雨天眩暈
………?
耳から聞こえていた音楽が不意に鳴り止んだ。
スマホに繋げたイヤホンの線の根元を見てみると、銅線が見えていた。
しまった。
もう駄目になったか。
外の音に耳をやる。
ここは地下鉄の改札を出て階段を上がる途中だが、上から雨音が聞こえる。
ここまで聞こえてくるということは、結構強い雨のようだ。
「まあ、雨音で誤魔化せるか………」
独り言を口にして、足早に地上に出ようとした。
しかしソコにあった。
近所のスーパーのカートがあった。
地上に上がる階段と階段の間にあるスペースに。
空のカートがカラカラと動いていた。
前も後ろも誰も居ない。
そりゃそうだ。
さっきの駅で降りたのは自分だけで、他に人は居なかった。
カートがカラカラと横切って行く。
「まずい」
また、独り言を漏らしていた。
途端に、ジリジリジリジリジリジリジリジリジリジリ
と、不快な低周波音が一斉に木霊する。
雨の音はもう聞こえない。
舌打ちも出来ない。
舌が乾いて口の中に張り付く。
額に汗をかいているが、体の皮膚は酷く冷たく、
そのくせ体の芯は熱が籠もっていて、燻るように腹の底を燃やしている。
暑いのか寒いのか、自分でもよく分からない。
そんなことよりも、ただただ早くこの音から逃れなければと焦る。
ジリジリジリジリジリジリジリジリジリジリ
体に異常をきたす不快な音が止まない。
体感温度がおかしくなり、目も霞んできた。
意識がぼやけてきて、腰が曲がり首も下がり頭を垂れる。
このままではいけない。
意識をはっきりさせようと無理やり前を向く。
カートがいた。
カラカラと音を立てて。
カラカラカラ
フィルムを巻き戻したように、同じ場所を同じように移動するカート。
思わず頭にくる。
さっき横切って行ったじゃないか!!
しかし声には出ずに、血圧が上がっただけで。
その様子を横から男が嗤っていた。
鉄錆色したシャツを着た男が、下品な声で嗤っていた。
その声を聴くと
一気に体温が下がった。
体の芯からどうしようもない冷えが襲ってくる。
ガクガクガクガク
膝が笑う。
脚が揺れて、背が丸まり再び首も曲がる。
意識はハッキリとしていて、男の聴きたくもない下品な ケタケタケタと笑う声が聞こえてきて、これなら意識がハッキリしない方がマシだと思う。
悪寒と嗤い声を耐えて、一歩、一歩、階段を上がる。
唯一、首が曲がり下を向いていて視界に怪景を入れなかったのが救いだった。
ザザザザザザ
雨音が聞こえてきた。
地上のようだ。
温かい。
体に雨が当たる。
冷えきった体に降りしきる雨粒は
酷く温かかった。
白い息をひとつつく。
「助かったか………」
今度からは、予備のイヤホン買っとこうと心に決める。