72.帰還
リヴォニアの解放が完了してすぐに大攻勢が始まった。
その攻勢のお陰で解放されたのがヴォルシノフだった。
解放された土地への帰還は、前線が離れてからようやく可能になる。
けど、特別な功績を上げていた場合は別だ。その土地の役人だったり、名士だったり、何世代も住んでいたり……。
故郷ではない場所で大きな功績を上げていても、それは適用される。つまり、お母さんとミハイルおじさん、それにノーラたちもそうだ。
ヴォルシノフに鉄道は通っていないし周りは畑だらけだ。バスも学校も集合住宅もあるし商店街も健在だったけど、ちょっと田舎だった。
昔は交通の要衝だったらしく今もそれなり発展はしているものの、現在ではその重要性は失われていて、幸いにも今回の戦争で大きな被害を被ることはなかった。
あっさりと解放できたのだ。ラッキー。
ヴォルシノフは西の国境に近い。もうすぐ、国土の解放は終わる。……本当に年内に終わりそうだった。
ヴォルシノフ飛行場は拡張されて軍用機の運用も可能にされていた。特殊任務航空小隊もそこに居て、お母さんたち3人はイゾルゴロドから輸送機に乗ってこっちに来るらしい。
そのため、今日の任務は私だけ休み。中佐たちとリョーヴァとミールが交代でやってくれている。感謝だね。
飛行場で待っていると、遠くの空に大きな飛行機が見えた。
輸送機だ。
みんなはあれに乗っている。
輸送機は大きなタイヤで土煙を撒き散らしながら、重そうな身体をゆっくりと止めた。
双発のエンジンとプロペラが止まって音も落ち着くと、機内から人が降りてきた。
軍人、(たぶん)役人、最後に私の知っている人たち。
「お母さん、ミハイルさん、ノーラ!」
3人に声を掛けて駆け寄った。
みんな疲れてる様子もなく元気そうだ。良かった。
「久しぶり……でもないね。でもなんだか久しぶりな気がする。道中なにもなかった?」
「大丈夫よ。平和そのものだったわ。ね、ノーラちゃん」
「はい、クリスティーナさん。……ミハイルさんだけちょっと怖がってたけど」
ノーラが向いた方向を見ると、ミハイルおじさんがでっかい身体を縮こませて震えていた。
なんだこれ……。
「だ、だって……ねえ。軍隊の大型機といえば墜落は付き物なんだよ……?」
「それは昔の話ですよ」
「そうは言われてもね……」
ミハイルおじさんが軍の大型機を怖がるのには、空軍に所属しているだけあってなんとなく納得がいってた。
私が航空学校を卒業した頃になって、爆撃機の更新が行われた。
それもあって今の爆撃機は安心安全の設計なんだけど、その一世代前の爆撃機の悪名が高すぎて未だに恐怖感というか苦手に思っている人は多い。
私はそうでもないけど、中佐たちなんかはそうだ。昔から携わっている人ほど、旧型機への信頼は低い。
「これからどうする?」
「僕は飛行場の様子みてから街に向かうよ」
ミハイルおじさんは家よりもここの飛行場のほうが気になるらしい。
まあ、ヴォルシノフ飛行場の責任者だったもんね。ほぼ家みたいなものか。
「私はリーナと一緒に家に戻ろうかしら。ノーラちゃんは?」
「そうですね、私も実家の様子を見てきます。……両親の安否も知りたいですから」
ノーラは一人で行くみたいだった。
……そう、彼女の両親は一緒に疎開していない。イゾルゴロドに来たのは、大学もあるからそのついで、という意味もあった。
もし私が彼女に影響を与えていなければ、たぶん、ご両親と同じように留まっていたのだろう。
「……一緒に行こうか?」
「ううん、平気。リーナちゃんには、もうたくさん背負ってもらってるんだから。私も大人だしね」
「そっか。でも、街までは一緒に向かおう」
「そうだね。……ありがとう、リーナちゃん」
ミハイルおじさんを置いて、私たちは軍の車を借りてヴォルシノフの市街地へと向かった。
少し田舎だけど、少し賑やか。少し不便だけど、そこが優しくて好きな穏やかなあの街へ。
穏やかだった、あの街へ。
◇
ノーラの家は私たちの家からちょっと離れている。
私たちは先に降りて、実家の集合住宅にやって来た。
灰色の見慣れた集合住宅。評議会共和国のどこにもあって、どこも同じレイアウトのこの建物だけど、ヴォルシノフのこれだけは見ているだけで安心感が湧いてくる。
「あんまり傷ついてないね」
「そうね。……入っても良いのかしら? リーナちゃん、誰かに聞いてる?」
「あ、うん。一応ここは大丈夫みたい。行こっか」
こうした建物は頑丈だから敵に使われることも多い。だから、しっかりと中身は確認されていて安全は確保されていた。
それでも『もしも』はあるかもしれないから、私は腰に拳銃を提げている。……近接戦闘は苦手だったからどうにかできるかはわからないけど、無いよりはマシ。
何事もなくお母さんと私の家――というか部屋に着いた。
扉を開けると、目に入ったのはいつもの光景。
「うわあ……なんか懐かしいなあ……」
久しぶりの実家はほとんど変わっていなかった。運が良い。荒らされなかったみたいだ。
自室に行ってみると、そこも何も変わっていなかった。
ベッドに寝転がろうと思って――やめた。絶対に健康に悪い。しっかり洗わないと。
リビングに戻ってきて、荷物を置いて椅子に座った。
お母さんもいろいろと見ていたけれど、私が座ると前に座ってくれた。
ちょっとした雑談タイムだ。いつもそうだった。私の前に座って、お母さんと色々話す――懐かしい団欒の時間。
いつもはラジオだったりレコードだったりを流していたけれど、今日は無音。
「リーナちゃんは戦争が終わったら軍隊はどうするの?」
「私は……」
お母さんは私の目を見ながら聞いてきた。
真面目な話題らしい。けど、正直、あんまりこうするとは決めていない。
軍隊の生活にはだいぶ疲れているのも確かではある。戦争が終わってすぐに辞めても当分は暮らせるくらいのお金はあるから心配もない。
だけど……今の戦友たちと、それに、いつでも手の届く青い空にサヨナラをするっていうのは……嫌だった。
「まだなんとも言えないかなぁ……」
「あら、そうなの? てっきり既に決めてるものだと思ってたわ」
お母さんは、私と同じ琥珀色の瞳を大きく開けてびっくりしていた。
そんなに意外だったかな。
「もし私が辞めるって言ったらどうするつもりだったの?」
「せっかくだからどこかに引っ越そうと思ってるのよ」
「でもこの家にも思い出あるでしょ? ほら、亡くなったお父さんのとかさ」
お父さんは、私が生まれてすぐに亡くなったらしい。
記憶は前世から引き継いでいるけれど、物心付いたのは3歳くらいのときだ。だから、生まれた時のことなんてほとんど覚えてない。
思い出の品もほとんど無かった。だから正直……ほぼ他人のように感じている。再婚していないあたり、お母さんは大事に思っているのだろうけれど。
「そうねぇ……。でも、また戦争に巻き込まれたりしたら……って考えちゃうとね」
「そっか……」
「ごめんねリーナちゃん。あなたを悲しい気持ちにさせたいわけじゃないのよ。党の軍隊が頑張ってくれているのは理解しているのだけれどね。けど……」
無言がリビングを支配した。
ちょっと気まずい。お母さんの気持ちはわかるけれど、私の立場で言える言葉も見つからない。
手を組んで、左右の親指を上に置いたり下に置いたり……。
そうしていると、お母さんから話してくれた。
「……そうだ、私が魔法を使えるようになったのって伝えたかしら?」
「えっ!? そうなの!?」
「そうよ。だからパルチザンに加入できたのよ。水を出したり火を出したり、人の傷を治したりね」
傷を治す……?
そんな魔法、聞いたことがない。
魔法っていうのは、仕組みを理解しないとだめなのだ。理解の方法は問われないけれど。
科学だけじゃなくて、信仰だったり、勘違いだったり、経験からの信じ込みだったり。
……それか、強い意志。『本物』の魔法は、魔法の才能と意志の力で発動するらしい。とすると……。
私の疑問を吹き飛ばすように、お母さんは話を続ける。
「リーナちゃんも使えるでしょう? そういう血統なのかしらね」
「ご先祖様は魔法使いだったのかな?」
「ふふ、かもしれないわね」
◇
集合住宅を出ると、ノーラが入口の段差に座って待っていてくれた。
そう長い間話していたのではないのだけれど、ここに居るということは――実家に戻ってからすぐにこっちに来たということだろう。
「ノーラ。……待たせちゃった?」
「ううん、いま来たところ。……そういうことにしておいて」
「そっか。――お母さん!?」
ノーラと話す私の後ろからお母さんが急に現れて、彼女のことを優しく抱きしめた。
「ノーラちゃん。頑張ったわね」
ノーラはお母さんの胸に顔を埋めて、静かに肩を震わせていた。
戦争は――地獄だ。
私が幸せになっても、他の人がそうとは限らない。