◆第9話◆ 『宝石級美少女はまたお礼がしたいそうです』
「はい。これ」
「あ、ありがとうございます」
こびりついたドロを公園の水飲み場で落としてからキーホルダーを星宮に返す。庵からキーホルダーを受け取った星宮は、言葉には出さずとも目を輝かせてとても喜んでいる様子だった。
「まあ、なんとか取れてよかったよ。もう落とすんじゃないぞ」
「は、はいっ。本当に天馬くんには感謝でしかないです。これからは気をつけます」
「ああ」
小さく腰を折って頭を下げる星宮。華奢な手でぎゅっとキーホルダーを大事そうに握りしめる姿は庵の目から見ても愛らしかった。
一時はとんでもなく不快な思いをすることになった庵だが、この笑顔が見れたなら別に後悔なんてないと思う。星宮を自分の身勝手なお願いで困らせた償いはこれで果たせたのだろうか。
「あっ。天馬くん。ちょっとだけ屈んでください」
「え?」
星宮がそう言うので、庵は言われるがまま星宮と背丈が同じになるくらいに屈む。すると星宮は肩にかけていた鞄から小さなハンカチを取り出した。
「んっ」
星宮は手にしたハンカチで庵の頬をちょんと触る。
「顔にドロが付いてましたよ」
「あ、マジか。ありがとう」
「いえいえ。このくらいお礼を言われるほどのことじゃないですよ」
どうやら顔にも排水溝のドロが飛んでいたようだ。
言ってくれたら自分で取ったのにと思う庵だったが、星宮に拭いてもらったことが少し気恥ずかしくて素直にお礼を言っていた。宝石級美少女にハンカチ越しとはいえ、触れられてしまうとここまで緊張してしまうとは。
やっぱり自分もちゃんと男なんだなと庵は溜め息をついて、大きく伸びをする。
「んじゃ俺は帰るよ。俺が星宮と話してるところを誰かに見られたらまずいからな」
「あっ」
余計なトラブルを避けるため星宮の近くにいつまでも居るのはよくない。
じゃあなと手を振って庵が立ち去ろうとすると、「待ってください」と言って星宮が庵の腕を掴んだ。どこか見覚えのある光景。後ろを振り返れば、慌てた様子の星宮が見える。
「どうした星宮」
「その、私、キーホルダーを取ってくれたお礼に何かしたいです。天馬くん、私に何かしてほしいことはありませんか?」
「......」
そして聞き覚えのある質問が庵に投げかけられた。その質問を聞いた瞬間、庵は硬直する。『私に何かしてほしいことはありませんか』。前はこの質問で星宮と交際をすることになった。そして星宮をとても困らせた。星宮は不満は口にしていなかったものの、庵の中では、星宮は交際関係を不満に思っていたと解釈している。
もう同じ過ちはできない。
「......いや、いいよ。特に星宮にしてほしいことはないしな。気持ちだけ受け取っとく」
星宮の気持ちだけ受け取り丁寧にやんわりと断る。ありがとうという感謝の言葉を添えれば理解してくれるはず。しかし律儀な星宮は何のお礼も無しに庵を帰させることを許せなかった。
「それなら天馬くん。このあと時間はありますか?」
「え? まぁ、あるけど......何か用か?」
それならと意気込む星宮。何か嫌な予感がしなくもないが、帰宅部である庵にこのあとの用事なんてない。動揺気味に返事をすれば星宮はパアッと顔を明るくした。
「なら、このあと少しだけ私に時間をくれませんか? ついてきてほしい場所があります」
「いいけど......どこ行くつもりだ?」
「それは着いてからのお楽しみということにしておきましょう」
「......なるほど」
ちょんちょんと庵の制服の裾を引っ張る星宮。わくわくとした様子で庵を急かすので、逆にどこに連れていかれるのか心配になってしまう。星宮の性格からして変な場所に連れていかれることはないだろうが。
「じゃあ......案内してもらっても?」
「任せてください」
そうして二人は帰路を外れてとある店へと歩いていった。
***
星宮が向かった場所はカフェだった。しかも結構遠い場所にあって、公園から徒歩二十分くらいの距離。外見は然程大きくはなく、知る人ぞ知る感じの雰囲気が漂っている。庵はこんなところにカフェがあったのだと目を丸くした。
迷いなく星宮はカフェの入り口の扉を開けようとする。
「ここです。入りましょう」
「いや待て待て。なんでカフェなんだ?」
「なんで、とは?」
「いやカフェなんて入っても俺今金持ってないし。というか二人でカフェに行ってるの誰かに見られたらまずいだろ」
至極当然のことを言ったつもりの庵。だが星宮はきょとんとした様子でとんでもないことを言う。
「お金なら私が天馬くんの分も払います。それに、このお店を知っている人は数少ないと思いますから、多分知り合いと出会う確率はほぼゼロだと思いますよ」
「星宮がお金を払うの!?」
「はい、そうですよ。お礼がしたいのですから、このくらいは」
「無理無理無理。尚更無理。女子にお金を払わせるとかそこまで俺落ちぶれてないから。それに俺、星宮にお礼をしてもらいたくて助けたわけじゃないし」
そもそも星宮のような宝石級美少女が、こんな教室の隅に潜んでいるような陰キャとカフェなんかに行くこと自体おかしい。明らかに庵だけ不純物だ。しかも代金を星宮に全て払わせるなんて真似をしていいはずがない。
しかし、遠慮する庵を見て星宮は困ったように手をぱたぱたする。
「いや、その、本当に気にしないでほしいです。私、それなりにお小遣いは持ってますし、天馬くんの分も一緒に払っても大した出費にはならないです。だから本当に大丈夫なんです」
「気にしないわけないだろ。俺みたいな陰キャのために星宮にお金を払わさせるなんて、俺が申し訳なさで潰れてしまう」
「そんなに遠慮しないでください。私は天馬くんがどんな人であろうと気にしませんし、お金を払うことも私がやりたくてやることです」
「だから無理って言ってるだろ......こういうのは彼氏か女友達と行けよ......」
親しい関係同士でカフェに行くのが普通であり、庵と星宮の関係は然程深いものでもなく、出会って数日の浅い関係だ。
宝石級美少女とカフェで二人きりになれる。そんな誰もが夢見るシチュエーションだが、庵はそんな夢を見ていない。出来れば見たくないくらいだった。
だってもう、星宮との関係は白紙なのだから――、
「な、何言ってるんですか。私たち付き合ってるじゃないですか」
「うぇ?」
想定外の返しに庵は思わず変な声を漏らした。
ゆっくりと脳内で星宮の言葉の意味を理解して、そして頷く。どういうことだと。庵はてっきり星宮に嫌われていると思っていたし、連絡も来なかったので交際関係も断たれたものだと思っていた。
だが今、星宮は『付き合ってる』とそう言った。冗談のトーンでも何でもなく、真面目に『付き合ってる』と。
「何ボーッとしてるんですか天馬くん。天馬くんは、その......わ、私の彼氏さんでしょう!」
顔を赤く染めた星宮は庵にトドメの一撃を入れた。
どうやら既に断たれたと思っていた二人の関係は、星宮の中ではまだ続いていたようだった。
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