68.久しぶり
「マフラー? そういえばプレゼントしたね。そんなに大事にしてくれていたとは……」
久しぶりに会ったノーラと思い出話に花を咲かせていた。
紅茶を淹れてもらって、ジャムをたっぷりと。甘くて美味しい。
「愛用してたんだけどなあ」
「それじゃあ、来年の誕生日プレゼントはそれにしよっか。ちょっと季節外れだけど」
「空の上なら通年使えるから、平気」
「沢山使って貰えて良かったよ。……でもまさか、未だに使われてたとは思わなかったけど」
ティーカップをソーサーの上に置いて、ノーラの方を見た。
机の上には書類が山積みにされていて、ブラック企業の社員みたいになっていた。
あそこの山には一体なにがあるのだろう。
「ノーラは今なにしてるの?」
「手元の話? それとも日常の話?」
「どっちも」
パルチザンのリーダーが普段なにしているのか気になるし、あのノーラがこの過酷な生活の中でどのように暮らしてきたのかも気になる。
それはそれとして、目の前でやっている事も気になる。
私という人間は、友人がやっていることにはなんでも興味が惹かれるタイプなのだ。
「机に向かってやっているのは引き継ぎと連絡。パルチザンと党の軍隊の統合はされないけれど、志願する人は党の軍隊に参加できるようにするからね」
へえ……。
軍隊でもないから、そのまま統合するのは流石に無理なのか。まあ、戦力にもならないよね。あくまでパルチザンっていうのは民間の抵抗組織なんだから。
「ノーラはどうするの?」
「成り行きでこうなっちゃったけど、ただの学生だからね。敵の新型戦闘機の分析と研究かなぁ。色々手に入れてるし」
ノーラが戦うところなんて全く想像できなかったけど、そういう方面で活躍しているのなら納得だ。
イゾルゴロド工科大学の施設は世界でも有数だからね。
敵もそれを使って研究して、総力戦体制下では研究者なんて足りないだろうから、ノーラみたいな学生とか専門家は徴用されていたのだろう。
それにしても『色々手に入れてる』か。
「……もしかして、機密情報とかも手に入れたの?」
「そうだよ。気になるのある?」
「新型爆弾かな」
即答だった。
飛行爆弾とかラケータとか新型機の事も気になるけど、私が一番警戒しているのはこれだ。
「良い着眼点だね。でもあれは大衆ゲルマンに開発は無理だと思う。理論自体は、評議会共和国とか合衆国ならすぐに実験と開発が可能なくらいに、よく出来てるけど」
……危ない情報だ。
ノーラのその言葉を聞いて、私の脳裏に過ったのは前世の記憶。
第二次世界大戦が終わり、その後に訪れたのは平和ではあったが、それは平和とは言い難いものでもあった。
核の抑止力による薄氷の上の平和。
――ソビエト連邦とアメリカ合衆国による冷戦。
幸いにも熱戦になることはなかったけれど、危機は何度も訪れていたらしい。世界が滅んでいなかったのは幸運の結果だった。
エカチェリーナの人生では、そんな世界にしてはいけない。全ては無理だろうけれど、可能な範囲でその芽を潰そう。
「その情報は秘密にしておいてほしいな。……もしこの戦争に間に合っちゃったら、まずいし」
「ふうん? あれが完成したらすぐに戦争は終わりそうだけど。でもリーナちゃんがそう言うなら何か考えがあるんだよね。わかったよ」
「ありがと」
話ながら仕事をするという器用なことをして、ノーラは仕事に一区切りつけたみたいだ。
バインダーに紙を綴じて机の横に置くと、大きく伸びをした。
「それでね、普段の私は――」
がちゃり。
扉が開いた。
ノックも無しに誰だろう? と思って振り向くと――
「リーナっ!」
――お母さんが飛び込んできた!
「うわっお母さん!?」
私の反射神経を勝る速度で抱きしめられた。
ちょ、ちょっと力が強いな。ちょっと苦しいな……!
「リーナぁ無事で良かったわ本当にぃずうっと心配してたのよぉ……」
「へへ……無事に帰って……はまだか、だけどこれからはいつでも連絡取れるよ」
お母さんの拘束から抜け出した。なんだか、実家の匂いがした。
およそ一年ぶりに見るお母さんは、少し老けていた。……しわが増えて、くまも目立っている。
苦労をかけちゃった。……だけど、今日からは出来なかった分の親孝行をたくさんしよう。
「リーナちゃん。気が付いたらすごい有名人じゃないか」
「ミハイルさん! ……筋肉は衰えてませんねえ」
お母さんの背後に隠れて(はみ出てたけど)いた身体をひょっこり出してそう言ってきたのはミハイルおじさん。
航空学校の指導員だ。私の飛行機の師匠みたいなものだね。
久しぶりだ。誰も彼も。親しい人たちの無事を知ることができて、私の身体も脱力してしまう。
「はは、毎日飛行機の整備をしてたからね。それにしても、リーナちゃんがトップエースか……」
お母さんの肩に頭を預けながらとろけていると、ミハイルおじさんは顎に手を当てながら何やら考え事をしていた。
「ヴォルシノフが解放されたら、本当に飛行場の名前が変わっちゃうかもね」
「え?」
「E・V・カレーニナ記念ヴォルシノフ飛行場。良い名前じゃない」
そういえば、そんな事も言っていたなあ。
あの頃は夢だったけど、今だと普通に有り得そうなことになっている。
「平和になったら、そこの航空クラブの指導員になりますよ」
「最高の広告になるね! いつでも歓迎するよ」
もう空軍はこりごりだからね。終わったら、そこで働くのも良いかもしれない。
私の歓迎が一段落したのを見て、ノーラが立ち上がった。
「おかえりなさい、クリスティーナさんにミハイルさん。ご覧の通り、今日はリーナも一緒です」
「私の人生で一番の日よ! ようし、今日はお母さんが晩ごはん作ってあげる!」
「よし、じゃあ僕が調理場の使用許可を取ってこよう」
大人二人組が早速部屋を出ていこうとするので、私も立ち上がる。
「えっと……じゃあ私は……」
「リーナはじっとしてて」
「あ、うん」
けど、じっとしてるのが仕事らしい。
なんだか落ち着かないな。だけど、言われたとおりにしておこう。
「ノーラちゃんはリーナと一緒にゆっくりして頂戴! 解放のお祝いも兼ねましょう。たっぷり作ってあげるわよ」
お母さんはノーラにそう伝えると、あっという間に行ってしまった。
私とノーラは互いに見合って苦笑した。
◇
盛大な歓迎会の翌日。
ちょっと胃もたれしているお腹をさすりながら、元帥のところへと来ていた。
ノックをして入ると、開口一番に元帥は言ってくる。
「大尉、おめでとう。君は少佐だ」
やっぱり?
あんまり驚きもしなくなってきたな。
「……なんとなく予想してましたけど。ついに少佐たちと同じ階級ですか……早かったな……」
「戦争というものは、平時との階級の差が問題になるものだな。俺もそうだが」
アンナさんが航空学校に居た時は中尉だったように、本来なら何年も勤続することで少しずつ昇進していく。
例えば、平時なら大尉ってだけでも十二分に偉い人なのだ。私は一年足らずでこんなところまで来てしまったけど。実感と階級が見合ってない。
「まあ、貰えるだけの働きをしている自覚はありますから遠慮なく貰いますが」
「そうしてくれると助かる。君のような者が辞退すると、後続が受け取りにくくなる悪い前例が出来てしまう」
ちょっとがめついかな、と思ったけど正解だったみたいだ。
「さて、君を少佐にするのは明日行うぞ。今日の予定は詰まっていてな」
「あ、了解です」
「確か第33航空連隊の本拠地はここだったな? 暇だったら空軍基地に行ってみると良い、上官も誘って良いぞ」
「わかりました。ちょっと気になってましたから。行ってきます」
「ほぼ危険はないが、戦時中だからな。気を付けていってこい」
元帥に敬礼をして、部屋を出た。
イゾルゴロドの基地……正式に軍に所属して初めて来た場所。思い出深い場所だ。
もしかしたら宿舎は無事かも知れない。少佐たちを誘って行ってみよう。
早速誘って基地にやって来た。
久しぶりのここは酷い状態で、半ば廃墟のようになっていた。
だけど、幸運にも宿舎の辺りの被害は少ない。建物もまだまだ元気だった。
「へえ、綺麗じゃねえか」
「そうね。もしかしたら私物も残ってるかもしれないわよ」
「あれ、少佐たちって来てないんですか?」
少佐たちはイゾルゴロドに来た後にはパルチザンに加入していた。
貴重な現役の軍人だ。いろいろとやっていたのだろう。だから、ここにも来たことはあったと思ったんだけど……。
「あなぼこだらけの滑走路で使いもんにならねえからな、近寄る用事も無かったんだよ」
「パルチザンの人たちは、資材だったり食料だったりを集めに来ることはあったらしいけれどね。私たちは、スオミの人が新設した野戦飛行場の方を使ったのよ」
「じゃあ、宿舎の中はどうなってるかわかんないんですね……ドキドキするなあ」
金属製の扉を開けようとしたけど、建付けが悪くなっていたのか、全然開かない。
リーリヤ少佐に変わってもらい、壊すような勢いで扉を押すことでようやく開いた。
「埃だらけだな」
「健康に悪そうね。窓開けちゃいましょうか」
一年ぶりに新鮮な空気を吸った建物は心なしか嬉しそうに見える。
首都の基地とは違って荒らされてもいないので、私たちがイゾルゴロドから離れた日そのままに残っていた。
シンクの食器、からからに乾燥した食べ物。大きなソファー。
「ちょっと、自分の部屋見てきてもいいですか?」
「おう、アタシたちも見てみようか」
「そうしましょう」
一番長く過ごした自室。
実家を除けば、だけど。
それでも私の落ち着く場所でもあった。ようやく慣れてきて、そろそろ自分好みに模様替えでもしていこうかと思った矢先に戦争だ。
ラジオがあった。机があった。ベッドがあって、ドレッサーもある。
服を入れておくワードローブもそのままだ。
「あ……ドレス……残ってたんだ」
その中の棚の一つを開くと、中には赤いドレス。
随分前に、アンナさんに買ってもらった大事なドレス。思い出の品物だった。燃えてなくてよかった。
姿見の前に立って、合わせてみた。
……当然ながらサイズは変わってしまっている。でも、大事な物だから取っておこう。誰かに取られる前に持って帰らないとね。
ドレスを机の上に置いて、他にも思い出の品が無いかと探ってみる。
だけど、他にあるのは軍服や飛行服や――空軍の人間は私服なんてほとんど持っていないのだ。
でも、こういうのは予備がいくらあっても困ることはない。いくつか持って帰ろうと思って手に取ると、ポケットから何かが落ちた。
「写真……?」
白黒の写真だった。
放置されたままになっていたから、ちょっと色褪せてしまっている。
「そうだ、技術協定のときの」
ぺらりとめくると、いつの写真かは簡単に思い出すことが出来た。
内戦が終わってすぐ、大衆ゲルマンへ出張に行った時の写真だった。
最後に、全員で写真を撮ったのだ。
アンナさんの隣に私とエリカどっちが並ぶかで喧嘩になりそうになって、間を取ってハンナさんが隣へ行くことになったんだ。
「私で、エリカで、リヒトホーフェン卿、ハンナさんにアンナさん……」
左から、全員の顔を指差して名前を声に出した。
「……全員と、やり合うことになるなんてね」
これも大事な写真だ。
大切に取っておいて、今回の戦争が歴史になるくらいの時間が経ったら、博物館にでも寄贈しよう。
部屋を出てリビングのような共同スペースに戻ると、リーリヤ少佐は既に戻ってきていて、埃っぽいソファーに座ってくつろいでいた。
私に気が付いた少佐が手を上げる。
「大尉! おもしろいもんあったか?」
「思い出の品がありました」
「そうかそうか。そりゃ良かった」
持っていくものを机の上に置いて、私もリーリヤ少佐の隣に腰掛けた。
「リーリヤ少佐はどうでしたか?」
「アタシんとこだと懐かしい私服があるくらいだったよ。部屋取っ散らかしてたからなあ。虫に食われてたりボロボロなってたり埃まみれだったり、だめだなありゃ」
頭を掻きながら少佐は言った。
……確かに、記憶にあるリーリヤ少佐の部屋はすごい物だった。服も下着もなんなら書類まで散らかってあって、たまにミラーナ少佐が掃除に入るから良かったものの、放置されていたらどうなるかなんていうのは想像に難くない。
なお、リーリヤ少佐曰く『よく使うものを簡単に取り出せる場所に置いてあるだけ』だそう。散らかす人ってみんなそう言うよね。
「あら、2人はもう終わりかしら?」
ミラーナ少佐も戻ってきた。
小脇になにか抱えている。
「ミラーナ少佐はなにかありましたか?」
「日記が綺麗に残っていたわ。……大切な思い出だから、持って帰るつもり」
「日記? そんなの付けてたのか」
ミラーナ少佐が抱えていたのは、少し分厚い日記が何冊か。
マメに日記を書くタイプだったみたいだ。
「ええ。リーリャとの思い出もたくさん書いてあるわよ。読んであげましょうか?」
「お、いいねえ。頼む」
「そうね……これにしましょう。5年前の3月1――」
その中の一冊を開いてページを捲り、日付を口に出した瞬間、リーリヤ少佐は光のような速さで反応した。
「おい待てその日ってアレだろ? ラーナ、そんなのも書いてんのか? 大尉の前で読むのは辞めてくれないか?」
リーリヤ少佐のそんな反応を受けて、ミラーナ少佐は口を抑えながら笑って、日記を閉じた。
……めちゃくちゃ気になるんだけど?
「え、すっごい気になるんですけど」
「いや、気にすんな。下らないことだから」
「……ミラーナ少佐、後でこっそり教えて下さい」
「ふふっ、いいわよ」
私とミラーナ少佐の様子を見て半ば諦めたリーリヤ少佐を連れて、私たちは来る時よりも少しだけ幸せな気分になってイゾルゴロドへと戻った。
そろそろ、毎日のお仕事が再開する。
ちなみに日記の内容は、結婚の約束をした日のことだった。……すっごい甘ったるいことをやっていた。
リーリヤ少佐は隠したいようだけど、ミラーナ少佐は自慢したいみたいだね。楽しそうに話していたから。