79.フォルクスシュタートの戦い
輸送機の大編隊の護衛は恙無く成功し、後続のための地上攻撃にも成功した。
そして、フォルクスシュタート――首都上空。空挺軍の先遣部隊は郊外に降下し、対空兵器類の破壊を開始していた。
残りの輸送機は私たちの護衛を受けながら上空を旋回している。
――そろそろ来る。
《最悪ね。こんな数の客人が来るなんて聞いてないわよ》
エリカとの決闘については、道中でみんなと話をつけていた。
ちょっと反対も出たけど、納得させることは出来た。
ということで、エリカの相手をするのは私だ。
《お久しぶりです、エリカ。お元気でしたか?》
《いいえ全く。食事も少なくなって、十分な睡眠も取れなくなって、上層部共は責任の擦り合いで、正直アンタたちが来てくれて助かったわ。もうあの声を聞かなくて済むもの》
甲高いエンジン音と共に、真っ黒のジェット機がこちらへと近付いてくる。
初めから無線で話しかけてくるのは自信なのか、それとも、祖国への失望なのか。
どうにも後者が強い気もする。
《そうですか。……さて、エリカ。決闘を申し込みます》
《……正気? アンタの小隊って全員エースよね? 全員で来られたら私でもキツいわよ》
《私じゃ役不足、と?》
《そうね。アンタとの一騎討ちなら負けるつもりはないわ》
鼻で笑っているような声色で、エリカは生意気なことを言い放ってきた。
でも、私も同じ気持ちだからなんとも言えない。
《舐められたものですね》
《私も強くなったのよ。……手加減は出来ないわよ。最後の最後で死んでも良いなら、やりましょう》
言葉で重圧を与えるように『黒騎士』は語る。
だけど、手加減なんて端から期待していない。全力で戦い、全力で堕としたいだけ。ここまで来たら、私の欲望だ。
《その程度で私が怖気付くとでも? 受けて立ちますよ》
《アンタ……慎重になったって聞いたのに、案外変わってないじゃない》
半ば呆れるように、エリカは言った。
機体を旋回させて、エリカを先導する。決戦の場所は目立つ場所の方が良い。
首都中央部の上空なんかが良いだろう。
『それじゃ、行ってきますね』
そして、特殊任務航空小隊の――私の最も頼れる戦友たちには挨拶を。
『幸運を』
『がんばれよ』
『行ってらっしゃい』
『こいつらは任せとけ』
口々に、頼れる言葉が返ってきた。
この調子なら、本来の任務はあの人たちに任せておけば十分だね。
さあ、やってやろう!
◇
《決闘の作法は覚えてるかしら》
《ばっちりです》
オクチャブリスカヤでの戦いを思い出す。あの時は評議会共和国の首都だけど、今はフォルクスシュタート。大衆ゲルマンの首都だ。
攻守は逆転して、勝敗も同じ。……思えば、私たちは大衆ゲルマンと同じような作戦をするつもりなのだ。ただ一つ違うのは、彼らに逃げ場はないこと。
《そ。じゃあ早速やりましょう》
《やる気が無さそうですね》
《元々この国が嫌いだったのに、それに加えて敗戦寸前よ? やる気が湧くほうがおかしいわ》
今日のエリカはいつもより元気がなかった。
どうにも覇気がない。その程度で弱くなるほどの腕の人ではないから、油断は出来ないけれど。
《じゃあ、大人しく堕とされてくれますか?》
《フン、それは御免ね。私にもプライドはあるのよ》
左右に分かれて20秒。今更話すこともない。少なくとも、空の上では。
集中が高まっていくのを感じながら、エリカに向かって旋回した。
エリカにやる気が無くても構わない。なんにせよ、私はやらなくちゃならないんだから。
操縦桿を握り直して、照準をシュヴァルベに合わせた。
《そういえば、大劇場の事は知っていますか?》
赤色の曳光弾を撃ちながら、エリカに話しかける。
最初の一発で決めるなんていうのは、エース相手にはほぼ不可能だ。弾数がもっと限られているなら、エリカみたいに撃たないで温存しておくのも悪くない。
《え?》
《建物は随分と壊されてしまいました》
ヘッドオンして交差して、その次の動きは相手に合わせる。エリカは一度上昇するつもりらしい。エネルギーを稼がれたら不利になるのはこっちだ。
インメルマンターンを行い、高度を稼ぎながらエリカの方へと機首を動かした。この距離から見るシュヴァルベは、色も相まってまさに燕のようだった。
だけど、普段は軽やかに飛んでいる燕の動きは、今もそう変わらないはずなのに、見ているとどこか息詰まるような感じがする。
《……そう、なの》
エリカの重苦しい声が聞こえてきた。
《……伝えない方が良かったですか?》
《いえ……。いつか知ったのでしょうし、時間の問題だっただけよ。でも、そっか……》
エリカのマイクが大きなため息を拾う。
彼女の気分が私と機体にも伝染したようで、舵取りも重くなってきた。
《私たちが主導した攻撃でそうなったのよね》
《……はい》
今すぐに慰めたいところだけど、そうもいかない。
これは個人の問題だし、なにより、エリカが受け止めるべき問題でもある。
軽い言葉は掛けられない。
《そう。仕方ないわ。……仕方ないのよ。戦争はそういうものなの》
そしてなにより――今は戦争中で、エリカは敵だ。
あと一歩で勝利なのだから、この隙を突くべきだ。
エリカの機体は上昇を続けたせいで、速度を落としていた。そうなったジェット機が相手になれば私のほうが有利だ。
エンジンのスロットルを押し込んで、さらに速度を上げた。
《たくさんの人の夢と理想と幸せを消費して、敵を殺す。そういうもの》
内戦の最中に生まれて、平和というものを知らずに育った哀れな少女は随分と達観してしまっていた。
泣きそうな声だった。
平和を望んでいるのに、空戦の天才である彼女は、平和を享受することは許されない。むしろ、侵略の尖兵となっていた。
《けど、実際に血を流した人が得られるのは、消費した半分にもならない僅かなモノ。元よりも酷くなる時もあるわ》
加速し――追いついた。
エリカの斜め下、攻撃にちょうど良い位置だ。しかし、エリカも気が付いているだろう。速度に余裕がないから、もう少し様子を見よう。
《ただ、人を操る立場にあるなら話は別。全てが手に入る。一から育てるよりも何千倍も早く、簡単にね。荒廃した国家にとって、侵略戦争は麻薬みたいなものよ。一度成果を享受すれば、その誘惑から逃れられなくなる》
《だから侵略を繰り返したんですか?》
《そうよ。人も資源も工場も、全部手に入るんだから》
十分だ。
機首を上げ、エリカを下から突き上げる。何発か撃つと、ぴったりのタイミングでシュヴァルベは一回転し、私の攻撃をすべて避けた。
……言葉は重苦しく、気分も感情もどん底の悲劇のヒロインなのに、随分と戦いは上手いみたいだ。流石だね。
《クレプスキュールを陥落させた後は一気に生活が良くなったわ。甘いお菓子、豪華な服、初めて見るものばかり……。平和のうちに暮らしていたら、努力しなければ手に入らないものが、奪えばすぐに私たちのところへと転がり込んできた》
《疑問には、思わなかったんですか?》
上昇しながら攻撃したせいで、私の機体のエネルギーは失われた。一方のエリカは十全の備えだ。
攻撃が始まる――一気に旋回して、私を見据えて喰らおうとしてきた。
燕っていうよりも鷲のような攻撃だ。
《初めての贅沢よ? 戦争しか知らない私たちは、喜ぶほかに無かったわ》
《リヒトホーフェン卿は……》
《そうね。お父様だけは、難しい顔をしていたわ》
エリカらしくない攻撃が繰り返されている。
避けるのは容易だけれど、少しずつ追い詰められていくようなやり方だった。
もっと、正々堂々とした空戦の方が彼女らしいのに。今のそれは、八つ当たりみたいだ。
《でも、そんなの続かないのよね。当然よ。種まきをしないと新たな実は成らないもの。人の畑から奪ったって、限界はすぐに訪れるわ》
鏡越しにエリカの動きをよく見ながら、機会を伺う。
今だ――ペダルを蹴ってラダーを動かし、機体を強引に失速させる。そうしてエリカを押し出すことで、今度は私が背後を取った。
一瞬の過大な負荷で暗くなった視界が晴れていく。
《狂ってるわ、戦争なんて。……ま、私は平和なんてものも知らないけれど》
《エリカ……》
《はあ……。馬鹿馬鹿しい。なんで負ける国のために頑張ってるのかしら?》
エリカのことだからコブラでもしてくるのかと思えば、今回はやってこない。
何発か機関砲を放つと、エリカが話しかけてきた。
《最後くらい、シュヴァルベを鳥籠から解き放ちましょう。ねえ、エカチェリーナ。聞いてくれない?》
《……良いですよ。最後まで付き合いますとも》
空戦を一旦止めて、私たちは並んで飛んだ。
空は曇っている。大衆ゲルマンは、いつだって灰色だった。
《ありがとう。……リヒトホーフェンの姓を貰う前、当然だけれど、私たちの姓も持っていたわ。捨てた親は丁寧にも残していったらしいから、私たちは本当の姓も知っているの》
エリカとハンナさんは戦争孤児だ。
その口ぶりからするに、親の行方は知らないし、調べてもいないのだろう。評議会共和国は平和だったからわからないけれど、同じような境遇の子は多いのかもしれない。
だが、2人は偶然にもリヒトホーフェン卿に拾われた。そして、内戦の渦中にありながらも、少し歪だけれど立派な家族を作っていた。
《ハンナはルーデル。そして私は、ハルトマン》
空挺軍への対応のために、地上では大衆ゲルマンの機甲師団が大通りを進んでいた。
郊外ではいくつか黒煙が上がっている。都市部では戦闘は始まっていないけれど、外側では違うみたいだ。
《リヒトホーフェンは捨てましょう。今日だけは、自由に飛ばさせてもらうわ》
エリカの声に元気が戻ってきた。
彼女の中で、なにか決心がついたのかもしれない。
《そうだ。あなたたちがちょっと早かったから、計画に乱れが出てしまったのよね。お姉様に助力しておきましょうか》
ぐん、と急降下して、エリカは重厚な建物に向かって機関砲を放った。
砲弾は窓を直撃し、部屋の中の惨状は想像に難くない。
あそこは確か、大衆ゲルマンの参謀本部の建物だったはずだ。
《何を……!?》
《ふう、なんだかせいせいしたわ。さてと、これで準備は完了。私たちは自由ね……》
エリカのことだから、たぶん、参謀本部でも重要なところを狙ったに違いない。
こんなことをされたら、大衆ゲルマンの前線部隊は動けなくなる。
そして、再び上昇を行う。隣を見ると、風防越しにエリカと目が合った。
《あなたも、よ。エカチェリーナ》
良い目をしていた。
出発前の小隊員たちと同じ煌めきを持っていた。未来に希望と期待を抱いている、私の好きな煌めき。
《どうせ終わりなら――最後くらい、あなたの本気を見せなさい》