73.少し早めの冬休み
ついに、私たちはズウォタとの国境に到着した。
特殊任務航空小隊の所属する東方戦線の担当範囲はすべて解放された。残りは南方戦線が頑張っている。けど、主要な街の全ての解放は済んでいた。時間の問題だろう。
そして……雪が強まってきたので、私たちは少し早めの冬休みとなった。首都やイゾルゴロド周辺よりは少しだけマシだけど、それでも雪は強い。この中で無理に行動しても損害の方が大きくなるのは自明だった。
まあ、すごく暇っていうわけでも無いんだけどね。
本格的な勉強が始まる前に、元帥からいろいろ叩き込まれることになっていたのだから。……飛行機関係ない勉強は嫌いなんだけどな!
そういうことで、私は総司令部の建物の中に居た。
小隊の他の面々は今日も任務だった。私だけ特別にお勉強だ。
「で、いつから攻勢の再開するんですか?」
「1月か2月だな。ズウォタ国内で強固に防衛された場合の被害を考慮すると……短期間で準備を完了して、一気呵成に攻勢を行うのが肝要だと判断した」
「……まだ雪が残ってませんか?」
勉強したくないから雑談でどうにか時間を潰そうと、元帥に話しかけてみた。
話題はどうしても戦争関連になってしまう。できればもっと普通の話とかもしてみたいんだけどね。でも無駄話をするほどに余裕がないのもあるだろう。
それに、関係ない話なんかしてしまったら私の目論見はすぐに看破されてしまう。
「我が国の感覚だとな。だが、西へ向かえば我が国よりはマシになる。可能なら雪解けまで待ちたいところではあるが、長期の停止はズウォタの解放を為してからだ」
「ズウォタ王国の国民も待っていますもんね。……傀儡政権作ったりしませんよね?」
「はは、するわけ無いだろう? 少佐が望むならやっても良いぞ? 戦後にその国のトップのポストを与えても良い。ただし、合衆国相手の最前線を担ってもらうことになるだろうが」
前世では確か、東欧のほとんどはソ連の衛星国になっていたはずだ。
ワルシャワ条約機構……だったかな。NATOの対抗として作られたそれで、東西冷戦の形が決定付けられた。なお、ソ連が崩壊すると同時にみんな一斉に西側に向かったのだけれど。
もしこの世界でも同じようなことをすれば、冷戦ルートは不可避になってしまう。元帥たちお偉いさんがそうした計画を実行するつもりがなくて良かった。
「絶対に嫌ですよ。戦争なんて一度で十分ですし、平和のために動きましょうよ……」
「冗談だ。計画としては浮上していたが、我々の大義名分は『すべての戦争を終わらせるための戦争』だからな。新たな火種を作るようなことをしたら世界中から支持を失うだけだ」
私の演説で大国が牽制されてくれているなら、あのことも無駄ではなかったのだろう。
理想ではあるけれど、理想と大義名分は獣に理性と足枷を与える。十分に効果を上げてくれているようでよかった。
「さて、早速やるか。まずは小隊以上の部隊を指揮する際の基本だな」
ちょっとした達成感に浸っている隙を突かれて、元帥のやる気が私へと矛先を向けてきた。
ていうか、部隊の指揮って。特殊任務航空小隊はこれ以上拡大するつもり無いんですけどね……?
「えっ。それって必要ですか……?」
「ここを覚えとくと他のものが頭に入りやすいんだ。とにかくやるぞ」
「……はあい」
……前提知識として必要なものらしい。
私にやる気はないけど、目の前の超偉い人がやる気に満ちている。これは逃げられないね。
観念して、ノートと鉛筆を取り出して元帥の話を聞く姿勢になった。
◇
一時間くらいみっちりやって、ちょっとの休憩になった。
私は机に突っ伏して、元帥はタバコを吸いに行った。もう頭の中はミチミチになっている。これ以上興味のないことを覚えられる気がしない……。
「チャオ、カレーニナ少佐」
ふんわりとした良い匂いと一緒に、落ち着いているけれど上品な声が頭の上から聞こえてきた。
そっちを向くと、元帥の奥さん兼親衛装甲師団の指揮官であるシャルロットさんが居た。
彼女の師団指揮官としての能力は我が軍の中でも抜きん出ていた。元帥の縁故人事にしかめっ面をしていた人が全員手のひらを返すくらいに。
「あ、シャルロットさん。お疲れ様です。なんだか久しぶりですね、最近はどうですか?」
「変わりないよ。少しずつ解放されてるクレプスキュールの亡命政府から時々誘われたりするくらいかな」
「行くんですか?」
「行くわけないだろう? ミーシャはここに居るし、ボクが手塩にかけて育てた親衛装甲師団を手放すつもりも無いよ」
肩をすくめて彼女は言う。
戦時中だから、急なことはできないのは当たり前だ。じゃあ、終わったらどうなんだろう。
「平和になったら?」
「平和になっても、だね」
一途な人だ。
外国に来て、外国のために戦って、その後も居てくれる。
「普段の生活の方ではどうですか?」
「ミーシャとのことかい? 別に言っても良いけど……惚気になるよ?」
クールなシャルロットさんの瞳に一瞬だけハートが浮かんだ気がした。
元帥もそうだけど、この夫婦は相手の話になるとすごく長引く。それなりに関係が深い人は避ける方法をよく学んでいた。
「じゃあいいです」
「なあんだ、つまらないな。でもどうしたんだい? 急にそんな事を聞いて」
「終戦が近づいているのを感じまして。今後の身の振り方を考えないと、なんて」
「少佐はまだまだ若い。なんでも出来るよ」
シャルロットさんは仰々しく両手を振り上げて、くるりと回った。
周りに花びらでも舞っていたらそれっぽい。顔も良いし、手足も長いし。
「知名度もあるし頭も悪くない。それに、貰ってる給料も全部貯金してるんだろ?」
私の机に手をついて、ぐいっと顔を近付けながら聞いてくる。
この人、結構真面目な人だと思ってたけど……割と愉快な人だったんだね。クレプスキュール人らしい。
「まあ、はい」
「起業しても良いだろうし、学び直して大学に行くのも良いかもしれない……なんなら、思い付くこと全てやっても良い!」
こうした事が話せるようになったのは平和が近付いている証なのかもしれない。
今までは生き延びるという目前のことが最優先だったのに、今ではその先を考えることが出来ている。
取らぬ狸の皮算用にならないといいけど――って、今そう考えちゃうのはちょっと縁起が悪いかもしれない。
「よく言うように、『人生は短い』。なにかするなら今のうちから決めておいたほうが良い」
やりたいこと……やりたいこと。
空を飛びたい。それ以上は見つからないし、それ以下のものに興味はない。
むむむ……と唸っていると、シャルロットさんに頭をぽんと叩かれた。
「ま、先達の助言だ。聞くも聞かないも自由だけど、夢は絶対に持っておいたほうがいいよ、カレーニナ少佐。夢を持たない奴は戦場でぼーっとして真っ先に死んでくからね」
「そういうものですか」
「目標が無いと終わりも無いんだ。それが戦場なら希望も無くなって、あっという間にこの世とおさらばだよ。……さてと、ボクはそろそろ行くね。また!」
来た時と同じように、シャルロットさんは颯爽と部屋から去っていった。
私には疑問を残していったのに、あの人はなんだか気持ちよさそうな感じになっていた。もしかして若者に説教するのって楽しいものなの?
ミチミチになっていた頭は楽しい会話ができたおかげでちょっとだけ隙間が空いたけど、そこの隙間には別のものが詰め込まれてしまって振り出しに戻っていた。
結局、同じように机に突っ伏す。
指揮……起業……効率的な指令……大学……一日の作戦に必要な物資の計算式……。
頭の中ではいろいろな問題が渦巻いていた。
……空に戻りたい。何も考えないで飛んでいたい。
がちゃり、と扉が開いたので顔を上げると元帥が帰ってきていた。タバコパワーでこの人もお顔がすっきりしている。羨ましいなまったく。
「おっと、シャルロットが来ていたのか?」
「え、なんでわかったんですか?」
「俺の好きな香水を付けてくれているからな。香りでわかるんだ。……なんだその顔」
「いや、ちょっと、気持ち悪いなって……」
「……そうか?」
元帥の変な得意技にちょっと引きながら、私の頭は一つの結論を導き出していた。
夢。というか、目標。
私は空を飛んでいたい。結局、エカチェリーナの生きる目的っていうのは、一目惚れしたそれ以外には無い。
でも、スケールは大きくなっていく。
できることならもっと速く。さらに言うならもっと遠く。
この先に見つけ出した夢がある――
私は、もっと高くまで飛んでみたい。