幕間:デート・ウィズ・ミール
空軍の食堂は、首都の解放直後だというのに早速稼働していた。
ということで、久しぶりの食堂での朝ご飯だった。沢山の人が既に来ていて、顔見知りもちらほらといる。
エースだけどルールは守らないとね。行列の後ろに並んで、私の番が来るのを待つ。
「少なめで」
「あら、『白聖女』じゃないの! たっぷり食べなさいな!」
「あの……」
お皿の上にこんもりと盛られたのは豆とひき肉を炒めたやつ。嫌いじゃないけど、最近は前線続きで胃袋が小さくなっている。
……食べられるかなあ。
重くなったトレイを持ちながら、座る場所を探して右へ左へ頭を動かしていると、ちょうどいいタイミングで知り合いを見つけることが出来た。
「あ、ミール」
「おはようリーナ。……多くない?」
ツッコミは無視しよう。相手をしているとキリが無くなる。
いつもの三人組で朝食を食べよう――と思って、ひとり足りないことに気が付いた。
「あれ、リョーヴァは?」
党の軍隊では男女で住む場所は分けられている。それは戦時中という緊急事態でも一緒で、私が個室のときでも、彼らは相部屋の時が多い。
だから私が行方を知らない時でも、片方に聞けばほとんどの場合答えは返ってくる。
「実家の様子見に行ったよ」
「家族の皆さんはもう疎開済みだよね?」
「だけど、気になるんだってさ」
「それもそうか」
話しながら歩いていると良い場所を見つけたので、机にトレイを乗せて椅子に腰掛けた。
目の前に現れるのは空軍の義務。さあ、どのように攻略していこうか――
案外食べられるものだね。
胃袋って意外と伸縮自在らしい。ぺろりと食べられちゃった。このくらい余裕だったのか。
ご飯の時には集中するタイプなので、食べながら話すことはあんまりない。だけど、食後は別だ。お話タイム!
隣のミールを見てみると、既に食べ終えていてコーヒーを飲んでいた。私もあとで淹れてこよ。
「えっと……ミール、今日暇?」
リョーヴァがいないけど、今日は予定がないし、折角だし出かけたい。
私はミールに声を掛けた。
「暇じゃないよ」
「よし、じゃあ私と一緒に……ってええ!? 明らかにやる事なさそうじゃん!」
「暇って言ったらリーナに連れ回されそうだし……」
……失礼だな!
相手のこともしっかり慮る人間なんだけどな。自分の行きたい場所だけ連れて行くような無遠慮人間ではない。
ここはビシっと言ってやろう。
「むう。前々から思ってたから言っとくけどさあ、キミ、なんか私に冷たくない? 今をときめく最強のエースからの誘いを無碍にしないでくれます?」
「……いや、まあ、うん。確かにね。ちょっと雑だったかも。理由はあるんだけどさ」
「そう思ってるならたまには2人でお出かけしようよ! デートしよデート」
「仕方ないな。リョーヴァに見られたらどうなることやら……」
「新しい性癖が目覚めるかもね!」
「よくわかんない事をたまに言うね」
そうしてデートの予約を取り付けてうきうきの私は、自室に戻って早速準備を開始した。
なお必要な準備は特になし。服もないし香水もないし化粧品もないからね。
ちょっと髪を綺麗に整えるくらい。5分で完了。……これがあと1年で20になる女の準備時間なのか?
◇
「瓦礫まみれの街でデートっていうのも風情がないけどね」
バスはまだ動いていない。けど、軍のトラックが首都と基地の間をひっきりなしに往復しているから足には困らなかった。
そうしてやってきた首都。解放の時にも一日滞在したけど、その際は大通り近くにしか行かなかった。あの辺りも結構被害はあったけれど、ここほどではない。
偶然被害が集中してしまったらしいこの地区は、お手頃なお店が多い上に治安もそこまで悪くないところだったから、お気に入りだったんだけど。
「カフェも服屋も本屋さんも全滅か……」
「残念だね」
敵にとっても、道路に溢れる崩れた破片は邪魔だったのだろう。そうしたものは無かったものの、粉々になった建物は今もその姿を残していた。
通りに入ってすぐのお店も、角を曲がった先のお店もどれも壊れてしまっていた。散らばったガラス、砕けた食器、燃え残った本。そうした被害の残り香が、まだまだ戦時中だということを首都の解放で浮かれている私たちに突き付けてくる。
折角楽しい気分で来たのにこんな場所ばっかり見てたらもったいない。もっと良い場所に行こう。
「実質パトロールだねこれじゃ。他にも行きたいところあるんだけど、いい?」
「どこ?」
「大聖堂と大劇場。気にならない?」
「リーナが行きたいっていうならどこへでも。デートだからね」
少し強引に場所を変えようとしても、ミールはスマートに受け答えをしてくれる。
こいつ、女っ気無いくせにわりとこういうのに慣れているのかどうにも人を扱うのがうまい。
なんだか手のひらの上で踊らされているような気分にもなっちゃうけど、ここは素直に感謝しておこう。
「……えへ、ありがと!」
市内を回るバスはないから、目的の場所までは歩くことになる。軍の車もそこかしこを走っているわけではないからね。
新しい傷、古い傷、通り過ぎる建物には歴史が刻まれている。きっと、今回のこの戦争も50年もすれば「歴史」となるのだろう。ただ、歴史の通過点となるか転換点となるかは、未来の人たちしか知らないけれど。
魔物が根絶されたときは、きっとこれで終わりだとみんなが思ったことだろう。
なお、その最後の魔物を根絶させた軍隊の司令官がナポレオンみたいな人だったらしく、そのすぐ後にその人が戦争を起こしたという。
史上で唯一、冒険者たちが全力を出して殺し合うような戦争だったらしい。今よりもずっと魔法使いが多かった時代だ。……よく世界が壊れなかったね?
ともかく、今を生きる私たちは魔物の根絶ですべての問題が解決された訳では無いことを常識として知っているけれど、その時を生きた人は肩の荷が降りたような気分となったに違いない。
戦後のことを考えると、昔の人と今の私たちを重ねて考えてしまう。
考え事をしていると、いつの間にか歩幅は随分と小さくなっていて、長い時間歩いたのにあまり進んでいなかった。
ミールは先に行ったかも――と思って隣を見ると、ゆっくりと私に合わせて歩いてくれていた。
「お、戻ってきた」
「ごめん、考え事してた……戻ってきたって何?」
「リーナ、たまに思索に耽ることがあるからね。意識がどっかに飛んでるみたいだからさ」
「うう……否定できない。いやそれより、遅くなっちゃってごめんね。早く歩こっか」
「ゆっくり過ごすのも嫌いじゃないけどね。行こうか」
◇
目的の場所とは、救主聖女月誕大聖堂だった。
ここも壊れていたら悲しかったけれど――
「……まさか傷一つないなんてね」
私の気持ちをミールが代弁した。
天を削るように伸びた大聖堂の丸屋根は、ラケータの降り注ぐ中においても傷一つ付くことは無かった。戦前と同様に、今も高く聳え立っている。
「霊験あらたかってやつだね」
「何その言葉? 響きからして夜見のことわざ?」
「あー、そんな感じ」
「前々から不思議に思ってたけど、リーナって意外と夜見のことに詳しいよね」
一緒に大聖堂を見上げながら私が呟くと、隣の彼は妙に鋭い勘でそんなことを聞いてくる。
そりゃそうだ。だって前世は日本人だもの。
「なに『意外と』って、失礼だなぁ。ちょっと……そうだね、因縁というか、ちっちゃい頃から興味があったというか」
「へえ、ならそっち方面の道も考えてたの?」
「外交官とか貿易関係とか? 航空クラブに行く前は考えてたよ」
「なるほど。本当に天職なんだね、飛行機に乗れる今の仕事は」
「そうとも言えるけど、やっぱり、平和なときに飛ぶのが一番好きだよ。いくら忙しくてもね」
我が国を東へ西へ飛び回っていた第33航空連隊も懐かしい。今もほぼ毎日飛んでいるものの、命のやり取りが介在するのはやっぱり嫌だ。気持ちが落ち着かないし、なにより、ゆったりと安心することができない。
「あはは、わかるよ。ぼくも演習が一番好きだったからね……実戦も嫌いじゃないけど、たまに気が滅入るもの」
「ミールでもあるんだねそういうの。さて、せっかくだし大聖堂でお祈りしにいこうか」
「いいね。実はぼく、大聖堂に入るのは初めてなんだ」
「私は二回目。案内してあげるよ」
久しぶりの大聖堂は神聖な雰囲気だった。
兵士のご家族の方々が何組も訪れていた。その人たちは聖女のモザイク画の前で跪いたり、席に座ったりして祈っていた。私たちも、端っこの方に座って祈った。
いくら敵とは言え、教えに奉仕する人々にまで手を出すことは無かったようで、聖堂に仕える人たちの様子にあまり変わりはなかった。良いことだ。
軽く他のところも見て、次の場所へ向かうことにした。
「大劇場は……」
「半壊か。残念」
大劇場はロビーの辺りに被害が出てしまっていた。不幸中の幸いか、舞台の方にはあまり被害は出ていない。時間はかかるだろうけれど、復旧は難しくないだろう。
けど、戦争が終わるまで余裕はない。あと何年かかることやら。
「平和になったらエリカを連れてきたかったんだけどな」
「エリカ? 『黒騎士』のこと?」
「うん」
「仲良いんだね」
「そう……かも。あいつ、なんか私に似てる気がするし。戦場じゃなくて地上で会いたいけど……難しいんだろうな」
皮肉にも、彼女が夢見た大劇場は彼女たちの攻撃によって大きな被害を受けてしまった。
エリカがこれを見たらどう思うんだろう。今度会ったときに伝えてみようか。
――今度会った時こそ、どちらかが堕ちるまでやり合うだろうから、そんな余裕があるかわからないけれど。
「大劇場がこんなのじゃ見学もできないね。どうする?」
「お土産買って帰ろうか。折角首都が解放されたんだから、余ったお金もいっぱい使わないと」
「こんな状況でもやってるところがあると良いけれど」
戦禍の傷跡が残る首都をあっちへこっちへふらふら。今日一日ですごく歩いている。
そうして向かったのは大通り。構えるお店はどこも一流ばかりだったけど、今はどうなっているのか――
「……すでに全快だね」
全部、とまでは行かなかったけれどほとんどのお店は営業していた。首都の解放に合わせてお店の人たちは帰ってきていたのだろうか?
疎開先からの帰還の列車は解放のその日からひっきりなしにやって来ている。それにしても早い。
「革命通りにお店を構えるくらいだから、やる気が凄いね。何買おうか?」
それから、2人でいろいろなお店を見て回った。ちょっとした小物や雑貨も買った。
その際、お店の人にどうしてこんなに早くから再開しているのか聞いてみた。
祖国の侵略程度なんとも無いことをアピールしているらしい。言ってしまえば、日常を維持することで彼らなりに敵と戦っているのだという。
……ありがたいね。
◇
あっという間に帰る時間だ。
明日も休みだからもっと居てもいいんだけど、軍のトラックに相乗りさせてもらう以上、あんまり余裕もなかった。
輸送部隊の人たちは夜勤と日勤で交代しているらしいけど、作戦行動中でもなければ基本は日勤で、夜勤の人はほとんど居なくなるのだという。夕方を過ぎると基地に帰れなくなっちゃうかもしれないのだ。
軍の車両がよく通る道に移動する途中、私は今日のことで非常に重大なことを思い出した。
「ねえ、デートっぽいことしてなくない?」
これじゃただのお友達とのお出かけだよ!
「そうだね。ぼくはそれでいいんだけど……」
「私は消化不良。なんかしようよ」
「って言っても帰るだけなんだけどね」
……ちょっと恥ずかしいけど、これくらいしかないか。
私はミールにそっと手を差し出して、言う。
「……じゃあ、手、繋ご」
「いいよ」
「随分あっさりだね。……やっぱり慣れてるな」
もうちょっと照れてくれたりしたら面白いのに。さらりと言うんだから面白くない。
「違う違う。だって、ほら、君って妹みたいだもの」
「一日デートした相手にそんな事言いますか。わかってないなあ」
「でしょ? ほら、手を頂戴。温めてあげるよ。日も落ちてきたし、風は冷たいよ」
軍のトラックを捕まえて、乗せてもらって、基地に帰る間にもこっそりと手を繋いでいた。
温かい。案外、彼も緊張しているのかも。
基地に戻ったら、今度はもっと近付いて手を繋いだ。
日が沈んで冷たくなった風も、彼の体温で随分と和らいだ。
ときめくイベントもなければ、派手な出来事も起こらず、今日は平穏に終わった。
一緒にお出かけしただけの日だったけど、たまにはこんな日常も大事だよね。こんな戦時下なんだから。
「ミール、リーナ……? 居ないと思ったら出かけてたのか、どこ行ってたんだ? ……ていうか、手、え、近くね?」
前言撤回。
私とミールはパッと手と身体を離して、示し合わせたように別々の方向へと歩き出す。
「……おいなんとか言えよ! えっ、マジで? おい……嘘だろ!?」
後ろから猫ちゃんの鳴き声が聞こえたけど、私は無視して歩き続けた。
後処理は相部屋の相方くんに任せよう。彼ならきっとうまくやってくれるさ。