◆第8話◆ 『宝石級美少女の落とし物』
星宮と最後に話した日から数日が経過した。
「......連絡、こないな」
予想通りと言うべきか、がっかりと言うべきなのか星宮からの連絡は何も来ていない。
庵はあのときハッキリと星宮に伝えた。俺のことが嫌ならこの交際関係を白紙にしよう、と。そして星宮の心を気遣って、面と向かって言わなくとも、これから星宮が庵への連絡を一切行わないことで交際関係が解消されるという選択肢も与えていた。連絡がこないということはそういうことなのだろう。
普通の高校生男子ならこんなチャンスは絶対逃さないのだろう。
誰もが羨む宝石級美少女とのお付き合い。そのチャンスを庵は自ら棒に振った。傍から見たら馬鹿なことをしていると思われるのかもしれない。でも、これでよかったのだと庵は思う。
お互いに恋愛感情が無いのに交際するなんて、あまりにも意味が分からないのだから。
「どうした庵。今日はずっと暗い顔してるな」
「それ前に店長にも言われた気がする。......まぁ、大したことじゃないさ。もう過ぎたことだし」
「なんだそれ。すごく気になる言い方するな」
庵的には自然な表情を保っているつもりだったのだが、いつの間に暗い顔になっていたらしい。店長といい暁といい、表情の変化を見抜くのが得意なようだ。
「まぁ何をそんなに落ち込んでるのかは知らんけど、ちょっとは元気出せよ。お前はそれじゃなくても陰気なやつなんだからな。これ以上負のオーラを纏うなって」
「うるせぇよ。励ましたいんなら最初の部分だけで十分だ。誰が陰キャチー牛オタクだよ」
「僕そんなこと言ってないけどな?」
突然の自虐ネタに苦笑いを浮かべる暁。普段から自虐ネタはしない (当たり前) 庵であるが、最近は何故かマイナスな感情で溢れていた。
もちろん、このマイナスな感情が湧き出る源泉は星宮なわけで。
(これがお互いのためだって思って自分から言い出したことなのにな)
庵は星宮に嫌々付き合ってもらうくらいなら付き合いたくないと思った。その気持ちは今でも変わらない紛れもない本心だ。その考えはこれからも庵の中で絶対に曲がらないものだと確信している。
恋愛感情はゼロ。連絡先を交換したとはいえ、友達と言い切れるかさえ分からないぎこちない関係。
こんな薄っぺらい関係なのに、ダメだと分かっているはずなのに、星宮との関係を手放したことをやっぱり惜しいと思ってしまっていた。
(俺は最近何してんだか)
宝石級美少女の命を救い、宝石級美少女に告白して、そして一日後には自ら宝石美少女を振った。あまりにも激動の一週間だったと言えるかもしれない。
そもそもなんで庵がこんなにモヤモヤするはめになったのか。それは。
「......告らなきゃよかったな」
「ん。なんか言ったか」
「いやなんでも」
この胸のモヤモヤを取り除くには、いち早く星宮の事を忘れるべきだ。所詮庵と星宮が付き合っていた期間はほぼ一日だけ。思い入れもない関係なのだから、しばらく星宮と関わらなければすぐに忘れられるはずだ。
そう、しばらく星宮と関わらなければ。
***
放課後、絶賛帰宅部の部活動をこなしているところ、一人の女子生徒に出会った。その女子生徒は今庵の頭の中に思い浮かぶ人間の中で、一番会いたくなかった人であり......。
「あれはなにしてんだよ」
庵の視線の先に居たのは星宮だった。
何の因果か、星宮のことを忘れようと決意してすぐに再会を果たしてしまった。しかし星宮の方はまだ庵の存在に気づいてはいないらしく、こちらを振り向こうとはしない。
そして庵が目を細めて星宮の様子を伺う理由。それは、星宮がしゃがみながら道端の排水溝をジーっと見つめているからだった。
(休憩してるってわけでもなさそうだよな)
休憩する場所ならこんな目立つとこで、しかも排水溝の前なんかを選ぶのはあまりにもナンセンスだ。休憩をするのなら、少なくともどこかのコンクリートの上とか、腰を下ろせる所を選ぶはず。
星宮がこんな所で休憩してるとは思わないので、別の理由があって排水溝の前でしゃがみこんでいるのだろう。ともかく、庵はこのまま迂回してまで星宮を無視して家に帰る気にはなれなかった。振った相手に話しかける度胸はないが、このまま見過ごす気もさらさら無い。
何せ星宮はとても暗い顔をしていたから。
「......ああっ」
一瞬話しかけるか否か迷いが生じて足の動きが止まるが、そのマイナスな考えを振り払うように庵は頭をガシガシと掻いて、星宮の側まで近づいた。
「何してるんだ。こんなところで」
「え......? あ。て、天馬くん」
ようやく庵の存在に気づいた星宮が驚いた声を上げた。星宮は庵と目を合わせずに、うろうろと視線を泳がせる。何を話したらいいのか困っているのだろう。
「この前の事なら気にすんな。もう俺たちの関係はただの知人同士だ。心配しなくてもいいぞ」
「いやっ。そのっ。前は、本当にごめんなさい! 勝手に帰っちゃって......本当に!」
「だ、だから気にすんなって」
思ったより過剰に反応されてしまい、平常を装うとしていた庵のメッキが早速剥がれてしまう。いざ話すとなると、どうも心拍数が上昇して上手く言葉が見つからなかった。
「んで、星宮はこんな所で何してんだ」
強引にこの前の別れ話に急ブレーキをかけて、話題を元に戻す。
「あっ。いや、それは......その......」
「なんか排水溝ずっと見てたけど、なんか落としたのか?」
「っ」
言葉を詰まらす星宮に質問をぶつけると星宮は分かりやすく動揺した。
「何落としたんだ?」
「いえっ。何も落としていません。大丈夫です」
「だったらさっきからなんで排水溝なんかをずっと見てたんだよ。あんな暗い顔しながらさ」
「それは......その......」
星宮の表情が慌てたものから悲しいものへと変化していく。長い睫毛がマリンブルー色の瞳を覆い、視線を地面に向けていた。
数秒の沈黙が流れたあと、星宮はポツポツと喋り出す。
「排水溝に、鞄に付けてたキーホルダーを落としたんです。......それで、ちょっと困ってて」
「......なるほど。それは困ったな」
「でも、排水溝は蓋が付いてるし、中は泥だらけなのでもう取り戻すのは無理です。それでもなかなか諦めがつかなくて排水溝の前で座り込んじゃったんですよね」
「大切な物なんだな。そのキーホルダー」
「いえ、そんなことは......っ」
否定をしようとするが、その表情を見たらすぐに分かった。顔を俯かせて、眉尻は下がっていて、瞳も儚く揺れている。誰の目が見ても、星宮は悲しんでいた。
庵は星宮に対して失礼なことをした。無茶な要求と分かっていて星宮に交際を求めたくせに恋愛感情は無い。自分勝手なことばかり言って、デートにまで誘いかけた。挙げ句、一日でその星宮を振った。
これを無礼と言わずに何と言う。この無礼に対して償うには、何をすればいい。
「ちょっと待ってろ星宮」
「え?」
庵は鞄を地面に置き、制服の裾を捲る。両肩を大きくぐるぐると回して軽い準備運動を行った。ポキポキと指を鳴らしたあと、排水溝の前で屈む。
排水溝には網状の金属の蓋が付いていて、まずこれをどかさなければ始まらない。庵は大して筋肉も付いていない両腕を使って蓋に手を伸ばした。
「っ。ぬぬぬっ」
「て、天馬くん!? 何してるの!?」
「見りゃ分かるだろお。この蓋を外そうとしてんだああぁ!」
混乱した様子の星宮が目を丸くする中、庵は全力で排水溝の蓋を持ち上げようとしていた。手が赤色になって、だんだんと痺れてくるが構わない。ここ最近で一番の全力を庵は出しきった。
「ぬぬぬっ......うおっ!?」
努力の末、急に排水溝の蓋は外れ、反動で庵はずてんと後方へ転がる。重い音を立てて、古びた排水溝の蓋は転がっていった。
「はぁっ......はぁっ。外れた......」
「す、すごい......。けど天馬くん、ここが外れても排水溝の中はドロまみれです。私の事は大丈夫なので、危ないことはやめてくださいっ」
「何言ってんだ。ここで諦めるわけないだろ」
「とはいってもこんな汚い場所、一体何が居るか分かりま――ちょ、ちょっと天馬くん!?」
星宮のストップをガン無視しながら庵は排水溝へと直進。何で出来ているのか分からない、ヌメヌメグチョグチョのドロの中へ腕を入れる。不快としか言い様のない感覚が庵を襲った。
「昨日雨だったからな......うわ、気持ち悪。なんだよこれ」
(うおぇぇぇえええええ。嫌だぁぁぁあああああ)
喋ってる内容は平然としたものでも、内心で血を吐き散らすほどの大絶叫を放つ庵。声は自然体を装えているようだが、顔はだいぶ青ざめて引きつっていた。
一刻も早くこのドロの宝石箱から手を抜くには星宮のキーホルダーを見つける必要がある。庵は思考を真っ白にしながら、自分を感情の無いロボットだと思い込ませてドロの中を手で掻き混ぜ続けた。
「天馬くんやめてくださいっ。もし天馬くんに何かあったら私責任取れないし、そんな簡単に見つかるわけないです!」
「いやいや、全然大丈夫。星宮は俺を信じてて」
「何言ってるんですか! 私なんかのために、天馬くんがそんなことする必要はないです!」
「俺がやりたくてやってることだよ。あはは」
庵は自分で臭い台詞を吐いている自覚はあったのだが、ドロの感触があまりにも気持ち悪すぎて、変なことを言っていないと平常を保てなかったのだ。
無心。ただそれだけを意識して、ドロのせいで重くなった腕を動かしていく。キーホルダーらしき感触を掴むため、何回も何回もドロの中を手で数往復して......。
(どこだどこだどこだどこたどこだどこだ)
心の中で言葉のマシンガンを放ちながら探し続ける。そしてついに庵は、キーホルダーらしき物体をドロの中から掴んだ。
「っ。これか!!」
勢い良くドロから腕を引き抜き、掴み取った戦利品を引き上げる。ドロが跳ねて軽く顔に付着したが気にしない。庵はドロから掴み取った物体を太陽の方向に掲げ、その正体を確かめた。
「あっ。そ、それです天馬くん! 私のキーホルダーです!」
「よっしゃあぁ!」
ドロにまみれてよく見えないが、クマの形をしたキーホルダーは確かに庵の手が掴んでいた。
もうちょっとの間は和やかな話を書いてもいいでしょう。というか書かせて




