74.ズウォタ攻勢
1月上旬、早朝。
あと30分もすれば日が昇りそうな色付いてきた東の空を尻目に、地上からはもっと明るい光が一足先に浮かび始めた。
我が軍の砲撃だった。攻勢を停止している間に強固に防衛されていた前線陣地を壊滅させ、さらにその上で、空軍による爆撃も行われる。
大攻勢の狼煙は、あまりにも派手な花火だった。
私たちは交代で警戒飛行の任に当たる。早朝の貧乏くじを引いてしまったのが、私とミラーナ中佐の2人だ。
黒い闇を白い機体が切り裂くように、空を飛んでいる。
隣の中佐の機体も同じ色なので、さながら流星のように見えた。
『早朝の雰囲気って結構好きです』
『わかるわ。清々しいのよね……あら』
眠気を忘れるためにもミラーナ中佐と雑談を交わしながら飛んでいた。
そんな時、ノイズが混ざる。いつものアレだった。
《2機編隊だと? ……お前ら何者だ?》
早朝の頭の動いてない時間だと、流石に敵の発見は遅れてしまう。
久しぶりに先に気付かれた。奇襲をかけるよりも敵の確認をするタイプの人で良かった。
『敵ですね』
『私は話さないわよ。エカチェリーナちゃん少佐に任せるわ』
ミラーナ中佐は真面目な人だ。この伝統的文化に参加したことはなく、人を罵っているところなんて見たこともない。
1回くらいは見てみたい気持ちもあるけれど、任されたことだしやってあげよう。私もあんまり得意では無いけれど。
《機体を見ればわかるでしょう》
《まさか……白兎……! クソ、負け戦っていうのはやってられねえな!》
《勝ち戦を楽しんだんですから、年貢の納め時ですよ》
機体を巧みに操って、少し遠くにいた敵機に話しかけながら近付く。数は4機。それなりに経験があるみたいだ。
だけど、私たちの敵じゃない。囲み込むような散開を始めたので、まずは1機堕としてみせた。
私の攻撃に合わせて、ミラーナ中佐は他の敵機が想定外の動きをしないように上手く動きを操ってくれていた。さすが、サポートが上手だ。私にはあんまりできない芸当。
『流石に強いわね、エカチェリーナちゃん少佐』
『ミラーナ中佐こそ。リーリヤ中佐ほどではないですけど、どうですか? うまく連携できてますか?』
『ふふ、ばっちりよ』
ひとつ堕としたことで、敵は私たちの脅威を正しく認識したみたいだ。一気に撤退を始めた。
追撃しても良いのだけれど、そこまでする必要もない。再び針路をとって、事前の計画通りのコースを飛行することにした。
早朝だからね。省エネで行こう。
『にしても……はあ、眠いですねぇ』
欠伸を噛み殺しながら、中佐に話しかけた。
空戦をしても眠気は覚めない。今更あの程度でどうにかなるほど初心でもないのだ。
目が覚めるほどの出来事が起きるとしたら――それはそれですごく大変になるからやめて欲しい。
『リーリャの事は叩き起こしたけど、多分今頃は格納庫で寝てるわね』
『リョーヴァもそうですよ。ミールが起きていることを祈りましょう』
ミールは真面目だから起きている……たぶん。けど、リョーヴァとリーリヤ中佐はなんとも言えない。寝てるかもしれないし、もし寝ていたとしてもミールは起こさないだろう。
年が明けた直後の1月の早朝なんだから、二度寝は結構気持ちがいい時期だ。爽やかで、背徳的で、微睡みは最高に魅力的に見えている。
私もだんだんと瞼が重くなってくる……けど、居眠り飛行は一瞬で死ぬ。気合を入れないと。
片手で頬を叩いて前を見据えると、ちょうどよいタイミングで上がってきた太陽に照らされて、細長いシルエットが見えた。
敵機だ。
『また敵ですか。今日は多いですね。何事も無いと良いですけど』
『本土に近くなっているから、レーダー網も綿密になっているのでしょうね。やりにくいわ』
スロットルを押し込んで、一気に加速する。プロペラとエンジンは大きなあくびのような音を立て、ほんの少し身体に掛かる負荷が強くなる。
先ほど撤退した部隊から連絡は受けていないのだろうか? それとも、連絡を受けた上で迎撃に向かわせた近隣の部隊なのか。
私なら――なんて考えてしまって、早速元帥の教育の効果が出ているのを実感していた。
……なるほど、大事だね。敵に対応するためにも。
接敵する。今回は私たちの奇襲だ。死角になりやすい斜め上から敵編隊に襲いかかり、私と中佐で2機撃墜をした。
残りは半分。
『敵さんはこういう時にエースを投入するものだと思ってたんですが、気配が無いですね』
私が一番恐れているのは、エリカやハンナさん、それにアンナさんを集中投入されることだった。
そこらのパイロットじゃもはや敵なしだけど、敵の中では、彼女たちだけは私と拮抗する腕がある。決戦――というか、私を堕とすためだけに投入されてもおかしくないと思っていた。
『クレプスキュールの解放作戦は南北から進めているらしいわね。それに、ラティニも離反する噂があるし……』
ミラーナ中佐が私の疑問に答えてくれて納得がいった。
西方帝国本土の解放を終えた合衆国と太平連盟は、ついに大陸への進軍を開始した。さらに、大衆ゲルマンの同盟国でもあるラティニ王国は、国外に派遣していた兵士を国内へと戻らせているらしい。
大衆ゲルマンは少しずつ追い込まれていた。ただ、それに伴って抵抗も強固になっている。私たちの損害は、大衆ゲルマンの占領地が減っていくのと反比例するように増えていっていた。
『奇襲に対応する余裕が無いってことですか。さっさと降伏してくれればいいんですけど』
だからこそ、ズウォタの解放とクレプスキュールの解放を終えた後、一気に二正面から大攻勢を行うことで戦争を終わらせようとしていた。
だらだら進めていたらゲルマニカの地は内戦のときよりも酷い状態になることが予想されていた。
『本当よ。少佐、後ろ』
コックピットの上に据え付けられている鏡を見ると、なるほど、敵さんは割とマトモなパイロットみたいだ。
綺麗な動きをして私の背後を取ろうとしていた。ミラーナ中佐は別の敵機の背後を追いかけている。並の相手なら、うまく隙を突けたってところだね。
でも、私たちはエースだ。
『機首上げます』
操縦桿を引いて、機体を上へと向かわせる。
速度は失われるけれど、それは私を追う敵機も同じ。大事なのは、カバーする味方がやりやすい状態へと持っていくことだ。
『うん、うまく釣れてるわね……撃墜』
『ありがとうございます!』
勢いづいた私たちは、そのまま残りの敵機も撃墜した。
今回は逃さなかった。撃墜数はもう……一体何機になっているんだろう? 誰も数えていないから、歴史の謎になるかもしれない。
再び同じ針路をとって、任務を再開した。
太陽が地平線の少し上に来ていて、地上が照らされていた。今日は雲一つ無い晴天だった。日の出は美しい。
『エカチェリーナちゃん少佐は今後のこと考えてる?』
『ちょうど悩んでるところでした。中佐は決めてるんですか?』
景色を楽しみながら空を飛んでいると、ミラーナ中佐が私の関心事を話してきた。
『いいタイミングね。私は平和になったら空軍を辞めて大学へ行くことにしたわ』
『おお、そうなんですか』
『お金がないから空軍に来ただけなのよね。でもこれ以上所属してたら次のチャレンジも難しい年齢になっちゃうから』
ミラーナ中佐らしいな、と思った。
心優しい中佐に軍はあまり向いていない。平和なときならまだしも、戦時になると心労もたくさんあるだろう。
それに、彼女はしっかり未来を考えながらコツコツ頑張れるタイプ。目標を達成したなら、軍を辞めるというのもあまり驚かなかった。行きあたりばったりなリーリヤ中佐とは対照的だけど、それなのにあんなにラブラブなんだから不思議なものだ。
『なにを学ぶんですか?』
『魔法学ね』
魔法学――あんまり詳しくないけど、その名前の通りらしい。
国家の強い統制の上に研究を行わないとならないので、その門はひどく狭い。さらに、世間からあまり良い顔もされない。言ってしまえば、魔法学の学者さんは熱意と才能を兼ね備えたエリートなのだ。
魔法は規制されてるし、魔法使いは世間から排斥されているけれど、魔法の開発は現代も行われていた。『花火』の魔法なんかは最近開発された魔法だね。
でも、どうして魔法学なんかを学ぶんだろう。やっぱり、サキュバスという獣人からくるやつなのだろうか。
『……やっぱり、種族的なアレからですか?』
『魔眼の研究ももちろんしたいけれど、単純な興味よ。そういえばエカチェリーナちゃん少佐も魔法使えるわよね? 今度研究させて頂戴』
誘ってくれるのは嬉しいけれど、私が使える魔法はだいたい3つ。
火を出すのと、水を出すのと、花火。
研究対象としてはあんまりな気もする。
『本当に簡単な魔法しか使えませんけど……』
『それでも十分よ。魔法が使えることを隠さない人を探すことが一番大変なんだから』
『それもそうですね――っと!?』
私が返事をした瞬間、真横を何かが通過した。
『少佐! 大丈夫!?』
その後すぐに地上で閃光と爆音が奔った。……何かはすぐにわかった。
『ラケータ……! 危ない所だった……!』
『まさか飛行中に至近で通過するなんて。隕石が掠るようなものね、無事で良かった……』
『豪運ですね……悪運ですが。そろそろ交代の時間になりますから戻りましょうか』
そうして終わったズウォタ攻勢の初日。
その攻勢は1ヶ月続き、見事に私たちはズウォタの解放に成功した。
地上では激戦がいくつも行われた一方で、空中での抵抗は殆どなかった。
たまにあるのは、飛行爆弾の飽和攻撃程度で、それも合衆国義勇軍と共同すれば大きな脅威ではなくなる。
空へと戦場が拡大した戦争において、制空権というのは非常に重要だ。
大衆ゲルマンが開戦初期にいくつもの国を陥落させたのは、精強な空軍の活躍によるものが多い。
内戦で洗練された戦術と、そこで鍛えられたパイロットたちを相手にまともな抵抗ができる国は数少なかった。
それほど空軍に力を入れていた国が、今では私たちの進軍を止めるために陸軍ばかりに注力している。
……戦争の終わりは近い。敵は限界を超えて根性で戦っているようなものだった。