◆第25話◆ 『宝石級美少女の心は闇に包まれる』
庵は北条と会話をしている場合ではない。星宮と朝比奈を見つけなければならない。
「それで北条、星宮は朝比奈とどこに行った?」
「あぁ......っとねぇ」
顎に手を当て考える姿勢を取り、靴をかつかつと鳴らす。庵にとって焦れったい数秒間が流れていく。一刻を争う事態なので、この数秒間には心を大きく揺さぶられた。
「――確か、一階に降りていったように見えた気がする。曖昧な答えでごめんな」
「一階、か。分かった。ありがとう」
一階。それだけの情報だけでも、大きく当ては絞れるので北条には本当に感謝だ。庵は雑に礼を述べて、体を180度回転させる。
「じゃ、さよなら北条」
廊下を走りながら、後ろに居る北条に手を振る。とりあえず庵は一階に向かわなければならない。階段の手すりに手を伸ばして一段飛ばしで段差を降りていった。
「......」
庵が視界から消えたあと、北条は意味深な目で庵が降りていった階段を見つめる。天気が天気なので、階段の踊り場は薄暗い。薄暗い階段の先に、目を細め――、
「......気にする必要ないか」
視線は直ぐに外す。ポツリと呟いて、北条は真っ直ぐに階段を上っていった。足音を潜めて、ゆっくりと。
***
時は戻り、雨が降る屋上にて。星宮は未だに雨に打たれ続けていた。
「......」
雪色の髪の毛はずぶ濡れになり、前髪がマリンブルー色の瞳を隠す。制服も下着もびしょびしょで、普通の状態であればとてつもない不快感を覚えるはずだ。
でも今は何も感じない。風邪を引いてしまう、なんて心配もしない。
このまま消えてしまいたい、そんなことを思い始めていた。朝比奈たちから受けたいじめは、星宮のつぎはぎだらけの心を壊すには十分だった。心を壊された今、星宮の心はどす黒い闇に包まれている。
「......私は、何もしてない」
掠れた声で呟くも、その声は荒れ狂う雨音に掻き消される。星宮は今、怒っても悲しんでもない。ぽっかりと心に穴が開いてしまったかのように、虚無だけを感じていた。
そして激しく聞こえる雨音の中、新しい音が星宮の耳に届く。
「――星宮さん!!」
あまり聞き馴染みのない声だった。雨を踏みしめる音が響いて、何者かが星宮の元に近づいてくる。星宮はゆっくりと視線だけ動かして、音の方向に目を向けた。
「こんなところで何してるの!? 大丈夫、星宮さん?」
「......」
制服姿の北条だった。誰かが分かったので、星宮は興味を失った目で北条から視線を逸らす。北条の存在が憎いというわけではない。ただ、今は一人になりたかったのだ。
何も答えようとしない星宮を見て、北条は眉を寄せて困った表情をする。
「とりあえずこれを着て星宮さん。風邪引いてしまうからさ」
北条は自身が着ていた学ランを脱いで、それを無抵抗を星宮に被せる。学ランは北条の熱で温まっていて、星宮の冷えきった体を温めるには最適だった。しかし――、
「......っ」
星宮は無言で北条が着せてきた学ランを払いのける。北条の熱のこもっていた学ランは水溜まりに落ち、しばらくは使い物にならなくなってしまった。
いつもの星宮なら慌てて謝罪をするところだが、今の星宮にそんな感情は一切ない。ただ、一人にしてほしかった。誰かの温もりなんて味わいたくなかった。このまま、体も心も冷やしきってしまいたかった。
北条は水溜まりに落ちた学ランを拾い、変わらぬ心配の視線で星宮を見る。
「星宮さん、一体何があったの? 俺でよければ話聞くから教えてほしい」
「......」
「いや、それよりもここから出る方が優先だな......」
同じく雨によってずぶ濡れになった北条は思案げに顎に手を当てる。星宮の今の様子からして、自ら屋上から立ち去るビジョンが見えない。つまり星宮を屋上から連れ出すには、多少強引な手を使わなければならないようだ。
「ちょっとごめん、星宮さん」
北条は一度断りを入れて、星宮の首と素足に手を伸ばす。大きく、がっしりと鍛えられた腕が星宮を支える。雨のせいでつるつると滑ってしまうが、北条は何の躊躇もなく星宮をお姫様抱っこしてみせた。星宮が少し驚いて、目を見張る。
「ゃ、やめて、くださいっ」
「ごめんな。でも、こんな場所で星宮さんが苦しそうにしてるのは見てられないんだ。とりあえず、保健室に行こう」
「ゃ......」
星宮の非力な腕では、北条の鍛えられた腕の拘束から逃れることはできない。抵抗空しく、星宮は北条にされるがまま屋上から連れ去られていった。
***
一階、保健室にて。保健室は無人で、今は星宮と北条の二人しか居ない。
「あぁっと、それで星宮さん。屋上で何があったの? 顔が赤く腫れてるけど」
丸椅子に座って、びしょ濡れの制服の上に大きなタオルを被せられた星宮。北条はその星宮の隣の椅子に座り、緊張が解けるような優しい声音で話しかけていた。
対する星宮は、視線を合わせようとしてくる北条に一切の無反応。感情の無い瞳で床を一点に見つめている。
「......もしかして、朝比奈さんに何かされた?」
「......」
北条が質問をするが、やはり星宮は何も答えない。保健室の壁に設置された時計の音がやけに大きく聞こえる。長い沈黙が二人を包み込んだ。
「星宮さん、教えてほしい。一体、屋上で何があったの? 俺は星宮さんのことがすごい心配なんだ。胸が張り裂けそうなぐらいに」
それを聞いた星宮は少しだけ視線を北条の方に向けた。虚ろな視線で、桜色の唇が動く。
「何も、ありません。私のことは気にしなくて大丈夫です」
そうして直ぐに視線は下に戻された。星宮が放った言葉は北条の質問を突っぱねるもの。その言葉を聞いて、北条が更に眉を寄せた。悔しそうな表情を浮かべ、星宮の手を無断で握り出す。
「そんな暗い顔をして、何もないはずがないだろっ。俺は星宮さんを支えたい。力になりたい。ただ、それだけなんだよ」
「......」
「俺は君に告白をしたとき、心に誓ってたんだよ。君を絶対に守るって。だから俺を信じて教えてほしいんだ。何があったのかを」
北条から決意の言葉が放たれる。こんな言葉を他の女子が聞いたら失神してしまうほどの破壊力だが、星宮は北条の言葉に何も感じていない。握られた手はそのままに、視線を下に向き続ける。
何も進展のない会話が数分続いたとき、保健室の扉ががらりと開いた。
「――星宮!!」
『何もない』一階を探し終えた庵は、保健室に辿り着いたのだ。
あと二話か三話で第一章終わる予定。どういう結末になるか予想できる人いるのかな