幕間:大衆のツバメ
一方その頃
その日のリヒトホーフェン隊は、首都の開発局を訪れていた。
クレプスキュール共和国、ズウォタ王国、更には西方帝国への大爆撃の支援――休みなく働いていた彼ら最精鋭のエースたちには、珍しく長い休暇が割り当てられていた。
しかし、フォルクス・ゲルマニカは戦争のための国家。その国に長年仕えている卿も、生まれた時から戦争と接してきていた娘たちも、休暇の時でも戦争のために何かをするのは当然の事だと考えていた。
「はぁ〜〜〜〜〜。なんで評共侵攻作戦に私たちを入れてくれないのよ上層部共は」
大きなため息と共に、エリカは長い黒髪を乱しながら足元の空き缶を強く蹴った。蹴られた空き缶は駐機されていた試験機へと当たり、乾いた音を立てた。
「仕方がないですよ、エリカ。機甲師団は派手に動きすぎて情報が筒抜けと聞きますもの。私たちまで、丸裸にされたら……切り札が無くなっちゃいますよ」
ハンナの柔らかな金色の巻き髪は薄暗い設計局でもよく目立つ。
行儀の悪いエリカをどう叱ろうか考えたものの、今そうしても何も変わることは無いと素早く判断し、これ以上エリカが機嫌を悪くしないように話題を変えることに決めた。
「それにしても、どうして評共と戦いたいのかしら? やはりアンナ様?」
「お姉様とは戦いたくないわ。殺したくないもの。それよりえ、えか……えっと……、泥棒猫よ! 今度こそトドメを刺すわ」
エリカは手で銃の形を作り、「ばん!」と言った。
「えか……なんとかと早くやり合いたいわ! 私の強さを見せつけて絶望の顔を写真に撮ってお姉様に送ってあげるの」
「エカチェリーナ・ヴォルシノワ・カレーニナ少尉ですよ。エリカは忘れっぽいですねえ」
「イワノヴィチだのイワノヴナだの、エカチェリーナだのカタリナだのややこしいわ! 全員私たちと同じ名前のルールにしなさいよ!」
「おや、カレーニナ少尉の話かね。君たちも彼女が気になるのか?」
杖を付きながら、リヒトホーフェン卿が金属の階段を降りてきた。空の上では敵無しの公爵も、地上では年相応に落ち着いた動きをしている。
赤いマントを翻しながら、踏みしめるように歩むその姿は空軍の重鎮としての威厳を纏っていた。
「お父様」
「お父様!」
尊敬する父を前に、娘たちは姿勢を正した。しかし、それは一瞬だけで、任務中で無いことを意識するとすぐに家族の前での表情に戻る。任務中は上官と部下ではあるが、日常では父と娘の関係だった。庇護し、庇護される、フォルクス・ゲルマニカでは珍しくなった普通の家族の関係。
「カレーニナ少尉は近い将来エースになるだろう。我々に匹敵するほどに成長できるかは、なんとも言えんが。関心を持っておくのは、良い事だ」
「ンフフ……ありがとうございます……」
ぽすん、と頭を撫でられたハンナは満面の笑みになるのを必死に我慢しながら感謝の言葉を述べていた。
「それで、お父様? 今日は何するのですか? 新型機のテスト?」
「そうだ。ほぼ我々専用の機体となるようだがな」
「はあ? どうしてです? 広く配備しないと意味ないじゃないですか」
「燃費が悪い。従来の戦闘機の倍以上使う」
「……それじゃ仕方ないですね。はあ、爆撃大好きジジイ共のせいで、合衆国に禁輸されて石油は入って来なくなるし……。だから私は大爆撃に反対だったのよ! 飛んでる時も撃ち落としたい気持ちを抑えるのに大変だったわ!」
エリカの言葉が熱くなっていくのと同時に、そのジェスチャーも派手になっていく。手を大きく振り回しながら、演説するように話すエリカをハンナは止めた。
「エリカ、落ち着いてください」
「ぁ……ごめんなさい、お父様」
「気にするな、エリカ。お前の言う通り、あの爆撃の意義は薄かった。あれを評共に向けるのが最善であるのは明らかだったが、西帝を降伏させたという事実が欲しいためだけに行ったからな。政治的な意味しか持たない作戦だった」
リヒトホーフェン卿はそれを言い終えると、さて、と話を切り替えた。娘たちの親をやっているだけあって、彼女たちのことはよく知っていた。エリカが癇癪を起こさずに言うことを聞けるタイミングも熟知していた。
「新型機は我々を楽しませてくれそうだ。早速、乗り込むとしよう」
リヒトホーフェン卿は歩き始めた。その後ろを不満げに頬を膨らませるエリカと、そのエリカの頬を突くハンナが続いた。ぷふ、と気が抜ける音がした。
設計局の格納庫にはいくつもの試験機や試験兵器が並べられていた。秘密兵器と呼ばれるものがほとんどで、あらゆる種類の兵器がある。
先日実戦投入された飛行爆弾や、それのロケット型、また、巨大な戦車もあれば、歩兵用の連射可能な小銃まで。空軍と関連するものだと、彗星や誘導爆弾などがあった。
今回の目当ては、その中にあるツバメだった。
「私、飛行爆弾も嫌いなのよね。ていうか爆撃嫌いだわ。なんで都市壊すのよそれは内戦で満足したでしょうに」
近くに飛行爆弾を見つけて、エリカは拳でそれを殴りながら言った。少し痛かったようで、エリカの拳は赤くなっていた。
「確かに、占領地の住民を殺したら労働力が減っちゃいますものねえ。どうして、そんなに無駄なことをするのかしら」
「上層部には彼らなりの考えがあるのだろう。私たちはそれに従うだけだ」
真っ直ぐ歩くリヒトホーフェン卿に、付き従うように歩くハンナ。そして好き勝手見物するエリカの3人は、それから5分ほど歩いてようやく目当ての試験機の前に来た。
ツバメは3つの色をしていた。
赤色、黒色、森林迷彩。
『赤公爵』、『黒騎士』、『狩淑女』のそれぞれを表す塗装だった。
「あら、この機体は攻撃機にもなるのかしら?」
迷彩色のツバメの機首から飛び出た大きな大砲を興味深そうに観察しながら、ハンナは呟いた。
「そうだ。ハンナの真価は地上攻撃だからな。勿論、格闘戦に於いても我々に勝るとも劣らない実力を持ってはいるが」
「ま、直接やりあったら強いのは私たちの方よね。で、赤いのがお父様で、黒いのが私で、迷彩がハンナ。……って、ねえ、撃墜マークがないじゃない。スコアの自慢できないわよ」
「私たちは堕としすぎた。次からは一新だ。百を超えるマークを描き込む整備士の気持ちにもなってやってくれ」
「むう……わかりました」
3人はツバメに乗り込み、エンジンを始動した。独特の音が格納庫に鳴り渡り、初めて聞く音に顔を顰めた。
『煩いわね』
『若い者には少し辛いかもな』
『お父様もまだまだ若いのですから、無理をしないでくださいね』
『そうよ! 現役のトップエースじゃない』
『ハハ……ありがとう、ハンナ。エリカ。滑走路にアプローチしよう』
そうして、3つのツバメは飛び去った。
◇
その日のフォルクス・ゲルマニカの大空では、3つのツバメが飛んでいた。真っ赤なツバメと、真っ黒なツバメと、地味な色をしたツバメ。
ツバメを目にした者の反応は多様だった。
飢饉に苦しむ窪んだ目で見上げた空に偶然見つけた者は天に祈り、洗い物を干している時に見つけた者は「ああ、またか」と自分の家へ墜落して来ないことを祈った。
一方、大きく驚いて目を見張った者は、祖国の勝利を祈り――そして、背後から冷たい鉄を突きつけられて、晴天に乾いた音が鳴り響いた。
敵はいくら盛ってもいい