◆第5話◆ 『宝石級美少女はとてもうぶなようです』
天馬家のインターホンがピンポンと軽快な音を立てた。
当たり前の話ではあるが、その音は天馬家に誰かしらの来訪者が訪れたことを意味する。庵は身だしなみを整えてから緊張した面持ちで玄関へと足を運んで、扉越しに見えたシルエットにドキリと心臓を跳ねさせた。
がちゃりと扉を開いてみれば、予想通り、見覚えのある雪色のセミロングヘアとくりっとしたマリンブルー色の瞳を持つ宝石級美少女がそこにいた。
「こんにちは天馬くん」
「あ、ああ。こんにちは」
「今日は無茶なお願いを言ってしまってごめんなさい」
「いやいや、今日は予定も無くて暇だったから全然大丈夫」
庵からしたら全く無茶なお願いではない。交際という要求をした庵の方が断然無茶である。
会って早々ぺこりと謝ってくる星宮に庵は非常に居たたまれない気持ちになってしまい、ぽりぽりと頭を掻いてその気持ちを誤魔化した。
心の準備はしておいたはずなのに、実際に会うとどうしても落ち着けない。
「あー、とりあえず俺の部屋に入るか?」
「はい。そうしましょうか」
会話が続きそうになかったので、庵は星宮に背を向けて部屋に来るように促す。ちょこちょこと後ろをついてくる星宮の足音が天馬家に響いた。
階段を上り、右に曲がってすぐの部屋の扉を開ける。ここが庵の自室だ。
「まあ遠慮なくどこでも座ってくれ」
「分かりました」
男の部屋に宝石級美少女を連れ込むという行為にはどこか背徳感を感じるが、いちいち変な気を遣っていても疲れるだけなので、溜め息をこっそりと吐いて余計な考えは頭から消そうとする。
二人きりとなった庵の自室で、二人は昨日と同じく小さなテーブルを挟んで向き合った。
「......制服のままなんだな」
「あぁ。家に帰らずそのまま天馬くんの家に行ったので。ダメでしたか?」
「あ、いや全然ダメじゃないぞ。少し気になっただけ」
「ならよかったです」
昨日もだったが星宮は制服姿でこの庵の家に訪れていた。その事に対する不満は別に何もないのだが、一つだけ不安に思うことがある。
「親に出かけるって伝えたか?」
「それなら、さっきお母さんに友達の家に遊びに行くと連絡をしておきました。......さすがに彼氏とは言えなかったです。ごめんなさい」
「な。いやいやいやいやいやっ! そんなことわざわざ言う必要ないから謝らないでくれ」
「あっ。そ、そうですか」
頬をほんのりと色付かせて謝りだした星宮に庵は全力でフォローをした。
星宮から出た『彼氏』という発言は十中八九庵のことを指すのだろうが、未だにそのことに実感が湧かない庵は星宮の発言一つ一つにテンパってしまう。落ち着きのない男はダサいと言われるが、さすがに宝石級美少女相手には勘弁してもらいたいところだ。
「......はい。それで今日天馬くんの家に来た理由なんですけど......天馬くんに話しておきたいことがあったので来させてもらいました」
「お、俺に話したいこと?」
「そうです」
雰囲気を切り替えて話題を切り出してきた星宮。
やはりというか、当たり前のことであるが庵の家にはしっかりと用件があって来たようだ。何の予定も無しにお家デートとかいう汚い妄想を膨らませていた自分を殴りたいと庵は思う。
ところが、話題を切り出した星宮の様子はどこかおかしく、スカートをぎゅっと掴んでもじもじしていた。
「あの......恥ずかしながら、私は交際経験が一度も無いんです」
「うぐふっ!」
「ど、どうしたんですか、天馬くん」
軽々しくなかなかの爆弾発言を投下してくれるので、何の警戒もできていなかった庵は突然の不意打ちに昇天してしまいそうになる。だが星宮の目の前で昇天している場合ではないので、若干顔を引きつらせながらも冷静を保つことを意識した。
「い、いや、なんでもないよ。ただ星宮みたいな人気者が交際経験ゼロってのはちょっと意外だなーって思っただけ」
「そう......ですね。今まで何度かお付き合いの申し出はあったんですけど全て断ってきたので......。だから天馬くんとのお付き合いが私の初めてなんです」
「そ、そーなんだー。初めてなんだー」
「はい......そうです」
星宮から出た『初めて』という単語が何度も庵の脳内で再生される。別にやらしい意味は一切含まれていないのだが、庵の中で勝手な解釈がされてしまい顔を赤くしてしまった。
宝石級美少女は単語一つでここまで人間を苦しめることができるようだ。
「つまり何が言いたいかというと、私は交際経験がないので彼女として天馬くんに何をしてあげればいいか分かりません。だからその......天馬くんは私にどういうことを望むのかを聞きたいんです」
「俺が、星宮に望むこと?」
「はい。遠慮なく言ってください」
星宮は庵が彼氏として何を望むのかを聞きたいようだが、それは庵にとって難しい質問だった。何故かといえば庵も交際経験ゼロであるからだ。
交際経験ゼロであることを恥じらっている様子の星宮だが、同じく庵も交際経験ゼロなのでお互い様である。お互い様なのは良いとして、ここでなんと星宮に答えを返すか庵は頭を悩ました。ここで星宮の質問を適当に流すなんて愚行は流石にできるわけがない。
悩んだ末、さっきからずっと顔を赤らめている星宮に庵は質問を質問で返すことにした。
「星宮に望むことって言われてもパッとは思いつかないからさ、逆に星宮は俺にされて嫌なことはあるか?」
この質問をした理由は、迂闊な発言をして星宮を困らせないようにするためだ。先に星宮がされて嫌なことを知っておけば、その話を元に庵が星宮に望むことが見つかるかもしれない。
それを狙っての質問返しだったのだが、星宮は更に頬を赤らめて視線を下に向けた。
「じゃあ......一つだけ、言っていいですか?」
「ああ。遠慮なく言ってくれ」
「っ。あの......その......」
何か言いにくいことなのか、星宮はマリンブルー色の瞳を少し潤ませながらもじもじとする。その仕草があまりにも愛らしいので庵はついごくりと喉を鳴らしてしまった。
見惚れていたという理由もあるが、庵は急かすことなく星宮が喋るのを静かに待つ。そして星宮は長い葛藤の末、ようやく浮かんでいた言葉を口にした。
「え、エッチなことは、ちょっと無理......です」
顔真っ赤のまま口にした星宮の言葉は庵の予想を遥か斜めに裏切った発言だった。その発言を聞いた庵は目を見開いて叫ぶ。
「いやそんなことするわけないだろ!!」
どんなバカップルでも交際してすぐにはそのような淫らな行為には至らない、と思う。それに相手は宝石級美少女の星宮琥珀だ。そんな行為を何の責任も取れない庵が要求できるはずがないだろう。
こちらのことを狼かなんかと勘違いしているのかと庵は思ってしまうが、星宮に冗談だったとはいえども交際を要求した身なのだから狼と思われても否定はできないのかもしれない。
心配そうにこちらの様子を伺う星宮に庵は深い溜め息をついた。星宮琥珀という美少女は、どうやらとてもうぶなようだ。
やっぱり本編にはまだまだ到達してない説