◆第21話◆ 『宝石級美少女の歯車は狂い出す』
カチカチ、カチカチ音を立てる運命の歯車。歯車同士は噛み合い、滑らかに、同じリズムを保って回転を続ける。
星宮琥珀も、天馬庵も、黒羽暁も、全員が運命の歯車を持っている。完璧ではない歯車を。
時に錆び付き、時に何かに引っ掛かり、時に動きが停止したり。いつだって歯車は狂う時がある。
歯車が狂い出すタイミング。それはいつだって突然だ。そう、突然に、狂い出す。
***
昼休みの時間、庵と暁は学校の屋上にて昼御飯を食べていた。たまに威力を強める風が暁のセンター分けを揺らす。どうやらこの男は風に吹かれるだけでも絵になるらしい。
フェンスにもたれかかりながら二人は箸を進める。硬いコンクリートの上に座っているので尻が痛い。
「わざわざ屋上で食べる必要あるか?」
「別にないけど、たまにはこういう所で食べるのも新鮮だろ。解放感があって僕は好きだな、屋上」
「まあ気持ちは分からんこともない」
庵と暁しか居ない二人だけの屋上。不満は多少あるとはいえ、そこは教室とは違う良さで溢れかえっていた。
いつも庵は、グループを作って騒ぎながら昼御飯を食べるクラスメイトたちに心の中で文句をつける。しかし屋上は違う。静かで、涼しくて、少し肌寒くて。暁の言うようにとても新鮮で良い気分だった。
「あ、そういえば庵。今度の土曜日お前の家遊びに行っていいか? 久しぶりに遊びたいんだよな」
ふと暁が聞いてきた。深く考えることなく庵は返事をしようとする。
「別にいいぞ。久々にゲームでも......」
そして言葉が詰まった。その理由は、突然頭の中に思い浮かんできた宝石級美少女の姿にある。妄想の中でにこやかに微笑まれた。
天馬庵と星宮琥珀の交際ルールその二、デートは水曜日と土曜日の二回。
土曜日には星宮という先約の存在がいた。暁には申し訳ないが同じ日に二人分の約束をするわけにはいかない。不思議そうにこちらを見る暁に対し、庵は頬をポリポリと掻きながら言う。
「いや、やっぱ無理だ。すまん暁。土曜日は用事がある」
「庵が土曜日に用事? 何の用事があるんだ?」
暁が驚く。庵は基本的に休日は完全フリーの男なので驚くのも無理はないが。
「あぁっと、散髪......じゃなくて」
適当に散髪と言いかけて踏みとどまる。実際にはそんな予定はないので、休み明けに髪を見られれば嘘をついていたことが露呈してしまう。頭をフル回転させて別の言い訳を考えた。
「歯医者だ、歯医者。歯の検診に行ってくるんだ」
「へぇ......なんか怪しいな。本当の話?」
「勿論」
嘘だ。
清々しい顔で嘘をついたのは悪いが、友達とはいえ流石に暁にも星宮の存在を口外することはできない。天馬庵と星宮琥珀の交際ルールその三があるのだから。
暁は「ふーん、ならいいや」と言ってあまり納得してなさそうな様子であったが、これ以上この会話を続けようとはしなかった。
「......なんか嫌な雲色してるな。雨降ってきそう」
暁がそう言うので庵は空を見上げる。辺り一面灰色の雲で覆われた空。まだ雨は降ってきそうではないが、もうじき降ってくるだろう。冷えた風が二人の間を過ぎ去っていく。
曇り空くらい別に不思議なことでもなんでもない。よくあることだ。
それなのに、この空色が何か危険を報せているように思えた。それは直感的に感じてしまう何か。庵の胸の中がもやもやとしたものに包まれていく。
「あっ」
ボーッとしていれば箸で掴んでいたコロッケを落としてしまった。衣を飛び散らしながらころころと屋上を転がっていく。
「ははっ。何してんだよ庵」
「悪い。ちょっと考え事してた」
落ちたコロッケを回収して弁当箱の端の方に戻しておく。メインのおかずが一つ無くなってしまったのは残念だが、今は落ち込む気になれなかった。
この胸のもやもやが――不吉な予感が、庵の中で警鐘を鳴らしていた。
***
昼休憩、星宮のクラスにて。
周りのクラスメイトたちはグループを作って机を合わせたり、場所を移動したりなどして賑やかに昼食を取っていた。その光景を横目に星宮は自身のカバンを開く。
星宮はいつも通り、一人教室の隅で昼御飯を取ろうとしていた。カバンの中からコンビニで買った弁当を取りだし、蓋を開く。すっかり冷えてしまっているが星宮的には問題はない。
(......いただきます)
心の中で合掌をして割り箸を割った。箸を持って、どれから手をつけようかと悩む。コロッケからいくか、おひたしからいくか、はたまた白米からいくか。数秒悩んだ末、星宮はおひたしを選んだ。箸でおひたしを一口分掴む。
そうして、いつも通りに星宮が弁当を食べようとする最中だった。一つの足音が星宮に近づいてくる。かつかつと足音を立てながら真っ直ぐに。その足音は迷うことなく星宮の席の前で止まった。
「――あの、星宮さん。急にごめん」
「え?」
星宮に声を掛けたのは星宮と同じクラスの男子。この男子の名は北条康弘だ。彼の特徴を簡単に説明するとすれば、成績優秀、運動神経抜群、超イケメンの三拍子といったところだろうか。ざっくりと言ってしまえば暁ととても似たポジションの男である。
北条は緊張した面持ちで星宮の前に立っていた。若干顔がひきつって、頬も赤くなっている。いきなりそんな男子が目の前に現れれば星宮も困惑するしかなかった。
「えっと......何の用ですか?」
おひたしを掴んだまま、星宮が恐る恐る北条に聞く。星宮と北条の接点は全くといってもいいほど無いので、星宮もどういう態度で会話をすればいいか頭を悩ませた。
北条の方は呼吸をゆっくりと整え、恐れずに星宮と視線を合わせる。真剣な眼差しが星宮のマリンブルー色の瞳を貫いた。
「俺、星宮さんに言いたいことがあるんです。聞いてくれますか?」
「え、えっと」
北条がそう言った瞬間、騒がしかった教室が一瞬で静まりかえった。クラス中の注目が星宮の席に集まる。この北条の前置きで、クラスメイトも星宮もある程度のことを察してしまったのだろう。
そう、告白だ。こんな緊張した面持ちで、こんな丁寧な前置きで、男が女に言うことなんて一つしかない。
しかし、これはただの告白ではすまされない。今、この場にはほぼ全員のクラスメイトが揃っている。この場での告白は所謂『公開告白』と言えるだろう。
星宮の喉が乾く。恐怖が胸の中から溢れてくる。警鐘が鳴り止まない。今、目の前にいる男に喋らせてはいけないと心が訴えていた。
「おっ。康弘ー。あいつやる気かよ」
「え。北条マジ?」
「絶対あいつ星宮さんに告る気だよ」
「うわっ。あいつ抜け駆けする気か」
「星宮さん美人だもんなぁ」
周囲の男子のこそこそ声が星宮、北条に届く。様々な視線が星宮に突き刺さった。早まる心臓に手を当て、落ち着かせる。冷静を言い聞かせて頭を回転させた。
でも、どうすればいいか分からない。逃げ出そうにも逃げれる雰囲気じゃなかった。
「......あの、そのっ。えっと」
分からない。本当に分からない。星宮の脳裏に『過去』がフラッシュバックする。忌まわしき過去が。忘れてしまおうと何度も努力した過去が。
呼吸が荒くなって、自分が今どういう状況に陥っているのかさえ分からなくなっていく。そんな星宮に北条が気づくこともなく、彼はゆっくりと口を開いた。
「――星宮さん。俺」
「ぁ」
声ならぬ声が出た。もう成す術はない。北条の真剣すぎる視線が、星宮だけを見ている。
「星宮さんのことずっと好きでした。俺と付き合ってください!」
力強く北条は公開告白をやってのけた。一瞬の沈黙のあと、クラスの男子たちが歓声を上げる。中には拍手をする者もいたが、今の星宮には一切耳に入ってこなかった。
星宮の思考が真っ白になる。箸で掴んでいたおひたしが水っぽい音を立てて弁当箱の中に落ちていく。顔を赤くして返事を待つ北条と、星宮の虚ろな視線が再び絡み合った。
「あ......その......」
何か返事をしなければならない。告白をされたのだから、返事を返すまでが告白の流れ。しかし今の星宮に返事を考える余裕なんてない。
北条が怖いわけではない。星宮が照れているわけでもない。ただ、星宮は恐れていた。
「――っ!!」
突如、教室の扉がガラリと開く。視線を向ければ、このクラスの一人の女子生徒が教室から飛び出していた。その女子生徒は目元を袖で隠したまま、扉を閉めることなく姿を消していく。
「俺、星宮さんの真っ直ぐとした生き方に惚れたんです。頭がすごく良くて、運動もすごくできるのに星宮さんはいつも一人でいるじゃないですか」
「......」
一人の女子生徒が逃げ出したのを見て、何人かの女子が様子を見に行くためか後を追って教室を出ていく。だが北条は周りの様子に全く気づけていないのか、周りを気にすることなく口を動かした。彼は今興奮状態であり、星宮以外何も見えていないのだろう。
「だから俺、そうやって一人で頑張る星宮さんの応援をしたくなったんです」
「......ゃ」
「俺、絶対星宮さんに認めてもらえるように頑張ります。星宮さんのために尽くすんで。だから」
「っ。やめて。やめて北条くんっ!」
星宮の叫び声が教室に響く。再び教室の空気が凍りついた。悪い意味で凍りついてしまった。
「......あっ」
北条は驚いた表情を浮かばせて星宮を見ている。それは北条だけに限らない。
目を丸くする男子。
冷めた目で見る女子。
軽蔑の視線を送る女子。
嫉妬の視線を送る女子たち。
星宮琥珀の歯車が狂い出す。一度は修復された歯車が、再び狂い出していた。
『宝石級美少女の命を救ったら付き合うことになりました』本編、スタートです