42.こういう時こそ笑顔でいないと
首都からパヴェルフスクにたどり着いた輸送機は、10機中4機だった。戦闘機とパイロットは、およそ3分の1。
成功と言うには程遠い撤退作戦となった。
でも、こういう時こそ笑顔でいないとね。
笑う門には福来る、だ。
空挺軍の基地に着いて、一眠りして、新聞はしっかり発刊されていたのでそれを読んでいた。
どうやら合衆国との支援協定が締結されたらしい。要約してみると、「正規軍を送るのは難しいけど、義勇兵はもしかしたら勝手に向かうかもしれないね。民生品に関してはウチが全力出すから軍需品は任せたよ」。
言ってしまえば、レンドリースと、フライングタイガースや抗美援朝義勇軍みたいな事をしてくれるみたいだ。やったね。
ちなみに、大衆ゲルマンの海軍は西方帝国との戦いの際に一晩で壊滅させられたらしい。だから、無制限潜水艦作戦はやっていないっぽい。
ルシタニア号がないから、ツィンメルマン電報みたいな大ポカをやらかさないと合衆国は何もしてこないと思ってたけど……我が国の合衆国の関係は結構良好だから、支援してくれたみたいだ。
そんな感じの朝だけど、私はリョーヴァとミールも合わせて仲良し三人組で基地の司令部に呼び出されていた。
怒られるのかな?
「何の用だろうな」
「口止めされたりしてね」
「怖いこと言わないでよ、ミール。休暇くれたらいいんだけどなあ。ずっと戦ってたんだし」
司令部は相変わらずの無機質なコンクリ作りだった。正面から入って受付の人にアポを取ると、司令官の部屋を案内してくれた。
セントラルヒーティングがしっかりしていて温かい。軍服を持ってくる余裕もなかったから私たちはみんな飛行服なんだけど、礼儀に厳しい人じゃないといいな。
ノックをしてから許可を得て、扉を開ける。
「失礼します。エカチェリーナ・ヴォルシノワ――」
私が名乗るのに続いて、リョーヴァとミールも階級と名前を名乗った。
目の前の基地司令はゆっくりと葉巻を喫んでいた。どこか幼い容貌を残しているけれど、鋭い眼光を放っている。観察されてるな。
階級ワッペンは上級大将を示していた。上から2つ目の、人数が制限されている元帥の1個下。ほぼ最上位の階級だ。
「噂だけでは筋骨隆々の空挺兵のようなものだと思っていたが――実物は年齢通りに若く、華奢に見えるな、飛行士養成過程の第1期生。新聞の写真と大差なくて安心したよ」
書き込んでいた書類の上にペンを置いて、葉巻を灰皿に入れて、ゆっくりと上級大将は私たちの方へと近付いてきた。
その所作は洗練されているのに、軍隊らしい荒々しさを持っていた。……どことなく、アンナさんを思い起こさせる。この人も貴族出身なんだろうか。
姿勢を正していた私たちの前に立つと、「楽にしてくれ」と言ってから彼は話し始めた。
「私は空挺軍司令、上級大将トゥハチェフスキーだ。生きてここにたどり着けた飛行士の中に、君たちのようなエースが混ざっていて助かった」
トゥハチェフスキー……どっかで聞いたことあるから、前世の誰かのそっくりさんなんだろう。例によって。
正直、軍隊の将軍はあんまり詳しくないからそこまで知らない。聞いたことある有名人だから、偉い人だったんだろうね。将軍としての素質がある人だといいけど。
「君たちに頼みたいことがある。エースを集めた特殊小隊としての任務なのだが――」
何やら重大任務を任せられるらしい。ごくり、と唾を飲むと、後ろの扉が開いた。ノック無しで。
驚いたけど、偉い人の前だ。振り返ることも出来ない。
上級大将様を眺めながら待つこと一瞬、背後の人から聞こえてきたのは綺麗な声だった。
「ミーシャ、アレクサンドラから……っと、お話中だったか。ボクは後で出直すよ」
「シャルロット、ちょうど良かった。紹介させてくれ」
どうやらこのシャルロットという人はトゥハチェフスキー将軍に書類を届けに来てくれたらしい。
将軍が手招きをして、私達の前にシャルロットさんを連れてきた。軍服を着ているけれど、階級を示すワッペンは身に付けてなかった。どういう立場?
「例のエース達だ。新聞で見たことくらいあるだろう?」
後ろでゆるく結った金髪のシニヨンの横から、一房長い髪が垂れていた。
そして、その髪を揺らしながらシャルロットさんは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「ふぅん。ボクはシャルロット・トゥハチェフスカヤ。ミーシャの、『妻』! ……だよ。忘れずにね」
胸に手を当てて、堂々と『妻』を殊更に強調しながら言い切ったシャルロットさんを見て、私たち三人は少し呆れた。
上級大将になにかするほど命知らずでも身の程知らずでもないですよ……。それに、歳も離れすぎてるし……。
「俺は……ガキには興味無いんだが……」
「留学中のモテモテっぷりを考えると、釘を指しておくのが大事なのさ」
シャルロットさんが言ったことはトゥハチェフスキー将軍の想定外のことだったようで、狼狽しながら不満を伝えるも、彼女が取り合うことはない。
なんとなく過去を察してしまった。プレイボーイが初めて知った純情な恋みたいな? 好みの物語だね。今度教えてもらおう。
好き勝手暴れたシャルロットさんは満足したようで、ヒラヒラと手に持った書類を靡かせながら本来の目的を伝え始めた。
「ああ、それで、アレクサンドラから。元帥になって総司令部建て直してだって。あとジュガシヴィリからいつもの嫌がらせの手紙」
「……元帥か……面倒だな……ジュガシヴィリも変わらないし……前途多難だ」
……私たちが聞いてもいいの、それ?
トゥハチェフスキー……元帥は、眉を抑えながらすごく不満げな愚痴を零していた。かわいそうに。
「はあ、だが、祖国の危機だからな。背に腹は代えられない。さて、少尉たち。私たちも話を戻そう」
気勢を削がれてしまった元帥は、机に戻って椅子に座った。
シャルロットさんも退席するものだと思っていたけど、一緒に聞こうとしている。奥さんを紹介したかっただけじゃなかったみたいだ。
「あれ、シャルロットさんも話を聞くんですか?」
「はは、そうだ。私の妻は軍事に関して素晴らしい才能を持っているからな。私が連れてこないでクレプスキュールに居たら、あの国はまだ抵抗を続けていたかもしれない」
「何それ、ボクにあっちに行って欲しいってこと?」
「ああいや違うんだ済まない、言葉の綾だ……俺が悪かった……」
……元帥のお家はかかあ天下みたい。
ていうか、フランスみたいな国の人だったんだね。どうりで名前がエキゾチックな感じなわけだ。
「冗談だよ。でも、ボクよりミーシャの方が凄いよ。安心して、若きエースさん。この人の指示に従えば、絶対に勝てる」
シャルロットさんは、私たちを見ながら言った。
確固たる信頼がその言葉には宿っていたけど、身内ゆえの信頼だけではここまでの感情は乗らないだろう。
本当に、絶対に勝てると信じている。
「勝利には、時間が必要だ。奴らを消耗させ、我々が力を貯えるための時間が」
奥さんからの信頼の言葉は元帥を奮い立たせたようだ。
不敵な笑みを浮かべながら、元帥は言った。けど、その余裕もすぐに終わる。ため息を吐いてから、次の言葉を話し始めた。
「……占領地の人民には辛い思いをさせる事になるが。そちらはジュカシヴィリが播種部隊の編成を進めている。抵抗活動は組織化されるだろう」
時間は味方でもあり、敵でもある。
東方に行って戦う私たち正規軍にとっては最大の味方だ。時間は工場を動かし、世界情勢を動かし、支援と勝利をもたらす。
一方で、占領されている地域にいる人たちにとっては最大の敵だ。時間は精神と身体を摩耗させ、いつ終わるとも知れない戦争は、政府への信頼を失くしていく。その結果勝っても、彼らが失ったものは取り戻せない。時間は前にしか進まない。
時間稼ぎは必要だけど、一方で、迅速な行動も必要だった。二律背反、パラドックス。
「そこで、時間稼ぎだ。君たちには、総司令部直属の戦闘機小隊となり、空を護って欲しい。親衛連隊よりももっと小規模な、切り札として運用する」
「え、ぼく攻撃機乗りなんですけど」
うんうん、なるほど。
頷く私たちとは異なり、ミールは素っ頓狂な声を上げていた。そういえば、攻撃機気に入ってるんだったね。
「戦闘機に乗れ。重い機体が好きなら、重戦闘機でも良いぞ」
「……拒否権ってないんですか?」
「総司令官であり、現状我が軍の唯一の元帥からの頼み事を断れるのなら、ある……と捉えることも出来る」
「つまりないって事ですよね?」
「党の軍隊は、良心に基づいて命令を拒否する権利を有しているから、ある」
元帥閣下が仰ったのは、存在はしているけれど、有名無実になっていることで広く知られている法律だった。基本的には抗命イコール簡易裁判で死刑である。
まあ、その後に恩赦とかがいろいろあって1年くらいで牢屋から出られるようだけど。脅しのためで、本当に処刑したりはしないのだ。
優しい祖国万歳!
「……分かりましたよ。戦闘機に乗ります」
「助かる」
しぶしぶ、といった感じでミールは了承した。
ここまで感情をあらわにしている彼は結構レアだ。そんなに攻撃機が好きなんだなぁ。
◇
それから、事細かな計画と編成の話をして、元帥との話は終わった。
早速明日からお仕事らしい。大変だ。
私たちが帰ろうとすると、私だけが元帥に呼び止められた。
「カレーニナ少尉。君に話がある。少し、2人だけにしてくれ。……シャルロットもだ」
リョーヴァとミールは、外で待っているとだけ伝えてから部屋を出ていった。シャルロットさんは、凄い不服そうに出ていった。
私と二人きりになると、元帥は苦笑しながら話を切り出した。
「シャルロットには困ったものだ……あれで実は愛嬌があるんだが、束縛がな。さて、3つ話がある」
「束縛するのは愛の証ですよ。なんですか?」
元帥は人差し指を立てて、ワッペンを渡してきた。
ついに功績が認められたらしい。昇進だ!
「まず1つ目。今日現時刻をもって、君は中尉に昇進する。おめでとう」
「ありがとうございます!」
敬礼をして受け取った。
次に、元帥は人差し指と中指を立てて、ワッペンを渡してきた。
……ん?
「そして2つ目。今夜零時、日付が変わったときをもって、君は大尉に昇進する。おめでとう」
「あ、ありがとうございます……」
アンナさんと同じ階級になっちゃった。
死んでもないのに2階級特進した気分だ。なんか複雑。
しずしずと飛行服のポケットにワッペンをしまうと、元帥は私を見つめてきた。
「筆頭エースだからな。当然の待遇だ。そして3つ目」
……どうやらこれが本当に聞きたかったことのようだ。
元帥が発する威圧感はまるで戦場のようだった。
伊達に、党の軍隊の頂点に立ったわけではないみたい。
「チェレンコワ大尉について、情報を。彼女には大将殺害の疑いが掛かっている」
物語も折り返し地点です