50.生還
彼らの基地にたどり着くと、基地で一番偉い人がすぐに元帥へと連絡を始めた。
なにがあったのか、彼らは一分一秒も惜しいようだ。
私を連れてきた兵士さんを運転手に、車の助手席に軽食と共に私は押し込まれて、早速総司令部――パヴェルフスクへと向かうことになった。
揺れる車は眠気を誘う。
一晩中走っていたのもあるけど、それよりも、危険から解放された安心感が強かった。
ぼーっと外を眺めていると、春先の青い空を見慣れない戦闘機が飛んでいった。大衆ゲルマンでも、評議会共和国の機体でもない。
「あの……空に飛んでるのって私たちの機体じゃないですよね? 捕らわれてる間でどっかに占領されたんですか?」
「合衆国の義勇軍だぜ、聖女様。『アンウェルカムズ』だ」
「ひどい名前……」
「自称してるんだから仕方ねえだろ。支援物資の評判から取ったんだとさ。有難迷惑なんて、面白いセンスしてるぜ」
ついに、合衆国の義勇軍も到着してくれたようだ。
そう言われると、遥かな空から聞こえるエンジン音も勇ましく、頼もしいものに聞こえてくる。
もっと聞きたくて車の窓を開けた。
朝方のひんやりとした空気と共に、清々しい花の香りと、泥の匂い――そして、エンジンの大きな音が入ってくる。
「にしても、よく生きてたな」
「頑張りましたよ」
「さすがエースだぜ」
「……ところで、私の僚機は無事でしょうか」
祖国と自身が安全であることがわかると、次に気になるのは戦友だった。
彼らはあの後、無事に帰れたのだろうか。……それに、今まで無事に生きてくれているのかな。
「僚機? ああ、『銀猫』と『山脈』か」
車を運転する彼が一瞬だけ私を見ながら答えたのは、聞き慣れない二つ名だった。
「銀猫……? 山脈……?」
「あれ、あんたが堕ちた時にはまだ呼ばれてなかったのか。猫の獣人のエースと、のっぽのエースの二つ名だよ。あんたの僚機たちだろ?」
「はい、そうです。ミールとリョーヴァです。……ふふ、そっか。活躍してるんですね」
「聖女様がいなくなってから、義勇軍が来るまでは彼らが空の盾になってくれてたんだ。お陰で飛行爆弾にも、敵の爆撃機にもほとんど怯えなくて済んだ。大助かりだ」
リョーヴァとミールは、私がいなくなった後にも活躍してくれていたようだった。
もしかすると、私以上の腕になっているかもしれないね。それに、私以上に撃墜しているかもしれない。
……今から会うのが楽しみだ。彼らの顔を思い浮かべると、自然と笑みが溢れた。
「総司令部まではまだまだ時間がかかる。聖女様、寝とけよ。ひどい顔だぜ?」
「そうですか? ……お言葉に甘えますね」
「ゆっくり休むと良い。あんたが生きてたのが知れたら、休む暇も無いくらいに祝い事の連続になるだろうからな……」
目を閉じると、私の意識はあっという間に沈んでいった。
車のシートも、今の私には最上級のベッドと変わりない。
◇
「……い。おい。着いたぞ」
「……ん。おはよ、ございます」
朝には出発したはずなのに、空はいつの間にか橙色に染まっていた。
随分と寝ていたようだ。身体を伸ばすと、ぱきぱきと音が鳴った。
「陸軍の車列に当たったせいで日暮れになっちまった。それじゃ、元帥によろしくな。俺は前線に戻らねえと」
「……あ、ありがとうございました! あの、お名前は?」
「今は名乗らねえよ。戦争が終わって、また会ったら教えてやる。……俺より良く出来た戦友が死んでるのに、俺の名前だけ覚えられるってのも不公平だろう?」
「……そうですか。それじゃあ、平和になったらお会いしましょう。無名戦士さん」
「ああ、またな」
空軍には空軍なりのプライドがあるように、地上で戦う兵士たちも同様に、彼らなりの矜持があった。
それを無碍にすることはできない。平和になったら見つけ出して、今回のお礼をたっぷりとさせてもらえばいいだけだ。
去っていく車に手を振りながら、彼の顔を何度も思い起こして記憶に焼き付けた。『兵士との別れ』だね。
ダスヴィダーニャ。
日が暮れると、風も冷たくなる。もう4月らしいのに、山脈を超えた東方は首都やヴォルシノフよりも更に寒い。
身体を少し震わせて、私は総司令部へと走った。
少し近づくと、いつか見かけた人が入口に立っていることに気が付いた。
その人は私を見つけると、大きな声で総司令部に向かって叫んだ。
「ミーシャ! 来たよ、我らが聖女様だ!」
彼女――シャルロットさんが元帥を呼ぶと、身体に染み付いているのだろう。元帥はどんな軍人よりも早く外へと飛び出してきた。
「カレーニナ大尉! 報せは本当だったか……!」
「あ、あはは……。エカチェリーナ・ヴォルシノワ・カレーニナ大尉、只今帰参致しました」
私が敬礼をすると、元帥は軽く答礼をした。
そして、どこに隠していたのか、ウォトカの瓶がいつの間にか片手に握られていた。
「聞きたいことは山程あるが……まずは休息……の前に!」
蓋を開けて、瓶の口を私に向けながら元帥は話し続ける。……久しぶりのアルコールの香り……。
「我らが祖国の軍人が、死地から帰ってきた後、最初に休むはずもないだろう?」
「……ちょっと、ミーシャ?」
「クレプスキュールにはない風習だろうな。カレーニナ大尉、君の小隊員たちも呼んでいる。まずは宴だ酒を飲もう!」
「……カレーニナ大尉、いいの?」
珍しく、元帥はシャルロットさんの言葉を聞かずに自分のやりたいことを押し通していた。
――そこまでやられて、付き合わないっていう選択肢もないよね!
「久しぶりのウォトカとシャンパンですね。もちろん、付き合いましょう! すべて平らげて見せますよ!」
「……この国の人達は、本当に……」
「知っていますかお二方? 空軍の食事はとにかく量が多いんです……そして私はずっと空腹に耐えていました! 私を満足させてくださいね?」
シャルロットさんの呆れ声を尻目に、私と元帥はがっちりと握手を交わした。
◇
元帥に案内されて少し小さな宴会場に入ると、既に料理とお酒は準備されていた。
そして、その中には銀髪の猫の獣人がいた。リョーヴァだ。
私に気がつくと、リョーヴァは目を輝かせて駆け寄ってきた。かわいいやつめ!
「リーナ!」
「リョーヴァ! ミールは?」
「ちょうど帰省中だったんだ。実家には連絡したから、もう少ししたら帰ってくるぜ」
「何もなくてよかった。リョーヴァ、元気だった?」
久しぶりに会えたのが嬉しくて、ついさらさらの銀髪を撫でようと手を伸ばしたけど、思い直して引っ込めた。
そんな私を見て、リョーヴァは少し不機嫌そうに言った。
「俺のことは見りゃわかるだろ? それよりお前だよリーナ! 髪も伸びて見た目もひでえし……」
「……幻滅しちゃった?」
「なわけねえだろ! 俺もミールも、お前の強さに甘えすぎていたところもあったからな……いろいろ反省したんだよ、お前は死んだものだと思ってたし」
「お葬式とかしたの?」
「戦争中に一人だけ特別扱いで葬式も出来ないだろ? こうして生きて帰ってきたし、やらなくて正解だったぜ」
「そっか」
久しぶりの会話で、急に話が止まってしまった。
気まずい沈黙が辺りを支配して、リョーヴァは頭の後ろを掻いた。
元帥とシャルロットさんを見てみると、既に飲み始めていた。……私をダシに宴会がしたいだけだったんじゃないの?
でも、お偉いさんが始めてるなら遠慮をする必要もない。
リョーヴァの手を引いて、ご馳走が並ぶテーブルの前まで歩いてきた。
お皿に料理を何品か乗せて、ウォトカの入ったコップを手に取った。リョーヴァも同じだ。
「ていうか、休まなくて良いのか?」
「極寒の土地の冒険者の血を引いてるからね!」
「『黒鷲』も『氷雪』も、満身創痍で帰ってきたらまず休むと思うけどな……」
「だとしたら、私はそのA級冒険者よりも上ってことだね! 尚更負けらんないよ」
「……リーナがいいならいいけどよ。んじゃ、飲むか!」
乾杯!
かちん、とコップをぶつけてウォトカを一気に飲み込んだ。
……臓腑が熱くなる!
これだよこれ!
◇
「ふう、遅れた……うわ、お酒臭っ! 年末のウチより臭いよ!」
「ミールぅ! 久しぶりぃ!」
「リーナ! 無事で良かった……けど……どんだけ飲んだの!? あんまり強くないよね!?」
2時間か3時間、1時間ちょっとかも?
時間が経つと、宴会場の扉が開いてミールが入ってきた。
シャンパンの入ったグラスを片手に、私はミールの方へと近付いて……おっと、あぶない。
ミールの背が大きくてよかった、支えてくれた。
「だいじょうぶぅへいきぃ」
大丈夫、頭はまだまだ動いてるからそんなに酔っ払ってない。
ちょっと気持ちがいいから酔ってはいるけど、これくらいなら、飛行機も飛ばせる。
「じゃないよね? 全く。……あれ、リョーヴァは? …………なんで寝てるんだ」
「あれぇリョーヴァ寝てるのぉ? 私も寝ようかなぁ」
横を見ると、リョーヴァが床で寝転がっていた。顔は真っ赤で、耳がぴくぴく動いている。気持ちよさそうな寝顔だった。
私もこのまま寝ちゃいたい。絶対きもちいい。
シャンパンを置いて床に寝転がろうとすると、ミールに止められた。なんだよぉ。
「ああ駄目だ君はここで寝ちゃ! 送り狼みたいなことはしたくないけど……はあ、リーナ。ぼくが宿舎まで送るよ」
「えぇ? ミールが? ついに私のことを……」
「残念だけどさ、年下に興味はないんだっ」
そういえば――と思って元帥とシャルロットさんを探してみると、2人も潰れていた。仲良く寄り添いながら壁際で眠っている。
もう少しだけ飲もうかな、と思ってふらふらと(酔ってないけど真っすぐ歩けない)お酒を取りに行こうとすると、ミールに抱きかかえられた。
「えへぇお姫様だっこだ~」
「うわぁお酒臭い……ぼくは酔っ払いと年下に惹かれないんだよね」
「じゃあ早く覚めないと」
「ちょっとリーナ急に動かないで! ……放っておいたら酷いことになりそうだから、宿舎に連れてくよ」
ミールは体温が高いようで、抱きかかえられていると暖かかった。
そのお陰で、私の意識はちょっと沈んだ。
ふぁさ、と布がかけられる感触と一緒に、私は目を覚ました。
いつの間にか宿舎に連れられていた。側にはミールがいて、帰ろうとしていた。
……袖を掴んだ。離したくない。
「……いかないで」
「行くよ。手を出したなんて噂になりたくないからね」
「だめ……もう、一人は嫌だ……」
今晩だけでも、一人は嫌だった。だから、あの賑やかな宴会場で寝ちゃおうと思ってた。
ようやくみんなの元に帰ってこられたから、安心してもいいはずなのに、一人になると心細くなる。辛くなる……。
なにをしても私が手を離さないことを悟ったミールは、ため息をつきながら言った。
「昔の妹を相手にしてる気分だよ」
「そう、なの……? じゃあ、甘やかしてよ……」
ベッドの隣に椅子を持ってきて、ミールはそこに座った。茶色い赤毛が、窓から入る電灯の明かりを受けて仄かに輝いている。温かくて、穏やかな色をしていた。
軍服のジャケットを脱いで、背もたれに掛けた。そういえば、ミールは実家に帰省していたという。ジャケットからは、素朴な郷土料理の香りがした。
ぽんぽん、と私の頭を撫でて、ミールは私のことを愛おしげに見つめてきた。それから、ゆっくりと、静かに、口を開いた。
「……寝物語に、ぼくの好きな話をしてあげる。――これは、英雄も竜もまだ居なかった時代。廃都パールシャーがまだ健在だった時の話――」
……話に集中すると、次第に眠気が強くなる。
…………久しぶりの温かいベッド。信頼できる友人がすぐそばにいて、心臓はとくとくと落ち着いて動く。
………………私の居場所だ。……やっと、帰ってこれた……。
……。
「おやすみ、リーナ。今日は安心して眠るんだ。ぼくが側に居るからね」