紅い眼を持つ者。襲来
「はぁ……しまったな。今までは我慢できたと言うのに、何故か貴様らの時だけ無性に腹がたってしまった」
業火に焼かれて塵になった冒険者セレナ。
その跡を見て吸血鬼の男ははそう嘆く。……まるでゴミを見る様な目だな。
「なんで吸血鬼がここにいる!」
剣を引き抜いた彼女の疑問は最もだろう。
吸血鬼なんて数千年前に起きた戦争からずっと大人しくしている。残り続けた伝言のせいで。
魔王が死んだ直後に動き出したのなら話は別だが何故このタイミングで?
まあそんな事わざわざ教えるはずもないだろう。今更殺す相手に……
「何故か、と……いいだろう。我は今無性に腹が立っている。感情の爆破ついでに教えてやるさ。冥土の土産にだがな」
……教えてくれるそうだ。
よく見れば彼は吸血鬼らしくないイライラの顔をしていた。生理的に無理の様な、そう理性で抑えられない程の感情が彼の中で渦巻いているのだろう。
「理由は単純だ。四大魔族戦争から廃退の一途を辿っている吸血鬼種の威厳を取り戻す為だっ!」
拳を握る彼の表情はさっきよりボルテージが上がって怒りに染まっている。
その上殺気が漏れ始めた。小動物が下手したら死ぬかも知れない程度の濃度。でも彼女は気圧されるぐらいで済んでいる。
「そうか……ありきたりだけどなんで今なんだ? それをやるにしてはタイミングが遅すぎるぞ」
「当然の疑問だな。ただその返答はとてもくだらない物になる……あぁ我ながら吸血鬼として情けないと思うが」
吸血鬼の呆れを含んだ声。でも怒りからくる殺気の濃度はこれでもかと上がっている。だからだろう。次の理由が苛つかせる原因だと吸血鬼が分かったのは。
「怯えていたのさ架空上の化け物に。皆こう言っていた」
"吸血鬼として必要最低限生きるのはいい。生きる上で動物を殺す事も、生活を豊かにする為に多少の犠牲を用いる事はいい"
"だが必要以上に略奪を行うな。特に人間……奴らを悪意で襲った瞬間、我ら上位種は終わりを迎える。遥か太古から生きている紅の魔女によって"と……
「ふざけた話だ。遥か昔に現れたと言う化け物によってこの言い伝えが生まれたらしいが馬鹿馬鹿しい」
「化け物か……僕から言わせれば君達も充分化け物だけど」
「そんな次元の話ではないらしいぞ。その化け物の言い伝えでは世界の空を闇に染めた。大陸を真っ二つにしたと言うそうだ」
「存在して欲しくはないな」
彼女は吸血鬼と会話して時間を稼いでいる。
魔力操作を出来るだけ隠しながら魔法を発動させようとしている。それで逃げ出そうとしている様だが。
「それは同感だがそもそも存在しない。そんな事は魔王でも出来ない。実現不可能だ…………で、魔法の準備は終わったか?」
「っ……!?」
吸血鬼にはバレている。
驚きで目を見開いた彼女はこれ以上は無理だと悟って行動に移した。
剣をブーメランの様に吸血鬼に投げる。
一瞬で魔力を込めたにしてはスピード、パワー良し。
これなら岩でも砕けるだろう。
「……準備はそれだけか?」
だが吸血鬼は蚊でも振り払う様に剣を弾いた。
上位種が相手ならこの結果は当然。攻撃を与えるなら最低でも鉄を壊せる程じゃなければ話にならない。
「いいや違う!」
ただ彼女の目的は吸血鬼に勝つことではない。
吸血鬼から逃げてギルドに報告する事だ。
手に持った何かを地面に叩きつけると煙幕が出た。
時代劇で見かける煙玉を彷彿させるそれは瞬く間に洞窟内に広がり視界が見えずらくなった。
続いて袋に入った魔法石が床に叩きつけられる音が広がる。
「なるほどさっきの魔力は創造系統で煙幕を作り目潰しをする為。そしてこの魔法石の音は足音の方向を気付かせない為の策か……なるほど」
さらに魔法石は魔力があるから、彼女が魔力を使って逃げようとしても魔力探知に気付かれにくい。
獲物が逃げようとしているのだが吸血鬼はただ目を細めてこの光景を観察している。一瞬でこの方法を思いついた事に吸血鬼は少し感心したらしい。
「だが相手が悪すぎたな……『風よ踊れ』」
でもそれは所詮小細工。
蟻の小細工如きで像をどうにかする事なんて出来ない。
静かな風が周りの煙幕を、魔法石を蹴散らす。
そうすれば逃げている蟻は容易く見つけられてしまい
「うご、けない……!」
彼女は影によって捕まっていた。
東洋にある魔法の派生の技術を使った技、影縫いが彼女の動きを止めたのだ。
「これ以上お前に話す事などないな。我の礎となれ」
吸血鬼は淡々とそう言って人差し指を差し向けて魔法を放った。
無詠唱魔法によって生み出された黒いビームは拡散し、彼女の左胸、右足、左腕を貫通する。
「ついでに喉も切り裂いておくか」
「─────」
仕上げにと次の無詠唱魔法を発動すれば、彼女は悲鳴を上げる事もできずに真っ赤なカマによって切り裂かれた。
ばたり、そんな音をして彼女は倒れてしまう。
戦いは終わりだと言う様に洞窟は静寂を取り戻した。
「……さて、コイツらはクエストを受けに来ていたのだな」
彼は思考する。今後はどうやって行動しようかと。
まず一人は我慢出来ずに塵にしてしまった。もう一人は生きているがもう虫の息で意識を失いかけている。
ギルドに異変を気付かれるのは問題だ。
まあ最悪調査隊が来る事になっても黙って隠れていればいい。
「確かに隠れればいいが……」
だが隠れる行動というのは本来、上位種にとって気に入らない行動でもある。隠れる相手が格下の人間なら尚更。
間抜けな事に私は気付けなかったが、彼は何度も隠し通せていたのだろう。
だから──
「まぁこちらから先に仕掛ければ問題あるまい……!」
スゴイ顔してこう言うのも仕方ない。
彼は凄くワクワクしているのだろう。今から始まる蹂躙。彼によって引き起こされる悲鳴の数々。
己の強さの礎になる家畜どもを想像しているのだろう。
今まで我慢していた反動なのかとても嬉しそうだ。
「とにかく最初は目の前の獲物からだ。……そして今度はあの街を襲いに行こう」
吸血鬼を除けば今この場を見ている者は一人もいない。
これは襲いに行くのには都合がいいだろう。
「さて食事を──」
吸血鬼も食事に夢中で背中がガラ空きだ。
グサッ。
だから私は吸血鬼の心臓を貫いた。
「な、に──? なぜ生きている?」
彼が背中を振り向いても誰もいない。
それはそうだ。彼に気付かれないために腕だけ再生させて動かしているのだから。
側から見れば片腕が主人の意思を宿して吸血鬼の仇討ちをしている様でホラーだ。しかも腕は吸血鬼の胴体を貫通してるし。
とはいえ口から血を出しながらもこちらを睨みつける力があるのは驚くし、見える光景にだけに囚われず何もない空間に誰かいるのは確信しているらしい。
「お前心臓無しでも生きれるんだな」
無いはずの口から言葉が漏れる。
「苛だちの原因は貴様かっ! 消えろ!!」
「おっと」
さっきまでの余裕ぶった表情は消え、焦っている彼は私の腕を強引に抜いて離脱を図る。
その刹那に放たれる無詠唱魔法による炎。
見た目は一緒だが冒険者セレナを焼き殺したモノより数段も質が上だ。
だが無傷。
人間と交流する為に作り直していた体なら効くだろうが、吸血鬼に戻った今の私では何の意味もない。
「……今のでも効かないというのか。お前、何者だ?」
「慌てるなよ。さっきから消えろとか何者だとか言ってる事が支離滅裂だぞ」
さらっと心臓部を治している吸血鬼の問いに、私は倒れている彼女に防御結界を何重に張らせながら話す。
「我は貴様の名を聞いているのだっ! 答えろぉ!!!」
「……さっきの魔法、冥府の炎だろ。昔作ったから奴だしだいぶアレンジしてたから気付くの遅れたがよく出来てるじゃん」
私は吸血鬼の問いになっていない様な事を話す。名前を聞いているのに魔法の話をさせられても、プライドの高い上位種ならブチ切れるだろう。我を馬鹿にしているのかって。
でも彼は違う。
私が言っている意味を理解した。いや理解してしまったんだ。怒りは潜み、体は恐怖で震えている。
それはそうだろう。
昔、ヤンチャをしすぎた吸血鬼達の罰としてそういう風にさせたのだから。
……その呪いが薄まった結果、上位種のプライドと恐怖が中途半端に混じって『コイツは危ないから排除しよう』と言う動きになってしまったのは予想外だったが。
「一万年以上前に作られた神代の魔法を何故知っている? ……まさか」
「答えは辿り着いた様だな」
ならいい加減に体全てを元に戻しても問題ないだろう。
『戻れ、私の体よ』
洞窟全体に響く女性の声。凛々しさを感じるのに、奥深い闇と死神の鎌の様な鋭くて冷たさを感じる声に周りの塵が答える。
元ある姿に戻る様に大量の塵は螺旋を組んで腕のところへ。
洞窟のあらゆる場所に埋め込まれている魔法石が無秩序に輝く光景は、偉大な過去の王の復活を祝福している様。
でも当然、吸血鬼はそれを許さない。
「魔血結界発動!」
緑の光に溢れていた洞窟は血の様に真っ赤になる。
見える光景全てが赤に染まる。
それはその場所にいるだけで命を絶たれる結界。主人である吸血鬼が認める者以外がそこに存在する事を拒否する最上級の魔法。
だが塵は動き一つ乱さず集まるだけ。
『奴を食いちぎり地獄へ落とせっ! ケルベロス!』
吸血鬼がそう叫ぶと地面から二つの炎が突き破ってくる。だがただの炎ではなく、先頭には禍々しい犬の魔物の様な顔が見えた。
長さで約二十メートルの地獄の番犬。
神話では神を仕留める力を持つと言われた最上級の魔物。
『『ヴォォォォォォオオオオ!!!』』
具体的に言えばそれを具現化させただけだが、その威力は街を何個破壊しても余る程の神代の魔法。
本来なら結界で押し潰されている私に神話の化け物が襲いかかった。
だが意味はない。
もう私は……生まれたのだから。
『消えろ』
呼吸をする様に私はそう言った。
それだけで洞窟内で生まれた吸血鬼の世界も、神話で生まれた二つ顔の魔物も、全て無意味になった。
今ここにいるのは黒に濁った紅の眼と、血の滝を彷彿とさせる長い髪を持った吸血鬼だけだ。
当然だろう。
世界の王である私に歯向かうのなら、世界そのものから存在を消すのは当然の結末。
私が必要とする物以外がこの世界に生きる道理は無い。
「紅の魔、女、だと……?」
……まだ一人、邪魔な生き物が残っているが。
「吸血鬼……それでは勝負と行こうか」
紅い眼は哀れな蟻を見つめていた。