◆第72話◆ 『宝石級美少女のターニングポイント』
――前島愛利の暴走により、庵と星宮はコンビニから逃げ出すこととなった。あのとき店長の男気ある献身がなければ、この避難は無事には叶わなかったことだ。
逃げることに成功した二人は、当てもなくコンビニから距離を取り続けて約数分(星宮が庵を無理やり走らせている)。気づけば日はもう完全に落ちていた。
「はぁ......っ。ここまで来たら、もう大丈夫だと思います......」
フラグとしか思えない発言をした星宮だが、実際かなりの距離を走ったため、さすがに安心しても問題はないだろう。だがその分、体力の消耗は大きいもので、星宮は崩れるようにその場にへたれこんだ。
もともと星宮の体力は大したものでもなく、全国の平均と比べれば若干劣るくらいのものである。だが別に星宮が運動音痴というわけではない。基本的なスポーツは人並みにこなせるし、体育では男子に負けず劣らずの戦力になれるほどのポテンシャルを秘めている。
しかし星宮の問題は前述の通り、体力の無さだ。例えば、バスケやドッチボールなどの一試合が数分で終わるものなら、途中途中に休憩を挟めるので体力的には問題はない。だが、長距離走や水泳などの、常に体を動かし続ければいけない系統のものは、直ぐに息切れをしてしまい、とても苦手な部類にあたる。
と、今語る必要の無い星宮の情報を語ったが、話を戻そう。
へなへなとその場に座り込んだ星宮は呼吸を整えて、乱れた髪を軽く整える。チラリと横を見てみれば、庵も近くの電柱に寄りかかり、休憩している様子。息つく間もなく星宮は腰を上げて、目の前に居る庵と向き合った。
「......はぁ。大変でしたね。えっと天馬くん、前島さんにお腹殴られてましたけど大丈夫でしたか?」
「――」
「......無視、ですか。この至近距離で無視ですか」
庵の体を心配するが、この激動の展開の直後でも冷たい態度を貫く庵。冷たい態度と言うよりかは、そもそも星宮のことが眼中にないかのような態度だ。
星宮は小さな溜め息を漏らしながら肩を落とす。だが、先ほどよりかは気持ちは落胆しない。何故なら、今星宮は庵とマンツーマンの状況にあるからだ。今なら、しっかりと話せるかもしれない。
「まあ大丈夫ならいいんですけど......」
ここで星宮は間を開け、改めて庵と視線を合わせようとする。星宮にしては真面目で真剣な瞳であるが、やはりあどけなさと可愛さがそれを上回っていた。
「――さっきの前島さんの怒り方もちょっと異常な気がしましたけど、そもそも天馬くんが悪いんですよ」
「――」
「どうして『私のことをどうでもいい』なんて、そんな酷い事言ったんですか......っ」
少し顔を俯かせて、星宮は先ほどの庵の発言の真意を問う。今回の事の発端は何かというと、庵の放った『星宮のことなんてもう、どうでもいい』という発言が決定打だった。あの発言が前島愛利の逆鱗に触れ、怒り狂わせたのだ。
星宮は知りたい。何故、突然庵は『どうでもよくなってしまった』のかを。星宮が最後に見た庵の姿は、まだ人間さを感じられた。だが、今日三日ぶりに会ってみれば、庵はまるで植物のような、感情を失った状態に変貌している。
何故、庵の心は回復ではなく悪化しているのか。星宮は知りたかった。
「――俺、もう疲れたんだよ」
「え?」
どうせこれも無視されるのだろうと半ば諦めかけていた星宮だが、庵は突然口を開いた。とても重々しく、抑揚のない声で口を開いた。
「母さんが死んで、めっちゃ落ち込んでさ」
「そのストレスで星宮を殴って、挙げ句振って」
「そしたら愛利がキレて俺を気絶するまでボコボコにしやがって」
「それで最終的には父さんが俺を置いて勝手に立ち直りやがったんだ」
星宮にとって初めて明かされる、庵のここ三日に起きた全容。それを耳にした瞬間、あまりの凄惨な事実に、星宮は返す言葉を失う。ただ大きく目を見開いて、庵の話に聞き入っていた。
「なんでこんな不幸なことばっか重なるんだろうな。自業自得の部分もあるけど、ここまで最悪な目に合えば絶対神様が俺を弄んでるんだよ。俺、どうしようもない人間だし、遊ばれてるんだよきっと」
「......」
「最初は頑張って立ち直ろうとか思った。でも、昨日気づいたんだよ。もう無理って。何やろうとしても、空回るどころか悪い方に物事が進むんだよ。それがもう、うんざりなんだ」
庵は星宮とは視線を合わせず、遠い目をして虚空を見つめている。活気を何一つ感じない、すべてを投げ出したかのような絶望を身に纏いながら。
「んでもう俺は疲れた。星宮にだけ興味がなくなったわけじゃないよ。何もかも興味ないんだよ」
「......」
そうして庵は隠そうともせずに「はぁ」と大きく溜め息をついた。一度視線を落とし、庵はようやく星宮に視線を合わせる。久しぶりに二人の視線が交差し、星宮はドキリと心臓を跳ねさせた。
「愛利から助けてくれたのは感謝しとく。また気絶させられるのはダルいしな」
「......」
そう言い、庵は星宮に背を向けた。このまま別れの言葉もなく自宅に帰るつもりなのだろう。星宮はその背中に思わず手を伸ばしかけ、直ぐに己にブレーキをかける。
星宮は先ほどの庵の話を聞いて、とてつもない衝撃を受けた。その衝撃は喉を詰まらせて、なかなか言葉が口から出てこなくさせた。だが、今は考えが纏まり口が動く。喉から声が出る。
震える体を抑えて、星宮は一歩前に足を踏み出した。そして力強く、前を向く。
「天馬くんっ!」
「――」
その叫びに対して、庵は何も反応を示さない。だが、それでもいい。今の自分の気持ちさえ、彼の耳にさえ届いてくれれば。
「私っ、天馬くんがそんな辛い思いをしていたなんて、ちっとも知りませんでした! なのに、あんなに酷い言葉をいっぱいかけてごめんなさい! 天馬くんを更に追いつめてしまっていて本当にごめんなさい!」
「――」
「私は、天馬くんが私とは違う、とてもすごい頼りになる男の子って勝手に思ってました。でも、実際は違うんですね。天馬くんは、私と同じなんですねっ」
悪口を言っているわけではない。そしてこの言葉の意味が庵に伝わらなくてもいい。ただ、このはち切れそうな思いを庵に届けたい。それだけなのだ。
そして庵が道の角を曲がり、星宮の視界からその姿を消す。姿が消えても、星宮の思いの昂りは消えない。うっすらと笑みを浮かべながら、口を開く。
「私が、ちょっと成長すれば、天馬くんもきっと元気になりますよ」
口では『ちょっと』と言うが、星宮がこれからやろうとしている事は修羅の道へと進む一歩目であり、ちっとも『ちょっと』という表現では表せないことだ。だが、庵が立ち直るのなら、星宮は修羅の道でも進む。
「私には、天馬くんが必要なんです。私にとってとても大切な人なんです。私、そんな人に嫌われたままじゃ、耐えられませんよ」
店長に庵に依存していると指摘された星宮。だが今なら、その指摘も胸を張って堂々と自慢できる。それだけ、星宮は庵のことが――。
「今度は私が天馬くんを助けますね。前、天馬くんが私をかっこよく助けてくれた、あのときみたいに」
星宮琥珀は暗い夜空の下、静かに決意する。
これから星宮は歩むべきではない修羅の道を歩み始める。
それは、過去に抱えたトラウマを克服するという内容だ。一見、庵を救うことに関連付かなさそうなことであるが、大いに関連していく。
そして星宮にとって問題なのはトラウマを克服することではない。
――トラウマを克服した、その先に地獄が待っている可能性があるのだ。
「今の天馬くんを救えるなら、私はどんな目にあってもへっちゃらです」
この決断が、宝石級美少女のこれからの人生のターニングポイントとなる。良い意味でも、悪い意味でも。
忘れ去られた店長
ということで、ようやく解決の兆しが見えてきました第二章。超スピードで絶望展開が終了した第一章とは大違いですね(自虐)。
ここからあと十話くらいで終わる.....かは微妙なところですが、今回はしっかりとした結末を考えているので期待してもらえると嬉しいです。
あと実は今回の話、めっちゃ重要な回だったりします。物語としてのターニングポイントだったりするかも。
最後にもう一つ、更新空いてすみません´`*