◆第64話◆ 『八方塞がりに心さえも抗えず』
――1月1日、庵は星宮を振った。
正しい事をした筈なのに、何か大きな間違いを犯している気がした。帰宅後、本当にこれが最善の選択だったのか庵は思い悩んだ。しかし、どう考えても星宮と別れる以外、星宮に対して償える方法は思いつかない。
酷い言葉をかけ、暴力を振った。だから別れた。それは庵からしたら、とても自然な流れだ。
『天馬くんにとって、私はそんな軽い存在だったんですか!!! 別れて、はいおしまいとでもする気ですか!?』
星宮の言葉が脳裏に蘇る。星宮が初めて庵に見せた激情。正直、ここまで過剰な反応をされるとは思ってもいなかった。
所詮、庵と星宮は恋愛感情ゼロから始まった偽の関係。だからこの関係が崩れる時は、きっとあっさりしたものだろうと思っていた。
でも実際は違った。星宮は大粒の涙を溢し、とてつもない激情を身に宿しながら庵に食らいついた。星宮が星宮じゃなくなったと思わされるくらい、あのときの星宮は怒っていた。
『っ。もう、いいです』
しかし、最終的には星宮が折れて話は終わった。でも、最後にかけられた言葉が庵の頭から離れなくて――、
『天馬くん、本当に最低ですよ』
こんな言葉、星宮だけには絶対に言われたくなかった。
***
1月2日。
庵の父――恭次が家に帰ってきた。帰ってきたはいいが、恭次の放つ空気は前会ったときのものと未だ変わらない。重苦しい雰囲気のまま、恭次は庵をリビングに呼び出した。
「――母さんの葬式は明日の夜だ。もう、準備は俺と親戚で整えている」
「っ」
抑揚の無い声で、青美の葬式の日程が告げられた。葬式という言葉に庵の心臓は飛び跳ね、一気に呼吸が乱れ出す。青美の冷たい手の感覚を思い出し、唐突な吐き気が庵を襲った。
「......そっか」
返事するだけで精一杯だった。恭次とは目を合わせられず、この空気に耐えられなくなった庵は自室に戻ろうとする。しかし恭次に背を向けた瞬間、呼び止められた。
「見たぞ、着物」
「え?」
恭次の言葉に庵は振り返る。
「――青美さんはお前の彼女......星宮さんだったか。その人のために、着物を買ったんだってな」
「......あぁ」
青美は星宮の着物を買いに行った帰りに事故に遭った、というのが今回の一連の流れだ。どうやらその事を恭次も耳にしたらしい。おそらく庵と話した警察官が恭次に話したのだろう。
「はぁ」
恭次は顔を両手で覆い、小さく溜め息をついた。少しの間が空き、恭次は顔を上げて再び口を開く。
「お前が、その人と付き合ってなければ、青美さんは事故に遭うことはなかったんだな」
とても分かりやすい皮肉だった。恭次が放った言葉は庵の体を震わし、心の奥底から激情が沸き上がりそうになる。でも、その激情は直ぐに鎮火した。
蘇るのは、一昨日の記憶。
『――星宮さえ居なきゃ、母さんは着物を買いに行かなかったし事故りもしなかったし、死にもしなかったんだよ!!!』
庵も今恭次が言ったようなことと同じような事を、星宮に直接言っていた。恭次の言葉に反論したくても、庵は反論できる立場ではない。星宮を傷つけたクズが、星宮を庇う資格などあるはずがない。
「......そう......だな」
一筋の涙が伝った。心さえも抗えず、そのまま庵は自室へと逃げ込んだ。
***
1月3日。
今日は青美の葬式の日だ。憎たらしいくらいに明るい太陽が、窓から部屋を照らしてくる。それがあまりにも眩しいので、直ぐにカーテンで光を閉ざした。
「――」
虚ろな瞳でベッドから立ち上がり、洗面所まで行って顔を洗う。鏡を見てみると、そこには酷い顔をした自分が居た。何かの病気にでもかかったかのような、魂の抜けた表情だ。
「――あぁ?」
タオルで顔を拭いていると、玄関のチャイムが鳴り響いた。誰か来客が訪れたのだろうが、その『誰か』は見当もつかない。まさか、星宮ではないだろう。
「......」
恭次は疲れが溜まっていたのか、未だ自室で眠っている。恭次を起こすわけにも、居留守を使うわけにもいかない。この忙しい状況なので、もし何か大切な用件があって家に来ていたのなら大変だ。
「......あぁ、クソ」
仕方なく、パジャマ姿で庵は玄関まで向かうことにする。寝癖が付いていることなど気にしない。重い足取りのまま、玄関の扉に手を伸ばした。
「はい......って、お前」
扉を開けると、そこには見覚えのある姿があった。長い金髪に、腰にパーカーを巻いた女子高生。まさにギャルと形容できる容姿をしていて――、
「やっほ庵先輩。久しぶり」
「愛利......お前何で俺の家に来たんだよ」
家に来たのは前島愛利。久しぶりに見るその姿に、庵は少し驚いた。勿論であるが住所を教えた覚えは庵にない。
愛利は感情の読めない表情をしていて、どうもいつもの愛利らしくなかった。いつもならもっとテンションが高いイメージなのだが、今日は違う。何か、含みのある表情をしている。
「急に家凸って悪いんだけどさ、ちょっと外まで来てよ。ここじゃ場所が悪いからさ」
「はぁ? 急に来て何言ってんだよ。てか俺まだパジャマだ。悪いが今日は忙しいからまた出直してきてくれ」
「無理。直ぐ終わるから、来て」
「ちょっ、ふざけんなっ。うおっ!?」
拒否をしようとするも、愛利は強引に庵の腕を引っ張り、外に引きずりだした。危うくバランスを崩して転びかけるも、なんとか耐えて二本足で立つ。
「あーごめんごめん。アタシ力加減苦手なんだよねー」
「......ふざけんな」
そしてそのまま庵は愛利に手を引かれ、知らない路地へと連れていかれた。
***
人通りの少ない、知らない路地にて。ここに辿り着いた瞬間、愛利は庵に振り返り、覗きこむようにして視線を合わせてきた。
「――ねー庵先輩」
「あ?」
愛利がぴょんぴょんと跳ねながら距離を詰めてくる。その様子は可愛らしいというより小悪魔的だ。
「庵先輩って......琥珀ちゃんと付き合ってんだよね」
「は? 俺は――」
唐突な愛利の言葉に庵は怪訝な顔をする。反射的に口から言葉が漏れるが、庵は喋りきれない。何故なら、愛利の手がとてつもない速度で庵の首に伸びてきて――、
「ぅぐはッ!?」
首を掴まれた庵は汚い声を漏らし、そのまま地面に叩きつけられる。背中に感じる強い衝撃と、急に首を絞められた事による衝撃で、一瞬にして庵の頭はパニック状態に陥った。
ただ確かなのは、今庵は愛利に首を押さえられているということ。とてつもない早業で、愛利に首を絞められたのだ。
「ぅ。うぐぁっ。やメッ!」
愛利の手を掴んでどかそうとするも、庵の腕力では愛利の腕はびくともしなかった。ぶれる視界の中、愛利の顔が映る。その表情からはもう、先ほどの小悪魔のような雰囲気は消え去っていた。
「庵先輩」
「あぐぐッ。うぎぃッ。ぎぃ!」
愛利の手に込める力が強まる。冷徹な視線が、もがき苦しむ庵を貫いた。
「――アンタ、琥珀ちゃんに何したの」
更新空いてすみません。ちょっとペース上げていきます。なんとか今月中に第二章を完結させますね