◆第178話◆ 『もうどこにもいないから』
――私は、星宮が嫌い。
......でも、初めて会ったときから嫌いなわけではなかった。さすがの私も、何のきっかけもなく人のことを嫌いになったりはしない。
初めて会ったときの印象は、今でもよく覚えてる。思わず見惚れてしまうような、圧倒的な存在感。一度でいいから触ってみたい、綺麗な雪色のセミロングヘア。くりりとした、マリンブルー色の輝きを奥に灯す大きな目。それら生まれ持った個性を最大限に引き出す、恵まれた容姿。
この子が、この学校で一番可愛い子だって、直ぐに察した。嫉妬とかそういう感情を抱くのが馬鹿らしく思えるくらい、星宮琥珀という存在は遥か上のレベルの女子だった。
他より何かずば抜けたものを持つ人には、人が集まる。所謂、カリスマってやつ。この場合、人より優れた容姿を持つ星宮は、入学したての頃は一時期クラスの人気者だった。みんな、男女問わず、星宮と仲良くなりたかった。
――私も、その時は星宮と仲良くなりたい一人だった。
『私、朝比奈美結って言います。中学校は美保です』
入学式が終わって翌日の高校生活初日。その日は、新しいクラスの全員に自己紹介をするというオリエンテーションが開かれた。そこで私は、初めて星宮と話した。
『私は......星宮琥珀です』
『名前宝石じゃん! かわい! 中学校は?』
『......聖徳です』
『へーっ! そうなんだ。えっと......聞いたことない中学かも。どこらへん?』
『言ってもわからないと思いますよ』
『別いいよ。教えてよ』
『わからないですよ』
『え。......あ、はは。そうなの』
確かな、違和感。
目を合わせてくれないし、声のトーンが異常に低いし、話題を広げようとしない。わかりやすく、私を避けている。そうとしか思えなかった。そのときは、まぁそれだけ恵まれてたら人の選り好みぐらいするよね、なんて楽観的に捉えて会話を終えている。
でも、違った。
私だけ避けられているのかと思ったら、男女問わずの他のクラスメイト全員にも私と同じ対応だったらしい。これにより、入学当初の星宮人気はグンと下がり、周りからは嫌われるまではいかなくても、星宮はクラスとの間にすごく大きな壁ができてしまっていた。
『――てかさー、星宮さんだっけ。みんな話したっしょ。どうだった?』
『あー星宮さんね。なんかあからさまに避けられてたわ。会話めっちゃ止まるし、さすがに気まずぎ。くそ感じ悪いし、マジなんなんって感じ?』
『えーそれなー。一回も目合わなかったんだけど、アレ何ー?』
『え、やっぱりそうだよねー。あの子何考えてるのかな』
私はクラスに中学の頃の友達が三人居て、高校生活のスタートダッシュには困らなかった。その日、オリエンテーションの感想を言い合っていて、話題に上がっていたのは星宮。やっぱりみんな、星宮との初対面のインパクトは大きかったらしい。
『美結はどうだった?』
『え、めっちゃ気味悪かった』
私も勿論、みんなと同意見だった。
※ ※ ※
オリエンテーション時点での星宮に対する評価は”気味が悪い”であって、”嫌い”まではいかなかった。
でも、”嫌い”までの心情の変化は、ゆっくりゆっくりと日が経つにつれて進んでいった。その理由は私が小学校の頃から続けている恋のせい。ご存知の通り、私は北条くんがずっと好きで、一緒の高校を目指すくらいには強い片思いをしていた。
割と関係は良好だと思っていたので、高一のうちに絶対北条くんに告ろうと考えてた。なんなら4月にはもう告ろうと思っていた。......でも、できなかった。
『ねぇ彩。なんか最近、北条くんずっと星宮の方チラチラ見てない』
『えー、そう? 美結の考えすぎじゃない? てか、そんなん気にしてる暇あったらさっさと告れよ〜』
だって、大好きな北条くんの様子がおかしかったから。ずっと、星宮のことを気にしてる。何かときっかけを自分で作って、星宮と会話をしようとしている。星宮と話すときだけめっちゃ笑顔。最初は自分が恋の病に冒されすぎてるからそういう風に見えてしまうのかと思ったけど、やっぱりどう考えても北条くんの星宮に対する態度は明確に違うから、私は北条くんにアクションを起こしづらくなっていた。
――そして、私は段々と星宮琥珀が嫌いになっていった。
※ ※ ※
今でも鮮明に覚えてる、あの秋が深まりつつあった曇り空の日の昼食時間。私の中の何かが壊れてしまった、あの日。
『星宮さんのことずっと好きでした。俺と付き合ってください!』
北条くんが、星宮にクラスで公開告白をした。
その声が聞こえた瞬間、私は頭の中が真っ白になって、無意識のうちに箸を落っことした。次にブワッと体の内側から洪水が押し寄せるような感覚があって、気づいたら私は教室から逃げ出していた。
星宮は悪くない。今なら、それは分かる。北条くんが一方的に星宮を好きになった。それだけのこと。
でも、当時の私はそんなに冷静に物事を考えられなかった。だって、長い時間をかけてきた恋に、こんなにもあっけなく終わりを突きつけられたのだから。
色々な感情がぶつかり合い、私の中で出された結論。
それは、”星宮を死んでも絶対に許さない”、ということ。
積み重なっていた星宮への嫌悪感は、ここで爆発してしまった。だってもう限界だったから。友達も私に賛同してくれて、私は星宮に意味のないいじめをすることを決意した。
私の人生を踏みにじった星宮に復讐するために。
※ ※ ※
......という過程があって、私は星宮のことが大大大嫌いになったの。
今でも、あの肩が震えるほどの怒りは記憶に鮮明に刻まれてる。あんだけ腸が煮えくり返るような思いをする日は、もう二度と訪れないって断言できるくらいに。
あと、私は人を一度嫌いになると、今まで許せていたことも全部嫌いになってしまう。
例えば、星宮がいつもお人形みたいに過ごしているのを見ると、”お嬢様気分かよ”、なんて内心で舌打ちするし、男の先生と少し楽しそうに会話しているのを見ると、”うわ媚売ってるキモ”、って思うし、廊下ですれ違う度に”絶対内心自分のことめちゃくちゃ可愛いって思って、他全部見下してる”とか、根拠もクソもない悪口が思いつくようになる。
今でも、そう。
星宮を見ると、理由もなく腹立つ。
私は星宮が嫌い。大嫌い。
だって、星宮は私の恋を――北条くんとの恋を踏みにじったから。
――――――。
―――――――――。
――――――――――――いつまで、その言い訳に逃げてるんだろ。
北条くんは、私の思っているような人間じゃなかった。
北条くんは、私を利用して、星宮を壊そうとした。
北条くんは、私にとって最低な人だった。
北条くんは、私の人生を壊した。
――何より、北条くんは、もう居ない。
だからもう、北条くんへの恋を理由に星宮を嫌えない。いや、嫌うなんてありえちゃいけない話で、私は星宮に、今までの数々の罪を償わなくちゃいけない。
星宮だけじゃない。私は、ずっと身勝手な理由で他の人の人生を壊してしまった。
だから、言い訳はもうしている場合じゃない。
罪を、償わないと。
北条くんはもう、どこにも居ないのだから。
***
風が泣いている。キシキシと、古びた窓が不協和音を奏でている。枯れた木の葉が、音もなく向かい合う二人の横を過ぎ去っていった。
「えっと、ひとまず落ち着きませんか朝比奈さん。言いたいことは分かります......だ、大丈夫ですっ」
「うっさい。何が落ち着きませんか、よ。落ち着けるわけないでしょ、ふざけないで。私は、ちっとも大丈夫なんかじゃないんだから」
朝比奈の目は本気だった。今すぐにでも殴りかかってきそうな表情をしていて、絶対に琥珀を視線から逃がそうとしない。胸元を掴まれる琥珀も心臓がばくばくで、どう口を開けばいいか分からなかった。
「退学でも、警察でも、報復でも、何でも受け入れる覚悟はできてる。あとは、あんたが私が今までしてきたことを、あの人達に言えば終わり。私は、あんたの言う事を絶対に否定したりしないから」
「報復って......私、朝比奈さんにそんなことするつもりないですよ。一方的に話進めないでください。困ります」
朝比奈の言う通り、これまで彼女がしてきた悪事を学校側に報告したら少なくとも停学は免れない。警察に言っても、事件としてきっちり処理してくれることだろう。朝比奈の言葉は冗談でもなんでもなく、事実としてそれだけのことをやらかしてしまっているのだ。
ただ、現状琥珀はそこまでのことを考えていない。だから、いきなり警察やら報復だの言われても、直ぐにはい分かりましたとは言えなかった。でもそれを、朝比奈は許してくれない。
「は? あんたマジで言ってんの? そんなことするつもりないって、今まで私に何されてきたのか忘れたの? もう一回、一から言ってあげよっか?」
「いいですやめてください。......何をそんなに焦ってるんですか」
「焦ってる? 焦ってるに決まってるわよっ!」
握る力が強まり、琥珀の服が強く引っ張られる。涙を滲ませた瞳が更に細まった。
「あんたこそ、なんでそんな呑気なの。あんたをずっといじめてた、最悪の女がまだここに平然とのさばってんのよ。そんなの、許せないでしょ」
「――」
「......復讐のチャンスじゃん。あんたの大っ嫌いな女が、ここまで言ってんのよ。さっさと、決めてよ」
朝比奈の語気が弱まる。だけど、言葉の奥にはしっかりと熱い感情が乗っていた。
朝比奈は断罪を求めていて、それ以外のことは望んでいない。琥珀は朝比奈の言葉を噛み締め、頭を悩ませた。朝比奈の言う通り断罪してあげるのは簡単だけれど、果たしてそれは正解なのだろうか。第三者目線から見れば、絶対にそれが正解なのだろうが。
「――ぁ」
琥珀は一つ、先程朝比奈が口にしていた言葉で否定したいことを思いついた。まずはそれを口にする。
「えっと、私が朝比奈さんを嫌いみたいなこと言ってましたけど、私は、朝比奈さんのこと嫌いじゃないですよ」
「は?」
そう。琥珀は、朝比奈を嫌っていないということ。それは冗談でもなんでもなく、確かな事実だ。
しかしそれを口にした瞬間、朝比奈の顔つきが変わった。まるで怪物でも見ているかのような目つきで、琥珀を見つめている。急に様子が変わるので、琥珀は困って首をかしげた。
「私のことが、嫌いじゃない?」
「は、はい。嫌いじゃないですよ?」
「――は」
確認を取られるが、琥珀は答えを曲げない。すると、朝比奈から気の抜けたような声が漏れた。その瞬間、空気が大きく変わったような気がした。
「――っ。あんたのさ」
「えっ」
突然、琥珀は胸元を押されて、突き飛ばされた。コンクリートの地面に手とおしりで着地して、遅れてやってくるジンジンとした痛みに、今何をされたのか理解させられる。
朝比奈は今日一番に表情を歪め、涙をこぼした。そして、尻もちをつく琥珀に人差し指を突きつけて――、
「あんたのそういうとこが、大っ嫌いなのっ! ふざけないでっ!」
見下されながら、琥珀は朝比奈に大嫌いと言われた。
「はぁっ......はぁっ......」
「――」
大きな声で、本気の声で、心の底からでてきたその言葉は、琥珀の胸に深々と突き刺さった。突き刺さった箇所は大きくヒビ入り、そこから熱い何かが漏れ出してくる。視界が、曇った。
「......は?」
朝比奈が間抜けな声を漏らす。その疑問が指すものは、琥珀の変化だった。
「なんで、あんたが泣いてんのよ。星宮」
大きなマリンブルー色の瞳が、辛そうに揺らめいている。唇を噛みしめる朝比奈の視線の先、琥珀の頬には一筋の涙が伝っていた。朝比奈もまさか泣かれるとは思わなく、さすがに動揺を隠せない。
「......嫌いって言われて、悲し、かったから」
「は? なにそれ。子ども? てゆーか、私があんたのことが嫌いなんて、今更すぎる話でしょ」
「私は、朝比奈さんに嫌われたく、ないです」
「......は?」
切実な言葉を突きつけられ、またもや朝比奈の心はえぐられる。眼の前に居る女の考えていることが理解できなくて、頭がおかしくなりそうだった。ただ一つ言えることは、お互いの認識の齟齬があるということだろうか。
「あんた、ほんと意味が分かんないんだけど......」
朝比奈が、一歩後ずさった。その細い足は、細かく震えている。
「じゃああんたは、私があんたを屋上に呼び出していじめたときも、私が北条くんとグルであんたを追い詰めていたことを知ったときも、私があんたを罠に嵌めたときも、何も私に思うところがなかったって、そう言いたいわけなの?」
先程から何度も口にした自分の罪を、また繰り返し琥珀に言い聞かせる。琥珀は視線を地面に落としながら、ぽつりぽつりと自分の過去の心情を告白した。
「......それは、違います。あのときは、私も朝比奈さんのこと大嫌いでしたよ」
「は? さっきと言ってること違うじゃん。やっぱり、それが本音な――」
「っ、でも」
今度は朝比奈のことが嫌いだったと口にする琥珀。それを聞いた朝比奈は整った眉をひそめ、声に苛立ちを含ませる。だけど、すぐにそれを琥珀が遮った。
「でも、それはもう過去の話ですよ。今は、私は朝比奈さんのこと、嫌いじゃない。絶対に」
力強い言葉だった。それを皮切りに、琥珀は足に力をこめて、手を支えに立ち上がる。またまっすぐ、滲んだ視界のままだけど、朝比奈と向き合った。
「なんっ......なんでよっ!!」
「私は、朝比奈さんの気持ちが分かるからです。――だって、朝比奈さんも辛かったんでしょ」
「は? 私の気持ちが分かる? あんたが?――はっ」
琥珀の言葉に対し、朝比奈は馬鹿にするように乾いた笑いをこぼした。そしてすぐに朝比奈の表情から笑みが消える。
「笑わせないでくれない? あんたみたいな頭がお気楽トンボな女に私の何が分かるわけなの。というか、今の私を理解できる人なんてこの世に一人だっているわけない。だから、簡単に私の気持ちが分かるとか薄っぺらい言葉を――」
「分かりますよ。......私しか、朝比奈さんの気持ちは分からないですよ」
「――は」
真っ向から否定、そして断言され、さすがの朝比奈も言葉を失う。そこへ畳み掛けるように、琥珀は胸に手を当て、口を開いた。
「ずっと、辛かったんでしょ! 北条くんに、ずっと騙されてて、利用されて、やりたくないことさせられてっ。だから朝比奈さんは今っ、苦しんでるんでしょっ!」
「――」
「それがどれだけ辛いことか、私が分からないわけないじゃないですか」
琥珀は北条の被害者であり、また朝比奈も北条の被害者である。
その辛さがどれだけのものか、それを分かり合うことは庵にも愛利にも暁にもできない。琥珀と朝比奈だけが、この感情を理解しあえる唯一の理解者なのだから。
いつも1話3000字を目安に書いてるんですけど、最近はよく5000字オーバーになってます。書きたいとこまで書こうとしたら、意外と長くなるんですよね。今回もそうでした。
あと残りのキャラデザインの公開についてですが、もうしばらくお待ち下さい。ほんとすみません(T_T)




