◆第61話◆ 『崩壊(1)』
――青美の死から一日経った12月31日、天馬庵はとてつもない喪失感に苛まれていた。
昨日の夜から庵は何も食事を取らず、一睡もできていない。ただ自室にこもり続け、スマホを弄り続けていた。
「......」
スマホで見ているものは、庵が好きな動画投稿者が上げる、所謂『おもしろ動画』というもの。それを自室で最大音量で流し続け、終始真顔のまま見続けていた。いつもなら鼻で笑ってしまうような動画も、今の庵には何も響かない。
それでも庵が動画を見続ける理由。それは、まさしく現実逃避だった。
「......」
青美の死が未だに受け入れられない今、庵はネットの世界に逃げ込もうとした。だがネットの世界は逃げ場として適さないのか、庵の傷つききった心は癒えていくどころか、どす黒く変色し、悪化していく。
もう悲しさから出る涙は出ない。出てくるのは、庵の傷ついた心から溢れでるどす黒い感情のみだ。
「......はぁ」
スマホをその場に放り捨て、庵は何となく任○堂ス○ッチを取り出し起動した。レースゲームを始め、コントローラーをカチカチと音をさせながらプレイする。しかし手が冷えているからか、うまく操作ができなかった。
「......」
直ぐに飽きた庵は、プレイ途中でゲームの電源を落とし、スマホと同じようにその場に放り投げる。そしてベッドに仰向けになるよう倒れた。電気の付いていない薄暗い天井を目を細めて見上げる。
「......なんか俺悪いことしたかよ」
天井に手を伸ばし、張りの無い声で己に問いかける。恨めしそうに問いかけた。
「なんで俺がこんな酷い目合うんだよ」
突然大切なものを理不尽に奪われ、一生取り戻せないものに変えられた。青美と庵が最後にした会話は「おやすみ」という就寝の挨拶だ。たった四文字の会話だけなのだ。
「なんで」
今なら青美と話したいことは沢山ある。でも、もうどうしようとも青美とは話すことができない。後悔してからでは遅いのだ。
「......っ!? おぇっ」
青美との思い出を思い出していたら、突然の吐き気に襲われた。トイレまで間に合うわけがなく、そのままベッドに胃酸を溢し、何度もえづく。久しぶりの感覚に多少は動揺するも、直ぐに口と胸に手を当て、一気に上がった心拍数に落ち着きを促した。
「はぁ......はぁ......」
指のすき間から黄色い胃酸が滴ってくる。それを庵は服の袖で乱暴に拭い、ベッドに吐いたものもティッシュで乱暴に片付けた。
そして、虚ろな瞳をしたままその場に立ち上がる。
「――母さんのことはもう思い出しちゃダメだ。落ち着け、俺」
***
「......さて、頑張れ私」
己に気合いを入れながら外を歩く宝石級美少女、星宮琥珀。コンビニの店長から庵がまだバイトに来ていないということを知らされた星宮は、もういてもたってもいられなくなり、天馬家に突撃して庵に会いに行くことを決意したのだ。
だが、少し不安であることは勿論だ。昨日庵には冷たい言葉をかけられたばかりなのだ。
「しばらく関わるなって言われましたけど、ちょっとくらいなら大丈夫ですよね......天馬くんのことですから」
星宮は庵からある程度の信頼を得ていると信じていた。きっと顔を合わせれば、少しは庵を笑顔にさせられる自信も星宮は持っている。問題は、庵に何があったかだ。
「......私が天馬くんが怒ってる理由ってわけじゃないと思いますけど......ね」
最後に星宮が庵と会ったのは、一昨日天馬家の家族と初詣に行く約束をした日だ。その日は色々なハプニングが庵とあったが、別に庵が怒るような事は星宮は何もしていない。別れ際も、庵は「また来年」と返してくれた。
だからきっと、庵が自分に対して怒っているわけではないと星宮は信じている。
「......考え事をしている間に着いちゃいましたか」
気づけば天馬家はもう星宮の目の前にあった。天馬家の敷地には車は一台も無く、家族は外出中かと星宮は察する。己に再び気合いを入れて、天馬家の敷地に足を踏み入れた。
「......って、あれ.....扉開いてる」
敷地に入って直ぐ、星宮は家の扉が少し開いていることに気がづいた。戸締りの無用心さに首を傾げて、開いた隙間から玄関を覗く。まず家のチャイムを鳴らせばよかったが、少々気持ちが先走っていた。
「天馬くんの靴......」
玄関には庵の靴だけが乱雑に置かれていた。雑な置き方をしている庵に星宮は苦笑いをするが、直ぐ気持ちを切り替えて家のチャイムを押した。もう何度も押してきた天馬家のチャイム。いつも通りの軽快な音が、天馬家全体に響き渡る。
「......」
しかし、玄関には誰も現れる気配は無い。だが靴はあるので庵が家に居るのは確か。もしかしたら寝ているのかもと思い、星宮は少しだけ勇気を振り絞る。
「天馬くん居ますか? 私です。天馬くん、今日バイト来ていないから店長さんが心配していましたよ」
控えめではあるが、玄関から顔だけ出して庵に話しかける。だが、数秒経っても答えは何も返ってこない。本当に誰も居ないのでは、と思ってしまうくらいに静かだった。
「あの、返事しないなら、私天馬くんの部屋に行っちゃいますよ。天馬くんが部屋で何をしてようと無断で入りますからね。それが嫌なら顔だけでも見せてほしいです」
やはり返事は無い。ここまでくると、さすがの星宮も異常事態だと気づきだす。胸の中で警鐘が大きく鳴り響き、一気に胸の中の不安が増大した。
「天馬くん......っ。入りますからね」
溢れでる不安の感情に押され、勇気を振り絞りながら玄関の扉を開く。そして靴を脱ぎ、真っ直ぐに二階に続く階段へ足を運ぶ。そうすれば庵の自室はもう目の前だ。
「天馬くん? 居ますか?」
暗い踊り場から、星宮は最後の望みを胸に抱えて話しかける。しかし星宮の言葉に返ってくるのは空しい静寂。星宮は胸に手を当て、息を飲んだ。
「......それじゃあ、開けますよ」
そうして、星宮は庵の自室の扉を開いた。視界が一気に広がる。
「――天馬、くん」
天馬庵はしっかりと自室に居た。外行きのパーカーとジーンズを着て、自身のベットにぽつりと座っている。誰が見ても分かるくらい、重苦しい雰囲気を纏いながら。
星宮が自室の扉を開けてしまったのに、庵は顔を合わそうともしない。自分の世界に浸っているのか、ずっと虚空を見つめていた。
「あの、えーと......そんな暗い顔してど、どうしたんですか? 天馬くん」
「――」
「返事をしてください。あんまり無視を続けると私怒りますよ?」
星宮の声は震えていた。庵が今どういう状態なのか分からず、どう声をかければいいかも分からない。反応をもらえなかった星宮は、更に勇気を振り絞って庵の元まで近づこうとするが――、
「......しばらく俺に関わるなって言ったよな、星宮。なんで来ちゃうんだよ」
「えっ?」
突然庵に話しかけられ、星宮は足を止める。星宮のマリンブルー色の瞳に映る天馬庵は、今までに見たことない顔をしていた。暗い顔、暗い瞳、なんて言葉だけではそれは形容しきれない。まるで人生の全てに嫌気が差したと言わんばかりの絶望ぶりだった。
「今は俺、一人になりたいんだよ。だから帰ってくれ」
抑揚の無い声で庵はそう言う。しかし、その言葉の中には少々の苛立ちが孕まれていた。