58.アメリアさん
「革命記念日までには首都の奪還を成し遂げたいな」
「10月の1日ですか。どうでしょうかね?」
戦争中は任務続きで毎日が忙しなく過ぎていく。
気が付けばあっという間に9月になっていた。作戦は順調だけど、一番最初の速さは失われていた。
それでも圧倒的速度なのは変わらないけれど。首都にももうすぐ手が届く。
「正直、微妙だな。十月中には確実に解放できるだろうが。まあなんだ、月日に拘って無駄な犠牲を出すのは余りにも愚かだからな、ちょっとした目標程度のものだが」
「頭の中には入れときますよ。私たちも頑張ります」
「そうしてくれると助かる。記念日というものは、人民は誰しもが大切に思うものだからな」
北方に位置するこの国では、秋の訪れも一歩早い。
夜が少し肌寒くなってきているそんな季節。私は、元帥に報告するついでに軽い雑談を行っていた。
職場コミュニケーションだ。地味に大事なやつだね。
「ちなみに元帥は?」
「……よく忘れていたよ。今では日付を覚えるのが得意になったがな」
「シャルロットさんはそういうの大切にしてそうですもんね」
記念日は大事だよね。2人の大切な思い出の日なわけだからね。忘れるなんてありえない。
今では反省しているようだけど、脳内で元帥への評価に減点をしておいた。私はシャルロットさんの味方だ。
「そうだ、大尉に伝えておくことがあるんだ。合衆国義勇軍の指揮官から、君と話す機会を設けたいとの申し出があった」
「あれ、南方戦線へ応援に向かっているんじゃないんですか?」
「昨日の攻勢を覚えているか?」
「はい。すっごい砲撃が行われていましたね」
毎日の攻勢は短時間の間の集中的な砲撃から始まる。何千発撃っているのかわからないけれど、比喩抜きで地形が変わるほどに入念に砲撃を加えるのだ。
そんな砲撃が、昨日の攻勢ではさらに一段と激しいものとなっていた。敵の基地がしっかり陣地化されていて要塞のようになっていた、というのもあるだろうけど、それにしてもすごかった。
土煙が風にさらわれると、地上を覆ってしまうほどだったんだから。空から見てた私たちはちょっと引いていた。「こんなにする必要ある?」って。
「そう、それが南方戦線からの支援砲撃だったんだ。そして、その攻勢によって東方戦線と南方戦線はほぼ接続されてな。飛行機での移動程度なら敵に妨害されることなく可能となったのだ」
「おお、ガズヴィン湖超える必要なくなったんですか」
ガズヴィン湖は、東方と南方の山岳地帯の間にある大きな湖だった。言っちゃえばカスピ海だね。地形は地球とほぼ一緒なのだ。
そんなガズヴィン湖だけど、これまでは、安全に南方戦線に移動するためには途中の砂漠と湖の上を超えていく必要があった。道中で補給もできないから、結構ストレスに晒される空路だったらしい。私たちは元帥直属だから行ったことはないけど。
「そうだ。これから3日程度、兵士の休息も兼ねて攻勢の勢いを弱める。良い機会だから、行ってくると良い」
「そうします。そういえば、大統領にも顔を合わせてみろって言われてましたし」
アメリアさんか。航空学校にいた時にはたまに会っていた――というかお店に行っていたけど、本当に覚えられてるのかな。大統領のリップサービスかもしれないし、行ってみたら実務的なお話しかしないかもしれない。
何を話そうか、とか考えていると元帥が少し声を落としながら言葉をかけてきた。
「……ここからは内密の話なのだが」
「はい?」
なんだろう。南方戦線に変な人でもいるのかな。
「義勇軍の指揮官、アメリア大佐にはSIAと繋がっているとの噂がある」
「SIAってなんですか?」
「合衆国|情報《Intelligence》局。我が国の内務部のようなものだ」
「……って言われても、何に気を付ければいいのか……」
聞き慣れない組織だったけど、そういえば、大統領もぽろりとこぼしていた気がする。その時はさらりと流されちゃったけど。
戦略情報局とか中央情報局みたいなやつね。はいはい、合衆国だもんね。あるよね。
でも、私は知られて困る情報なんて持っていない。あるとしたら元帥の作戦の詳細くらいだろうけど、合衆国には伝えられているだろうし、事後報告は事細かにしているらしいから調べるまでもないだろう。
「知っているか、カレーニナ大尉?」
私がちょっと困惑していると、それを察した元帥はなにやら教えようとしてくれた。
「はあ」
「魔法使いというものは、一国に一人ほどしか存在していない。おおよそ一億人に一人の割合だな」
……へえ、そんなにレアだったんだ。学校では教わっていないね。
そして、その話を聞くともう伝えたいことは見えてきた。そんなに貴重な魔法使い、私の知っている人はただ一人。
「戦後のことだ。恐らく、チェレンコワ大尉の情報を合衆国は喉から手が出るほどに欲しがっている。だから、気を付けておくと良い。せっかく助けられたのに、帰れた先は祖国ではなかった――なんてことにはしたくないだろう?」
「なるほど。頭に入れておきます……まあ、アメリアさんはそんな人じゃないでしょうけど」
「杞憂ならそれで良いんだ。ともかく、戦時中だからな。気を付けるに越したことはないぞ」
それから元帥は、アメリアさんへのお土産として評議会共和国で作られたチョコレートを持たせてくれた。
なんでも、戦争が始まるまでは合衆国にたくさん輸出されていた人気商品らしい。
名実ともに我が国のチョコは世界一の美味しさだから、喜ばない人は存在しない。いいお土産になってくれそうだった。祖国万歳!
◇
比較的安全な空域を飛ぶことしばらく、私は南方戦線へと来ていた。
まあ、同じ国の同じ軍隊なので特に変わりない。南方の山岳地帯生まれの人がちょっと多いかな? というくらいだ。
「お久しぶりです、アメリアさん!」
「よく来たねカレーニナ大尉! 随分立派になったじゃないか!」
基地の建物に入って挨拶をすると、すぐに元気な挨拶が返ってきた。その大きな声と一緒に見えたのは、少しだけ年を取ったハンバーガー屋さんの女将さんだ。
見た目はほぼ変わっていないけれど、軍服を着ているのが少しだけ違和感があった。
「アメリアさん……いえ、アメリア大佐こそ、私たちが想像している以上に偉い人でびっくりしました」
大佐さん……少将の一歩手前、雲の上の人だ。まさか、お店屋さんをやっている人の裏の顔……表の顔? がこんなに偉いだなんてびっくりだよ。
私がそう言うと、アメリアさんは高らかに笑った。
「ははは、趣味が高じてなんだけどね。あたしもびっくりだよ」
アメリアさんと初めて会ったときに、趣味でパイロットをやっていたと言っていたのを覚えている。あれからいろいろあったけど、今はこうして空軍として飛んでいる。
なんだか親近感が湧いちゃうね。私と同じような境遇だ。
「へえ、趣味ってことはもともと飛行機が好きだったんですか?」
「うん。確か10年ちょっと前だったかな。世界一周に成功して昔はちょっと有名だったんだよ」
「世界一周!? すっごいですね……私もやってみたいなあ……」
「カレーニナ大尉も空軍だからって訳じゃなくて飛ぶことが好きなんだね? 似た者同士じゃないか――」
アメリアさんとの話は弾みに弾んだ。どちらも飛行機が大好きで、飛ぶことも大好きで。
空を飛んだ時の高揚感や、ちょっとした危険と出会った時の緊張感。そして、私は経験したことのない壮大な飛行の話だったり、逆に、アメリアさんが経験したことのない空軍のお仕事の話だったり。
ここまで好きなことでたくさん話せるのは本当に久しぶりだった。……少し、航空クラブにいた時のことを思い出した。あそこの人たちはみんな、飛ぶのが大好きだったから。
「はあ、楽しい楽しい。大尉のことを呼んでよかったよ。まさかこんなに気が合うなんてね」
ひとしきり話し合って、アメリアさんは椅子を軋ませながら背もたれに身体を預けた。少しの間天井を眺めて、何かを考えていた。
意を決したように勢いをつけて私の方を向くと、息を吸ってから言った。
「ところで、大尉」
「はい?」
「航空学校ではどんなことを学んだんだ?」
何を聞かれるのかとちょっと心配に思っていたけど、そのことだったのか。
それなら別に隠すようなことでもない。私は安心して口を開いた。
「いろいろと、ですよ。教官の人が特にいい人で――」
「へえ! んじゃその人は今も前線で戦ってるのかい?」
――そのことが聞きたかったのか。
アメリアさんの声色には無理が滲んでいた。少しだけ苦しそうだった。
「いえ……南方戦線にいるらしい、とだけ聞きましたが……」
適当に流そうとなるべく何気ない風を装ってそう言うと、目の前の彼女の顔はさらに苦しげになっていった。
良心の呵責に苛まされているような、そんな顔だった。
「……はあ、やめだやめだ。大統領にも言われたけど、柄にもないことってするもんじゃないね」
「えっと……」
「どうせ聞いてるんだろう? SIAから頼まれたんだよ。けどやっぱやめだ。あたしには似合わないね」
これからどう切り抜けようか思案する前に、アメリアさんは自分から種明かしをしてくれた。
助かるけど……本当にいいのかな。彼女だって国のためにやるわけだし。
「……いいんですか?」
「何が?」
「その、政府機関からの命令みたいなものですよね?」
「いいんだいいんだ。戦争中に他の国の軍人にちょっかいかけたら、『すべての戦争を終わらせるための戦争』なんて夢のまた夢。わかってないやつらにわからせるには、現場の反抗が一番なのさ」
私が使った言葉を引用して、ウィンクと一緒にアメリアさんはお茶目に言った。
素敵で優しい人だ。合衆国で有名人になっていたのにも納得できる、魅力的な性格の人だね。
「それに」と言葉を付け加えながら彼女は話を続けた。
「空を飛ぶ人は全員仲間だ。今は敵だけど、大衆ゲルマンのパイロットだって例外なくね」
さらりとそう言ったけど、その思想は私に大きな衝撃を与えた。
私が敵のパイロット――名前を知らない人たちや、リヒトホーフェン卿、ハンナさん、エリカに感じる不思議な親近感の説明がたった一言で済んだのだから。
……そう、全員仲間なのだ。私と同じく、空と飛行機を愛する仲間。ただ偶然にも敵同士になってしまっただけで、地上で出会ったら仲良く話せることは確実なのかもしれない。
「そんな仲間を謀るようなことしたくないよ。そうだ、リンドバーグの野郎から聞いたよ。あいつにサイン書いてあげたんだって? あたしにもくれよ! 家宝にするからさ!」
朗らかな笑みを浮かべながらサインを求めてくるアメリアさんだったけど、対して私は静かに感謝を告げることにした。
「……ありがとうございます」
「いいってこと。あ、そうだ。チーズバーガー好きだったよね? 作ってあげようか?」
「いいんですか!?」
「うん、良い顔に戻った。たくさん作ってあげるよ! ほら大尉、一緒に食堂に行こう!」