◆第94話◆ 『宝石級美少女の帰り道』
「みのりがうるさいし、そろそろ帰る? コハ」
「私はうるさくないしっ。うるさいのはお姉ちゃんの方だしっ」
どちらかと言えばうるさいのはみのりの方なのだが、そんなツッコミをできる雰囲気でもない。それに秋の言う通り、そろそろおいとますべき頃合いだろう。秋の家はもう十分堪能できたし、なんやかんや親睦も深められた。
「......そうですね。そろそろ、帰ろう......え」
帰宅の意思を示そうとする直前で、その言葉は遮られた。みのりが星宮の制服の袖を掴んでいる。
「帰っちゃうんですか、星宮さん。......私がうるさかったからですか」
どこかシュンとした様子で、顔を俯かせるみのり。星宮の帰ろうとするタイミングが悪く、変な誤解を生ませてしまったのかもしれない。その事に気づいた星宮は、慌ててみのりの前で両手をパタパタと振る。
「そんなことないですよっ。みのりちゃんは何も悪くないです。私が変なタイミングで帰ろうとしたから......ごめんなさい」
「うぇっ。何で星宮さんが謝って......あぁっ、もうこの話おしまいっ」
星宮まで申し訳なさそうにするので、みのりはアワアワと挙動不審になる。慌ただしいが、見てる分には微笑ましい。
「......」
とはいえ、もしかしたらみのりはまだ心の片隅で『星宮に迷惑をかけてしまった』と疑っているかもしれない。余計な疑念を払うため、星宮はほんのりとみのりに向けて微笑んだ。
「また来てもいいですか、みのりちゃん」
「えっ」
分かりやすく、みのりの表情が明るくなった。
「はいっ。勿論っ。是非、来てください!」
みのりは優しくて、明るくて、素直。私もこんな妹や弟が居ればいいのになと、星宮は憧れた。
***
外に出てみれば、いつの間にか日が暮れそうになっている。凍てつくような寒風が吹き荒れ、厚着をしなければ凍え死んでしまいそうだ。
そんな極寒の中を、星宮と秋は二人揃って身を震わせながら歩いていた。特に、秋に関しては己を抱きしめながら心底寒そうに歩みを進めている。
「秋ちゃん、その......わざわざ見送ってもらってごめんなさい」
「ほんとそれ。私を凍死させる気?」
「......ごめんなさい」
「別にコハは悪くないから謝らなくていいけど。みのりが余計なこと言うから......さむ」
星宮の見送りをしている秋だが、これは自発的にしていることではない。みのりが「友達の見送りくらいしなよっ」的なことをギャーギャーと永遠に言うので、渋々と秋が重い腰をあげたのだ。星宮は遠慮したのだが、みのりの方が許してくれなかった。
「早く冬が終わってほしいですね」
「分かる」
寒いから早く終わってほしいという理由もある。しかし、星宮にはもう一つ早く冬が終わってほしい理由があった。
(天馬くん......今頃、何してるんですかね)
庵と星宮の間に結ばれた三ヶ月の約束。その三ヶ月を終えた頃には、ちょうど春がやってくるだろう。まだまだ先は長いが、星宮はそれをずっと心待ちにしている。待望の春を迎えるためなら、こんな冬の寒さくらい大したものではない。
「......明日はマフラー着けて学校行かないと」
思考を切り替えて、星宮は明日ことを考え出す。天気予報では明日はまた雪が降るらしいので、防寒対策は必須だ。
手に息を吹きかけながら、秋に視線を向ける。
「そういえば秋ちゃん。ちょっと気になったんですけど、みのりちゃんってどこの高校を受験するんですか?」
ふとみのりが受験生ということを思いだし、何となく秋に聞いてみた。
「みのりが受験するのは私たちと同じ高校。受験する理由が、私が学校でどういう生活してるのか気になるからとか言ってた」
「へぇっ。やっぱりそうですか! みのりちゃん、秋ちゃんのことが大好きなんですね!」
「まあ、私は尊敬に値するお姉さんだから。当たり前でしょ」
この場にみのりが居たらいろいろと文句を言ってきそうな発言ではあるが、実際、みのりはなんやかんや姉である秋が大好きなのかもしれない。具体的な志望理由はどうあれ、姉のことが気になってわざわざ受験をするほどなのだから。
「.....あれ、秋ちゃん?」
するといつの間にか、秋の表情が若干暗くなっている。何か気に障るようなことを言ってしまったかと不安になるが、そうではない。
ぽつりと顔を俯かせながら、秋が口を開く。
「......みのりは私が学校で浮いてるって思ってるらしいけど、そう言うみのりも浮いてるんだよね」
「え? それってどういう」
何やら意味深な発言をした秋。
秋の方に集中が持っていかれ、あまり前を見れずに歩く星宮。よって、前方から誰か二人組がこちらに向かって歩いてきていることに気づかない。
そして星宮の続けようとした言葉は遮られる。それは、前方から向かってくる二人組に見つかってしまったからだ。
「――あれ? 星宮さんと、小岩井さんだ」
「は、嘘でしょ」
不意に聞こえた男と女の声。星宮はビクッとしながら、秋から視線を外し、声の聞こえた方向へと視線を向けた。そこには、見覚えのありすぎる二人の姿があって――、
「北条くんと......朝比奈、さん」
「星宮さん、こんにちは。......あっ。もう、こんばんはか」
クラスメイトであり、星宮にとって少し複雑な関係でもある二人。朝比奈の嫌そうな視線と、北条の柔らかな視線が同時に突き刺さった。
***
まさかの人物との遭遇に、星宮は少しだけ心臓の鼓動を早まらせる。そうさせる原因は主に、北条の隣にいる女子――朝比奈。
もう去年の話になってしまうが、星宮は朝比奈にいじめを受けていた。あの出来事は星宮にとって過去のトラウマを思い出させるほどの最悪の出来事であり、朝比奈には深く心に傷跡を付けられた。
その事件は庵と北条のおかげで無事に収束したとはいえ、星宮に植えつけられた恐怖心は未だに健在。仲直りなんてしているはずもなく、今の二人の関係は曖昧といったところだ。ただ一つ言えることは、曖昧な関係とはいえ――良好な関係ではないということ。
「星宮さん。こんな時間に何してるの?」
「えっと......さっきまで秋ちゃんと遊んでいて、今帰ろうとしているところです」
北条の人懐っこい笑みに対し、星宮は隣の朝比奈を警戒しながら恐る恐る答える。幸いにも、朝比奈はどこか別の方向へと視線を向かせていた。朝比奈もこちらとはあまり会話をしたくなさそうに見える。
「へぇそうなんだ! 仲良くていいじゃん。俺も今日朝比奈さんと遊んでてさ、星宮さんと同じくちょうど帰ってるところ。ほんと、偶然だね」
「あぁ、そうなんですね。北条くんと朝比奈さんも仲が良さそうで......その、何よりです」
「ありがとね星宮さん。最近気づいたんだけど、朝比奈さんと俺、なんかめちゃくちゃ気が合うんだよね」
「......そうですか」
北条の言葉に何故か嫌そうな顔をする朝比奈。何か言いたそうだったが、なんとか我慢しているように見える。
そんな朝比奈が気になって、星宮も思うように言葉が出てこない。やっぱり、朝比奈が怖いのだ。
しかし幸いにも、北条は直ぐに星宮から視線を外して秋の方に向けてくれた。
「あぁそうだ小岩井さん。なんやかんやクラスではあまり話せてないけど、最近星宮さんと仲良さそうだね。俺も、たまに混ざったりしていいかな」
信じられないほどに大胆な距離の詰めかたをする北条。とりあえず話題の矛先から外された星宮は、息を吐きながら少しだけ安堵する。ちなみに今の北条の発言は星宮の耳に届いていない。
対する秋は、藍色のじと目を意味深に細めて、しばらくの沈黙を作っていた。その不可解な秋の反応に、北条は不思議そうに首を傾げさせる。
「......あれ、小岩井さん? この至近距離で無視は酷くない?」
「ごめん。私とコハ急いでるから、帰る」
瞬間、秋が星宮の腕を掴み、引っ張った。予想以上の腕力に星宮の体が傾く。
「えっ。ちょっと、秋ちゃん!?」
突然の秋の行動に、星宮も変な声が出てしまう。それは、見ている北条もだ。
「小岩井さん? どこ行くんだよっ」
「帰る」
言葉通り、秋は北条を無視したまま、強引に星宮を連行して帰路を歩み始める。北条や朝比奈の困惑している視線などお構い無しにだ。
「秋ちゃんっ。急にどうしたんですかっ。こんな突然帰ったら、感じが悪いですよっ」
秋に引っ張られる星宮は声を荒らげた。それでも秋は後ろを振り返らない。
「ワケはあとで話すから。今は、あいつらから離れたい」
「え?」
理由も話さずに星宮を連れ去る秋。しかし、秋の放つ言葉には普段と違った妙な重みがあり、星宮も何か非常事態なのかと勘ぐりだす。とにかく、秋が真剣だということは伝わった。
よって、星宮はされるがまま、秋と一緒に北条たちから距離を取っていった。北条たちには申し訳ないと思いつつも、ここは秋に従うしかない。
「.....いきなり、なんなんだよ」
「嫌われたんじゃないの、北条くん」
どんどんと離れていく女子二人の背中を見つめながら、北条は悔しそうに顔を歪めた。隣の朝比奈はいつの間にかスマホをいじっていて、今の一連の流れにあまり興味が無さそうな様子だ。
「.....」
ゆっくりと流れる静寂。そうして、星宮と秋の二人がある程度離れたところで、北条は『仮面』を外した。
「はぁ。超うざいな」
北条の細められた瞳が、小岩井秋の背中を映す。
久々に難産でした