◆第170話◆ 『宝石級美少女には無理でした』
え、こいつマジで言ってんの? とでも言いたげな視線が2つ、庵に突き刺さる。特に琥珀からの圧がすごかった。
「......庵くん、歌わないつもりですか? 自分だけ?」
「歌わないというか、俺は聞く専に呈する予定で......」
あからさまに不満げな琥珀。マリンブルー色の瞳を細めて、すごくなにか言いたそうだ。その圧に庵は苦笑いし、ごくりと唾を飲み込む。
「......庵くんが急にカラオケに行く気になったのは、その作戦が思いついたからですか。ずるいです」
「いや、そんなつもりじゃ......なかったわけではないんだけどさぁ?」
もう琥珀には庵の浅はかな考えは全部見透かされたようで、だいぶ声のトーンが低くなっている。この作戦は、庵が聞く専に走ることを全員が快く受け入れてくれることを前提に考えていたので、その前提が崩れれば庵は困る。
「庵先輩。琥珀ちゃんだって歌いたくないのに来てくれてるんだから、庵先輩だけ逃げるのは違うでしょ」
「なんで俺らカラオケに来たんだよってツッコミたいけど......俺、ほんとに歌ヘタで2人に引かれると思うからあまり歌いたくないんだよ。許してくれ」
みっともなくも、正直に歌いたくない理由を話してしまった。すると、だめだこりゃと、愛利が肩を落として溜息をつく。そして琥珀の方を向いた。
「琥珀ちゃん。庵先輩のこと、許す?」
「庵くんはずるいことしようとしてるので、私は許しません」
「だって、先輩」
愛利がものすごい眼圧かけて「どーすーんの」と、庵に問いかける。彼女の琥珀でさえも、今は愛利の味方。暗い個室に、自分の味方は居ない。そして、ここで逃げたら琥珀に嫌われる可能性さえある。
「あー、俺ダセェ......」
ここまで言われて”聞く専”を貫こうとすれば、この場は凌げても、2人からの庵の評価はまた下がってしまう。一時の恥と、永遠の恥。どちらを選ぶのが最適かなんて、さすがの庵も分かっていた。
「......分かったよ。歌うよ。歌います」
「さっすが庵先輩っ! じゃ、歌おっか!」
庵が折れると、愛利が力強く背中を叩いてきた。そうして、庵は一人頭を抱える。そんな庵を無視して、愛利はタブレットを操作して曲を予約。奥のモニターに曲のタイトルが映り、愛利がマイクを持って立ち上がった。
「それじゃアタシから歌うねー。アタシ、ちょー上手いから。マジカラオケプロ名乗れるレベル」
そうして、3人のカラオケが始まった。
***
「――騒げ怪獣の歌♪」
選曲は意外にも庵でも知っている有名どころ。自称カラオケプロ愛利は、その肩書きに恥じないくらいの実力は持ち合わせていた。リズムも音程も外さない。tiktokとかのSNSに投稿したらそれなりにバズりそうなクオリティはある。
「......よくあんな高音出せるな」
「......ですね」
「琥珀なら出せるだろ。女子だし」
「分かんないです。出せても、あんな綺麗に出せるかはちょっと......」
コソコソと琥珀と会話を交わし、愛利の歌の巧さを共感し合う。しかし、庵は愛利の歌を見せられて、更に歌う気が失せてしまった。こんな上手い歌を見せられたあとに歌うカラオケはハードルが高く、あまりにも気が引ける。それは隣の琥珀も同じようだが。
「ふぅ。93点。ボチボチってとこか」
愛利の歌が終わり、室内がピリついた。庵と琥珀が、同時に虚無を見つめだす。
「ねーねー琥珀ちゃん。アタシの歌どうだった?」
「えっと、すごく上手でした。声に感情が乗ってる感じで、ほんとすごかったです」
「ははっ。琥珀ちゃんちょっと大げさーっ。でも、ありがとっ!」
少し慌てた様子で感想を話す琥珀。それを愛利は笑顔で受け取り、再びソファに腰を下ろす。
「んで、次どっち歌う?」
どう足掻こうとも、その時間はやってきた。しれっと放たれる問いかけ。愛利が連続で歌ってくれないかなー、なんて頭の片隅で考えていた希望も、直ぐ様、木っ端微塵に砕け散る。次に歌うのは、庵と琥珀のどちらかだ。
(どうするどうするどうする。いやマジで歌いたくねぇ)
どうするもこうするも、歌うしかない。問題はどちらが先に歌うか。そこで庵は琥珀の方をちらりと見た。
(......)
琥珀は、足をもじもじとさせ、体を縮こまらせていた。顔は俯いていて、垂れている雪色の髪が、横顔を隠している。それを見て、庵はハッとなった。
(琥珀。そんなに歌うのが嫌なのか)
気持ちはわかる。庵も、カラオケにちょっとしたトラウマを抱えている。要するに、下手で、自信がなくて、恥ずかしくて、怖いのだ。
なら、庵が先に大恥を晒して、あとから琥珀が歌いやすいようにしてあげればいい。だが、それをすると琥珀に引かれ――、
(俺のバカ。琥珀は、そんな女子じゃないだろ)
否、それはないと庵は考えを改める。琥珀だってカラオケ初心者。琥珀も、庵の気持ちをよく分かってくれるはずだ。
だから――、
「――あぁもう、俺から歌うよ」
琥珀を勇気づける。これは、さっき琥珀を裏切りそうになった罰だ。もう、どうにでもなればいい。
「ん。おけー。何歌う?」
「......君が代、とか?」
「寒いって」
「冗談だから、そんな真顔でツッコむなよ」
そうして、庵はなるべく歌いやすそうな曲を探してタブレットを操作する。その様子を琥珀が何か言いたげに頬を赤らめながら見つめていたが、庵は気づかないフリして選曲を続けた。
そして選曲を終え、マイクを手にして立ち上がる。
「――よし」
また、男を見せるときが来てしまったようだ。可愛い彼女に恥はかかせないし、自分自身もかかない。そう心に決めて、勇気を振り絞った。
***
「――庵先輩75点だって。普通に下手だけど、壊滅的ってわけじゃないし、まぁ良いんじゃね」
「あ、ありがとう」
「てか庵先輩の歌より曲の方が気になったわ。何あのハイテンションな曲。さっき言ってたアニメのやつ?」
「あぁ、そうそう」
緊張を抑えながら、なんとか一曲を歌い終えた庵。そんな彼を待っていたのは”ドン引きする女性陣”ではなく、”真顔でパチパチと拍手を贈る女性陣”だった。意外にも、そこまで不評ではなかった様子。心配していた琥珀も、特に引いたりはしてなさそうだ。
(あれっ。俺、意外といけるじゃん!)
歌っている最中はとにかく集中していたので自分で上手いか下手かは分からなかったが、愛利の感想によって急に自信がついてくる。高校生になっていつの間にか上手くなっていたのだろうか。とりあえず、トラウマの再来とはならなくて良かった。
「よ、かったぁ。俺が下手くそすぎて、琥珀にドン引きされたらどうしようって思ってたんだよ」
マイクをテーブルに戻し、よろよろと琥珀の隣に座り直す。そうすると、琥珀が庵の顔を覗き込んできた。
「しませんよ。別に普通でした。......それが心配だったんですか?」
「そう。カラオケって蛙化起きやすいって言うじゃん? 割と不安だったんだよ」
「私が庵くんに蛙化なんてするわけないじゃないですか......」
蛙化を心配していた庵に、琥珀が少し呆れた様子で溜め息をつく。
「カラオケなんかで冷める恋とか、私恋じゃないと思います。些細なことですぐ蛙化蛙化言う人いますけど、そんな人達がしてる恋なんて、恋愛ごっこですよ」
「おぉ、琥珀が恋愛について語ってるのめずらしい。なんか、言ってることがらしくないな」
琥珀が真顔で蛙化について語るので、庵は口元が緩んでしまう。少し大人ぶった発言をしたことに自分でも気づいたのか、琥珀は恥ずかしそうに口元を押さえた。
「えっ。あ、なんか生意気なこと言ってましたね。ごめんなさい」
「いやいや。俺とか愛利が今のセリフを言ったら生意気だけど、琥珀が言ったら結構説得力ある。いや説得力でしかないな」
「勝手にアタシ巻き込まないでもらっていいですかー? ......まーでも、琥珀ちゃんが言うならたしかに。今日まで琥珀ちゃんと庵先輩が付き合ってるのが何よりな証拠な気するわ」
庵に暴力を振られ、別れようとまで言われた時期もあったのに、今、琥珀は庵のことが好きだし、庵も琥珀のことが好きだ。その事実が、琥珀の持論を裏付ける何よりの証拠となる。
そして、遠回しに琥珀のしている恋が恋愛ごっこではないというのが分かり、庵は内心飛び跳ねそうになるほど嬉しかった。
「まーでも、あんたらがバカップルなことには変わりないけどね」
「なんだお前」
「いや別に〜?」
庵と琥珀は、別にバカップルというほどいちゃついていない。寧ろ半年付き合って、ようやくキスができたくらいなので、関係の深まり方としては遅いほうだ。これには、お互い恋愛初心者かつ奥手なところに理由があるのだろう。しかし、それ以外の要素でバカップル要素があるのは否めない。
「はい。じゃ、次琥珀ちゃんの番。好きな曲選んで」
「あっ......はい」
愛利にタブレットを渡され、見るからにテンションが下がる琥珀。髪を耳にかけてから、ゆっくりとタブレットに視線を下ろす。もう半年の付き合いだからか、琥珀の表情を見るだけで大体の感情が読めてしまった。
「......庵くん。何かおすすめないですか」
「それ俺に聞く? 俺、琥珀が知ってるような曲多分そんな知らんぞ」
「私が知っている曲というか、誰でも歌えるような曲がいいです」
「......君が代とか?」
「......嫌です。庵くん君が代好きなんですか?」
「いや、別に。ごめん。しょうもないボケだった」
琥珀を笑わせるつもりが、ジトーっとした視線を向けられてしまった。さすがに二番煎じはまずかったようだ。一度目も別にウケてないが。
「さっきYO○SOBI好きって言ってたし、その曲にしたら? それ以外は俺分からん」
「やっぱりそうなりますよね。でも私が好きなのが、歌うの難しそうなのばっかで......」
「まぁダメそうだったら途中でやめてもいいし、とりあえず好きなの選びなよ。アタシ、早く琥珀ちゃんの歌聞きたい」
「......分かりました」
そうして琥珀が選曲を終え、タブレットを机に戻す。琥珀の表情は分かりやすく強張っていた。
「あ、これ聞いたことあるー。エモいやつだよねー」
「あー、俺も知ってるかも」
琥珀が選んだ曲は『三原色』だった。庵も愛利もYO○SOBIに詳しくはないが、曲名くらいは知っている。たまにTiktokなどで歌ってみたが流れてくるほど、有名な曲だ。
愛利からマイクを受け取り、琥珀が立ち上がる。その瞬間、甘い香りが庵の鼻腔をくすぐった。
「初カラオケ、がんばれ琥珀」
「あの、緊張で胸が痛いです......あぅ」
「気持ちはめっちゃ分かる。でも、歌いだしたら意外と余裕だから。注射みたいなもんだよ。怖いの最初だけ」
「ま、待ってください、ほんとに恥ずかしくて無理かもし――」
「琥珀ちゃん始まるよー」
「えっ」
何かを言いかけた琥珀だが、その前に曲が始まってしまった。まずは聞き馴染のあるイントロが流れ出し、そして画面下に歌詞が表示される。琥珀は両手でマイクを握りしめ、ようやく覚悟を決める。それでも、恥ずかしさと緊張は限界突破していて、耳まで真っ赤だった。
――そして琥珀は口を開く。
「――っ、どこかでっ――ぃれたものがた、り――ぅら、も」
ダメだった。庵と愛利が目を見合わせ、ぱちくりとさせる。
「ストップストップ琥珀ちゃん。もういいよ」
「えっ、あっ、はぁ......」
愛利がタブレットを操作して、曲を強制的に中断する。モニターの表示が消えた瞬間、琥珀は恐る恐るといった様子で庵たちの方を振り返った。そしてマイクを両手で握りしめながら、若干涙目で口を開く。
「ごめんなさい......私、やっぱり無理です......自分の声が響いてるのが、なんかすごく恥ずかしくてっ......」
マリンブルー色の瞳をうるうるとさせながら、申し訳無さそうに謝る琥珀。そんな宝石級美少女の姿を見たら、庵も愛利も何を言うことができなかった。




