75.お勉強タイム
春になった。雪は解けて、新たな生命が芽吹き始める季節。
西方の連合国はクレプスキュールの首都を解放して、大衆ゲルマンを次第に追い詰めている。最後の攻勢は1ヶ月もしないうちに始まるだろう――みんなそんな予想をしていた。
だけど、暇というわけではない。
解放を完了させても、私たちの任務はしっかりとある。地上も地上で塹壕に籠りっきりになるけど、空も空でずっと警戒と迎撃だ。
私は別。勉強だ……。
「――そうしたことから、この場合には地上と空中の戦力を統合した攻撃が肝要となる。そして、この事例に俺の理論を交えて考えるとだな――」
「はい……」
「どうした少佐、疲れたか?」
今日はたくさん頭に詰め込んでいる。外はいい天気だった。本日は晴天なり。
窓の外を見ると、午後の穏やかな日差しの下に、色とりどりの花々が可愛らしく咲き誇っている。
遠くの空から聞こえるのは飛行機のエンジン音だ。……ああ、空。飛びたい……。
「おっと、もうこんな時間か。よし、1時間休憩を取ろう。外の空気を吸ってくると良い。昼飯も忘れずにな」
「はあい……行ってきます……」
ふらつきながら部屋の外に出て、気持ちの良い陽光を浴びながら長い廊下を歩いて外に出た。
春先の気持ちいい空気と、草花の香り。
リフレッシュ――はまだできない。
「あたまがおかしくなるぅ……」
もうむり。
なんか、もう、意味わかんなくなってきた。だけど、私のスポンジみたいな頭は強引に知識を吸収していく。感情は理解を拒んでいるのに、脳みそは理解をしていた。
自己矛盾が勝手に起こっている。
「なんで私が空挺軍の運用方法についてまで学ばないといけないの? あの人絶対関係ないことまで教えてるよ」
ため息をすると、一気に愚痴が出てきた。
地面に座って、地獄へ吐き出すようにぶつぶつ呟く。
靴の紐をいじっていたら、視界の端に黄色が見えた。
「ねえ、お花さん。あなたもそう思うでしょう? ……黄色いきれいなお花さん……」
かわいくて、きれいな花だった。
花の種類には詳しくない。たんぽぽ……? ちょっと違うかな。
どっちかっていうとチューリップに近い? にしては小さい。
でも、かわいい子だった。今度詳しい人に聞いてみよう。……リーリヤ中佐とかは、意外と植物に詳しかったはずだ。
「君も冬を耐えて今咲いたんだよねえ。……ふうん、そっかぁ。私にとってはこれが冬、そう言いたいんだね。わかったよ。……よし、勇気をありがとうお花さん! 私も頑張るよ!」
ちいさくてかわいらしいお花さんと話すことで、私は勇気を取り戻した。
一緒にリフレッシュも完了だ。
お昼ご飯を食べに行って、午後も頑張ろう!
心機一転させて立ち上がると、甲高い音が基地に鳴り響いた。
「うん……? サイレン……?」
サイレン……サイレンだ!
頭が一瞬で切り替わって、元帥のところへと走る――道中で、元帥も私を呼びに来ていたらしい。ばったりと遭遇した。
「少佐! 急いで飛行場に向かえ、奇襲だ!」
「えっ!?」
「エースだ! 早くッ!」
伝える内容はそれだけで十分だった。
誰かは知らない。だけど、小隊員たちはみんな私の代わりに飛んでいた。
今エースを相手にこの基地を守ることができるのは私だけだ。
全力で走って格納庫に向かった。軍服は後方にあって、前線では飛行服しか着られない。そんな効率重視のやり方がまさかまさかの時に役立つ。
愛機のコックピットに飛び乗って、エンジンを始動しながら無線を付けた。
出力は最大。
エリカ、ハンナさん、アンナさん――今回来たのはどれだろう。
《最悪! 一体誰ですかこんな時に奇襲してきたのは!? エリカ!?》
《あらぁリーナ! ここに居たのね奇遇だわ……!》
《ハンナさんでしたか……!》
久しぶりのハンナさんのねっとりとした声を聞いて、私はちょっとだけ鳥肌が立った。
……だけど、この状況では幸運だったかもしれない。ハンナさん相手なら話が通じる。
『……交渉できそうです』
『今から飛んで間に合うと思うか?』
『無理ですね』
『……交渉を許可する。……すまない。無理難題を押し付けてしまって』
エリカやアンナさんなら任務を遂行することを優先しそうだけど、ハンナさんはたぶん違う。
目の前に良いオモチャがあったらそっちで遊ぶのを優先するタイプだろう。……そうであってくれ!
息を吸い込んで、勇気と一緒にハンナさんに話しかける。
《ハンナさん、私から一つ提案があります》
《なにかしらぁ? あんまり時間に余裕がないから手短にお願いね》
《一騎討ちをしましょう。その代わり、地上攻撃はやめてください》
ちょっとした会話で時間を稼いでいる隙に滑走路へアプローチをする。
……たぶん、さすがに、こんな無防備なところを狙うタイプではないはずだ。ていうかそうじゃないと困る。
《そうねえ……》
私の狙い通りに、ハンナさんは空中をぐるぐると回りながらちょっとだけ考えてくれた。
風防越しに機体を確認する。
上空を旋回するのは迷彩色のシュヴァルベ。先端と翼下に特大の機関砲が付いている地上攻撃タイプ。
紛れもなくハンナさんの機体だった。
《片方だけ止めても大衆ゲルマンは負ける……うん、決めたわ》
ゆっくりと速度を上げて、機体が浮かぶ。直進しながら加速して、徐々に高度も上げる。
ハンナさんがどのような答えをしてきても対応できるように、神経を尖らせておいた。
《良いわよぉ! 祖国なんかよりリーナとの戦いのほうが大事だわ!》
甲高い、興奮している声と一緒に聞こえてきたのはそんな答えだった。
……求めていた答えではあるんだけど、いざそう言われちゃうとちょっと呆れちゃうね。
そんなに私とやるのが好きなんだ?
《相変わらずですね……もう少し待っていてください》
《燃料に余裕が無いなのよ。早く来てちょうだいね》
◇
ハンナさんの機体へと機首を向ける。彼女も私の方を見て、一直線に向かってきた。
《ようやく来たわね。早速やりましょう!》
風防とエンジンの爆音があっても更に聞こえるほどのシュヴァルベの巨大な機関砲――というより大砲の音で、私たちの決闘は始まった。
機関砲っていうのは大きくなれば大きくなるほど発射速度も遅くなる。避けるのも簡単だけど、当たれば確実に堕ちるっていうのはプレッシャーになる。
《うおっと!》
目視してから機体を動かして攻撃を避けた。
反動で速度を少し失ったハンナさんはこのまま直進して加速するつもりらしい。私は機体を旋回させて、通り過ぎるハンナさんの後ろに着こうとするが――
《やりにくいったら……! なんで攻撃機仕様でそんなに動けるんですかっ!》
急に高度を下げられて、私の対応は後手に回った。
更に操縦桿を引っ張ってハンナさんに追いすがる。ジェットエンジンが草花を揺らすほどの高度になってようやく水平飛行へと戻った。
超低空飛行だった。
……どうしてハンナさんがここに奇襲できたのか不思議だったけど、この操縦技術によって、レーダーを避けながら飛んできたのだろう。
ただでさえ機動性の劣っているジェット機、更にその攻撃機仕様だ。ちょっとした操縦ミスで機体の安定性が失われるのは想像に難くない。
それなのに、危険を顧みずに低空飛行を行って奇襲を成功させた。……まあ、今ではこんなことになってるけど。
《コツがあるのよ何事も同じね。エリカみたいな離れ業はできないけれど――》
ハンナさんの機体が、据え付けられていた小型の爆弾を投下する。
《危ないっ!》
その後ろを飛んでいた私は、咄嗟に高度を上げた。――真下で、爆発が起こった。
あのまま真っすぐ飛んでいたら、爆風と破片で機体は粉々になっていた。
《こういう事もできるのよぉ。たまに引っかかるパイロットも居て楽しいわぁ。おすすめよ》
《私はあなたみたいに戦争を楽しみませんから……!》
無理な回避をしたせいで、ハンナさんとの距離が随分と離れてしまった。速度の乗ったジェット機に追い付くのは難しい。
ここは一旦リセットだ。次に仕掛けてくる時を待つ。
《ハンナさんだけですよ。こんな戦況なのに楽しげな人なんて》
《んふ、そうかしら?》
《そうですよ……聞きましたよ、合衆国の戦艦を撃沈したらしいですね》
誘うようにゆっくりと動く。
左へ右へ、風に揺れるカーテン――あるいは、揺蕩う海月のように。
《あら、リーナにも知られてるなんて嬉しいわぁ。でもあれは偶然よぉ、二度は出来ないわね》
《単機でやるなんて一度でも化け物ですよ!》
例えば、空母の艦載機部隊による攻撃なら、戦艦を撃沈するのも不思議ではない。
数多の雷撃や爆撃によって、海上の要塞を壊すこと自体は不可能ではない。
ただ、単機でそれを成し遂げるのは狂ってる。怪物だ。
《化け物だなんて……悲しいわ。リーナにそんな事言われたら……》
口で煽って動きで誘って、目論見通りに喰らいついてくる。
言葉を溜めているのを感じて――ちょっとだけ、無線の音声を下げた。
《ふふっ、フフフフ! 強引に私のものにしたくなっちゃうじゃないの! 逃げる獲物を追うのは大好きよぉ!》
旋回を繰り返して、ちょうど私がハンナさんに対して真横を向いた瞬間に襲いかかってくる。
フラップを全開にして負荷を考えずに機体を動かし、向かってくるシュヴァルベに照準を合わせて機関砲を放った。
ぐるり、と横に一回転しながらハンナさんは攻撃を避ける。キレイな動きするじゃない……!
《私なんかよりっ、今すぐ撤退して! 首都の防衛にでも移ったらどうなんですか!》
《嫌よ。祖国も、上層部も、興味ないもの。私はリーナのほうが大好きよ大切よ!》
再び接近して、有利な位置を取り合う戦いが始まる。
その最中に放った私の苦し紛れの言葉に、ハンナさんはあんまりにもあんまりな言葉を返してきたので絶句してしまった。
《――祖国よりも私のほうが大事なんですか!?》
《国と恋のどちらを取るか、身を引き裂かれるような想い! そういうものって、切なくなるような、感情が揺り動かされるような、至上の恋の物語には付き物でしょう?》
やっぱりこの人はおかしい!
《ああ、なんて素敵な選択……! それをさせてくれたリーナはやっぱり運命の人ね》
《戯言を……! あなたは狩りをしたいだけでしょう? 楽しい、心躍るような狩りを》
一撃離脱に徹しているシュヴァルベを相手にするのはやりにくい。
どうにか格闘戦へ誘い込もうとするも、ハンナさんは高度を上げながら、絶対的に優位な戦場を作ろうとしていた。
《うふっ、そうかもしれないわね。でも、狩りは西部で散々やってきたから食傷気味なの。それなりに楽しい人も居たわよ?》
《……居たんですね》
《あらぁ嫉妬? でも安心して私はあなたしか――》
《嫉妬じゃないですっ! 同情しただけですよ、その人に!》
上へ上へと昇り続ける。
上昇速度なら、ジェット機もレシプロ機もそう変わらない。
螺旋を作るように、私たちは重力の枷から逃れ続けていた。
《んふ、残念。……あなたとしたいのはダンスよリーナ。対等な立場で踊りたいの――私の運命の人。……実はね、この間、ラティニの人に相応しい言葉を教えてもらったの。あなただけに捧げる言葉よ……》
《はは……嫌な予感がしますね》
シュヴァルベは遥かな高空まで舞い上がった。
そこは青空。今日はどこを見ても雲がない。
障害もなにもない、広大な広間だった。
《踊りましょう、愛しい人! ――さあ、さあ!! 燃えて、焦がれて、蕩けて……命尽きるまで!》