
速度を稼いで水平で一撃離脱だろうか。でもそれなら、私にも考えはある。
《シュヴァルベ……。ここまでありがとう。無理をさせたわね》
エリカは、愛機を慈しむように優しく声を掛けていた。
十分に距離を取ると、大きく旋回を始めた。
《だけど最後にもう一度だけ、力を貸して頂戴》
《独り言なんて、余裕ですねっ!》
《やる気を出してただけよ》
ヘッドオンだ。
双方の機関砲が互いを狙い合い、撃たれた弾が交差する。
当たるようなものでもない。簡単に攻撃を避けて、エリカの機体とすれ違う――が、距離が近かった。
《おっと――》
危ないな。
そう思いながら鏡を見てみると――
《は、はあっ!? どうなってんですか!?》
黒いシュヴァルベが、その場で回転していた――!?
有り得ない。信じられない。
百歩譲ってコブラは認めよう。だけど、これは無理だ! 物理法則を超越している!!
《左右のエンジンの推力を上手く調整して、後は感覚よ》
《いや無理ですって……!》
――けど、私の口角が上がっているのは自覚していた。
ああ、そうだ。だから、彼女に親近感を抱いているのだ。
不可能を可能にするパイロット。
飛行機と、空を飛ぶことを愛していて、その愛は現実すらも魅了し、全ては彼女に付き従う。
一方の私は、幸運を引き寄せる、常勝無敗の白聖女。
どこか似ている。だからだろうか、彼女と飛ぶのはすごく楽しい。
《楽しそうに飛ぶわね、アンタは》
《はいっ! 空戦は楽しいものですよ。認めるのは癪ですけどね!》
《フン。私も癪だけど、アンタの気持ちはわかるわ!》
エリカは真後ろをぴったりとくっついている。
左右へと激しく動いても、喰らいついてくる。
頭の中の冷静な部分で考える――今のエリカなら、露骨な動きでも着いてきそうだ。
《――でもやっぱり、平和に、こんな興奮無しで飛ぶ時が、一番大好きです》
私とシュヴァルベは同等な速度。
絶好の機会だった。
勝負を決めてやろう。操縦桿を一気に引いた。
《羨ましい。私はそんな、幸せな飛行なんてした事ないもの》
上がる、上がる――
高速で上昇することで、臓腑と身体は悲鳴を上げている。知るか!
歯を食いしばる。歯ぎしりのように、不快な音が奥歯から鳴る。我慢しろ!
シュヴァルベの機関砲が放たれる――真上を通過して、危ない――私の頬を、徹甲弾が掠めた。頭が破裂しなかったのは幸運だ。
風防に穴が空いた。血が流れて、頬が温かい。高空の空気も入ってきて、一瞬で頬は冷たくなる。
この程度の危険は織り込み済み。
大事なのは、低速において、シュヴァルベのジェットエンジンよりもLav-7のエンジンの方が優れたパフォーマンスを発揮するということ、それだけ。
反撃だ。
フラップを開き、ペダルでラダーを操り、操縦桿でエルロンとエレベーターを働かせる。
反転する。
失速したエリカの機体は重力に従って落ちている。私はその真後ろに居て、上に居て、速度の調整が容易にできるところに居る。
圧倒的な優位。
エンジンを狙って一回撃つ。外れた。
二回撃つ。翼を傷つける。
三回。
《ダスヴィダーニャ、エリカ!》
操縦桿のボタンを押し込んだ――真っ黒なシュヴァルベのエンジンが火を吹く!
《あ……フフッ。……駄目ね、我慢できないわ……! 悔しい悔しい悔しい……アンタなんかにやられるなんてっ!》
《あははは! 私は最高の気分ですよ!》
《いい性格してるわねアンタ! 私は最悪よッ!!》
そうは言っているけれど、エリカのマイクは笑い声をしっかりと拾っていた。
たくさん笑っているけれど、シュヴァルベは今も燃えている。そろそろ脱出しないと危ない。
《はあ……。泥棒猫。無線が繋がってるうちに伝えておくわ。お姉様を迎えに行きなさい。場所は第2空軍基地よ。そこに上層部の地下壕があるの》
元帥に渡されたフォルクスシュタートの地図と、脳内で照らし合わせる。
第2空軍基地は確か、研究所がたくさんある場所だったはずだ。場所は中心部に位置している。
《……いいんですか、私に言って?》
《お姉様は、不思議と、戦争が終わったあとの話をしていなかったの》
《ハッ……。最後に責任重大ですね! ありがとうございます、エリカ!》
コックピットから飛び降りたエリカは、すぐにパラシュートを開いた。
良かった。しっかりと脱出してくれた。
そして、私も機体を戦友たちの方へと向かわせる。
《次は地上で、友人として会いましょう!》
最後に、エリカには聞こえないだろうけれど、彼女に向かって大きな声で叫んだ。