18.ルフトシュラハト・カイザーラント
帝国航空戦(ていこくこうくうせん)は、世界戦争におけるゲルマン大衆防空軍と帝立空軍との戦いのうちで、大衆ゲルマンによる大爆撃の際の制空権獲得のために行われた一連の航空戦を指す。
◇
世界はヤバいかもしれない。
西方帝国が降伏した。
あのイギリスみたいな国が。
『決して降伏しない』演説を忘れてたのか?
ラティニ王国(イタリアみたいな国)は大衆ゲルマンと同盟を組んだ。……現状では一番良い選択だよね。
我が国はどうするのかと思えば、西方帝国の残存海軍を大々的に受け入れた。これに関しては大衆ゲルマンも激おこ。
一触即発である。ヤバい。
なんでも、グレートブリテン島(これは便宜的な言い方。実際には『霧の島』って言うけどわかりにくい)の南半分が大衆ゲルマンの爆撃によって灰燼に帰したらしい。……やばくない?
正直、歴史を信じていたから我が国も信じられていたんだけど。……あの国が降伏するのは絶対におかしい。歴史がこわれる。
不幸中の幸いとなるのが、それだけ爆撃したら我が国に使うミサイルとか爆弾は結構少なくなったってことくらい。
でも奴ら、民間人の必需品より砲弾と銃弾を優先するガチなディストピア社会だから、どこまで安心できるかはわからない。
比喩でもなんでもなく、戦争のために存在する国家で、戦争が無いと破滅する国家なのだ。
悪役すぎる。
一瞬でも信じた我が国は馬鹿だった。
ということで、今日は新機体のテストパイロットに選ばれたので操縦します。
ミコヤンおじさんの新作だ。大衆ゲルマンだけでなくこの国でも研究されていたようで、パルスジェットエンジンが搭載されている。
……そう、我が国初のジェット飛行機だ。でもあんまり期待しないほうが良い。
最初期のジェット飛行機は、レシプロに負ける。成熟した技術と新技術の差はすごいのだ。
「お久しぶりです、ミコヤンさん」
「うん、久しぶり、同志カレーニナ。聞いたよ、王国の侵略に巻き込まれたんだって?」
「うっ……ええ。辛うじて帰って来れましたが」
あの攻撃のあと、私は革命記念第24飛行場に無事に到達した。
久しぶりに会ったミハイルおじさんには血まみれの軍服のまま電話を貸してもらって、第21航空師団に連絡して生存報告。
その後は迎えが来るまで家でゆっくりしていた。
……血まみれの娘を見て、お母さんが卒倒しそうになってたけど。他人の血だよ! って言ってもそれはそれで問題が……わりと大変でした。
あと、ヴォルシノフは西の端の方の町だから、いつでも避難できるように、お母さんとミハイルおじさんと、友だちにはお手紙で言っておいた。
いつ事が起こってもおかしくないからね。早くこっちに来てくれるといいんだけど。
「無事でよかったよ。連隊の人はなにか言っていた?」
「……めちゃくちゃに泣きながら謝られました」
「良い人だねえ」
連隊に帰ってきた私を見て、ミラーナ少佐は大号泣した。ごめんなさい、ごめんなさいって何回も言うもんだからリーリヤ少佐に助けを求めても、リーリヤ少佐は温かい目で私たちを見るだけ。
愛されてるのはわかったけど、任務だから仕方ないよ……。
と思ったものの、サキュバスの獣人って、なんかすごいいい匂いがするのだ。遺伝子にキくようないい香り。
抱きしめられていたから、密かにそれを堪能していた。ピンク髪、すごい。
「本当に良い人です。それでミコヤンさん、どんな飛行機なんですか?」
「シンプルな試験機だよ。模型を使ったテストを鑑みると、従来の飛行機より加速は遅いんだけど、最高速度は大きく変わりそうだね」
「へえ。格闘戦は難しそうですね」
「そうだね。だから、例によって軍には採用されないだろうが……技術開発っていうのはそんなもんさ! さあ、やろう!」
試験機は直線翼で、翼の下に2つ、機体の下に1つエンジンが取り付けられていた。
胴体着陸したら大爆発しそうだ。気をつけとかないと。
見た感じ、普通に飛びそう。あえて言うなら重心が後ろに寄りすぎじゃない? って位だけど、プロの設計だしたぶん平気。
機体に乗り込んで、マニュアルを読みながらセットアップを始める。……なんかよくわかんないスイッチがいっぱいあるな。
エンジンを始動すると嫌な音が聞こえた。例のブツブツとしたバグみたいな音。あの時の攻撃を思い出させる。
滑走路に出て、待機。ミコヤンおじさんと通信だ。
『ミコヤンさん、聞こえます?』
『聞こえるよ。どうだい、調子は』
『トルクがないから地上は楽ですね。でも今はそれくらいです』
『そうか……よし……離陸許可が降りたよ、離陸したら基地をぐるりと一周して欲しい』
『了解です』
スロットルを押して、少しずつ速度を上げていく。加速はそれほど……だけど、ぐんぐん速度が早くなっていく。
離陸するとそれは尚更。あっという間に時速500キロを超えて、600キロに到達する。速度が乗ると加速もいい感じになるみたいだ。
それから旋回を始めたけど、これは課題だなあ、と思った。
一気に速度が失われるし、速度の維持もできない。曲がると300キロくらいまで減速して、そこから元の速度に戻るには直線飛行でしばらく加速しないとならない。
もし敵と格闘戦になったら、負ける。格闘戦を誘われて無策で受けたら良いおやつになる。
ぐるりと基地の周りを回って、着陸。離着陸がやりやすいのはいいね。
格納庫で降りて、ミコヤンおじさんに報告を始めた。
「直線は最高ですね。けど、上昇するときとか、旋回する時はあんまり」
「やはり、か。なんとなく予想していたけど……上昇するときも悪かったのかい?」
「はい。速度が出ないせいでうまく高度が稼げませんでした」
「ふむ。エンジンが洗練されていない上に、機体も同じ。重すぎるのかもな……なるほど、ありがとう同志カレーニナ」
テスト飛行はそれで終わった。この間はひどいことがあったから、いい気分転換になってくれた。
◇
それから1ヶ月くらい、お母さんたちが避難してきた。首都でもよかったのに、私にすぐ会えるからイゾルゴロドまで。
ちなみにお金は私が出してる。八割くらいだけど。少尉って結構お給料貰えるのに、使い道はないのだ。
大事な人には長生きしてほしいから、痛くも痒くもない。
ということで久しぶりに再会したのは地元の大親友――ずっと愛用してるマフラーをくれた友だち、エレオノーラだ。
連隊からはちょっと長めの休暇を貰っていたので、イゾルゴロド観光だ。
「久しぶり、ノーラ! 来てくれてよかったよ……!」
「リーナちゃんも久しぶり。何年ぶりだろう? 3年ぶり?」
「16の誕生日に行ったから2年ぶりかな? ノーラ、最近どう?」
エレオノーラ――ノーラは私と同い年の同級生だ。茶髪を三つ編みにして、おさげにしている。田舎娘って感じでかわいい。
でも牧場で生まれ育ったりはしてない。生粋のヴォルシノフっ子だ。
「やっぱりどこも大衆ゲルマンのお話でいっぱい。王国からは沢山人が逃げてくるし、国境には兵士さんがいっぱい向かうし……あ、知ってる?」
「どしたの?」
「ヴォルシノフ飛行場が軍事基地になっちゃうんだって。ミハイルさんはちょうどいいって喜んでたけど」
「てことは、航空クラブも閉鎖されちゃうのか。残念だな……」
民間の飛行場が徴用……というか軍事用途に転換されるのは仕方ないことだけど、私が飛行機に触れた切っ掛けだからちょっと寂しい。
飛行場の名前をE・V・カレーニナ記念ヴォルシノフ飛行場に変える夢は当分叶わなさそう。
「だね。でも今日は悲しい話は無しにしよ。リーナちゃん、おすすめの場所教えてよ!」
「うん、任せといて! ……って言いたいんだけどさ、あんまり知らないんだよね」
「え、なんでよ。1年くらい近くの基地で働いてるんでしょ?」
「……毎日激務だからあんまり遊ぶ余裕もなくって」
「えぇ……」
結局、私とノーラは近くの良さげなカフェに入ることにした。
頼んだのは紅茶。ジャムも添えて。最近寒くなってきたから、エネルギーを溜めておかないと。
「仕事といえば、ノーラも18でしょ? 仕事はどうしてるの?」
「ふふふ……実はっ!」
ノーラはそう言うと、懐から手帳を取り出した。
書かれていたのは『イゾルゴロド工科大学』……マジ!?
「えっ!? ノーラそんなに頭良かったっけ!?」
「失礼な! リーナちゃんがパイロットになったって聞いて、わたしは猛勉強しました! いつかわたしが設計した飛行機に乗ってもらうためにね!」
「それで国内最高峰の大学に? ……ヤバ」
「えっ何引いてんのリーナちゃん。そこは喜んでよ」
イゾルゴロド工科大学は、我が国における最高の大学であり、研究機関だ。物理学や数学、各種工学などなど……各種分野で世界と争っている。
軍事にも関係は深い。
「あれ、そういえばノーラ、苗字ってなんだっけ?」
「フルネーム忘れちゃったの?」
「ずっとノーラって呼んでたから……」
「相変わらず、ちょっと失礼だよね、リーナちゃん。わたしのフルネームはエレオノーラ・オシポヴナ・スハーヤですぅ。ほら、学生手帳にも書いてあるでしょ」
ずい、と目の前に出された工科大学の学生手帳には、しっかりとフルネームが記載されていた。
スハーヤ……なにか引っかかる。
この文化圏において、苗字は女の人だと女性形に変化する。
現地の文字で書くとSukhaya……Sukh-aya……男性形にするとSukh-oi。あ。
スホーイ!?
「あっ!? そういうこと!?」
「えっ、どうしたのリーナちゃん。何に気付いたの?」
「あ、うん、違うんだこっちの話……ごめんごめん気にしないでほんと」
「むむ……あやしい……」
ずっと気づいてなかったけど、この子、たぶんそうだ。ミコヤンおじさんが設計局局長をやってたり、リヒトホーフェン卿がエースやってたり、国家が似通ってたり、この世界にはそういう法則がある。
……大衆ゲルマンみたいなイレギュラーもあり得るんだけど。
でも、歴史の運命なんかとは関係なく、努力して最高の大学に入学した私の大親友の将来は約束されたようなものだ。
「うん、今日もかわいいねノーラ。今日は私が奢ったげる」
「……なんか調子いいねえ。浮気でもしてるの? もしかしてわたしと……」
「へ、変なこと言わないでよっ! 付き合ってる人もいないから!」
「あやしいなあ……」
その日1日はノーラからジト目で見つめられる日だった。
いやー大発見。でも誤解を解くのには時間がかかった。
……ほんとに誰とも付き合ってないって! 生娘だって!