66.『赤公爵』
《スオミ……ではないな。パルチザンか?》
この想定外にも、リヒトホーフェン卿はほとんど動揺していない。
逆に私は――
《リーリヤ少佐っ! ミラーナ少佐ぁ!》
涙が出るほどに喜んでいるというのに。
2人は本当に生きていた……!
しかも、こんな土壇場で私の命を救ってくれた!
《おう、久しぶりだな。けど喜んでる余裕は……無さそうだなッ! ラーナ!》
《ええ、任せて頂戴》
少佐たちの連携は、何ヶ月もブランクがある上での空戦のはずなのに完璧だった。
リーリヤ少佐が機動を制限して、弾を避けた先にはミラーナ少佐が弾幕を張っている。
しかし、リヒトホーフェン卿はそれを読んだ上で避けていた。
《バケモンかよ……なんで避けられんだ? 魔法か?》
《魔法でも無理よあんなの。勘と経験ね》
《そうか。じゃあなんとかなるってことだな》
軽口を叩きながらも、2人の攻撃が止むことはない。
《久しぶりの空は最高だなぁ、ラーナ!》
《同じ感想よ。少尉、合わせられるかしら?》
《――はい。任せて下さい!》
目元を拭って、操縦桿を握り直した。
感動は地上のために取っておこう。今は勝利を導くぞ!
少佐たちが牽制してくれたお陰で、私の機体は十分な速度を回復することができた。
小鳥を虐める子猫のように、リヒトホーフェン卿の赤い機体は白いスオミの戦闘機に絡まれている。
高度を上げて、その隙間を縫って私も攻撃を開始した。
《リーリヤ……。思い出した。エリカから聞いたぞ。素晴らしい飛行士だと言っていたが……まさか生きていたとは》
《へ、大衆ゲルマンのトップエースに知られてるなんて光栄だね!》
スオミの戦闘機は確か旧式で、搭載している武装も軽量でひと世代前の古臭い機関銃のはずだった。
だけど、どうやって手に入れたのか、リーリヤ少佐の機体に搭載されているのは合衆国の重機関銃だった。
放たれた弾幕は鉛玉のカーテンのようになり、リヒトホーフェン卿の機動を大きく制限している。
《そしてミラーナか。……そうだ、下衆な奴らが騒いでいたな。淫魔の捕虜を捕えたと。君か》
《私のことも知っておいでですか。嬉しいわ》
ミラーナ少佐の機体の武装は、大衆ゲルマンの最新鋭の機関砲だった。
どこに当たっても機体が無事で済むことはない、恐ろしい兵器だ。
虎視眈々と機会を狙い、撃つことはなくともその重圧で脅威を与えていた。
《ミラーナ少佐、リヒトホーフェン卿を魔眼で止めるのって出来ますか!?》
《無理ね。もう一度やったら失明するわ。エカチェリーナちゃん少尉が私の命を引き換えにしても良いなら、やるわよ》
《……駄目ですね!》
私を救ってくれたようにリヒトホーフェン卿を止めてくれればなんとかなりそうだったけど、そんな事になってしまうのなら絶対に駄目だ。
空で光を失うということは、相当運が良くなければ無事に帰ってくることは出来ない。もし無事に帰ってくることが出来たとしても、視界を失わせるわけにはいかないけどね。
《だけど、あなたたちが墜とされそうになったら使うわよ》
心配をする一方で、ミラーナ少佐の覚悟は決まっているみたいだった。
私が早速使わせてしまったせいで、次はミラーナ少佐の命と私たちの命が引き換えになってしまう。
とんでもないことをさせてしまった。
《ははっ、そりゃ責任重大だなあ。ヤバくならないようにしようぜ少尉!》
《もっと自分の身を案じてくださいよ、ミラーナ少佐!》
でも――軽口だった。
絶望はない。
勝てる。
これは驕りではない。
勇気を再び手に入れただけだ。
信頼できる上官たちが再び空へと戻ってきて、こんなピンチに私を救いに来てくれた――身体が奮い立つ!
《フ、元気じゃないか。良いことだ》
リヒトホーフェン卿は楽しそうに言った。
評議会共和国の空軍の無線はパルチザンたちとの共有はされていない。だから、私たちの会話は卿にも筒抜けだった。
作戦を提案することもできないけれど、意思を通じ合うだけなら一言二言で十分だ。聞かれていようが関係はない。
《リーリャ!》
《あいよ、ラーナ!》
ミラーナ少佐の声に合わせて、リーリヤ少佐は弾幕を張る。
有効な機動が制限された敵機に向かって、ミラーナ少佐は大口径の機関砲を撃つ。
狙った場所は完璧だった。それなのに、ほんの少しの工夫によってリヒトホーフェン卿はその攻撃を避ける。
《外した! 少尉!》
《了解です!》
二の矢の次は三の矢だ。
その回避行動によって速度を失った卿の後ろに私が張り付いて、攻撃を行う。
《ああ――成程。『白兎』が恐れられていた理由がよくわかったよ。君たちの連携は、素晴らしい》
《『白兎』なんて久しぶりに呼ばれたわね。負けを認めるなら早いほうが楽よ?》
《ここですぐに降伏したら拍子抜けだろう。精々、足掻いてみせるさ》
幾つにも分けて機関砲を放った。
しかし、惜しいところで当たらない。だけど、さっきよりも確実に距離は縮まっていた――もう少しだ!
《ハ――フフッ。……愉しいな! 空戦はこうでなければな!》
《愉快なオッサンになってきたじゃねえか! 気持ちはわかるぜエース様!》
私たちの攻撃を捌き続けていた卿の機体が徐々に減速する。
そして、急速に機首を上げて、地上に対して直角になった。
一瞬で速度は奪われるが、エンジンを過剰に働かせることによって急速に速度は回復される。
その動きは首都の攻防の際にエリカが見せた『現実的ではない機動』――コブラだった。
リヒトホーフェン卿はそれを使って、背後を追い縋る私たちの後ろへと回り込んだ。
《なっ……!?》
《なによそれっ……!》
少佐たちは驚いているけれど、私が見たのは二度目だ。
そうなるとあまり驚かない。
冷静に速度を調整して、最小限の半径で旋回を行う。
《やっぱり貴方も天才じゃないですか、リヒトホーフェン卿! エリカがやっていましたよそれ!》
《クク、そうだったか。娘たちには見せたことのない切り札だったが》
少佐たちを守るように、リヒトホーフェン卿へ攻撃を行う。
右へ左へと避けているが、その間に少佐たちは体勢を整えて再びアプローチを開始した。
《最高の気分だ……! 自分を抑えなければ、ハンナのようになってしまいそうだよ》
《……あれって卿の影響だったんですか?》
《娘たちの前でこうなったことはない》
リヒトホーフェン卿の動きは徐々に精細さを欠いていく。
一歩ずつ追い込めていて、私たちは、着実に勝利へと進んでいる。
《血が繋がっていない割に、家族って似るものなんですね》
《私にとって何よりも大切な娘たちだからな。――戦争が終わるまで会えそうにないのが、少し心残りだが》
私の攻撃を避けようとした先には、ミラーナ少佐の機関砲がすでに放たれている。
卿はそれに気付いたものの、完璧な回避には失敗した。
翼の先に弾が当たった。だけど、徹甲弾だった。運が良い!
《同情を誘っても意味はないわよ》
《ハハ! そんなつもりではないよ》
ミラーナ少佐と私はもう一度攻撃を行うために左右へと展開した。
そして、その間を埋めるようにリーリヤ少佐の重機関銃による制圧射撃が行われる。
視界を奪い、回避へと意識を向けさせる。私たちの位置は曖昧にしかわかっていないだろう。
《とか言いながら、めちゃくちゃ避けるじゃねえか!》
《空戦の舌戦は相手を油断させることも肝要だ――意味はなかったようだがね》
真下から、リヒトホーフェン卿の目前へ向かってリーリヤ少佐が攻撃を行った。
それを避けるために左右に動こうにも、どちらへ動いてもリーリヤ少佐に捉えられるのは必定。卿は上へと進路を取った。
《そうだな――やっちまえ!》
《少尉、任せたわよ!》
そこには、私が待ち構えている。
一瞬の隙。
絶対の隙。
私たちの連携で生み出した、絶好の機会――
決めてみせる!
《ダスヴィダーニャ、リヒトホーフェン卿ッ!》
《窮地に於いて、幸運すら引き寄せるとはな。……流石だ》
上空から襲いかかった私の攻撃により、右翼の下にあるジェットエンジンは真っ赤な炎に包まれた。
真っ赤な機体は、更に赤い炎を纏いながら地上へと堕ちていく。
《一足先に、私は平和を享受しておこう。……この調子で戦争を終わらせてくれ。エカチェリーナ・ヴォルシノワ大尉》
ざざ、というノイズが聞こえてそれを最後にリヒトホーフェン卿の声を聞こえなくなった。
感傷に浸っている暇はない。
急いで出力のチャンネルを切り替えて、総司令部へと報告を行う。
『元帥、聞こえますか! 撃墜です! リヒトホーフェン卿を撃墜しました!』
『でかした! ……襲撃部隊にも情報が共有されたようだな、撤退している』
重力に囚われた機体を眺めていると、卿はしっかりと脱出して真っ白なパラシュートを開いた。
《脱出したわね。良かった》
急いでリョーヴァとミールの応援に向かわないと、そう思っていたのに、どうやらあっちの部隊は撤退を開始したらしい。
絶好の機会だ。ここで攻撃をやめるなんて……。
『撤退……? リヒトホーフェン卿が撃墜されただけで、ですか』
『俺の立場になって考えてみてくれ。もしも大尉が撃墜されたら、空における計画を全て書き直す必要が生まれるんだ。……というか生まれたんだ。敵も同じようなものだろう』
……なるほどね。
もし攻撃に成功して評議会共和国を止められても、西方では合衆国と太平連盟による作戦が開始しようとしている。
リヒトホーフェン卿というゲームチェンジャーを失ってしまった以上、残りのエースは温存しておきたいのかもしれない。それにしても、随分と不可解な動きではあるけれど……。
『その節はその……そうだ、それよりもリヒトホーフェン卿を捕らえるための部隊をお願いします!』
『すでにシャルロットを向かわせている。これ以上危険が無さそうなら、帰投してくれ。敵エース部隊との遭遇には注意してくれよ』
『了解です』
出力を上げて、再び少佐たちとの無線に切り替える。
2人は私の前を飛んでいた。
久しぶりの編隊だった。私を守るように飛ぶ上官たち。第33航空連隊のときの飛び方だった。
《けど捕まえられんのか? どうすんだ?》
《大丈夫です、ウチの親衛装甲師団が向かってるようです。……それじゃあ少佐たち、基地に案内します!》
《いや、アタシたちはイゾルゴロドに戻るよ。解放されたらまた会おうや》
《そうね。パルチザンの人たちも心配だし……。ああ、エカチェリーナちゃん少尉。平気よ。飛行場の兵士さんたちは私たちの味方なのよ》
折角すぐにいろんな話ができると思ったのに、残念だ。
だけど仕方ない。少佐たちがそう言うなら、次に会う時はイゾルゴロドだ。
《そうですか……それじゃあまた! あと、私、大尉になってますからね!》
《えっマジ!? 早くねえか!?》
《祖国の誇る『白聖女』様だもの。……ふふ、おめでとうエカチェリーナちゃん大尉。それじゃあ、次は地上で会いましょう》
そう言って、私たちは反対の方向へと別れた。
大丈夫、すぐに会える。
だけど、少し寂しい。