62.エカチェリーナ作戦
エカチェリーナ作戦(エカチェリーナさくせん、聖女カタリナ作戦とも)は、世界戦争中の1893年10月上旬より行われた、党の軍隊による国土の解放を目的とした作戦。作戦名は世界戦争中のエースパイロットである、エカチェリーナ・ヴォルシノワ・カレーニナに由来する[要出典]。
◇
首都を解放してから数日。休みも残り少なくなってきた頃。
夜、私たち軍と党、それに新聞の記者の人たちが、大聖堂に集められた。
まあ、後ろの方には勝手に一般の人たちが来てるんだけど。ほぼ無礼講だね。戦時中だからちょっと気を緩めすぎな気もしなくもないけど、元帥のことだからそこはしっかりしているんだろう。
なんでも、次の作戦に関する演説をするらしい。
なんで大聖堂なんだろう?
いつもは静謐で神聖な雰囲気のする大聖堂は、今だけはお祭り騒ぎのような賑いになっていた。
「あ、いたいた。おまたせ」
いつもの3人で、今日は後ろの方の席に固まることにした。記者が最前列、党が2番目、軍は最後尾。
その更に後ろだから、ほぼ一般の人たちの場所と言ってもいい。元帥が演説するだろう場所からは結構離れていて、顔がなんとか見えるくらいになりそうだ。
「ようやく来たね。もうすぐ始まるよ」
「……なあミール、ちょっと聞きたいことあるんだけどこの後良いか?」
「いいけど……2人きりになりたいの?」
「そ、そういう訳じゃねえよ! バカ!」
声を抑えながらも張り上げるという器用な真似をするリョーヴァを見て、私は呆れながら言った。
「大聖堂でなにやってるのさ……真面目にやろうよ」
「誰のせいだと」と銀色の目で訴えかけてくるけれど、気付かないフリをした。
「ほら元帥きたよ」
2人を尻目に座ることほぼ同時、元帥が壇上に立った。
背後では、大聖堂の天窓から差し込んだ月明かりで聖女カタリナのモザイク画が仄かに照らされていた。
その月明かりの恩恵は元帥も受けていて、遠くてよくわからないけれど、胸元がキラキラと輝いていた。
沢山の勲章を佩用しているみたい。ホントの正装だね。
賑やかだった大聖堂は、元帥の登場と共に静まり返った。
「こんばんは、同志諸君。こんな時間にも関わらず――特に、首都の同志たちにはようやく訪れた平和だろうに、多くの方々が来てくれている。ありがたい」
私たちの後ろのほう、一般の人が沢山集まるスペースを見ながら元帥は言った。……あ、感極まって泣いてる人もいる。
「今回、私から伝えることはいくつかある。まずは首都の復興計画だが――」
そこから始まったのは、対外対内どちらにも向けた元帥のプロパガンダだった。まあ、本当にやることではあるんだろうけど、ここまで大々的に発表する必要もない。
首都や政治の話では、党の人と一緒に話していた。その中には見知った顔もいくつかあって、口の悪いコーバさんや馬の獣人のケレンスカヤさんもいた。
「では次に、国の解放に向けた話だ」
党の人たちの出番が終われば、当然次は軍の出番。
次回の作戦の話かもしれない。みんな、姿勢を正していた。
「我々は東に追いやられたが、今、首都へと戻ってきた」
長さだけで言えば、そう長くはなかった。
1月1日に首都への攻撃が開始されて、10月1日に首都を取り返した。たった10ヶ月だ。
未来で学ぶ学生たちや歴史オタクたちは「このくらい余裕だろ」とか思うかもしれない。
……そう思ってもらえるのなら最高だ。戦争の辛さなんて知らないほうが良い。
「この勢いを止めることはない。現在も、前線では果敢に戦う勇猛な同志たちが活躍している」
戦争で戦友を亡くした人だろうか。私たちの斜め前に座る人が、拳を固く握りしめながら静かに涙を流していた。
私とこの人との道は、この瞬間だけ「近くにいる」ということで交わっていて、今度の機会はない。だけど、一度だけ聞いてみたい。
「私の理想は、あなたにとってどのような感情を引き起こしましたか」。たぶん、殴られる。
いつか向き合わなきゃいけない問題だ。けど、戦後でいいか。今はトラブルは必要ない。
「また、『連合国』という陣営全体においても同様だ」
新聞の情報によると、こっちで首都の解放が成功した結果、大衆ゲルマンは反攻に対応するため、西方帝国本土からの撤退を始めているらしい。
大陸に籠もって水際作戦でもするのかもしれない。けど、世界中の植民地に散らばっていた西方帝国の残存部隊も本土へと帰還していた。戦況は確実に優位になってきている。
「合衆国や太平連盟の心強い同盟諸国は私たちの反対側――西方帝国やクレプスキュール共和国という祖国から遠く離れた場所において、解放のために日夜尽力している」
ベトナムしかり、ポーランドしかり、アフガニスタンしかり。外国で自国の兵士を死なせるような作戦というものは、基本的に歓迎されない。当然だよね。我が国が行っていたゲルマニカの内戦への平和維持部隊の派遣だって、あんまり評判は良くなかった。
だけど、今だけは世界中が団結していた。理想と少しの野望に突き動かされて、世界は大きな変革の渦を巻き起こしている。
「そこで、我々は次なる行動を開始しなければならない」
元帥は少し間をおいてから、息を吸い込んでよく通る声で語った。
「――大聖堂は戦火の中においても傷一つ無かった。これは聖女が我々を祝福している証だろう!」
お、おお……。
予想外の方面からのアプローチをされたからちょっとびっくりしちゃった。
でも、確かにそんな感じもする。まるで奇跡のようなことだもの。
「……んふっ」
その時、堪えた笑いが後ろの人混みから聞こえてきたので、つい振り向いてしまった。
周りが静かだったからちょっとね……。
笑ったのは白髪の女の子で、隣に立っている狼の獣人の女性に頭を叩かれていた。
全く。真面目なときなんだからマナーを守りなさい。
内心そう思って前を向くと、元帥の後ろにある聖女カタリナは、月光に照らされながら私たちを見つめて穏やかに微笑んでいた。
青黒い髪の、狼の獣人。私たちを慈愛の表情で静かに見下ろしている。その隣には、白髪の教主クリスタが静かに佇んでいた。
……狼の獣人と白髪の人?
うん? と思いながら後ろを向くと、先程の2人はどこかに行っていた。2000年くらい前の人物だから、あり得ないんだけどさ。見間違いか他人の空似だね。そもそも教主は磔刑に処されてるし。
「ここに私は宣言する――作戦の発動を。その名は『エカチェリーナ作戦』! 祖国を我々の手に取り戻し、リヴォニア、そしてズウォタ王国を正当なる所有者の元へと解放する!」
へえ、いい名前じゃん……私の名前じゃん!?
意識してないとは言わせないよ? だって毎日話してるし!
結構遠いのに、元帥はこちらを向いたと思うと、さり気なく笑った。おいおいおい!
いや、名付け方としては正しいんだ。首都で祀られている聖女カタリナからとっただけで、むしろ真面目な名付け方でもある。
ただ……我が国には『白聖女』という諸外国にも名前が知れてる有名なエースがいるらしいからね。その人の名前もエカチェリーナなので、しっかり相談した方が良かったと思うな!
「この作戦は、この戦争の大きな転換点となるだろう。同志諸君、そして占領地にて恐れを知らずに抵抗する勇敢なる人民諸君!」
元帥の演説は締めに入った。
終わったらしっかり話し合いをしよう!
「――今年の年の暮れは、家族と共に暖かい部屋で過ごせることを約束しよう!」
大歓声と拍手とシャッター音が鳴り響く。
音がよく響くように造られた大聖堂は、しかし今回だけはその必要はなかった。
◇
リョーヴァとミールも連れて元帥の出待ちをしようとしたところ、2人は別の用事があるからと何処かに行ってしまった。ずるいな私も連れて行ってよ。
ということで、一人で出待ちをしている。
がちゃり、と扉が開いたので私はそこに向かって駆けた。警備の人が止めようとしたものの、私の顔に気が付いてなんとも言えない表情を向けるだけで終わらせてくれた。
「あの、元帥?」
「大尉。どうかしたのか?」
「いや……『どうかしたのか』じゃなくてですねえ。作戦名のことなんですけど」
顔を顰めながらそう伝えるだけで、元帥はしっかりと理解してくれた。
鷹揚と頷きながら言う。
「良い名前だろう?」
「ええ、まあ。けど、ほら、同名の人だっているんですから相談したほうが良いと思いましてね……」
「ははは、何を言っているのかわからんな。気にするだけ無駄だぞ、大尉。名前が売れれば売れるだけ得になるのは大尉だろう?」
気にするだけ無駄なのかなあ……なんかそんな気もしないんだけどなあ……。
……でも確かに、後世のオンライン百科事典に作戦名の由来はエースパイロットだった、なんて書いたら袋叩きに合いそうだ。
誰も気にしないか! よくある名前だもんね!