◆第23話◆ 『私は何もしてない』
暴力的な描写を含みます。苦手な方はご注意ください
時は放課後。
『――少し、考えさせてください』
それが星宮の北条の公開告白に対する答えだった。北条も笑顔で納得して、無理に答えを急かそうとはせず、その場での二人の騒ぎは一時収まった。
答えを先伸ばしにした星宮であるが、星宮は北条の告白をオッケーするつもりは一切無い。教室の場で答えを先伸ばしにした理由は、とてもじゃないが断れる雰囲気じゃなかったからだ。それを狙って北条は公開告白をしたのかもしれないが、星宮からしたら本当にいい迷惑だった。
(きっと......大丈夫)
星宮は中学の頃、何度も告白を受けてきた。告白をしてくる相手は決まってクラスでの立ち位置が高い『陽キャ』の部類。星宮の優れた容姿だけを見て交際を要求する、卑しい男子ばかりだった。無論、全て丁寧に断っている。
何度も告白を受ける星宮。容姿が誰よりも優れる星宮。そんな星宮を羨ましく思う人もいれば、妬む人もいた。いや、妬む人がほとんどだった。
(......大丈夫)
過去。中学三年の秋、そんな星宮はいじめを受け始めた。周囲の女子たちの妬みから始まったものだ。最初は無視をされたり、わざと机の物を落とされたりと些細なことから始まった。だが、そのいじめは段々とエスカレートしていく。
アッシュの同調実験というものを知っているだろうか。簡単に説明すると、問題に対する正解不正解が自身の中で明らかな場合でも、周囲の人が不正解を選択をすれば、それに同調して自身も不正解を選んでしまうという人間の傾向を確かめた実験である。
星宮の友達はいつか、いじめる側に消えていた。前に告白してきた男子も、いじめる側に消えていた。クラスメイトが明らかに間違った方向に傾きだしていたのだ。その時にはもう誰も星宮を恨んでなんかいない。星宮はクラスメイトの『おもちゃ』と認識されだした。
そこからは地獄の中学生活だったのは言うまでもないだろう。
(変なこと思いだしちゃダメ......もう、これ以上悪いことは起きない)
自分を奮い立たせて余計な考えを捨てる。机の横にかかった鞄を持って、席から立ち上がった。
みんなはもう高校生だ。あのときの生徒はもう居ない。いじめなんて幼稚なことはしない。きっと大丈夫。そう信じて。
「......え」
教室を出たら、クラスメイトである女子四人に囲まれた。四人の圧に星宮は一歩後ずさる。
「ちょっと星宮さん、私たちについてきてよ」
「朝比奈、さん」
目元を赤くした朝比奈が落ち着いた声でそう言う。だがその声音は有無を言わさぬ、氷のように凍てついた声だった。
「あんたに聞きたいことがあるの。色々とね」
「......っ」
朝比奈の顔が、以前星宮をいじめた女子の顔と重なる。怖いくらいに重なった。星宮の断ち切られたはずの過去、それはまた同じ形で始まろうとしていたのだ。
***
――冷たい風が吹く、学校の屋上にて。
「早く教えてよ星宮さん。どうやって北条くんの心掴んだの?」
「私は何もしてない、です」
「しょうもない嘘つかないでよ。何もしてないわけないじゃない」
今にも雨が降りだしそうな曇り空の下、星宮は朝比奈たちに詰問を受けていた。星宮の震える声と、朝比奈の冷めた声が交互に響く。
詰問の内容であるが、朝比奈は『星宮が北条に何か小細工をして告白させた』という風に思い込んでいるため、それを問い質そうと朝比奈は星宮を問い詰めている。
「っ。私、は」
無論であるが、星宮は北条に何もしていない。何もしていないのに北条がいきなり星宮に告白をしてきた。それが真実だ。
だから星宮はどれだけ朝比奈に迫られても朝比奈の満足のいく答えを言うことはできない。最初から星宮は何もしていないのだから。
「私は、何もしてません」
再び星宮が否定すると、朝比奈の顔色が変わった。舌打ちの音が響く。
「――ああっ。キモいんだよ、アンタはさっ!」
「えっ」
朝比奈の抑え込んでいた感情が爆発する。星宮の胸ぐらを掴み、朝比奈の顔が星宮に迫った。息がかかるくらいの距離で、朝比奈の声が星宮を震わせる。
「何もしてないわけないんだよ! 何もしてなかったらアンタみたいな影薄い女を北条くんが好きになるなんて絶対にあり得ない! 嘘つき続けるのもいい加減にしなよ、このクソ女!」
「だ、だから私は何もしてないって。本当にしてないんです」
「だから嘘つくなって言ってるでしょ!? あんた、私が北条くんのこと好きって知ってて、影でこそこそ北条くんに色目使ってた、そうなんでしょ? 認めなさいよ!」
「そんなわけないですっ。私は本当に何もしてなくて」
「ウザいウザいウザいっ! じゃあ何? あんたは北条くんが勝手にアンタに惚れたと思ってるわけなの?」
「......」
多分、そうだ。星宮は北条に何もしていないのだから、北条が勝手に星宮に惚れてしまったに違いない。信じたくなくてもそれが真実なのだ。
星宮は朝比奈の質問に答えられず、目を逸らす。心の中で答えは出ていても、それを口に出すわけにはいかない。しかし何も星宮が答えなかったことで、余計朝比奈の怒りに油が注がれることになってしまった。
「っ。思い上がんなッ!」
「きゃっ!」
朝比奈の一切の手加減がない拳が星宮の頬を弾く。朝比奈に胸ぐらを掴まれているため倒れはしなかったが、殴られた部分は赤く染まり、じわじわと痛みが広がりだす。
急に放たれた暴力。その理不尽な暴力は、星宮の心を大きく揺さぶった。
「いやっ。いやぁっ」
殴られて痛かった。でもそれ以上に恐怖が勝った。
星宮の脳裏に中学時代の光景がフラッシュバックする。何も悪いことはしていないのに、殴られ、蹴られ、怒鳴られ、全てが散々だったあの光景が。
一年前の光景が、再び今ここで繰り返されている。理不尽すぎる光景が、また。
「......へぇ。あんたって泣いたりするんだ。いつも真顔だからさ、ちょっと驚いた」
「やめて、ください。ごめんなさい」
「あはっ。なんかスッキリする、その顔」
星宮の頬に一筋の涙が伝う。涙は拭えずに地面へと音を立てずに落ちていく。
そんな星宮に朝比奈は一切の憐れみの心を持たない。やめてと星宮が乞うと、朝比奈の気持ちは余計に昂った。憎い相手を蹴落とした支配感に朝比奈は興奮を覚える。
「んでさ、早く教えてよ。どうやって北条くんの心掴んだの?」
知らない。知るわけがない。その答えが覆るはずがない。
「そんなの、知らないって、言ってます」
「っ。いい加減意地張るのやめない? ねぇ、星宮さんっ!」
再び朝比奈の拳が星宮を狙う。星宮は瞬時の判断でその拳を避けてしまった。拳を回避した星宮に対し、朝比奈は舌打ちをする。
「何避けてんだよッ!!」
怒り狂った朝比奈は足を大きく振り上げ、豪快な回し蹴りを放つ。綺麗な弧を描いて放たれた回し蹴りは星宮の横腹に直撃した。
「ぅあっ」
星宮は呻き声を上げ、耐え難い痛みにその場に崩れる。蹴られた部分を手で押さえて、後からやってくる痛みに歯を食い縛った。長らく感じてこなかった激痛に、星宮の思考は真っ白になる。
「美結、遠慮せずもっとやりなよ。見てて面白いわ」
「美結だいたーん」
「でもあんま目立つとこに傷付けちゃわないようにねぇ」
一年前に嫌というほど屈辱を味わったが、今味わっている屈辱は昔と一切変わらないものだ。同じ不快感。同じ恐怖感。
一年前と、笑ってしまうくらいに同じだった。
「......は」
乾いた声が漏れた。涙を流しながら、少しだけ口角が上がる。自嘲するかのように笑った。
(私、またいじめられるんだ)
なんで私いじめられてるんだろう? 私、何か悪いことした?
高校生活は絶対に平穏に過ごしきろうと思っていたのに。だからクラスメイトを刺激しないように友達は作らなかったのに。自分をつまらない女と思わせて、誰も近寄ってこないようにしたのに。
全ては自分の身を守るため。いじめられたくないから、星宮琥珀はクラスメイトと距離を取った。
でもまたいじめられてるよ、私。
「何このキーホルダー。かわいこぶってんの?」
星宮の鞄に付いていたクマのキーホルダー。それは、情けない音を立てて朝比奈の靴に踏み潰された。朝比奈はそのまま鞄を蹴り飛ばす。
「......ん、雨降ってきたし。ダル」
ポツポツと降りだしてきた雨。もともと曇り空だったので雨が降るのは時間の問題だった。朝比奈は降りだした雨に舌打ちをして、ずっと傍観をしていた仲間の女子三人に視線を向ける。
「今日はもういい。帰ろ、みんな」
「えぇ。もっと見たかったけどなぁ」
「明日また呼び出せばいいでしょ」
けらけらと笑い合う声が聞こえて、朝比奈たちの声が遠ざかっていく。地面に踞っているせいで見えてはいないが、どうやら四人は帰っていったようだった。星宮は一人、雨が降る屋上に取り残される。
「......」
そろそろ腹部の痛みも引いてきた。でも、立ち上がる気にはなれなかった。
「......なんで、なんでっ」
この世界に神様が存在するのならその存在を呪いたい。自分が一体何をした。何でこんな目に合わなければならない。なんで、なんで。
「私は、何もしてない」
雨の勢いが強くなる。星宮は感情を失った目で、絶望した。