77.多大な精神的疲労
ハンナさんは無事に捕まってくれていた。一安心。そして、特に大きな怪我はなかったらしい。……深く考えるのはやめておこう。そういう人なのだ。
ということで、リヒトホーフェン卿と同じように、私はハンナさんとも話すことになった。もちろんいろいろ期待されているんだろうけれど、なんというか、半ばエースを堕としたご褒美みたいになっている気もする。
そうして部屋に通されたハンナさんは、手枷を付けていた。リヒトホーフェン卿とは少し違う待遇だったけど、捕虜ならこれくらいは普通だ。監視の人が居ないだけ優遇されてる。
「えっと、こんばんは。ハンナさん」
「こんばんは、カレーニナ少佐」
ハンナさんの瞳は澄んでいて、知性の光を灯していた。その言葉は優しく、たった一言の挨拶だけで『あなたが無事で良かった』という感情を伝えてくる。
なんか不気味なんだけど? 人が違くない?
「お父様ともお話をさせていただいたわ。元帥閣下には感謝を」
そんな調子のまま話してくるから、私は少し引き気味になってしまう。
「あ、はい。そうですか」
「……ところで、もしかしてと思っていたけれど……! やっぱりお父様を堕としたのはリーナだったのねぇ!」
冷静なハンナさんは淑女然としていてやりやすいな――なんて思っていたら、いきなり本性が現れた。
目を少し見開いて瞳孔を大きくしながら、私のことを見つめてくる。声は荒ぶっていて、熱くなった体温が私の方まで伝わってきそうなほどだった。
「フフ、フフフッ……! ああ、もう、手枷が邪魔だわ!!」
急に大きな声を出してきて、ハンナさんは手枷を机に叩きつけた。
「うわっ!」
私は驚いて椅子からずり落ちそうになる。何考えてんのこの人!?
さらに立ち上がって近寄ろうとして来たので、私は反射的に腰に提げている拳銃へと手を伸ばしていた。
「手を繋ぎましょう――リーナ、こっちに来て」
「嫌ですよ!」
「つれないわねぇ。でもそんなところも好きよぉ」
必死に拒否すると、それでようやく彼女は落ち着いた。
椅子に座って髪を整え、笑いを堪えながら深く息を吸う。すると、雰囲気ががらりと変わっていった。
「んふっ、フフ……ふう、真面目な話をしましょうか」
「……え?」
「それで、何を聞きたいのですか? 生憎、私が知っていることはあまりありませんが……」
ハンナさんは正気に返ったようだ。
それでも警戒を解くわけにはいかない。彼女を注視しながら、ゆっくりと姿勢を正した。手は机の下に。見えるところにあるといきなり掴まれそうだから。
「急に性格を変えないでください……」
「興奮すると我を忘れてしまうんですよ。申し訳ないです……けどカレーニナ少佐が悪いんですよ」
私は悪くないが?
そう突っ込みたい衝動に駆られるけれど、いちいち相手をしていたら時間がいくらあっても足りない。
感情を呑み込んで、話を進めることにした。……正直、聞きたいことをさっさと聞いてこの場から逃げ出したい気持ちもあるし。
「えっと、聞きたいことって言っても、軍事的なことではないんですが……アンナさんのことですね、聞きたいのは」
この間、アンナさんのことについてリヒトホーフェン卿から聞いたのは、クーデターを企てているということだけだった。
……あの人は頑固なところがある。自分自身を『もしもの時の保険』と位置付けてしまっている以上、敗北するまではこっちに戻ってくることはないだろう。
強引に連れ戻すことも難しい。なんせ魔法が使えるのだから。常識として、冒険者でもなければ魔法使いには敵わない。
アンナさんを救うためには、大衆ゲルマンを敗北させる必要がある。だけど、大衆ゲルマンを敗北させた後にアンナさんがどのように動くか――そこだけは予想できない。
今日聞くことで、そのことについてなにか考えが浮かぶといいのだけれど。
「なるほど。カレーニナ少佐はアンナ様の計画をご存知でしょうか?」
「まあ、なんとなくは。クーデターですよね」
「大まかにはそのとおりですが。ふむ……あまり詳しくはないと」
「……そういうことですね」
私が声のトーンを下げながら言うと、ハンナさんの声は反対に、楽しげに変わっていった。
「アンナ様は、『連合国』がフォルクスシュタート――我が国の首都に迫っても、指導部は降伏しないと考えております」
「まあ、そうなりそうですよね……ここまで追い詰められているのに降伏しないんですもん」
首都がそのようになってしまうのは、元帥たちも想定していた。
敵軍の部隊の士気はまちまちらしい。戦闘に入るとすぐに降伏するところもあれば、最後の一人まで抵抗するところもあったという。
どうしてその差が生まれるかはわかりやすかった――内戦の時から存在している部隊か否か。つまり、現在の体制への忠誠心の差だ。
そのことを考えると、首都の防衛部隊なんかはきっと最精鋭を抱えていることだろう。……戦闘がどうなるかなんて、嫌な予想しか出来ない。
「はい。そしてその予想は恐らく正しいものです。そこで、最後の一手はあの方が行うつもりのようですね。要するに、最終決戦の際の手段を問わない上層部の乗っ取り、そして、その上での首都全域への魔法の発動――言うならば、魔法による革命」
――だけど、その嫌な予想を丸ごと解決する方法がある。
楽しげに微笑んでいる彼女の口から伝えられたアンナさんの計画は、私たちの懸念を全て払拭するものだった。
アンナさんの魔法は信用を得ている相手に最大限の効果を発揮する。
重要情報を伴う裏切り、祖国への攻撃すら厭わない姿勢、教え子すらも堕とそうとする覚悟、そして、このような局面に至っても元の国へと寝返ろうとしない確固たる(ように見える)忠誠心――すべてが繋がり、上層部からの信頼は篤くなっているに違いない。
すべてが繋がるのは、私も同じだった。点と点が繋がり、大きな絵が完成した。
評議会共和国が最も被害を出すであろう場所で、無血での勝利をもたらす。
一体アンナさんはどこからどこまで計画していたのだろう?
信じられないほどの深謀遠慮だった。
「最後まで戦うなんて、私としては惹かれるものではありますが、私は虜囚の身。傍観することにします。……ああ、可能なら、首都でリーナと戦いたかった。もっと燃えるように滅びるように、興奮と恐怖でぐちゃぐちゃになりたかった――!」
私の考え事を邪魔するように、ハンナさんは囁いてきた。
頬は火照り、唇は艶やかに赤みを帯びて、熱を孕んで潤んだ瞳は私を見つめてくる。
…………もう相手しないぞ。
「失礼。それはエリカに譲りますか。私は姉ですからね、たまには妹に贈り物も必要です」
「……私の前で語るようなことを、リヒトホーフェン卿の前でも言えますか?」
「恥ずかしくて言えないですよ。リーナは妄想を親の前で語れますか?」
「無理ですね」
「同じことです」
聞きたいことも聞けたので、この面会はもう終わりにしよう。
ため息を吐きながら立ち上がると、ハンナさんも一緒に立ち上がって、こっちに近寄ってきた。
一歩下がる。
「ところでリーナ。私が脱出しないときに心配してくれませんでしたか……!?」
何をしてくるのかと神経を尖らせて警戒していると、彼女は最高に嬉しそうな顔でそんな事を言ってきた。
「……気のせいですよ」
「『ちょっと……クソ……馬鹿なことして……』。ンフフフフフ!!」
私の声真似までして、無線にぼやいた言葉を真似して言ってくる。
めんどくさいことやっちゃった。
「ふふっ、うふふふ……今夜、待ってますよ」
「嫌ですって……!」
幸いにもそれ以上は何もされずに、スムーズに解散することができた。
続きは今夜ってことみたいだ。
……行くわけ無いだろ!!
◇
多大な精神的疲労を感じながら建物を出ると、見慣れた2人が待っていた。
「よ、リーナ」
「無事で良かったよ、リーナ!」
ミールとリョーヴァだった。
ハンナさんと話した後にこの2人を見ると、なんだかすごく落ち着く。癒やされる。
リョーヴァの頭撫でてもいいかな。吸ってもいい?
疲れから浮かんできたバカな考えを吹き飛ばして、正気に戻る。
「リョーヴァ、ミール。おかえり。私は元気だよ」
「俺たち、ここが襲撃されてるって聞いて急いで帰ってきたんだ」
「最悪の事態も考えていたけど……まさかリーナが堕としちゃうなんてね」
ミールが苦笑しながら言った。
自分でもびっくりだ。奇襲を受けながらもうまく対応できちゃうなんてね。
「今回ばかりは運が良かったよ。あの人――ハンナさんはこう……私に因縁があったからさ。うまい具合に交渉ができたんだ」
「そうか。とにかく、無事で良かったぜ」
「ところで、そっちはどうだった? 何もない?」
私の方はハンナさんの襲来くらいだった。
2人に任務のことを聞くと、特別な苦労とかはなかったようで、特に表情を変えたりもしないで起こったことを言ってくれる。
「ちょっと遭遇戦があったのと、後は、敵の地上部隊が迎撃されたくらいだね」
「なんつーか、敵さんは限界っぽいな。……そうだ、中佐たちも心配してたぞ。顔見せてきたらどうだ?」
「あ、そうなの?」
「まだ格納庫だと思う。行って来いよ」
「うん、行ってくるね」
ということで、2人に元気な私を見せたら次は中佐たちのとこへ。
リョーヴァの言う通りに、中佐たちはまだ格納庫で話していた。
「お待たせしました!」
手を振りながら駆け寄ると、2人は私を見て笑ってくれた。
「待ってないぞ」
「ふふ、そうね。ちょうどデブリーフィングを終えたところよ。……無事で良かったわ、エカチェリーナちゃん」
むぐ……。
ミラーナ中佐にまた抱きしめられてしまった。
リーリヤ中佐の方をちらりと見ると、微笑ましいものを見る目で見られている。嫉妬とかはしないみたいだ。まあ、私もそんな気持ちになったりはしないけどさ。
小さい声で呻きながら少しだけ抵抗をしていると、リーリヤ中佐に頭を撫でられた。
「よくやったな、少佐。ていうか、ここまで来たら残りのエースも一人で堕とすつもりなのか?」
「ちょっと、リーリャ?」
「いいだろ別によ〜。夢と希望と煌めきが無くなった戦場で、ギリギリ残してるとこじゃねえか。エース同士のそれっていうのはよ」
むすっとした声とへらへらした声が頭の上でぶつかり合っている。
私の視界は真っ暗だった。
「引き留めるのはこのくらいにしておきましょ、リーリャ」
抱きしめていた私の身体を離しながら、ミラーナ中佐が言った。
包まれていた落ち着く香りが急になくなるのは、ちょっと名残惜しい。
「エカチェリーナちゃん少佐。今日はお疲れ様。頭も使って身体も使って……大変だったでしょう? 私たちで任務を回すから、明日はゆっくり休んでね」
……正直、結構心身ともに消耗していたから渡りに船だった。
申し訳ない気持ちもあるけど、甘えさせてもらおう。
「そうさせてもらいますね。ありがとうございます」
「気にすんな。アタシらの代わりやってくれたんだから、シフトの交換なんて当然だろ。んじゃおやすみな」
「はい、おやすみなさい。リーリヤ中佐、ミラーナ中佐」
中佐たちに手を振って、私の部屋へと戻っていった。
寝るには早いけど、今日くらいは早寝も良いかも。
これで本章は終わりです。
次章で終戦。
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