47.撃墜
《お久しぶりです、リヒトホーフェン卿》
《やはりカレーニナ大尉の小隊だったか》
《大尉って……なんで知ってるんですか》
《なに、当然のことだ》
私が大尉になってからは1ヶ月以上経っている。伝わっていてもおかしくないけど、それにしても早い。私の周りの人なら知っているけど、あまり会わない人は私が昇進したことも知らないだろう。
それなのに、敵のお偉いさんに知られているというのは不気味だった。
《隣り合う子たちとは初対面だな。私は『大衆公爵』リヒトホーフェン。フォルクス・ゲルマニカにて空軍中将を拝命しているよ》
一方のリヒトホーフェン卿も、いつの間にやら大佐から中将になっていたようだ。……将軍様が御自ら前線で働くなんて。普通じゃ考えられない。
けど、彼はそれを許されるほどに強く、信頼されているのだろう。空の戦いにおいて、場違いな階級でありながら飛んでいるのは、絶対に堕ちることはないという強者の証だ。
《随分と偉くなりましたね》
《カレーニナ大尉こそ。初めて会った時は准尉だったか。いや、あの橋から眺めるイゾルゴロドは実に壮麗だった》
懐かしむような、大事なものを壊してしまったような。リヒトホーフェン卿は後悔を滲ませるような声色で語るものだから、私の頭に血が昇った。
空戦におけるこの場外乱闘はその目的のためにやるのだから、それも当然なんだけど。
だけど……あそこには私の家族が居て、友人が居て、大事な連隊の本拠地だった。
《……あなたたちのせいで、今では瓦礫の山でしょうけどっ!》
スロットルを押し込んで、2人を後ろに前に出た。
リヒトホーフェン卿がいくら強くても、私はエリカとも、ハンナさんともやり合えるんだ。
内戦を戦い続けたエースだろうと、私なら十分に相手をできる。やってやる!
『おいリーナ行き過ぎるな!』
『ちょっと、リーナ!』
『大丈夫、なんとかしてみせるっ!』
リョーヴァとミールは私を見かねて声を掛けてきたけれど、2人に無理をさせるわけにもいけない。連携すれば私一人よりも時間を稼げるかもしれないが、2人が堕とされる可能性も出てくる。
それだけは嫌だった。私が堕ちるのは構わないけれど、周りの人がこれ以上居なくなるのは耐えられない。
《単機による突貫か。彼我の差が大きければ、あるいは拮抗しているならば悪くない》
赤いシュヴァルベは高度を取って、再び私へと向かってきた。
冷静に観察されるのは気持ちが悪い。
《私は、ハンナさんともエリカともいい勝負が出来るんですよッ! 舐めないで下さい!》
《……戦場に呑まれたか。哀れだよ》
私も機首を上げて、相対する形となった。
双方の機関砲が互いを狙って火を吹く。
距離はそう変わらないが、先に狙って先に撃って先に離脱したのはリヒトホーフェン卿だった。私は一歩遅れていた。
……なかなかやる。
《古来より冒険者に伝わる心得は、三つある》
どうせまた高度を取るのだろうと思って、高度を上げて速度を失うよりも高度を保ったまま加速することを選んだ。
しかし敵はそれを察知していたのか私の後ろを取ろうと、高度を下げながら私の背後へと近付いていた。
僚機の2人は私の動きが予想できないのか、どう動こうか判断に困っているようだった。
ごめん、だけど、ここは任せてほしい。
《一つ。自身の腕を過信するな》
リヒトホーフェン卿はぴったり後ろに付くことを選んでいた。ジェット機なのに、随分と冒険をする。
機動性能では圧倒的な差がある。もちろん、私が上だ。
後ろを見ながら、左右に動く。
……離れられない!?
《二つ。敵を侮るな》
いくら大きく動こうとも、リヒトホーフェン卿は私の後ろをしっかり保持して、射撃の絶好の機会を待っている。……森の中で、狼にずっと追われているようなものだ。
隙は見せられない。次に動かす手を幾つも考えて、その中で何十回も取捨選択を行い、最も生き残る可能性の高そうな選択肢を取る。
息が荒くなる。
汗が滝のように流れる。
……私の判断は間違いだった。
逃げることこそが全員生き残れる、国にとっても、私たちにとっても一番良い選択だった。後方に下がりつつ、時間稼ぎを行うべきだったんだ。そうすれば、きっと、慎重なこの人は深追いをしてこなかった。
《三つ。赤色を見たら、直ぐに逃げよ》
本当にね、その通りだよ!
無線に向かって叫ぶ余裕もないくらいに、私の頭は必死に動いている。腕も足も機体を操って、どうにか背後の燕を突き放すために足掻いている。
《血は赤だ。炎は赤だ。そして何より――》
必死に手繰り寄せた可能性に賭けて、私が機体を上昇させるのと同時に、リヒトホーフェン卿の最後の言葉は掻き消された。
目の前のエンジンから炎が吹き上がった。シュヴァルベの大口径の機関砲が私の機体を射抜いた。
操作系統もやられてしまったのか、どんな操作も受け付けなくなる。天地が何度も反転して、太陽の位置すらわからなくなるくらいに機体は激しく回転していた。
熱い。コックピットが蒸し焼きにされていく。……その前に、小隊長として命令を出しておかないと。
「リョーヴァ! ミール! 逃げてっ!」
けれども、私の方から無線を発信することは出来なくなっていた。
コックピットの壁を叩いて、私は脱出することに決めた。その時、ノイズに混ざって無線が聞こえた。発信はできないけど、受信する機能はまだ生きていたみたいだ。
《この程度か、カレーニナ大尉。……任務完了》
悔しいけど、リヒトホーフェン卿の言う通りだ。無様だった。
パラシュートを取り出して、身に着ける。回転する機内の中では難しいことだったけど、どうにかやる。出来なかったら死ぬだけだ。
高度計を見た。まだ生きている。まだ時間はある。
『リーナぁ!』
無線から、リョーヴァの悲痛な叫び声が聞こえた。……ごめん。
『冷静になってリョーヴァ! リーナは……。……大丈夫だ、なんとかなる! 今は逃げよう、ぼくたち全員やられるのが一番まずい!』
『…………クソっ! わかった、ミール!』
ありがとう、ミール。それが最善の選択だ。私の代わりに酷な命令を出してもらったのだから、お礼は今度たっぷりとしないと。
風防を開いた。
黒煙が入ってくるけど、炎は入ってこない。息を止めて、空に向かって飛んだ。
冷たい空気が私の肌を裂いていく。
少しの自由落下の後に、パラシュートが開いた。周りを確認すると、リヒトホーフェン卿は既にどこかへと去っていて、2人は遥か遠くに行っていた。
生きてくれているなら、敵の攻撃機部隊はどうにかしてくれるだろう。元帥も準備を整えているはずだし、後は、私が生き残るだけだ。
ミラーナ少佐のことを思い出して、脚を見てみた。うん、大丈夫。幸運にも火傷はしていない。……けど、ちょっと生温い。どこかで切ったかもしれない。
眼下に広がるのは森。パラシュートが引っ掛かってそのままお陀仏、なんてことにはなりたくないな。祈っておこう。
はるか下で小さく見えた木々が、徐々に大きなものへと変わっていく。
突き刺さらないように、パラシュートと身体を動かしてどうにか少しでも開けたところを狙って着地する。
「いっ……て」
運が良かった。大怪我はなさそう。
腕も足も二本ずつある。骨は折れてない。顔はひどいことになっているかもしれないけれど、命があるから十分。
……そう思っていたんだけど。
「嘘でしょぉ……太い血管やってるよねこれ……」
違和感のある太ももを見てみると、血で赤黒く染まっていた。よく見ると、飛行服も裂けている。脱出する時に、どこかで掠ったのかもしれない。
……この量は放っておくと意識を失って、最後には命に関わるほどだ。かと言って、止血に使えるような布もない。強く締めるのにはパラシュートの紐を使えるかもしれないけれど、それを切るための刃物も無い。
「やるしかないか」
一か八か、多分絶対にやってはいけない止血方法なんだろうけど、患部を焼くことで血を止めることにした。
手のひらを太ももに近づけて、魔法を唱えた。
「……夜を照らせ――『燃えろ』っ。……うっ!」
一瞬の激痛の後には、持続する激痛。耐えられないくらいに痛いけれど、どうにか気力を振り絞る。
「……焼肉の匂い。最悪」
次にやることは私たちの陣地へと逃げることだ。山脈近くだから、前線基地があったはず。
どのくらい時間がかかるかわからないけど、東に進み続ければどうにかなるだろう。
――少し希望を抱いたその時、背後から幾つもの音が聞こえた。
エンジンの音と、装甲車や戦車特有の無限軌道の音だった。
元帥閣下は行動が早いな――なんて冗談を心の中で言いながら音がした方を見てみると、当然、そこにいたのは友軍ではない。
「なんで……こんなとこに……」
大衆ゲルマンの地上部隊がそこに居た。
どうやら、攻撃機と一緒に彼らも来ていたらしい。大規模な攻撃作戦だったんだね。
そしてもちろん、空からパラシュートで落ちてきた私はすごく目立っていた。
装甲車から何人も降りてきて、私の近くへと寄ってくる。
……抵抗するのは無理だね。はあ、殺されませんように。
私は両手を上げた。
「はいはい降参しますよ――あぐっ」