32.二日目 / 国破れて山河あり
コックピットの時計を見ると針は午前4時を指していた。
満足に眠れなかったものの、スクランブルだから仕方ない。三が日くらいはゆっくりしてたかったけども。
深夜――この時間はギリギリ早朝か。そんな時間でも滑走路は大混雑だった。こんな事は今までに無かったことで、今回の攻勢のヤバさがよくわかる。
『ねむ……』
『ねみぃなあ。最近夜更かしすると疲れが取れなくなってきたから辛いぜ』
『……急に歳を自覚させようとするのやめてくれるかしら?』
コックピットのライトは暖かなオレンジ色だった。外はまだ太陽が昇っていなくて、真っ暗。空を飛んでいればすぐに昇ってくるだろうけど。
明るさと暗さの対比は、夜の高速道路みたいですごく眠くなる。うつらうつらしそうになるのをなんとか我慢しながら、滑走路にアプローチした。
空に行けばしゃっきり目は覚めるはず……たぶん。
『敵さんも眠いだろうによくやるぜ』
欠伸をこらえるような声で、リーリヤ少佐が言った。
頭上に浮かぶのはちょっと欠けてるけどほぼ満月。月明かりに照らされた地上は戦争にも関わらず美しかった。
国破れて山河ありってね。ちょっと不吉か。
『一気に攻めて首都を落としたいんでしょうね』
『だろうな。はぁ、指導者殿が最強の魔法使いっていう噂は結局嘘だったか。こう、首都を囲うような壁を魔法で作ってくれればいいのにな』
『魔法なんてそんな便利なものじゃないですよ』
『そういえばエカチェリーナちゃん少尉も簡単な魔法は使えるんだったわね。どこで習ったの?』
『役所からの依頼があって、その時に必要で練習したんです。『花火』の魔法は簡単ですしおすすめですよ。身を守る時にも使えそうですし』
実は、『花火』以外にも簡単な魔法は使えた。水を出したり火を出したり、まあ、墜落してサバイバルにでもならなければ使い所なんて無いんだけど。
アンナさんみたいに言葉を発するだけで魔法を発動させるのは無理だった。詠唱付きの魔法じゃないと使えない。本物の魔法が使えたらもっと活躍できるのに。
『私は魔眼で十分ね。魔眼も魔力を使うからある程度は育っているのだろうけど、今更魔法を学ぼうとも思わないわねぇ。もう少し若かったら別なのだけど』
『アタシは魔力なんて得体の知れないのには触れたくねえなぁ。いや、魔法使いに偏見があるわけじゃねえけどよ。食わず嫌いってやつだな』
『昔の冒険者はどのくらいの魔法が使えたんでしょうかね。あの時代の魔法使いが復活してくれたら簡単に戦争に勝てるんでしょうか』
冒険者だったり魔物だったり、忘れてはいけないことだけどこの世界はファンタジー。もう随分と前に過ぎ去った過去だけど。
その過去の遺物の両者は、普通の人じゃ対抗出来ないほどの存在だったという。最低ランクの冒険者でも超エリートで、相手をするには熟練した兵士5人が必要な魔物を相手に1人で楽々と勝てる程度だったらしい。
戦場からも世界からも、魔術的な煌めきが失われて久しい。ちょっとロマンが足りないね、この世界の歴史を作った人には。
『記録によれば、魔物に占領された都市を解放したり、一人で大軍を相手にしたらしいわね。殆どは眉唾でしょうけど。でもS級冒険者は国家と同一視されたって言われているし、強い人は強かったんじゃないかしら』
『魔法使いが復活しなくても、大衆ゲルマンの陣地に魔物が現れてくれたらそれだけで十分だけどな』
『魔物の存在は100年近く確認されてないわね。もう絶滅してるわよ』
『冒険者様々だな。魔物との戦いが終わったら、人間同士で争い合うってか。そんなに戦争なんてしたいものかねぇ』
昔は人同士の争いは少なかったらしい。程々にはあったけど、前世みたいな十字軍だったり薔薇戦争だったり三十年戦争だったりナポレオン戦争――は似たようなのが起こっていた。ともかく、あんまりなかった。
魔物相手に団結していたんだろうね。共通の敵が居なくなったら人同士で争うなんて、陳腐なSFみたいだ。
そんな雑談をしながらしばらく飛んでいると、敵影を確認した。太陽が昇りかけているせいで結構見えにくい。
『あ、敵……っぽいです。ちょっと見えにくいですけど。4機編隊だ、敵のパトロールですかね?』
『あら、さすがエカチェリーナちゃん少尉。目が良いわね』
『ラーナは無理すんなよ。4機くらいなら少尉だけでも十分だろうしな』
リーリヤ少佐が私に言ってきた。
ミラーナ少佐に無理させたくないのは一緒だけど、味方がいるのに4対1はしたくない。
『まあ、できますけど。でも、わざわざやりたくはないですよ』
『リーリャ、真面目にやりなさい』
『へいへい。でもラーナ、約束してくれ。無理はするな』
『……わかってるわよ』
編隊長のミラーナ少佐に付きながら、私たちは敵影の方へと旋回した。
◇
戦闘は話し合いから始まる。
パイロットは文化的で紳士的で平和主義なのだ。
特にリーリヤ少佐のディベート力は高いから、いつも任せている。
《おいイモ野郎、こちら評議会共和国。早朝からご苦労さま、基地への付き添いは必要かい?》
敵編隊に相対して正面少し上に私たち第33航空分隊は位置している。相対するにしても、別の戦法を取るにしても良い位置だった。
先に発見した特権だね。
《白い迷彩の新機体……白兎連隊か。運が良いな、お前らを落としたら賞金が貰えるんだ。明日の酒代になってくれや》
《奢ってくれるんならやぶさかじゃねえな》
なんか私たちは賞金首になってるらしい。……そんなに大暴れしてるつもりはないんだけどな?
《ハハッ、評共の女付きか。悪くない》
《お前らは何飲むんだ? ウォトカか?》
《ビールに決まってるだろう。酒狂い共が》
《芯まで温まるウォトカの良さがわかんねえなんてかわいそうだなぁ。だが――極寒の地上に堕ちたらその良さもわかるだろうよ!》
リーリヤ少佐は敵の無線に言い返すと、急に機体を加速させて敵編隊に突っ込んでいく。すれ違いざまに機関砲を放って敵機を撃墜までしたから、敵の編隊は崩れた。
さすがに怒ったミラーナ少佐が無線で叫んでいた。
『ちょっとリーリャ!』
『へへっ、ごめんって。けどこれで両方同じ数だ。ちょうどいいだろ? 一人1機でどうだ?』
『据え膳ですね。ありがたくいただきます!』
『エカチェリーナちゃん少尉まで。……なんだか暴れん坊に育ちゃったわねえ。誰の影響なのかしら』
『アタシじゃねーな』
そうだね。別に私は普通に空戦をしているだけだから。
少佐たちと私は、一人ずつそれぞれの獲物を決めて敵機の後ろに付いた。今回の敵の練度はあまり高くない。一人で十分だ。
ゆらゆら動く敵機にくっついて、しっかりと弾が当たるように集中しながら照準を合わせる。機首の向いている方に朝日があるから眩しい。……やりにくいな。
『よし、1機堕としたわ』
『さすがです!』
『やるねぇ』
私がもたもたしているうちに、ミラーナ少佐が1機撃墜した。これで数はこっちが優勢になる。
敵もそれに気が付いて、空域から離脱しようと回避する機動を始めた。角度を付けて下降して、速度を稼いでこの場から離脱するつもりらしい。
悪いけど、逃さない。
《オイオイ逃げんなよ! 「舐めて掛かったらやられました~」って報告すんのかぁ?》
《チッ、黙れ白兎! 貴様らと違って命が大事なんだよ俺達は!》
《勝ち戦のつもりか? だから弱えんだよ!》
エンジンでは私たちのほうが勝ってるけど、飛行機の形ではあちらの方が速度が出やすい。
機関砲を撃つには少し遠い距離になってしまったけど、リーリヤ少佐は敵を煽りながらその勢いのままに撃ってしまった。
……けど、なんか当たってる。機体の後ろの方が壊れて、ぐるんぐるん回りながら敵機は墜落していった。
『よっし、遠いけどなんか当たったわ。少尉、残り1だぞ』
『任せてください』
スロットルを押し込んで、緊急出力に。ぐいいん、とエンジンが元気な音を立て始めて機体は一気に加速する。
《……そのキルマーク! お前がエースか!》
《はい。当たりです》
ちらちら私の方を見ながら、敵のパイロットが言ってきた。
ボタンを押した。敵機は炎に包まれた。
これで撃墜数はたぶん10。二桁に到達だ。やったね!
少し少佐たちから離れてしまったので、速度を緩めながら大きく旋回した。空域はほぼ安全だから、無駄に負担がかかることをしなくてもいい。
その時、急に割り込んでくる無線があった。
《『白聖女』! 今日も楽しませて貰ったよ! 編隊の仲間にも伝えておいてくれ!》
敵かと思って上下左右を見渡しても、どこにも機影は見当たらない。
《……どなたですか?》
《下だよ、見てくれ》
下を向くと、歩兵が小銃を持って大きく私に向けて振っていた。
紛らわしいからやめてほしいな。変に緊張しちゃったじゃん。急に無線で割り込んでくるのって自分の腕に自身がある人ばっかりだから……。
《はははは! 君たちのお陰で今日も賭けに勝てた! 首都で会ったら奢らせてくれ!》
《……はあ、どうも》
内心めんどくさがりながら適当に返事をして、少佐たちのすぐ側に行った。
編隊を組み直していると、どうやら先程の無線は少佐たちにも聞こえていたらしい。ミラーナ少佐がいつもより低い声で言ってきた。
『私たち、賭けの対象にされてるの……?』
『これだから歩兵は。アイツらなぁ……』
『はあ、興が削がれましたね。機銃掃射してやりましょうか』
『やるならアタシも手伝うぜ』
『ちょ、ちょっと駄目に決まってるでしょ。故意の同士討ちは極刑よ』
怒っていても一線は越えない、真面目なミラーナ少佐だった。さすがだね。
新年早々の早朝フライトはこれだけで終わった。
基地に戻ってすぐに寝て、夕方にもう一度飛んだ。




