76.『狩淑女』
《愛しい人! 踊りましょう……! さあ、さあ!! 燃えて、燃えて、命尽きるまで!》
青空に浮かぶ真っ白なレシプロ機と迷彩色のジェット機は、一際映えて見えている。
上昇を止めたシュヴァルベは早速私を襲おうとしてくるが、旋回の途中だったので容易に避けることができた。
避けると、ハンナさんはそのまま遠くへと加速しながら飛んだ。一旦距離を取るつもりらしい。
ここで追っても不利になるだけだ。冷静に機会を見極めよう。
《お上手になったわね! でも今回はもう一度だけ――私にエスコートさせてくれるかしら、エカチェリーナ・ヴォルシノワ?》
《お断りです!》
《あら……フフ! 逃さないわよ……腰を捕まえてあげるぅ!》
操縦桿を握りしめて、遠くから高速で向かってくるシュヴァルベを見つめながら最適な機動を考え出す。
早すぎるのはだめだ。ちょうどエネルギーを失ったところを狙われる。
遅すぎるのもだめだ。ハンナさんは焦らすのが上手い。判断が遅れる一瞬の隙を狙って挟み込まれる。
そうしていくつものパターンを考えて取捨選択を行い、一つのモノを選び出す。そしてそれを実行する。
最高の瞬間を狙って機体を動かすのには成功した。
しかし、一撃離脱をするだろうと想定していたハンナさんは、私の背後を捉えて喰らいついてきた。
《しつこいですね……!》
今の位置を確認するために背後を振り向くと、風防越しにハンナさんと目が合った。
随分と楽しそうな顔をしていた。柔らかい金髪は穏やかに揺れて、優しげな瞳は微笑みかけてきている。
《恋愛って追いかけっこでしょう? 空戦や狩りに似てると思わないかしら?》
《私はそうは思いませんけど! しつこい人っていうのは得てして嫌われるものです!》
《んふふ……逃げるのもいいけれどぉ、逃げてばかりだと私が燃えるだけよ?》
ふざけたことを言ったハンナさんは少しだけ加速して私の前へと躍り出た。
見えるのは背後。攻撃するのには絶好のポジション――挑発されているのはわかっているけれど、大きなチャンスであることも間違いない。
上下左右へと動くハンナさんを追いかけて、私も同じような機動を行う。
《ほうら、リーナ! もっと私に近付いてぇ!》
一体どんな小細工をしているのか、明らかに攻撃機では無理な動きを幾度も繰り返している。上手くこの近い距離を維持しないと、追い越して次に背後を晒すのは私になる。
しかも、そうした不意に背後を晒した時っていうのはほとんどが無防備。すごく危険っていうことだ。
だから――この、信じられない上下への負荷に耐えながら、内臓がシェイクされるのを我慢しながら、ハンナさんを追う以外の選択肢はない。
《ふっ……ふう……。ちょっと、無理な動きしすぎじゃないですか?》
《リーナの吐息……! 甘美な音色ね……!》
《この……!》
空元気を出して、腹に力を入れて根性で意識を保っている。ちょっとでも気を抜いたら一気にブラックアウトしてしまいそうだった。
しかし、この繰り返しにはさすがのハンナさんも堪えてきたのか、一気に降下して加速を行うことで、私との絡み合いから離脱を始めた。
私も追うが、速度の乗ったジェット機相手にはあまり意味もないかもしれない。
けど、この人だからね。そんな常識的な考えは――
《身体も温まってきたわね。そろそろ踊りましょうか》
私から程よく距離を取ったハンナさんが、美しい軌道を描きながら旋回をした。
ここまではウォーミングアップらしい。
……彼女がそのつもりなら、一緒に踊ってどっちが上か見せてあげよう。
《手を貸して、リーナ?》
《小癪ですが……楽しみましょうか、お嬢さん!》
ハンナさんの空戦の方法が大きく変わった。
先程までの、相手を消耗させて徐々に追い詰めるやり方から、リヒトホーフェン卿やエリカのような正統的な空戦のやり方に変わっている。
2人と違うのは、その動きに緩急が交ざっていること。……なんだか悔しいけど、綺麗だ。
《ふふ、フフフッ……! ええ、楽しませて!》
一方の私は、普段通りのやり方をするだけでその華麗な踊りが自然と行われる。
されるがままに流されれば、ハンナさんは私を引っ張って踊ってくれた。
《そうよ……お上手》
ほんの少し操作を間違えるだけで衝突しそうなほど、私たちは近付きながら戦っている。
見ようによっては、あるいは馴れ合いのように見えるかもしれない。どちらも、ほとんど弾を撃たないのだから。
けど、殺意と勝利への意志は私もハンナさんも確実に持っていた。
《褒めて貰えるなんて、私も成長しましたかね》
《立派な淑女になったわねぇ……早く娶りたいわぁ!》
……どこまでが本心かわからない。もしかしたら、全て計算ずくの上で私を挑発しているのかもしれない。
彼女のペースに乗るのは構わないけれど、ここで呆れて隙を見せてしまうのは駄目だ。
真面目に……向き合おう……。
《脚を出してご覧なさい》
フラップを全開にして揚力を最大限に作り出しながら、私たちは旋回を繰り返す。
《あらぁ、可憐ね。もっとかわいらしく、くるりと回ってくださいな?》
《……ちょっとは、黙れないんですかっ!》
《うふふふ! だってぇ、リーナと戦うのが楽しいんですもの……ほら、余所見は危ないわぁ》
私を狙って大砲を撃ってから、ハンナさんは親切にも注意をしてくれた。
当然、その言葉が届くのは私がその攻撃を避けた後だ。
《私の腕を掴んで……?》
上空へ来た時のように、今度は下へと降りながら螺旋を描いていた。
私たちの距離は近い。上を向けば、顔がはっきりと見えるくらいの距離だった。
至近距離で蛇みたいに絡み合ってる。これじゃまるでダンスと言うよりは……。
《華麗なターンね……惚れ惚れしちゃうわぁ》
集中が行き過ぎて、くだらない妄想をしてしまった。
気が付けば、私たちは最初のときのように、木の上ほどの高さにまで高度を下げていた。
そして、その上で、どちらもエネルギーを大きく消耗している。
この条件では私が圧倒的に有利だった。下に向かって加速することも出来ず、かといって、水平に飛んで逃げるにも速度は足りない。
仕掛けるのはここだ――!
《最後は抱き合って――》
そうして、徐々に戦いの興奮は絶頂へと上り詰めていって――
《口付けを交わしましょう!》
《嫌ですよッ!!》
見抜いた。
最大のチャンス。
ハンナさんの軌道に少しだけ狂いが生じた。私の照準が尾翼を捉える。
普通の相手なら誤差の範囲――気にするほどのミスではない。だけど、私が相手だ。
機関砲を撃って、薄い金属を切り裂いた。
その瞬間に尾翼は反応しなくなり、マトモな機動は不可能になる。
《二度とあなたとは踊りませんからね……ハンナさんっ!》
《ふふ……フフフ! さすがねリーナ!》
最後に叫んで、ハンナさんの機体から距離を取った。脱出する時に邪魔になるだろうから。
……だけど、彼女は脱出しない。ちょっと……!?
《脱出しないんですか!? 何考えてるんですか早く飛び降りて――》
……私が言い切る前に、シュヴァルベは地面に突っ込んだ。
爆発はしていない。燃えてもいない。だけど、何百キロの速度で設置した。
《ちょっと……クソ……馬鹿なことして……》
恐らく、コックピットの中は……もう……。
落ち込んだ気分のまま、元帥に連絡するために無線のチャンネルを変えようとした時、意外な声が入ってきた。
《ごほっ、ごほ……。あら……生きてるじゃない。リーナに殺されるなら本望なのに……残念ね》
……生きてた。
いや、無理じゃない……? なんで……?
《ウソ……なんで無事なの……?》
《私って悪運強いのよぉ。内戦の時にも何回か墜落したけど、毎回生き延びてたわねぇ》
なんだそれ……。
内心ものすごく呆れながらちょっと安心しつつも、それを表に出すとめんどくさそうなので、努めて平坦な声で返事をする。
《頑丈すぎませんか? ……部隊を向かわせるので、大人しく待っていてくださいね》
《はぁい。無駄なあがきはしないわ。次は地上で――肌を触れ合わせて――お互いの体温を感じて――吐息や汗や香りを感じながら踊りましょうね、リーナ! ンフフフ、楽しみだわぁ!》
《はは……》
無事で居てくれて良かったという安堵と共に、ちょっとした後悔が押し寄せてくるのだった。
……なんだかこの人相手は締まらないな。