15.リヒトホーフェン隊
幾つかの国境を超えて、私たちは大衆ゲルマンとの国境に差し掛かった。
前方の国――革命の際に独立したズウォタ王国との国境線には両国の軍が張り付いていて、塹壕が蜘蛛の巣のように張り巡らされていた。
内戦が終わっても、すぐに平和というわけにはいかないらしい。
私たちを見て、大衆ゲルマンの対空砲がこちらを向いていた。8.8cm高射砲に、対空戦車。彼らの内戦ではどの勢力も空軍を活用していたらしく、そのために対空兵力も充実していた。
『チェルニコワ中尉、狙われています』
『そのようですね。……連絡は伝わっているはずなのですが。念の為、国境を超えないように注意して下さい』
『了解です』
対空砲にずっと狙われ続けるというのも、精神がすり減っていく。気分転換をしようと他の場所に目を移すと、ズウォタ王国の綺麗な街が目に入った。
ただ、それもずっと見ているわけには行かない。遠くに行き過ぎないようにくるりと転回すると、今度は反対側の街が見えた。
瓦礫の山だった。大衆ゲルマンの街だ。
難民キャンプのようなものが形成されているようで、街の外のキャンプ群の中央から、炊き出しの煙が空高く上がっていた。
『……ひどいですね、大衆ゲルマンの現状は』
『およそ20年に渡る内戦の結果です。恐らく、今後は重工業を軽工業に転換していくのでしょうが……そのプロセスは何十年も掛かります』
『その間は、彼の国の人民は辛酸を嘗めるしかないんですかね』
『我が国でも難民受け入れプログラムは開始していますが、それでも限られた人々しか救えません。殆どの人民にとって、内戦は今も続いているのでしょう』
果たして、大衆ゲルマンの人々は我慢できるんだろうか?
こんな、国境を超えてすぐの場所に、何十年先になってようやく手に入る美しい街がある状態で。
飢饉の人の前に食べ物を置いて、「待て」と言っているようなものだろう。
我慢は、長くは続かない。
『エカチェリーナ、対空砲が警戒を解除しました。私が先に行きますから着いてきて下さい』
『了解です。注意してくださいね、一応』
『はい。エカチェリーナも、彼らの戦闘機が接近して来た場合には直ぐに報告を』
『わかりました』
国境を超えると、灰色のフィルターがかかったような錯覚に陥った。
大衆ゲルマンに色はなく、地上は灰と土で、空はずっと曇っていた。
◇
『あそこです。我が国の平和維持部隊が確保している飛行場です』
アンナさんが指し示した飛行場には、大衆ゲルマンと評議会共和国の国旗が掲げられていた。
戦闘機ばかりが立ち並び、いくつか襲撃機も駐機されている。
『着陸をしましょうか。地上との通信は私が行います』
『はい。準備だけしておきます』
『お願いします』
一分くらい低速で飛んでいると、アンナさんの機体が方向転換を始めた。着陸を開始するようだ。
『許可が降りました。着陸しましょう』
基地の四隅には対空砲が設置されている。出入り口のゲート付近は土嚢と機関銃で陣地化されていて物々しかった。
慎重に着陸して、格納庫へ。機体を降りると外国の匂いがした。
土と煙の匂い。あまり良い匂いではない。
アンナさん――と声を掛けようとすると、
「お姉様――!!」
そう叫びながらアンナさんへ突撃する人が現れた。なんだこいつ!
「えっ」
「あなたは……」
どすん、と音を立ててアンナさんに突っ込む女を、アンナさんは優しく受け止めた。
「ちょ、誰ですか!? 軍人にそんなことしちゃ駄目なんですけど!」
「お姉様、お姉様! アンナお姉様お久しぶりですぅ!」
「……えっと、エカチェリーナ。彼女は――」
ぽんぽん頭を撫でながら、謎の女を私に紹介しようとした時に、乾いた杖の音を立てながら、あの人が近づいてきた。
……リヒトホーフェン卿だ。
「ハハ、すまないね。エリカ、こちらに来なさい」
「……お久しぶりです、リヒトホーフェン卿」
「変わりないかな、カレーニナ准尉? それに――アンナ嬢も」
リヒトホーフェン卿に呼ばれて、その女は名残惜しそうにアンナさんから離れていった。
そしてアンナさんはリヒトホーフェン卿から親しげに話しかけられて、少しだけ姿勢を正していた。
妙に親しげだった。なんだか、私だけ疎外感。
「叔父様もお元気なようで」
アンナさんは、リヒトホーフェン卿のことを「叔父様」と呼んだ。
おじさま……叔父様。そう、親族に使うあの呼び方。……ええっ!?
「えっ、アンナさんとリヒトホーフェン卿って……」
「チェレンコワ中尉です。以前、母が外国の貴族だと言いましたよね。母はこの国の貴族でして、叔父様はその兄なのです」
そういえば、アンナさんと……デートしたときに、そんな事を言っていた。
カフェで食事した時に、アンナさんが言ってくれたのだ。その時はお嬢様なんだなあ、って色々な洗練された所作に納得するだけだったけど……。
まさかこんなところで繋がるなんて。そういえば、この国の内戦が終わった時にも喜んでいた気がする。
「そういうことだよ、カレーニナ准尉。まさかアンナ嬢が来るとは思わなかったが、評共の空軍から話が来た時は二つ返事で承諾させてもらったよ」
評共――評議会共和国はこの国ではそう言われているらしい。そのフレーズには、ちょっとした侮蔑も混ざっていた。
リヒトホーフェン卿は私の前に歩いてくる。
「新聞で君とアンナ嬢が師弟の関係にあると知ってね。イゾルゴロドの事に他意は無かったんだが、警戒させてしまったようだ」
「――お父様、もう良いですか? わたくし、早くお姉様とお話したいんですけど」
「……エリカ、もう少し待っていてくれ。私はアンナ嬢と交流の調整を行う。ハンナ!」
リヒトホーフェン卿が名前を呼ぶと、外から女の人が走ってきた。
「はい、お父様?」
「ハンナ、エリカの相手をしてやってくれ。私はアンナ嬢と話をしてくる。ああ、カレーニナ准尉とも仲良くな」
「お任せ下さい」
私に口を挟ませないままに彼らはトントン拍子で話を進めていき、気が付いたら私一人だけ取り残されていた。
「あの〜。えっと、カレーニナ准尉?」
「あ、はい。ハンナ、さん?」
金髪のショートヘアをふわふわさせながら、ハンナさんが話しかけてきた。あんまり身長は高くなくて、……胸もデカい。
正直、空軍っぽくない。なんなら軍人っぽくもない……けど内戦下の国では選択肢なんてなかったか。
「わあ、こんにちはぁ。私、ハンナ・リヒトホーフェンと申します。大衆男爵を拝命しています」
「あ、ご丁寧にどうも……。エカチェリーナ・ヴォルシノワ・カレーニナです。空軍准尉です」
「あら准尉さん! パイロットでそれっていうことは軍には所属したばかりなのかしら……?」
「ええ、まあ。一年経つと少尉に昇格になります」
なんだか、ミラーナ少佐をもっとゆったりとさせたような人だった。大きな垂れ目にふんわりショートヘアのせいで母性を感じる。
「ちょっとハンナ、評共のパイロットと仲良くするの? あり得ないわよ」
「エリカ。……ですが、お父様が求めていることですよ?」
「お父様お父様って、ハンナはいっつもそうね。お父様がそんなに好きなの?」
「命を救ってくれた方ですからねぇ」
エリカ――さっき、アンナさんに向かって「お姉様!」って叫んでた子だ。
「ていうか、何よコイツ。お姉様と仲良くしやがって……。『アンナさん』って呼んでたわね? どういう関係?」
エリカは私を指差して、そのツリ目を更にきつい角度にした。
うわ、私に絡んできた。めんどくさそうだな……。
「デートするくらいの関係ですよ」
「でっ、で、デートぉ!? お姉様とォ!? 信じらんない! 嘘つきでしょ!」
「本当です……」
一番ショックを受けそうな事を言ってみると、なんだか面白い反応を返してくれた。
……なるほどなるほど、そういう子ね。ハンナさんが心配そうに私を見つめてくれるけど、ウインクをして平気なことを伝えた。
「こ、この泥棒猫!!! アンタ年齢は名前は所属は!?」
「はい、エカチェリーナ・ヴォルシノワ・カレーニナ。17歳。所属は明かせません。エリカは?」
「エカチェリーナ、ヴォ……ややこしいわねエカチェリーナ! 呼び捨てにしないで私はエリカ・リヒトホーフェン! 17歳! お父様の娘にしてハンナの姉! 『黒騎士』よ!」
「所属は?」
「リヒトホーフェン隊よ!」
なんだか煽れば煽るほど簡単に喋ってくれる。
ちょっとおもしろくてそれ以上も聞き出そうとすると、危機管理能力が優れているのであろうハンナさんが割って入った。
「あっ、ちょっと、エリカ。それ以上は不味いわ。カレーニナ准尉も、どうか……」
「ちょっとハンナ止めないで!」
ハンナさんに羽交い締めにされて、エリカは両手両足をバタバタ動かしていた。
「ふふ、ごめんなさい。エリカ、仲良くしましょう」
私が笑いながらそう言うと、
「イヤよなんでアンタなんかと」
エリカは思った通りのことを返してくれる。打てば響くおもしろい人だ。彼女は私のことをあんまり良く思っていないようだけど、私はエリカのことが好きになった。
なんだかリョーヴァみたいでかわいいんだよな。こういう生意気系。
あ、そうだと思いついて、必殺の言葉を言ってみることにした。
「アンナさんのどこが好きなんですか?」
「よく聞いてくれたわね! お姉様の一番といえばなんといっても――――――」
うん、思った通り。
エリカは私たちの反応なんか気にしないで、好き勝手アンナさんの事を喋っていた。
「ふう、ようやく落ち着きました」
「――! ――? ――!!」
「エリカの手綱を握るのがお上手ですね、私以上です」
「ちょっとした……ノウハウがありましてね」
アニメとか漫画を見てればこういう手合いはどうすればいいのかよくわかるのだ。
「――! ――――!!!」
「ところで、『黒騎士』っていうのは?」
「ちょっと聞いてる!?」
「聞いてますよ〜。ええ、それはですね、私たち――リヒトホーフェン一家はいわゆる『エース』の集まりでして」
……すっご。
エースパイロットってこんなに身近にいるもんなんだ。ていうか、一家ってことはハンナさんも?
「えっと、ハンナさんも?」
「……はい」
ハンナさんは少し照れながら言った。
「それで、エースになると二つ名を付けられるんですよ。大活躍した冒険者に二つ名が付けられるように、その伝統ですね」
「へえ。それがエリカさんだと『黒騎士』」
「何よ呼んだ!?」
「呼んでませんよ〜。そうです。お父様ですと『赤公爵』」
「ハンナさんもエースなんでしょう? なんて呼ばれるんですか?」
「……『狩淑女』。攻撃機のパイロットですから、こう呼ばれてしまいまして……恥ずかしいんですよぉ」
頬をぽ、と赤らめてハンナさんは二つ名を名乗った。なんだか目の前のハンナさんを見るとそんな感じはしないんだけどね。
ていうか攻撃機なんだ……すっごい意外。
もっと聞こうとした時、ちょうどアンナさんとリヒトホーフェン卿が戻ってきた。
「エリカ、もう良いぞ。アンナ嬢と遊んできなさい」
「やった! お姉様!」
エリカはアンナさんのところへ向かって飛んでいった。飛行機みたいに飛んでいったわけじゃなくて、これは比喩だ。
「ハンナ、仲良くなれたようだな」
「はい。カレーニナ准尉とは気が合いまして。……ね、カレーニナ准尉?」
ハンナさんはふんわりとした金髪を揺らしながら、その垂れ目で私のことを見つめてきた。
小動物みたいでかわいい。
「そうですね。ハンナさんは気立ても良くて優しくて、これからも仲良くしていきたいです」
「ハハ、随分と買ってくれたじゃないか。うちに嫁入りでもするか?」
「ちょっと、お父様!?」
「冗談だよ。だが、腕の良いパイロットは何時でも歓迎している。評共が合わないと思ったら、我が隊に来ると良い」
「……覚えておきます」
不穏なお誘いをされたものの、それ以上のアクションをされることはなかった。
そうして、夜になってちょっとしたパーティーをして、また私がエリカをからかって……殴り合いの喧嘩寸前になったけど、今回の出張は概ね平和に終わった。
このまま、何事もなく空軍生活を終えられるといいなあ。